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第十三話「東、そして西」
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一
話が少しさかのぼる。
朱元璋が応天府(金陵)を手に入れて一年。時は至正十七年のことである。
元璋は執務室の壁に一辺十尺もの巨大な布地図を掲げ、凝視していた。
この地図はかつて金陵を守護していた福寿の所有物で、江南各地の情報が細かく具体的に記されている。この地図のおかげで、元璋と幕僚たちは居ながらにして江南の地を把握することが出来た。
この一年間、朱軍は周囲の敵を打ち倒し、公明正大な政によって版図を広げて、支配地を安定させている。
だが地図を凝視する元璋の目は不安の色に染まっていた。四方敵だらけで、わずかな油断によって壊滅に繋がるからで、朱軍の状況は累卵のように危うい。
情勢はもつれた糸の如く複雑であった。もつれた糸は一つ一つ解きほぐすことが肝要であるが、そのためにはどのような結び目になっているのか、整理し把握しなければならないのだ。
――だが私だけが理解していても意味がない。
諸将を集め、君臣の認識を一致させて事に当たらねば、いかなる策も机上の空論となってしまう。李善長に命じ、一人でも多く諸将を応天府に召集させたのも、そうした理由によった。
一年の間に文武官が随分と増えた。
徐達、常遇春、湯和、馮兄弟、邵栄、鄧愈、康茂才、廖永安、呉良、胡大海など、いずれも当代随一の逸材ばかりである。
「多士済々とはこのことですな」
徐達などは長く伸ばした髭をしごきながら目を細めた。
「どうやら天徳は美髭公(関羽)になりたいらしい」
元璋は徐達の長い髭を撫でながらからかった。不安と焦燥感を抑えるためか、諸将が集まるまでの間、他愛のないことを話し続けた。
やがて一同が揃うと、元璋は大地図の前に立ち召集の理由を話した。
「頼もしき諸将よ。よくぞ集まってくれた。皆も存じていようが、我らは東西南北に敵を抱えておる。これから打つ一つ一つの手が大事であり、小さな誤りが我らを滅ぼす。そこで諸将と情勢を共有し、心一つにして事に当たりたいと思う」
元璋が話し終わると、座長役である善長が一礼した。そして手に長い竹棒を手にして前に進み出た。
「まずは、北方でございます」
善長が開封を指し示した。
「かつて大宋の国都であった開封を小明王陛下が制覇されようとしている」
この頃は龍鳳政権の絶頂期にあり、開封攻略に取り掛かろうとしていた時期であった。
「その開封ですが、蒙古軍は支えることが出来ますまい。遠からず小明王陛下の手中に収まるでしょう」
そう報告したのは徐達であった。徐達は幾度も総大将となり、各地を転戦している。一方で情報収集にも余念がなく、北方や紅巾軍の動静もよくつかんでいた。
「勢いはありますが懸念すべきことがございます」
「懸念とは?」
元璋の問いに徐達は説明を加えた。
「小明王陛下の軍は規律が甘く、民の心をつかめるか疑問です。また各地で連勝を続けていますが、チャガンティムールやポロティムールなどの強豪と矛を交えておらず、戦えばどうなるかわかりません。それと一つ気になる動きがあります」
「気になる動き?」
邵栄が徐達の見解に首をかしげた。
「開封を餌にして、包囲しているように思えて仕方がないのです」
その他の不安要素としては三手に軍をわけて北伐したことを指摘した。
防衛の折に兵力を拡散させ、敵軍を翻弄することは一つの策ではある。しかし敵地に乗り込む時はなるべく兵力を集中させねばならない。下手に兵力を分散すれば各個撃破される恐れがあった。
「大宋軍は優勢に見えますが、我が軍は万が一に備えることが肝要でしょう」
この意見に一同異論なく賛同した。元璋は瞑目し黙したまま、耳をかたむけている。
「次なるは――」
善長が次に指し示したのは南方であった。
南方に関しては湯和が答えた。
「南には早くより方国珍と申す塩賊が勢力を張っております」
中国王朝は塩を専売することで多大な利益を得ており、国家財政の要としてきた。そのため、安価でさばく闇塩商人は国家転覆を謀る国賊であり、歴代王朝は厳罰に処してきた。だが闇商人たちにとって闇塩による利潤は莫大であり、一度手を染めると、たとえ反逆者になろうと武力で抵抗して官吏の摘発を跳ね返してきた。
方国珍はそうした闇商人の頭目であり、近隣の海賊をも配下として勢力を伸ばしていたのである。
紅巾軍が挙兵し、各地で反乱が多発すると、彼もまたその機に乗じて子分たちと共に反旗を翻したのであった。蒙古軍はすぐさま討伐軍を差し向けたが、連戦連敗を喫してしまった。何ゆえここまで蒙古軍が弱いのか――。この問いに湯和は次のように答えた。
「海上では馬は使えませぬからなァ」
湯和は諧謔を交えながら、国珍の勝因を説明した。
南船北馬という言葉がある。
南、とりわけ江南や呉越地方は沼沢が多く、移動手段はもっぱら船であった。一方、北では広大な平野が続くため、馬を利用することが多い。特に蒙古族は遊牧民族のため、騎馬が得意である。しかし生涯船に乗ったことがない者が多く、海など水戦となるとどうしようもなくなる。
この蒙古の弱点を国珍は見事に突いた。蒙古軍が迫れば海や沼沢に誘き寄せて、水上戦に持ち込んだのである。船に慣れていない蒙古軍は連敗を喫したのであった。だが国珍が勢力を伸ばしたのは戦に勝ったことだけが理由ではない。
「蒙古人をゆすって財を築いたのさ」
湯和はまた諧謔的に喩えて嘲笑した。
国珍は国家の生命線と言える塩の生産地を抑えている。塩の不足は王朝の財政を大いに苦しめた。このまま長期に渡って塩が断たれてしまえば、財政が破綻してしまう。そこで元朝が打った手がとんでもない悪手であった。それは官爵を与えて帰順させたのである。
反乱者に官爵を与える。これは国家秩序を崩壊させる最悪の手段であった。塩欲しさに禁断の一手を使ってしまったのだ。
国珍はこれを奇貨とし、貰った官爵を利用して勢力を一気に増大させた。そして朝廷が抑えにかかると再び叛き、また官爵を得て帰順することを繰り返したのである。このやり方を湯和は、「ゆすり」と表現したのであるが、言い得て妙であった。
「そのゆすり屋は北上して、こちらを襲ってはこないだろうか」
遇春は鼻をほじりながら質問した。遇春はこの一年間、縦横無尽に戦い、「常十万」の名にふさわしい活躍をした。今では朱軍になくてはならないほど重きをなしている。
「心配無用。方国珍は私腹を肥やすことにしか考えていない。我らが長躯して彼の領地を侵すならともかく、向こうから攻め入ってくることなど考えにくい」
「何か証はあるのか」
「そのようなものはないが、奴の言動を見ていればわかることだ。何よりも奴が我らを攻めるにあたって大きな壁がある」
「大きな壁?」
遇春は首をかしげた。
ここまで黙していた元璋であったが、目を開いて遇春の問いに答えてやった。
「その壁とは張士誠か」
湯和は、「仰せの通り」とうなずいた。すると今度は善長が話に割って入ってきた。
「北と南も懸念されますが、我らがもっとも心を砕かねばならないのは、東と西です」
「東、すなわち蘇州の張士誠だが……邵将軍」
元璋は東部戦線担当の邵栄と、新たに加わった耿炳文(こうへいぶん)に尋ねた。
炳文は応天開府後に遇春を通じて仕えてきた人物で、守城の名手である。この一年間、東から張軍は幾度となく攻め寄せたが、ことごとく炳文の防衛する常州(じょうしゅう)によって阻止されてきた。
「蘇州の張士誠は脅威ですが、意を注がねばならないのは、苗族(びょうぞく)の楊完者(ようかんじゃ)でありましょう」
苗族とは古来より長江流域を漂白する少数民族で、勇猛をもって知られている。
六朝時代より王朝の尖兵となって活躍したのだが、時には病患ともなった反復常なき民族である。完者はその族長として苗族を率いている。完者に大義などない。彼にあるのはあくまで自分と苗族の利のみであった。
至正十六年の頃は元朝から官位を貰い、官軍と称して跳梁跋扈している。また朱軍に隙あれば朱軍を、張軍を襲った。
「節操なく、まるでいなごのような連中です。ですがまともに相手をすれば痛手を蒙りましょう」
「では手をこまねくのみか」
半ば冗談まじりに元璋が嘆息すると、生真面目な邵栄が激しくかぶりを振った。
「まさか。彼らの習性をつかんでおれば、苗族どもを抑えることは容易でございます」
「習性?」
「彼らは機敏でかつ勇猛果敢ではありますが、古来より中原の兵に欺かれ苦汁を飲まされており、そのため非常に疑い深くなっております。そこで疑兵を繰り出し、彼らを翻弄するのです。少数を大軍に見せれば彼らは迷い、迂闊に攻めてはきません。願わくは旗を五千ほど頂戴いたしとうございます」
「五千の旗か……。宗異」
元璋は馮国勝に目配せした。
「旗だけで牽制出来れば兵を無駄に死なせずに済みます。五千本など容易きこと」
国勝は笑いながら拝命した。
「苗族は疑兵で対処出来ますが、張士誠への備えを考えなければなりませぬ」
邵栄はさらに顔を強張らせて東の大敵について、どう対処すべきか相談した。朱軍は短期間で成長を遂げたが、士誠もまた強大な勢力を瞬く間に築き挙げた男である。
二
張士誠。元の名を張九四(くし)といって塩を請け負う商人である。闇塩を扱う国珍と違って、公認の官塩商人であった。張家は祖父の代から塩を販売し、その信望と勢力は周囲から一目置かれてきた。
「九四は人を宝のように大事にする」
これが士誠の評判であった。塩で得た利益を貧民や友人たちに惜しみもなく与え、そして一度交わした約束は命を懸けて守ろうとする男であった。兄弟仲が良く、士義(しぎ)、士徳(しとく)、士信(ししん)たち三人の弟たちは力を合わせ、兄をよく支えた。
三人の弟たちはそれぞれ才能にあふれ、特技を有している。
次男の士義は喧嘩に滅法強く、特に水中で人に負けたことがない。
三男の士徳は智謀に優れ、張家が急激に勢力を伸ばしたのも彼の進言あればこそであった。
末っ子の士信は兄たちに比べると才幹に乏しかったが、明るく義侠心に富み、多くの知己がいた。人を喜ばせる天才で、彼が接した客は皆喜んで張家に滞在した。そのため張家の評判は日増しに高まった。
士誠はまた友人にも恵まれていた。
呂珍(りょちん)という男は商人ながら剛毅で、射術で彼の右に出る者はいない。
士徳が師と仰ぐ李伯昇(りはくしょう)は「智多星」とあだ名される学識の人で『水滸伝』の名軍師に見立てて、「今呉用」と人に呼ばれている。
また計算力に長け、塩の運搬を滞りなくこなす潘原明(ばんげんめい)という男もいた。張一家の商売が繁盛した背景には彼の計算能力があったことは疑うべくもない。
このようにして張一家は勢力を伸ばしていったのだが、とある悪官のために反乱の道を歩まされることとなった。その悪官とは丘義(きゅうぎ)と言い、塩商人たちから上前をはねて私腹を肥やすことで有名で、
「相手は南人だ。いざとなれば首を刎ねて口を封じれば良い」
そう、豪語するとんでもない人物であった。
張一家の隆盛を妬んで、丘義はとある悪謀を巡らせたのである。急成長した者には敵が多い。張家も例外ではなく、多くの商売敵がいた。丘義は敵対する商人をけしかけ、張家が不正を働いていると密告させたのだ。そして罰則として張家の儲けを理不尽にも奪い取ってしまったのである。
当然、士誠は怒り、激しく抗議した。しかし張家を陥れることが目的とされているため、抗議したところで事態が好転するはずもなかった。今度は、
「張一家は塩を密売し、方国珍と結んでいる」
と密告させて、謀反人に仕立て上げてしまったのである。さらにこのことは朝廷に報告され、張家は塩の販売権を剥奪されてしまったのである。あまりの仕打ちに張一家と友人たちが激怒したのも無理はなかった。
大嵐の夜、弟と仲間たち十八名と共に立ち上がり、憎き丘義と密告した商売敵たちを惨殺したのである。丘義は悪官であったが、歴とした元朝の官僚であり、それを殺めてしまっては後に戻ることは許されない。
「天下は乱れに乱れている。男たる者、一度兵を挙げれば天下を手中にするまで一歩も退いてはならぬ」
士誠には塩で得た財力がある。その財をもって武器や船を購入し、兵を募った。
彼は財力の他に三代に渡って築き上げた人脈もある。困窮から救われた人々は士誠のためなら命はいらぬ、と親類縁者を引き連れて張軍に参加してくれたのだ。
その数はあっという間に万を越え、張軍の勢力は容易ならざるものとなった。士誠はその兵力をもって進撃し、各地の蒙古軍を打ち破っていった。
破竹の勢いで勝ち進み、高郵(こうゆう)を拠点と定めた。ちなみにその頃は元璋が濠州で頭領たちの諍いに頭を痛めていた頃である。
勢い天を衝く――張軍の誰もがそう考えていたが、彼らにとって最大の試練が待ち受けていた。丞相トクトの南征である。
この南征で徐州、濠州、そして紅巾本軍の亳州が攻め立てられた。しかしトクトがもっとも叩き潰したかったのは士誠で、蒙古軍の攻撃は熾烈を極めた。
高郵一帯から入る塩は膨大な量であり、方国珍の抑える地域と共に元朝にとって死活問題となっていた。そのためトクトは何をおいても士誠討滅こそ南征の第一義としたのだが、士誠たちは団結して奮戦した。
高郵は陥落寸前であったが、元朝内の権力争いでトクトが失脚したため、士誠は九死に一生を得た。
「もしあの時、張士誠がいなければ、濠州もどうなっていたかわかりません」
邵栄は蒼白な面持ちで身を震わせた。しかし濠州も奮戦したからこそ高郵も陥落せずに済んだと、元璋は見ている。どちらが主であるか否かが問題ではない。トクトの南征失敗は元朝の命運を決定的にし、歴史を大きく回転させたことだけは間違いないのだ。
とにもかくにもトクトの失脚後、士誠は蘇った。その後、諸将の奨めに従って拠点を蘇州に移したのである。蘇州は江南で最も富裕な地で、張軍はその力をさらに飛躍させることとなった。
「彼らの優れた施策として蘇州に弘文館を開いたことがあります」
士誠は先述したように人材を重んじる。中でも文人を鄭重にもてなし、迎賓館として弘文館を開いたのである。
この弘文館には当時を代表する文人たちがこぞって参集してきた。
弘文館の建造を主張したのは弟の士徳であった。弘文館を建設した結果、多くの人材が集まり、やがて張軍の強化に繋がった。
士誠の人材獲得の情熱は元璋に通じる、と邵栄は賞したが、善長は内心違うと断じている。確かに知識人を重用する姿勢は元璋に劣っていないだろう。
――だが張士誠は文学の徒、我が君は治世の臣を求めておられる。
一見同じように思えるが、この違いは大きかった。
世が泰平であれば文化向上のために文人は必要不可欠であろう。しかし今は乱世である。瞬時に名句・明文をそらんじることが出来ても、戦いや治安の役には立たない。
――この私や馮兄弟、陶安などは詩文が苦手であるが、天下万民を安んじる力は我らの方がある。
善長はそう自負する。この自負にはどこか嫉妬に近い感情が含まれていたが、蘇州に参集した文人たちに政治を司ることは難しいであろう。
元璋には文人に対する嫉妬などなかったが、火急の時である現時点において有閑の徒は不要だと考えている。登用の趣旨は違えども、士誠の姿勢は蘇州政権を大いに盛り上げていることは確かであった。また善長の思うように張軍に仕えし文人たちも詩文を作ることだけに情熱など燃やしてはいなかった。天下平定のため、四方に軍を派遣することをしばしば進言していたのである。
そんな朱軍と張軍が初めて激突したのは至正十六年のことであった。当初、元璋は張軍に和睦を申し入れたが、一蹴されてしまった。
「あんな胡散臭い連中と手を組めるか」
これが士誠の回答であった。
彼は白蓮教嫌いで、何よりも麾下の文人たちも妖教の徒として毛嫌っていた。
六月に入ると、張軍は東境に侵入を開始した。しかし幾多の戦を経て朱軍は屈強になっていた。七月には徐達軍が張軍を打ち破り、士誠の弟・士徳を捕縛することに成功したのである。徐達は降るように説得したが、士徳は聞かなかった。
「貴様らのような邪教徒に降れるか」
そのように悪態をつき、ついには舌を噛み切って自害してしまったのだ。
この士徳の死は張軍にとって大きな打撃であった。彼は士誠の弟というだけではなく、唯一戦略眼を有した軍師であった。その士徳が亡くなった今、張軍は舵を失ったように方向性を見失ってしまうのである。
士徳を失った士誠の怒りは尋常ではなく、
「邪教徒め、必ず彼奴らの肉を喰ろうてやるぞ」
と、号泣して復讐を誓ったと云う。
東はこのように苗族の跋扈と、張軍と攻防しているために膠着状態に陥っている。
東の戦況はこのように朱軍にとって如何ともしがたかった。一気に攻めるには敵兵力が多く、兵糧攻めするにしても天下の富裕地を拠点にしていたからだ。諸将は頭を抱えるようにして地図を凝視した。
「張軍の知恵袋は死したが、まだ数多の知将や猛将を抱えている。捲土重来とばかりに巻き返しを狙って参りましょう」
鄧愈が真剣な面持ちで邵栄に語りかけた。
邵栄にとって鄧愈は甥のような存在で、このような大人びた言い方に可笑しみを感じた。その可笑しみを鄧愈は感じ取ったのか、顔を赤らめながら苦笑した。
「とにもかくにも東に対する備えは怠ってはなりませんな」
徐達は何度もうなずきながら諸将に注意を促した。湯和を始め、諸将は皆同意したが、ただ一人だけ異論を挟む者がいた。
「西への備えをおろそかにするのは至極険呑ですぞ」
雷鳴の如き大声の主は遇春であった。彼は戦場でこそ荒々しき武者であったが、平時は誰にでも優しい。だがどうしたわけか、徐達に対してだけはいつも辛辣であった。
右と言えば左と反論し、応と言えば否と言った。しかし徐達本人はいつも不快には思わず、自分を質す良い戒めだと捉えている。
――常十万は魏大夫(魏徴(ぎちょう))だ。
魏徴とは唐の太宗が、「我が鏡」と評した直諫の士のことである。
――物事は一つの面だけで判じると、えてして失敗するもの。
徐達の案はいつも秀逸であり、常人では論破出来ない。ところが遇春だけは直感的に彼の論の矛盾や油断を看破し、遠慮なく突いてくれるのである。
太宗皇帝は史上最高の名君と謳われた人物であるが、それは家臣の諫言に耳を貸し、均衡の取れた政治を行ったからであった。
――独善こそ我が最大の敵。
徐達が抱く危惧を遇春ほど正してくれる人物はいない。そのため遇春の意見を否定的には聞かず、常に肯定的に捉えるのであった。もっとも徐達が冷静であればあるほど遇春は面白くはなく、いつかほえ面をかかしてやろうと己を高めていった。朱軍において「徐常」と併称された二人の名将はこうして切磋琢磨していくのである。
それはそれとして、遇春は意見を述べる時は傍若無人になるため、皆を困らせた。つかつかと善長の前に行くと、奪い取るようにして竹棒を手にするや、力一杯地図の西方を叩いた。
「十万――」
あまりの無礼さに湯和が面を冒してたしなめたが、善長は苦笑しながらかぶりを振った。 善長は誇り高い人物だが、不思議と遇春の無礼さには腹が立たないらしい。
徐達は地図に近づき、髭をしごきながら尋ねた。
「西も容易ならざる、とはどういうことですか。伯仁(遇春の字)殿」
すると遇春は竹棒を床に叩きつけて、「十万じゃ」と怒号を発した。
「西にはのう。恐るべき豪傑がおるのだ」
「豪傑?」
「陳友諒(ちんゆうりょう)じゃ。千軍万馬の将で、当代において、もっとも恐ろしき男だ」
元璋以下、多くの者が顔を見合わせ、首をひねった。友諒とは初めて聞く名であったからだ。しかし諸将の中で一人、友諒について詳しく知る者がいた。かつて陳埜先の許で驍将として名を轟かせた茂才である。
「康将軍は存じておるのか」
「若き頃、旅先にて知り合い、友となった仲です」
「友、か。ならばその陳友諒の話、詳しく聞かせてくれまいか」
茂才は拱手し、友諒について語り出した。
三
友諒はもう一つの紅巾――いわゆる西系紅巾軍に身を投じ、頭角を現した人物である。 紅巾軍に参加する前は沔陽(べんよう)で漁師をしていたが、幼時より大志を抱いており、立身出世を夢見て暇を見つけては勉学していた。
父の陳普才(ちんふさい)は魚を獲るのに勉学は不要だと叱りつけたが、彼は決して止めようとはしなかった。
――この間抜けどもと同じでありたくはない。
友諒は唇を噛み締め、あらゆる罵詈雑言にも耐え忍んでいた。やがて世は乱れ、友諒は出世の糸口をつかむことが出来た。
当時、庶民の識字率は非常に低く、文字を知っているだけでも特技と言えた。その特技を買われ、下級役人として取り立てられることになった。
――俺は英雄だ。いつまでもこのような卑職に留まらぬ。
友諒の志はどこまでも高く、このような下級役人の地位如きで満足はしていなかった。
そのためか、上役と諍いを起こすことが度々で、ついに折り合いが悪くなり、三十を前に辞職させられることになった。
――井の中にいては何も出来ぬ。我が志を遂げるには大海を知らねばならぬ。
一念発起、友諒は各地を遊歴することを決意した。
志ある者の遊歴は志ある者との出会いを招く。友諒の旅は実り多きもので、茂才もまたそうした中でその中の一人であった。やがて世は乱れ、小明王とはまた別の紅巾軍が兵を挙げた。友諒は西系紅巾軍にその身を投じたのである。
ちなみに紅巾軍は大きく東と西の系列に分けられる。
韓山童と劉福通たちが起こした紅巾軍は東系であり、元璋たちはこちらに属する。また東系は韓親子を大宋皇帝の末裔と称させ、宗教的以外にも民族復興を標榜して軍を発した。
一方、西系は彭和尚(ほうおしょう)を教祖とし、世を地上の楽園に昇華させることを目的としている。和尚は挙兵するにあたって山童のように自ら総帥になろうとはしなかった。あくまで自身は僧侶であり、人外の者であると規定したためであった。しかし軍を起こした以上、総帥は必要である。そこで和尚は二人の信者に白羽を立てた。
一人は趙普勝(ちょうふしょう)という鉄工業者。
腕っ節があり、仲間を統率する力もあったため、彼を将軍として起用した。
もう一人は徐寿輝(じょじゅき)という布売りの男。
才覚は皆無に近かったが、容貌が特異でかつ雄大な体格の持ち主であった。
「こなたは龍顔を有し、体中より天子の気を放っておる。だが口は禍の門と申す。そなたは拙僧や普勝の申し出に従い、悠然と構えておくが良いぞ」
和尚はそのように寿輝に説いたのである。「龍顔」とは皇帝の顔を形容する言葉で、その由来は漢の高祖・劉邦にあると云う。劉邦の顔は長く、それが伝説の龍に似ていた。そのため子分たちから、
「劉兄は龍の生まれ変わりだ」
とはやし立てられ、さらにはその劉邦が皇帝になってしまったため、皇帝の顔=龍顔と称せられることとなったのである。
寿輝の顔は劉邦と同様細長く、まさに龍顔そのものであった。和尚はこれを奇貨とし、彼を皇帝に推戴したのである。
寿輝は雄大な容貌を持つくせに小心者で、自分のような者が皇帝なのか、と不安に思った。だが彼は和尚を天の使いと本気で信じていたために、悠然と構えるだけでほとんど口を利かなかった。寿輝の取り得は素直さと、演じきることが出来ることにあった。
これが彼に神秘性を持たせ、西系紅巾軍の結束に繋がったのである。
至正十一年に入ると、西系紅巾軍は順調に勢いを伸ばしていった。
和尚は寿輝を皇帝、普勝を太師とし、国名は天完(てんかん)と号して、国家を建設したのである。和尚はあくまで人外の立場を貫き、白蓮教の導師として振舞った。
乱世ともなると、どの軍にも強かな男が現れるものである。
友諒が仕えた倪文俊(げいぶんしゅん)などがそうであった。彼は無類の戦上手で、天完国の一翼を担う部将としてその名を馳せた。そして各地で連勝を重ね、瞬く間に頭角を現した。その文俊だが、彼は勇猛だが、文に疎かった。戦に勝つためには兵糧の確保や、戦況把握など学が必要となってくる。友諒も文俊に負けぬほど勇猛さを発揮したが、軍勢保持のための補佐を一手で賄った。
――陳友諒は初め、文官だと思われていた。
これが友諒を古くから知る者全ての第一印象であった。
彼は気性が激しいが、野望を達成するためには我慢をすることを識っていた。
――虎は牙を隠し、鷹は爪を秘めるも。龍は天に昇るまで沼沢に潜むのだ。
そう自分に言い聞かせ、ひたすら文俊の良き参謀であろうと心掛けたのである。
――そのうちきっと好機が訪れる。
友諒はそのように見ていた。主君の文俊は傍若無人が服を着ているかと思えるほど粗暴な人物であった。粗暴な人物は必ず恨まれ、わずかな隙で身を滅ぼしてしまうものだ。
――その時まで文俊の沓をも舐めてやるさ。
友諒はひたすら隙が生じるのを待ち続けたのだ。
至正十四年。
トクトの南征は当然、西系紅巾軍をも襲った。完軍は各地で撃破され、滅亡寸前まで追いやられたのだ。和尚は教義の伝道者としては一流であったが、将としての才覚は皆無であった。また政治家としては幻想家でありすぎ、トクトのような名将に当たれば成す術もなかった。
和尚は元軍の猛攻に対し死力を尽くしたが、あえなく討ち取られてしまったのである。
和尚の死は天完国の体制を大きく揺るがせた。
表向きは皇帝・寿輝が統括していたのだが、飾り物であった彼に反乱軍を指揮する能力などない。熾烈な内部抗争が繰り広げられたのは当然で、指導者となるべく動き始めたのが太師・普勝であった。寿輝を抹殺し、名実共に天完国の皇帝になろうと画策をした。だがこの野望はすぐさま頓挫することになる。彼は事もあろうに文俊に相談を持ちかけてしまったのである。
――好機到来だ。
文俊は内心小躍りをした。皇位簒奪について相談された書状を公表し、
「君側の奸を取り除く」
と檄を飛ばすと、諸将はこぞって文俊に加担し、普勝打倒を目指した義兵を挙げたのである。普勝は文俊に立ち向かったが、将としての才覚は文俊の方がはるかに上で、あっという間に攻め滅ぼされてしまった。これにより文俊は天完国の丞相に就任し、絶大な権力を手にしたのだ。だが彼の野望はこれで終わるはずがなかった。
「布売り如きに天下の大事は任せられぬ」
文俊は寿輝を引きずり降ろして、自身が帝位に即こうと画策したのである。
――待ちに待った好機が来た。
これこそ友諒が待ち望んでいたことで、この時ほど心内で小躍りしたことはなかったであろう。友諒は慎重に、そして迅速に謀略を張り巡らせていった。
文俊の簒奪劇であるが、実はその筋書きと興行したのは他ならぬ友諒であった。
――天下万民は将軍のような武名高き方をお望みです。
――各地より瑞兆が見えたとの報が次々と届いておりまする。
そういった類の甘言を友諒は繰り返し、単純な文俊はすっかりその気にさせられてしまったのである。だがこの文俊は粗暴である一方で、臆する心もあった。
「友諒よ。わしは一介の武将にすぎぬ。そのような者が天子となって天罰は下らぬかな」
「ご主君は当今の英雄にあらせられまする。天完国のみならず、天下万民の頂上に立つお方。徐寿輝は天子として推戴されていますが、あのような布売りに天意などあるはずもございませぬ。そもそも天完国を支えてこられたのはご主君。ご主君は天意に随い、天子の御位にお即きなされませ」
言葉の魔力と云うべきか――友諒のささやきには多分に酒精度が含まれており、文俊は酔うが如く、その気になってしまった。
「なるほど、俺なくして天完国が成り立とうか。下賤の身からここまで出世したのだ。これも天命というものであろう。わしは天下を治めなければならぬのだ」
こう叫ぶと文俊は簒奪に向けて動き始めたのである。
まず天完国の首都を漢陽(かんよう)へ遷都させた。漢陽は文俊の本拠地で当然の如く、諸臣はこの遷都に猛反対した。
「天命を拒む者は罰を受けるが道理というものだ」
文俊は唇を曲げながら、反対する者をことごとく釜茹に処した。この粛清に立ち向かう者はおらず、諸臣たちは沈黙せざるをえなかった。
「逆心を抱く者から天子をお護りせねばならぬ」
文俊が次に打った手は皇帝・寿輝の軟禁であった。寿輝は有無を言う間もなく漢陽の宮殿に押し込められてしまったのだ。それから間もなく、各方面から、
「陛下は天意をないがしろにされている」
といったような、寿輝を弾劾する上奏文までが送られてくる始末であった。
文俊には妙な癖があり、悪事を企む時はきまって芝居気が起こる。上奏文を手にした文俊は苦渋するふりをしながら身体を震わせた。
「陛下は天下万民の父ともなられるお方。忠臣たちの言葉に耳をかたむけられ、ご行状を改められますよう」
――白々しい。
廷臣の誰もがそう思ったが、傀儡であった寿輝に反論など出来ようはずもなく、ただ謝罪するのみであった。
茶番劇は繰り返される。
文俊はいよいよ最後の一手を打つことにした。不徳の天子が、天の怒りを受けて病没するという一手である。
――ついに時は至れり。
この時ほど文俊が人生において高揚感を感じたことはなかった。全ての道が開け、輝かしき道――皇帝への階段が眼前に広がっているのである。文俊はその階段に足を一歩踏み入れた。だが彼が夢見た道が幻想であったことはすぐに思い知らされることになる。
一心同体、無二の腹心だと信じ切っていた友諒が突如、「勤皇」の旗印を挙げ、打倒倪文俊の軍を興したのである。文俊は呆然とし、そして憤怒した。
「漁師めが、血迷ったかッ」
この言葉を聞けば友諒は抱腹絶倒したに違いない。
――血迷ったのは文俊、お前の方だ。
友諒は血迷ってなどはいない。彼の考えた筋書き通りに文俊が進んでくれていただけなのだ。文俊の独走に共感する者などいない。ただ彼の力に屈服させられていたため反論出来なかっただけであった。
――火を起こすことは至難の業だが、付いている火を劫火にすることはたやすいものさ。
人々の心に反文俊の火が灯っている。そこに彼の腹心であった友諒が勤皇という油布を放り込んでやればどうなるのか。
大義名分という劫火となって文俊を焼き尽くし、そして友諒を次なる寄り木として人々は結集するのである。文俊は地団駄踏んで悔しがったが、後悔先に立たず、打つ手は全て喪ってしまっていた。友諒は謹直な表情で倪軍の軍務を担当していたため、文俊に実権など無くなっていたのだ。
――俺は見誤った。奴は忠実な犬などではない。飢えた狼であったのだ。
全てを失った文俊はわずかな手勢を率いて黄州へと逃亡した。
しかし時流とは恐ろしい。逆賊とされた文俊は、天完国全てから命を狙われることとなった。ただ戦に強く、配下にいれば戦利品を獲得することだけが彼の魅力であった。今、簒奪に失敗し、勢力を無くした文俊など、その存在意義などあるはずもなかった。
求心力を失った謀反人の末路は哀れなものである。付き従っていた部下に裏切られ、その首を刎ねられてしまったのだ。ここに一代の梟雄はその生涯に幕を降ろした。
文俊は死んだ。
替わって檜舞台に躍り出たのは友諒であることは言うまでもない。
逆賊・文俊を滅ぼした英雄として天完国の全権を握り、皇帝より丞相職を与えられたのである。
天完国の諸将はこぞって友諒に帰順した。しかし仁将として名高い明玉珍(めいぎょくちん)は異を唱えて四川で独立してしまった。すぐさま玉珍討伐を考えたのだが、四川は要害の地であったために、しばらく放置することにした。しかし友諒の地位は確立され、天完国の実質的な主となったのである。
友諒は諸事、行動が速い。
火が出るような勢いで各地を併呑していき、わずかな期間で天完国を強大な勢力に成長させたのである。また人材登用にも熱心で、有能な武将を数多召し抱え、幾度も蒙古軍を打ち破った。天完国の基盤を固めた友諒が次に目指したのは天下であった。
「まずは江南を征し、天下統一の基とすべし」
そう高々と宣言し、ついに朱軍への侵攻を決意したのである。
第一歩として朱軍の西の拠点である太平に狙いを定めた。東から張士誠、そして西から陳友諒に狙われ、朱軍は挟撃される形になってしまった。打つ手を誤れば朱軍は壊滅してしまうであろう。
その太平だが、今は黒先鋒・花雲がその守りに就いている。
「そう言えば雲の姿が見えぬな」
元璋は今さらながら花雲が、この軍議の席にいないことに気づいた。かつて黒先鋒と異名を馳せ、猛将として謳われていた花雲だが、この頃は違う印象を人々に与えているようであった。兵や太平の人々に優しく接し、こまごまと立ち働いていると云う。また激昂することがなく、常に温和な表情で接するため、太平は上下一つに心がまとまっているらしい。
「博打はしていないだろうな」
元璋は笑いながら太平の副将である茂才に尋ねた。鐘離時代を知らない茂才は、
「花将軍は博打をされるのですか」
そう言って、目を丸くした。鐘離にいた頃は暇さえあれば博打をしていた花雲であったが、朱軍に身を投じてから博打に一切手を出さなくなった。特に太平の守将になってからは人変りしたように智謀溢れる武将に成長していたのだ。
「男子三日遭わざれば、か」
元璋は嬉しそうな表情でうなずいた。
かつて悪童であった連中が、いつの間にか立派な将となり、そして天下万民のために立ち働いている。何よりも乞食坊主であった元璋が応天を拠点とする大領袖となっているのだから、世というものはわからない。そのことが嬉しくもあり、どこか可笑しみを感じるのであった。だが今はそのような感傷に浸っている場合ではなかった。
「ご主君。太平は花将軍が守られておりますゆえ、たやすく陥落いたしませんが……」
遇春は思い出に浸りかけた元璋を現実に引き戻した。彼が懸念するように、これまでの動きから見て、友諒は機敏で戦に長けている。いつ太平に攻め入るかわからない。もし大軍を擁して攻めて来られれば四方敵に囲まれている朱軍はひとたまりもない。
「十万。そなたはいつでも動けるよう兵を整えておいてくれ」
「康将軍。逐一天完軍の動きを探り、李軍師に知らせておくように――」
元璋はそう命じると、再び立ち上がった。
「これにて諸公たちも我が軍の置かれている立場を理解したであろう。少しの油断が命取りとなる。怠りなく軍務に励むべし」
諸将は一斉に拝礼し、元璋の命に伏した。
四
軍議が終わった。
しかし元璋はただ一人、その場に残り地図を凝視している。諸将の前でこそ泰然としていたが、その実、この窮地をどう乗り切っていいのか、わからなくなっている。
「滅亡」
この二文字が脳裏に浮かんでは消え、元璋は身を震わせた。
焦りは禁物、そんなことは百も承知である。しかしどうにも心にはびこる恐怖心を消し去ることが出来ない。
――思えば乞食坊主であった頃は何と身の軽かったことか。
元璋はつくづくそう思った。生きるも死ぬも我が身一つで、何も考えずに逃げ出すことも許された。
だが今は違う。逃げることも、誰かに頼ることも許されない。元璋の双肩に朱軍十数万の命が重く圧しかかっている。
「舅殿が生きていれば……」
こうした時には決まって亡き郭子興のことを思い出してしまう。
もっとも子興の器量や才覚でこの状況を切り抜けることなど出来なかったであろう。だが理屈ではなく元璋は頼れる人を欲していた。
――張士誠や陳友諒はどうなのだろうか。
詮無きことであるが、彼らに不安や恐怖心があるのか訊いてみたかった。
――我ながらどうかしている。
あまりに弱気になっている自身が可笑しく、自嘲してしまった。
随分と長い間、思い悩んでいたらしい。
「国瑞様」
心配になった鈴陶が迎えに来たのは夜もすっかり更けていた。
元璋はよほど弱気の虫に憑かれていたのか、ひどく心細げな表情であった。まるで母親にすがりつくような幼童のようで、それが鈴陶にはどうにも可笑しく、思わず吹き出してしまった。
「何が可笑しい?」
気恥ずかしかったのか元璋は顔を赤らめた。
「申し訳ござりませぬ。でも今のお顔が標と瓜二つでしたので」
「標と?」
「ええ。夜、むずがっている標と同じようなお顔でした」
鈴陶は楽しげに笑ったが、元璋は可笑しくも何ともない。苦虫を噛み潰したような表情で眉間にしわを寄せた。
鈴陶は意地悪な所がある。そんな表情をする夫をからかうのが何とも楽しい。家臣の前では決して見せない顔を鈴陶にだけは見せてくれる――それが彼女には嬉しくて仕方がないのだ。
――二人の時だけは出会った頃の重八様のままだ。
素直に笑い、怒り、悲しみ、そして泣いてくれる。鈴陶にとって自分だけに見せる素顔は何物にも替え難い宝物であった。鈴陶はそっとかたわらに寄って一緒に地図を眺めた。
「大きな地図。昔は定遠や濠州だけが私たちの天地でしたのに……。今ではこのような広い地図で考えなければいけないほど広がったのですね。随分遠くまで来たものです」
「あの頃は身一つで良かった。今では多くの命運がこの身を頼っている」
「でも国瑞様お一人で支えている訳ではありませんよ」
鈴陶はにこやかに微笑み、そっと元璋の腕に寄り添った。
「李先生に天徳様、それに鼎臣様を始め、数多くの方が国瑞様を支えておられます。それと、この鈴陶もいるではありませんか」
「そなたの笑みはやはり無敵だな」
「無敵?」
「その笑みを見ていると、ついこちらも笑ってしまう。そして暗い気持ちも吹き飛ぶ」
この言葉を聞くと、何とも言えない嬉しい気持ちになった。元璋はにこりと笑うと、優しく肩を抱き寄せた。
「皆の助けがあってこその朱元璋だとはよくわかっている。だからこそ進むべき道を誤ってはならないんだ。その道を教えてくれる人を俺は求めている」
「難しいものですね……」
「ああ、難しい」
「しかし鈴陶は偉いな」
「偉い?」
「出遭った頃から、その笑顔が曇ることがない」
「あら。こう見えても色々と悩むことはあるのですよ」
「そなたが?」
元璋がひどく驚くと、急に冷たい笑みを鈴陶は浮かべた。その瞬間、女子のことだと元璋は察し、慌てて手を振った。
「待った、待った。ただでさえ四方敵に囲まれているんだ。内にまで敵がいてはこの身が持たん」
半ば亡きそうな面持ちで、必死になって頭を下げた。鈴陶は苦笑しながら、ゆっくりとうなずいてやった。
「義母様から教わったことなのですが、心暗くすれば光明を逃すもの。どんなに辛くとも心を明るくすれば必ず光明をつかめるものです。今は四方闇に囲まれておりますが、きっと良き道を見出すことが出来ましょう」
「……俺のおっ母もそんなことを言っていたよ。あきらめたらお天道様がそっぽを向く。行くあてもなかった旅先で、その言葉だけを頼りに生きてきた。そのおかげで――」
ちらりと鈴陶の顔を見ると、元璋は愉快そうに笑った。
「そなたのような得がたき楽天家と出遭えたのだからな」
「人を能天気みたいに仰らないでください」
鈴陶はほおを膨らませながら怒ったが、その顔は童女のようで、どうにも可愛らしい。
「ところで国瑞様。お忘れではないですか」
「何をだ」
「晴れ姿ですよ」
「晴れ姿?」
意味がわからず、元璋は首をかしげた。
「仕方のない義父上ですこと。今日は子らが元服をし、晴れ姿に身を包んでいるのですよ」
「そうか。そうであったな」
鈴陶はにっこりと微笑み、子たちの待つ居室へと元璋をいざなった。
元璋は鈴陶を伴い、居室に戻ると煌びやかに武装する三人の若者たちが待ち受けていた。 いずれも黄金造りの甲冑を身にまとい、何ともまばゆい。
「見違えるものだ」
満足気に若者たちに声をかけた。
三人の若者とは元璋の仮子たちであった。甥の李保児、朱仲児、そして朱英であった。
保児は十九歳、仲児は十七歳、そして英は十四歳となっていた。三人とも見事な若者に成長し、新緑を思わせるような若武者ぶりであった。そんな中、五歳になる長男の標が、足許に寄ってきた。抱き上げると、三人の義兄たちの晴れ姿を見せてやった。
「どうだ、標。義兄様たちは凛々しいだろう」
標はあどけない顔でうなずき、一同は笑いさざめいた。
「今までただの悪戯小僧であったが、時の流れは速いものよ。かくも勇ましき若武者になろうとは。嬉しく思うぞ」
そう褒めてやると、三人は顔を見合わせ、喜色を浮かべた。保児は咳払いをすると一歩前に出て頭を下げた。
「義父上。男子三日遭わざれば、刮目して見よ、と申します。我ら義父上――いえご主君のため身命を賭す覚悟にございます」
おどけた口調で言うと、元璋は笑いながら、「図に乗るな」と保児の頭を小突いてやった。
「さて、そなたたちも今日より一人前の士だ。士たる者は天下万民のために命を賭さなければならぬ。そこで士にふさわしい物を、はなむけとして与える」
三人たちは姿勢を正し、厳粛な面持ちで拝礼した。元璋は標を鈴陶に渡すと、一人ずつ名と字を与えてやった。
「李保児。そなたには文忠(ぶんちゅう)の名を与える。字は思本(しほん)とするが良い」
「朱仲児。そなたは文正(ぶんせい)だ。字は伯隆(はくりゅう)である」
「朱英。そなたには実父の姓・沐(もく)を与える。字は文英(ぶんえい)と名乗れ」
三人は喜色を浮かべて、新しき名と字を拝領した。
ここに朱軍は新たな武将を得た。
李文忠、朱文正、そして沐英。
彼らはいずれも期待に応えて一騎当千の働きをすることになる。
「鈴陶」
元璋はかたわらにいた鈴陶に声をかけた。
「どんな苦境が待っていようとも、前を向いて進もう。お天道様がそっぽを向かないように、な」
満面に笑みを浮かべて鈴陶は力強くうなずいた。
鈴陶の笑顔と若武者たちの成長は、五里霧中の元璋に希望を見出させてくれた――そんな一夜であった。
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