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第六話「蒙古襲来」
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蒙古襲来
一
郭子興が趙均用に捕縛された。朱元璋と湯和は子興を救うべく、趙邸へ足を進めた。
――均用たちと戦になれば濠州は終わる。
元璋はこの上もなく危機感を抱いている。子興を釈放するよう説得しなければならない。 だがこのような暴挙を仕出かした連中が素直に説得を聞き入れるはずがない。彼らを説得する一番の方法は力であるが、それは出来ない。力を行使すれば、濠州軍が崩壊することは火を見るより明らかであったからだ。
「では行ってくる」
全ての手を打った元璋はにこりと笑うと、邵栄に会釈した。見れば元璋は剣を帯びずに平服のままであった。
「剣を帯びず鎧もまとわぬなど、危ういではないか」
心配症な邵栄は顔を青ざめさせながら、元璋の「無謀さ」を諌めた。しかし元璋は腰を叩きながら呵々と笑った。
「剣を帯びればかえって危ないのです。肝心なのは彭都督への嘆願です。邵哥(兄)、努々怠らなきよう――」
そう、おどけながら慇懃に頭を下げた。
上将として、そして兄貴分として元璋は邵栄を敬慕している。危急の時である今、元璋は毅然とした態度を取らなければならない。そのため敬愛する邵栄を呼び捨てにする必要があった。だがこうして私的な場所になれば再び敬意を表することを元璋は忘れなかった。
――十に八は殺されてしまうだろう。
邵栄は心底、元璋の身を案じた。だが今は彼に虎穴に入ってもらわねば、全ての者が滅亡してしまう。祈るような気持ちで元璋の生還を祈り続けた。
「哎呀(アイヤー)――」
湯和が思わず叫んでしまったほど、趙邸は厳重に警備されていた。内輪揉め如きに物々しいことだ――元璋は呆れる思いで、ため息をついた。
「趙元帥にお目通り願いたい」
元璋の表情に恐怖感はかけらもなく、笑みすら浮かべている。あまりにも悠然とした態度に兵士たちは戸惑った。だがこの当惑を湯和の恫喝が打ち破った。湯和の猛虎の如き勢いに圧され、兵たちは腰砕けになり道を開けてしまった。すると元璋は人懐こい笑みを浮かべながら、
「ご苦労、ご苦労」
と、声をかけながら趙軍の中を進んでいった。硬軟併せた元璋と湯和の見事な連携であった。
均用は小柄で敏捷な人物である。全身に鋭気が満ち、常に目や耳、鼻などあらゆる部分を絶え間なく動かしている。またひらめきこそ大事を成す秘訣だと考えており、この動物的な勘で乱世を生き抜いてきた。かつて徐州陥落の折、トクトの猛攻から逃れたのもこの勘あってのことである。
元璋と湯和は均用の許へと案内された。均用は仔犬のように部屋の中央に座り込み、じろりとにらみすえている。
「座れ、とは言わんよ」
その顔はどこか悪童のようで、興味深く二人を観察していた。
「都督も腰掛けないのですね」
部屋を見渡してみたが、一脚も椅子がない。
「乱世なのだ。座って議する暇があれば、手足を動かすべきだ」
「聞き及ぶところ、都督はご自身のひらめきを大事になさるとか。郭元帥を捕縛されたのも、ひらめきあってのことでしょうか」
温和な笑みを浮かべているが、殺気に似たような気迫を元璋は発していた。助命をと願っているようだが、嘆願する者にしては何ともふてぶてしい。
「君は郭子興の婿であったな。名は……」
「朱元璋と申します」
「そうそう。朱元璋だ。随分とやるそうじゃないか」
からかうようにして均用は笑みを浮かべた。しかし元璋は相手にしない。
「先ほどの問いだが、ひらめきと言えば、ひらめきであろうな。郭子興は、わしにとって害であると感じたゆえに捕らえた」
「兵は神速を尊ぶ――。乱世において一瞬の判断が生死を分ける。ですが事を始めれば収めなければなりませぬ」
均用は元璋という青年に面白みを感じたらしく、楽しげに目許を笑ませた。
「収めねばならぬか」
「収めねばただ人を殺し、そして物を奪うだけでは獣でござりましょう。また速さだけを求めていては真の敵が何たるか、見落としてしまいますぞ」
「真の敵?」
「趙都督ともあろう方が……。おわかりにならぬなら趙均用の命運は尽きたも同然でござりますな」
均用は激昂せず元璋を凝視した。やがて静かに、
「蒙古、だな」
と、答えた。
「そもそも趙都督は蒙古に追われて濠州に参られました。誰よりも蒙古の恐ろしさをご存知のはず」
「ああ。知っている。だからこそまず内憂を取り除こうと考えた。その昔、呉の伍子胥(ごししょ)は越を内臓の患と称し、呉王に討伐するよう進言した。しかし王は聞き入れず越によって滅ぼされた。さしずめ郭子興は濠州における越よ」
そう断じると片手を上げ、控えていた兵を乱入させた。
湯和は咄嗟に己が巨躯を盾とし、眉一つ動かさず元璋を守護した。その姿は泰然としており、一指たりとも手出しをさせまいと気迫に満ちている。
「都督のお考え、よくわかりました。しかしこの朱元璋、ただで討ち取れる者と思われては困ります」
「その大男と暴れに暴れて一人でも多く道連れにすると申すか」
「もちろん鼎臣と共に暴れる所存ですが……」
言葉を途切らせると、不気味なほど自信に満ちた笑みを浮かべた。
均用は用心深い。今まで様々な修羅場を切り抜けてきただけに、相手を見極める目がある。今の元璋にはあきらめの色がなく、むしろこちらを併呑するかのような殺気をみなぎらせていた。
均用は床を指差すと、あごを上げて座るよう命じた。元璋はその場にあぐらをかいた。両者に長い沈黙の時間が流れた。しばらくすると番兵があわてふためいた孫徳崖を連れてやってきた。
徳崖は元璋の顔を見ると飛び上がらんばかりに驚いたが、それどころではないと言った表情であった。
「都督――」
徳崖は何やら耳打ちをすると、見る間に均用の顔色が変わった。
「小童」
いかにもしてやられたというような表情をし、均用は人払いをした。元璋もまた湯和を下がらせ、部屋には二人以外誰もいなくなってしまった。
「孫元帥は何と」
この問いに、均用は弾けるようにして笑い声を上げた。そして響き渡るような大きな舌打ちをして、床を叩きつけた。
「色んな奴に遭ってきたが、お前ほど人を喰った奴はいなかったよ。相当な策士、いや悪党だな」
「蒙古が攻めて参りましたか」
「それもある。彭大を焚きつけ、濠州の要所を抑えるとはたいしたものだ」
「褒めていただくほどのことではありませぬ。乱世において策多き者が生き、少なき者は滅びるもの。ただ私は皆と生き延びたいだけなのです」
「わしは君たちを掌中にしているが、逆に我らを彭大の掌中に入れる――つまり郭子興を赦免せず、お前たちを殺せば我らもまた彭大たちに滅ぼされるということか」
「それだけではありません。その彭都督も迫り来る蒙古に攻め滅ぼされるのです。つまり都督は郭元帥を殺せば、濠州の者は皆、死ぬのです」
「死なばもろとも、か。この趙均用を脅すとは何たる小僧か」
均用はひっひっと妙な笑い声を上げ、両足を床に放り出した。
「わかった。この駆け引き、わしの負けだ」
「では、元帥をお返しいただけますか」
「返さねば共に滅びるのだろう?」
言わずもがな――。何も答えなかったが元璋の眼がそうだと雄弁に語っていた。
「はははは。負けだ、負けだ。俺の負けだ。やむをえん。子興は返してやる。だが蒙古を撃退するまでの間だ。それまでは協力してやろう」
去る間際、元璋は何を思ったのか、均用に一言残した。
「願わくは、我ら利を以って合する者でなく、天を以って属する者でありたいものです」
この言葉を聞き、均用は目を丸くした。
均用は一見粗暴に見えるが大変な読書家で、学識もある。元璋が意外にも学問をしていることがわかり、驚きを隠せなかった。
ひと息ついて、均用は静かに答えた。
「窮禍患害(きゅうかかんがい)に迫られて、相収(あいおさ)む、か」
元璋はにこやかにうなずき、趙邸から去っていった。
二人が交わした言葉――それは『荘子』の一節であった。
意味は利に走る者は危機が迫ると互いを見捨ててしまうが、天命によって集まる者は信頼し合い、危機が迫っても力を併せるものだ、という意味である。
趙邸からの帰路、子興を背負った湯和が尋ねた。いつの間にそれほど博学になったのか、と。
「趙都督は盗賊であったが、学問好きだと聞いていた。邵将軍に力を併せて外敵と戦う教えがないのか、訊いたのさ。それがあの一節だ。もっとも一晩経てば忘れるだろうし、議論すれば化けの皮が剥がれただろうな」
そう言って顔を赤らめながら、元璋は大笑いした。
背負われている子興は呆然と婿の顔を眺めた。彼の資質を喜んでいいのか、それとも警戒するべきなのか複雑な気持ちでいた。だが子興は嫉妬と呼ぶべき心を抑え込まなければならない。今、この有能な婿まで敵に回してしまえば我が命運が尽きることを痛感していたからである。
とにもかくにも、このたびの救出劇は元璋の評価は大いに高めた。
乱世に生きる人たちは英雄を欲する。だが英雄の上に立つ者にとってその存在は頼もしさと同じく危険なものである。英雄の刃が敵に向かう間は良いが、己に向けば身の破滅となろう。朱元璋、恐るべし――濠州の都督・元帥たちが急速に警戒感を強めたのはやむをえないことであった。
だがそんな警戒感はすぐさま吹き飛ばされてしまう。恐れていた事態――ついに蒙古軍が襲来してきたのである。子興救出からわずか三日後のことであった。
二
濠州に迫った蒙古軍の将は、かつて黄河開拓を指揮した賈魯である。
大都に戻った賈魯は黄軍編成などトクトの幕僚として活躍した。徐州攻略戦では見事な計画を練り、残党狩りから民政面などで得意の事務能力を如何なく発揮し、トクトを感嘆させた。
二ヶ月ほど経つと、トクトは賈魯を濠州攻略の都督に任じた。平素より賈魯が兵法を研究し、度々トクトを感心させていたからであった。賈魯は少年の頃より大軍を縦横無尽に指揮することを夢見ていたため、都督拝命を心より喜んだ。黄河開拓の時と同じく、喜び勇んだ時の行動力は迅速であった。ただちに八万の精兵を選抜し、攻城のための新兵器を大都から運搬させたのである。
――だが濠州には十万以上の兵が籠城している。いかに精兵とは言え、八万では心もとない。
トクトは兵数不足を盟友のチャガンティムールに頼み込み、五万の兵を借り受けてやった。チャガン軍は戦場での経験が豊富で、屈強をもって知られている。蒙古軍でも一、二を争う将であることは自他共に認めるところであった。そのチャガン軍五万の兵を率いるは、将来を嘱望されているチャガンの甥・王保保であった。
王保保、この時二十八歳。幼少の頃より戦場で育ち、比類なき将才の持ち主と蒙古中に知られている。トクトより兵法を教わった愛弟子でもある。
「保保は若いが、戦場での経験は豊富だ。兵法の研究は友恒(賈魯の字)の方が遥かに上だが、駆け引きは彼に任せれば良い」
そう言って、保保を濠州攻略軍に加えてやったのである。
黄河開拓の時もそうであったが、トクトはよほど賈魯のことを買っている。だがまたしてもトクトは人選を誤ってしまった。この人事こそ元朝にとって重大な過ちになろうとは予見すらしなかった。
賈魯は国家への忠誠心篤い。かつ兵法もよく研究している。何より事務能力に長け、軍師として上将の補佐をさせれば、その才覚を如何なく発揮することは間違いなかった。
保保はと言えば若いながらも統率力、臨機応変力に富んでいる。将帥として彼ほど適している人物はいなかった。
両人は間違いなく逸材であった。だがこの組み合わせこそ大きな誤算であった。適材適所という言葉がある。これを間違えればいかに有能な人材を用いようとも、良い結果は生み出さない。それどころか互いに足を引っ張り合い、事態を悪化させてしまう。
保保を上将、賈魯を軍師として軍を編成すれば濠州のような小さな城を攻め落とすことは容易であったに違いなかった。だが不幸にも賈魯が上将で、保保が軍師という最悪な組み合わせをトクトは選択してしまったのである。
大都から取り寄せた新兵器は賈魯が研究に研究を重ねたもので、いずれも強力であった。火砲や投石機は従来のものよりはるかに飛距離および破壊力が増強されている。さらに野外決戦用の騎兵や、水路を封じる水軍も加えられた。
賈魯は何事においても慎重であった。しきりに間者を放ち、情報を収集させた。また濠州郊外十里に近づくと守りを固め、さらに多くの間者に城内外を調べさせた。その姿勢は石橋を叩いてまだ渡らぬほど慎重で、保保は眉をしかめた。
賈魯は何事も自分でやらないと落ち着けない性分で、保保以下の部将に何もさせなかった。そのため諸将は手持無沙汰になり、有閑の日々を陣中で過ごすようになっている。反対に賈魯は日に日に疲労し、陣を敷いた後は病人のように痩せこけてしまった。
戦場で育った保保には独特の勘というものがある。濠州を見て感じたのは、一気に攻め込めば、簡単に落ちるのではないかということである。
独自に調べた結果、つい先ごろまで濠州の将帥たちは内紛を起こしていたと云う。結束する前に攻め滅ぼしてしまうべきであった。
そのことを保保は進言してみた。だが賈魯は烈火の如く怒り、声を荒げた。
「都督になったつもりか。いかに君が偉大なるチンギスハーンの末裔とはいえ、濠州攻略の主将はこの私だ。ここは草原ではない。野放図に攻めるは至極剣呑。私が間者を送るは敵を熟知するためなのだ」
くだらないことを――保保は内心舌打ちした。
「戦には機と言うものがござります。兵法も大事ですが、机上で考えても仕方のないこと」
この言葉に賈魯は逆上した。顔を真っ赤にして、飛び掛るような勢いで詰め寄った。
「私のやり方は机上の空論だと申すのか?」
「滅相もない」
保保は当惑せざるをえない。この男と言い争っても無駄だと思い、神妙な面持ちで頭を下げた。しかしこの済ませた顔が賈魯の怒りに油を注いだ。
「兵法を学んで四十有余年。丞相の許、数多くの献策をして成功させてきた。そなたのような青二才に指図される謂れはないッ」
幾度も机を叩き、口早に叱咤した。保保は何も言わず、ただ頭を下げ続けている。しかし賈魯を補佐していこうという気持ちはすっかり消え失せていた。
天佑と言うべきであった。賈魯の慎重さが時間の猶予を与え、濠州軍は一つにまとまることが出来たからであった。大略は彭大が考え、それを均用が補足する。そして五元帥たちがその方針に従って各自得意とする所で防戦に力を注ぐのである。
――さすがに年季が入っている。
元璋は彭大と均用の手腕に舌を巻いた。五元帥たちは所詮侠客や盗賊であり、考え方に戦略性がまるでない。
しかし彭大たちは違っていた。元帥たちの視点と違い、大局で物を見ている。
「大軍にとって糧道を守るは至難の業だ。これを断つべし」
そう、あご髭をしごきながら彭大はつぶやいた。均用は目を細め、
「では孫徳崖にやらせよう」
と、命を発した。
盗賊出身である徳崖たち四元帥たちは強奪など得意中の得意である。神出鬼没に蒙古軍を襲い、兵糧を奪った。そして兵糧を奪えなければ、これを焼き払った。この糧道断ちは蒙古軍を大いに苦しめた。
さらに彭大は指示を出した。
「城壁の守りは郭子興が良いだろう」
「彼の部下には優秀な者が多い。きっと墨守するであろう」
均用は使いの者を走らせ、そのように下知した。
「ところで彭公よ。子興の配下に我らの軍師に迎えたい男がいるな」
興味深そうな表情で彭大は首をかしげげたが、均用は笑みを浮かべるだけで答えようとしない。
「真に使えるか否か――。この戦いで見極めてやろうと考えている」
「玉が石であったということはよくある話だ。玉ならば礼を尽くして軍師に迎えたいものだ」
二人は顔を見合わせると、大きな声で哄笑した。均用が目をつけていた男は言わずもがな、元璋であった。
――心躍らせている場合ではあるまいが……。
均用は危急の時にも関わらず、心ときめかせる己に苦笑した。
三
濠州を守るのは男ばかりではない。女たちも懸命に働いた。その中で最も生き生きと走り回ったのは、やはり鈴陶であった。
――我が妻はいつも楽しそうだな。
蒙古軍に敗れたならば、濠州の人々に待つのは死である。しかし鈴陶に恐怖の色はなかった。それどころが実に楽しそうに立ち働いている。むやみに恐れおののく者はいなかったが、それでも未曾有の危機に誰もが顔を強張らせていた。
ある時、元璋は走り回る鈴陶になぜ楽しそうなのかと訊ねたことがある。すると不思議そうな顔つきで、
「怖いですわ」
と、あっけらかんと答えた。
「怖い時、望みがない時だから笑わねばなりません。身を震わせ、暗い顔をしていれば冥途から使いが参ると申します。冥途の使いを騙すつもりで国瑞様もお笑いなさりませ」
そう言うとまた楽しげに笑い出した。呆れていいのか、感心していいのかわからない。しかし同じように笑えば道が見えてくるのではないかと思い、思いっきり笑ってやった。すると不思議なことに気分が高揚し、物事がはっきりと見えてくるようであった。
冷静に振舞っているつもりであった。しかし元璋も人の子である。どんなに毅然と振舞っていても心底から恐怖の念がにじみ出ていたのだ。
――我が妻は偉いものだ。
元璋は素直にそう思う。この時代、世を動かすは男であった。しかしその男たちを奮起させるも、消沈させるも女次第である。濠州の男たちは鈴陶たちのような賢明な女性を得たことは幸運であったと言うほかない。
城を落とす大きな要素は二つある。
一つは物理的な破壊。
いかに兵の意気が盛んでも城壁が崩れ、敵兵が雪崩れ込んではどうしようもない。
もう一つの要素は士気の喪失である。
古今東西数多の城が陥落したが、その原因として最も多いのは城兵の士気喪失にあった。
城塞の攻防戦では士気をくじくか、保つか――互いの将にとって勝敗を左右する大きな課題であった。
――とにもかくにも気をくじかれてはならぬ。
元璋は自身にも言い聞かせ、兵たちを鼓舞するためにも快活であろうとした。
繊細な邵栄などは意気消沈していたが、元璋夫妻の明るさに釣られ、次第に明るさを取り戻していった。
士気を高める点で湯和は大いに役立った。防戦する時は童が遊びに行くような明るさで指揮を執ったのである。
士気の高低が大事なのは何も守城側ばかりの問題ではない。むしろ攻城側こそ士気の低下は忌むべきことであった。
攻城側には防城側にはない悩みがある。悩みの一番は兵站の確保であった。兵糧を失えば高度な訓練を受けた兵でも戦うことが出来なくなってしまう。
その昔、楚の項羽は強大な戦力をもって常に漢の劉邦を圧倒していた。それにも関わらず、楚が滅びたのは兵站の確保に失敗したことに原因であった。兵站をおろそかにする将は勝利をつかむことはできない。
士気の面から言えば守城側が有利と言える。城という物理的有利があり、落城すれば命を奪われる恐怖がある。そのため自然と士気が高まり、死兵へと化かすことが出来れば小城と雖も攻め落とすことは困難となる。
攻城側は攻略が順調であれば騎虎の勢いとなり、有利となる。だが少しでも躓(つまづ)けば士気は下がり続け、大軍を擁していても大敗を喫することもある。
――機を逸した。
戦場慣れした保保はほぞを噛んでいた。戦において大事なるは機を逃さないことである。攻城戦において機を逃してしまえば、全てにおいて事が進まず、いたずらに日を重ねてしまう。その結果、士気が低下し、勝利を掴むことが出来なくなってしまう。
その機を上将の賈魯はみすみす逸してしまった。その結果、事態は攻城側にとって最も忌むべき膠着状態に陥ってしまったのだ。
打開せねばならぬ――。
無謀だとは思いながらも保保は手勢のみで強襲を仕掛けた。だが結束する猶予を得た濠州軍は難なくこれを退けた。
――学者風情が……。
保保は地団駄踏んで賈魯の無能を罵るほかなかった。これでは最悪の状況――すなわち長期戦になる恐れがある。いや恐れではなく、事実、長期戦の様相を呈してきていた。
――そもそもあの学者は今がどのような情勢なのか理解しているのか。
そう保保が憤りを感じながらいぶかしんだのも無理はなかった。保保はあくまで武人であり政を司る者ではない。 だが元朝にとって反乱鎮圧が長引くことがどういう意味なのかを、武人にすぎない保保はよくわかっている。
――形は城攻めだが、実質は我らが籠城しているようなものだ。
保保はこの攻城戦をそう見ていた。他の幕僚たちと語り合い、時をかけず猛攻すべきだと進言した。ところが保保の意見だと知ると、理性では正しいとわかっていても賈魯は感情的に反対した。彼は依怙地になっていた、と言うより精神的に病んでしまっていたのである。
戦いが始まって二ヶ月が過ぎた。
相変わらず蒙古軍は都督と保保の間にわだかまりが残っていた。だがさすがはトクトが鍛え上げた黄軍であった。当初に比べてみれば動きに統一感が見られるようになったのである。また朝夜関係なく新兵器を投入したため、城内の疲弊度は急激に高まりつつあった。
蒙古軍が投入した新兵器だが、巣車(そうしゃ)という物見車がある。
昇降可能な物見台で、城内の様子がわかり、高所から矢を射かけられる最新兵器であった。この巣車の危険性をいち早く察知したのは元璋であった。報告を受けた均用たちの対応は迅速で、
「城内を探らせてはならぬ。急ぎ火箭(かせん)を集め、巣車を焼き払ってしまえ」
と、命を下した。元璋は子興にその旨を伝え、邵栄と共に巣車を狙撃した。巣車が現れると、集中的に火箭でもって焼き払った。このため元軍は偵察することが困難となり、巣車を撤退せざるを得なかった。
「小癪な者どもめ」
賈魯は罵倒し、次なる手を打った。
用意したのは襄陽砲(じょうようほう)と呼ばれる投石機で、かつて難攻不落の襄陽を苦しめたことで知られている。
蒙古ではチンギスハーンの時代より投石機は攻城の主力兵器として使われた。襄陽砲は投石機の集大成であり、賈魯はさらに改良を加えて飛距離、破壊力、耐久性を飛躍的に向上させていた。
改良された襄陽砲の威力は凄まじく、濠州軍は大いに苦しめられた。
保保は砲撃でひるんでいる敵に歩兵突撃をすれば大勝利を収めることが出来ると進言したが、ここでも賈魯はへそを曲げてしまった。
「砲撃の中、突撃させれば大元の兵たちが襄陽砲の犠牲となってしまう。友軍を犠牲にするなど出来ぬ」
この言い分はもっともであったが、戦で勝利を得るためには時に味方を犠牲にするぐらいの覚悟が必要で、損害を恐れすぎては勝てる戦にも勝てなくなってしまう。
――わしが都督であれば……。
保保は何度そう思ったかわからないが、権限を持たない者はどこまでも非力であった。
守勢に回っては滅びる――。
石が降り注ぐ中でそう感じていたのは、子興であった。子興は侠客の親分として幾度も命を懸けて戦ってきた。その経験から窮地の時こそ勇気を振り絞って攻めねばならないことを識っている。子興は元璋たち麾下の部将たちを召集し、厳命を下した。
「我らは疲弊している。しかし敵は投石機の威力にかまけて油断していよう。危険を冒そうとも敵に打撃を与えねば、気をくじかれて滅びてしまう」
この見解を聞き、元璋は感心した。平素は頑固でどうしようもない親父殿だが、いざとなると何と頼りになる主であろうか。
――だからこそ皆、ついていくのだ。
そう思うと婿として家臣として嬉しくなってしまう。元璋は湯和たちと相談をして夜襲を敢行した。結果は蒙古軍に打撃を与え大混乱させた。また襄陽砲を十門ほど破壊することにも成功した。
意表をつかれた蒙古軍であったが、彼らも手をこまねいていない。賈魯はすぐさま精密で厳重な警戒体制をしき、濠州軍の動きを封じ込めた。さらに、
「震天雷(しんてんらい)を襄陽砲に積み込め」
と、命じた。震天雷とは銅製の玉に火薬を詰め込んだ大型手榴弾のことで、元寇の折に竹崎季長たち鎌倉御家人を脅かした「てつはう」のことであった。
その他にも賈魯はトクトに乞い、将軍筒(しょうぐんとう)と呼ばれる青銅砲百門を濠州に送ってもらった。将軍筒は当時最強の大砲で、濠州軍を脅かすに充分な威力を有していた。
死力を尽くした激戦が続き、双方の死者は日を追うごとに増していった。濠州は各所破壊されているものの、不思議と士気だけは下がらない。
理由の一つは彭大と均用が味わった徐州での敗戦経験が兵すべてに伝わっていたからであった。徐州で捕虜になった人々がどれほど凄惨な目に合ったのかを話し、降伏する気持ちを掻き消していったのである。
蒙古軍は草原時代より敵兵に対しては情け容赦がない。背丈が車輪以上の男は皆殺され、女は家畜同様、戦利品として将や兵士に分配される。このことは反乱の抑止力になったが、ひとたび反乱が発生すると、徹底抗戦をされてしまう。トクトは漢文化の推奨者であるが、戦においては蒙古族の気質をもって臨んだ。敗れた徐州は殺され尽くし、奪われ尽くした。逃げ場のない濠州軍は死兵と化してしまったため、士気が衰えなかった。
士気が衰えなかった要因に鈴陶の存在も欠かせない。
彼女は些細なことでも喜びを見出し、人々の気持ちを明るくした。この濠州戦において彼女が提供した明るい話題は、一人の「子」を得たことであった。子を持ったとは言っても鈴陶が子を産んだわけではない。孤児を拾い、我が子としたのである。
その子の名は沐英(もくえい)と言い、八歳となる少年であった。
沐英が朱家にやって来たのは震天雷が宙を舞い、昼夜将軍筒に悩まされていた頃であった。休息するために元璋が邸に戻ると、鈴陶に手を引かれた見知らぬ子が出迎えた。
「その子は何だ」
激戦の直後で気が荒くなっていた元璋は怪訝な顔つきで尋ねた。鈴陶ははぐらかすように染み入るような笑みを浮かべた。
「賢い子なのです。子柄が良いと申しますか、可愛い顔をしているでしょう?」
そう言うと、沐英の頭をなでてやった。
「この子を私たちの子としたいのです」
――また始まった。
元璋は頭を抱えたい思いになった。
「この忙しい時にくだらぬ冗談はよせ」
「冗談ではありません。本気で私たちの子に迎えたいのです」
「そもそも、どこの子なのだ」
「濠州の子です」
「濠州の子?」
元璋は話についていけず、閉口してしまった。そんな夫に茶を淹れて、気持を落ち着かせようとした。落ち着かねば話など出来ようはずもない。
落ち着かせるために鈴陶はある細工をした。一杯目は熱い茶を淹れて、一気に飲み干せないようにした。ゆっくりと茶をすすることによって気持を落ち着かせようという作戦であった。この作戦は図に当たり、茶をすすっているうちに元璋は落ち着きを取り戻していった。
聞けばこの子は戦災孤児であると云う。先の震天雷の爆発で家族が全滅し、沐英だけが生き残った。一人さまよっている所を鈴陶に拾われ、朱家にやって来たのである。
――相変わらずだな、鈴陶は……。
半ば呆れていたが、こうした優しさが彼女の魅力だと思い、苦笑いした。
「だがな、鈴陶」
元璋は釘を刺すことを忘れなかった。
「戦が続けば同じような児が増えてくるぞ。その都度、養子に迎えるつもりか」
「それは……」
さすがに無理であった。しかし鈴陶はこの沐英だけは育ててみたいと強く願った。
「この子の相が気に入って仕方がないのです」
「いつから観相を心得ているようになった」
元璋が驚くと、弾けるようにして笑って手を振った。
「そのような大層なものではござりません。女の勘、そう……女の勘なのですよ」
「女の勘?」
「女の勘は当たるものなのですよ。その昔、小鬼様も只者ではない、と思ったのも女の勘なのです」
やや意地悪な面持ちで、鈴陶は元璋の顔をのぞき込んだ。昔のことを持ち出されると何も抗弁出来ず、沈黙せざるを得なかった。
元璋は沐英の顔を観察してみた。なるほど面魂は良い。鈴陶が惚れ込むのも無理はなかった。どこまでもまっすぐに見つめているようなそんな瞳をこの子は持っている。
「腹、減っていないか」
優しく訊いてやると、少年は素直にうなずいた。元璋は立ち上がると、厨房にあった雑炊を盛って手渡してやった。
「食べても良いぞ」
少年は元気よく返事をして、掻き込むようにして食べ始めた。
「名は?」
「沐英」
「歳はいくつだ」
「八歳」
元璋は優しくなでてやり、鈴陶に微笑みかけた。
「今日から、この子の名は朱英だ。良いか」
鈴陶は踊り上がらんばかりに喜んだ。朱姓を与えるということは子として迎えるという意思表示で、沐英は元璋夫妻の息子となったのである。英少年は夫妻が見込んだ通り、養父母と朱軍団を支えていく青年へと成長していく。
この縁組は郭軍の人々を驚かせたが、誰もがこの少年を可愛がった。特に湯和は甥のように接し、英も湯和を叔父として慕った。とにもかくにも朱英の養子縁組は苦しい戦いの中で人々の心を明るくする話題であった。
四
さらに二ケ月が過ぎ去った。
その間、濠州軍は善戦に善戦を重ねた。元軍は日々、猛攻を加えたが落城する気配は一向に見えない。濠州の兵糧は邵栄の活躍で潤沢であり、半年以上は持つ。反対に蒙古軍の兵糧は欠乏しつつあった。
さらに濠州における苦戦が各地に伝播され、小規模な反乱が燎原の火のように広がりつつあった。小城である濠州一つにここまで時間がかかることは許されない状況になっていたのである。戦いが膠着化する中、トクトが危惧した通りに大都の様子がおかしくなってきた。
「朝廷に不穏の動きあり」
そう都にいる呉直方からトクトに報告がなされた。
――猶予がない。
トクトは焦っていた。
元の朝廷では力が物を言う。トクトは全権を把握していたが、都を離れていてはその権力は砂上の楼閣のようなものであった。そうならないように直方を朝廷に置いているのだが、彼自身は蒙古貴族でも軍閥でもない。いかに政治的感覚に優れていようともトクトという絶対権力が背景になければどうしようもなかった。
――陛下が、しっかりされておられたならば……。
そのような思いがつい愚痴となってトクトの口から漏れてしまう。決して愚痴をこぼすまい――固く誓ったトクトであったが、彼もまた人である。四方八方が塞がるような苦境では文句の一つや二つも言いたくなる。だが国家の命運を握る丞相の一言は瞬く間に千里を走り、千里の間に思わぬ波紋を広げてしまう。
蒙古帝国において皇帝すなわち、大ハーンの命は絶対である。その皇帝を悪し様に言うことは断じて許されない。トクトとはいえ、いやーー勤皇家として著名なトクトだからこそなおさら皇帝の悪口雑言は寝言でも許されなかった。皇帝を軽侮することはすなわちトクトの権力原理を覆すことになってしまうからだ。
だがトクトが切望しようとも肝心のトゴンには皇帝としての覇気がない。それでもトクトが側にいる時は多少なりとも皇帝としての自覚を芽生えさせていたのだが、彼なき朝廷では無気力なトゴンに戻ってしまっていた。
この不穏な空気を一掃させるには一つの方法しかない。それは南征軍が一気呵成に賊軍を滅ぼす以外手はなかった。
――いや、もう一つ……。
手段がないわけではない。だがそれは禁断の一手であり、トクトは虚しく笑いながらかぶりを振った。それは南征を中断して都に戻り、黄軍をもって反対派をことごとく粛清すれば良い。だが討伐戦を中断してしまえば江南は賊軍の手に落ち、南からの資源は永久に断たれてしまう。そうなれば元朝は根幹から崩壊してしまうに違いなかった。
南征をもって一挙に江南を平定する。この方針をもって軍を発したのだが、事態はトクトの思惑通りには進まなかった。トクト自身は濠州を攻めなかった。なぜなら濠州は戦略的価値としては枝葉に過ぎなかったからだ。それよりも重要なのは張九四(ちょうくし)が守る高郵であった。
高郵は江南の富が結集する心臓のような要点である。ここを押さえれば濠州一城が叛旗を翻しても物の数ではない。だが高郵を攻略するには濠州を初めとする周囲の城市を奪取しなければ不可能であった。そのためトクトは一軍を割いて濠州へ向かわせたのである。
当初は濠州のような小城はすぐにでも落とせると考えていた。だが案に反して未だに濠州は陥落しない。陥落しないどころかその目処もつかず、いたずらに膠着した日々を過ごしている。
――是が非でも打開せねばならぬ。
焦燥していたトクトは様々な手を考えた。
例えば、濠州または高郵のいずれから兵を引き、一方を全軍挙げて攻め滅ぼしてしまう方法はどうであろうか。
――否。
それは難しかった。この方法ではいずれかの軍に糧道を断たれ、南征軍そのものを撤退せざるをえなくなる。
ではどうするべきか。やはり現実の案としては賈魯を叱咤激励し、いかに兵力を損なおうとも一挙に濠州を落とさせるしかない。
――なりふり構っておれぬ。
トクトは賈魯に対して濠州を総攻撃するよう使いを出すほか道はなかった。
トクトも苦しい日々を過ごしていたであろうが、賈魯もまた同様――いやそれ以上に地獄を這いずり回るような苦しみを味わっていた。その証拠にこの数ヶ月間ですっかり痩せ細り、別人のようになっている。目だけはぎょろぎょろと寸断なく動かせ、夜はろくに眠っていないようだった。
「しっかりと眠られることも都督の大事なお役目です」
保保は何度も休養を取るよう勧めたが、賈魯は一切耳を貸さずに大小の軍務を幕僚に任せず一手でこなしていた。ただ彼の事務能力はさすがで、時間さえかければ必ず濠州を落城させるまで手を打っていた。保保たち幕僚は賈魯の性格に合わせながら、作戦が成就するよう補佐を続けている。しかしこの保保たちの努力は一つの厳命によって根底から覆されてしまった。
濠州を力攻めにすべし――そのような命が賈魯にもたされたのである。
どんなに犠牲を払っても一挙に濠州を落城させよというもので、保保は元朝の命運も尽きたと思うしかなかった。賈魯は疲労困憊のため、理性のたがが外れかかっている。保保はそうならないように細心の注意を払っていたのだが、トクトの厳命は全てをぶち壊してしまったのだ。
案の定、賈魯は暴走してしまった。
「全軍休むことなく、全てを投げ打って攻撃すべし」
保保たち幕僚は打ち揃って、この無謀な命に反対した。しかし賈魯はすでに常人ではなくなっている。剣を抜くや、喚き散らすように再度突撃を命じた。
「私は丞相より大権を委ねられし都督である。諸君がいかに尊貴であろうとも、都督の命に背くことは断じて許さぬ。命に背かば、この剣にて討ち果たしてくれようぞ」
この狂気じみた都督を誰も止めることは出来なかった。保保は全滅を覚悟し、総攻撃の準備を整えた。
――我も武人なり。やむをえん。
保保は覚悟を決めた。その表情には悲壮感が漂っており、配下の兵たちに決死の覚悟を示した。
「生を思う者は生を得ず。死を覚悟する者は生を得る。我らは蒼き狼と白き牝鹿の末裔である。濠州如き弱兵におびえて、偉大なる血を穢すなかれ」
この檄は兵士たちの士気を大いに高めた。また保保軍の意気は他軍にも伝染し、蒙古軍の士気は異様なまでに高騰した。
敵兵の異変はすぐにわかる。蒙古軍が今までにない高騰ぶりを濠州軍は感じ取り、一様に戦慄を覚えていた。
――このままではまずい。
歴戦の強者である均用はすぐさま事態が容易ではないことを看破し、彭大に相談した。
こうした時、野放図な彭大は兵たちを鼓舞するのに役立った。
「容易ならざることである」
彭大は集まった諸将に向かい、まず危機感を煽り立てた。
「諸将も気づいていようが、蒙古軍の戦意がただならぬほど高騰している。明日か明後日が命日になるかもしれぬが、我らに逃げる道はない。命を投げ打って戦い、我らを苦しめてきた蒙古どもに一矢でも報いようではないか。一人でも多く、冥途への道連れとしてやるのだ」
この檄は効果的であった。兵たちは狂ったように雄叫びを挙げ、まさしく死兵と化した。郭軍配下の部将――元璋たちもこの檄に応え、死を覚悟した。
自軍に戻る最中、湯和は元璋に訊ねた。
「何か策はないのか」
元璋は紅巾軍に身を投じてから無策であったことは一度もない。今回も妙策があるのではないかと期待していた。
「ここまで来れば策などたかが知れている。最後の最後まであきらめず、手足がちぎれるほど戦うのみだ。我らの狂気が勝つか、敵の狂気が勝つか。ただそれだけだ」
湯和のかたわらにいた鄧順興たちも互いに顔を見合わせ、武者震いした。来るべき決戦でどこまで狂うことが出来るか。勝敗の行く末はすべてそこにあった。
五
狂気に満ちた決戦の幕が切って落とされたのは翌日未明のことであった。
蒙古軍は猛々しく腰太鼓を鳴らしながら、城壁に押し寄せてきた。蒙古軍の意気はまるで大波のようですべてを飲み込むような勢いがあった。
一方、迎え撃つ濠州軍の勢いも決して負けていない。陣太鼓を連打し、兵たちを鼓舞させた。前夜から彭大と均用は甲冑を身に纏っており、陣頭にて采配を振るった。
子興も負けてはいない。方天戟を手にして郭軍を指揮し、元璋は副将として傍らで補佐に当たった。
蒙古軍は四手に分かれた。それぞれ将軍筒など火器を容赦なく撃ち込み、その中を歩兵たちが突撃する。将軍筒は濠州兵に打撃を与えたが、攻め込む蒙古軍をも粉砕した。かつて保保が進言した作戦であったが、予想通り濠州軍はこの砲撃にたじろいだ。
しかし濠州軍も蒙古軍から奪取した襄陽砲を駆使し、油の入った玉を放ち、同時に火矢を撃ちかけて報復した。そのため蒙古陣営は火の海となってしまった。
賈魯はこの日、金色に輝く鎧と深緑の戦袍を身に纏っている。そして「令」と書かれた采配用の小旗を盛んに振り回し、ひるむ兵を叱咤した。
「一歩でも退けば大都督・賈魯が討ち果たしてくれようぞ。賊軍は一人たりとも生かしてはならぬ。皆殺しじゃッ」
この時の賈魯はもはや学者ではなく、一個の戦鬼と化していた。
戦場は異様な空気に包まれている。蒙古軍も正気ではなかったが、濠州軍もまた狂ったように戦意を高揚させていた。平素温和な邵栄でさえ、目を真っ赤にして刀を振るい続けた。体中を火傷しながらも必死の形相で敵兵をなぎ倒していった。
勇猛な鄧親子は決死隊を募り、果敢にも城外に打って出た。父の順興は双剣を両手に持ち、当たるを幸いに敵を斬り倒し続けた。長男の友隆は巧みに兵を指揮し、相手がひるめば攻め、相手が攻めればこれをかわして翻弄し続けた。
次男の友徳は十代の少年ながら、大刀を自在に振り回し、保保軍で名を馳せていた勇将・エセントトを見事討ち取った。その結果、劣勢になりつつある鄧軍に勢いを与えて、幾度となく蒙古軍を撃退せしめた。
湯和は元璋の伝令として戦場を駆け巡っている。当初前線で戦うことを強く望んだが、
「考えなく戦えば勝機を見失ってしまう。勝算は極めて低いが、わずかな光明があるやもしれぬ。俺と鼎臣は肝胆照らす仲だ。俺の分身となってその命を呉れ」
感激した湯和は元璋の手足となることを快諾した。
狂い、狂い、狂いまくる。戦は人を狂わせる。
この濠州の攻防戦ほど双方が狂いきった戦いも珍しかった。しかしどんな狂乱の戦場でも将だけは冷静でなければならない。狂気は連鎖するものだが、その連鎖を将のみは操り、一条の光明を見出さなければならない。その点、濠州軍を指揮する将たちは冷静であった。狂乱する兵たちを操作し、戦いを有利に進めていった。だが蒙古軍は保保など一部の将は冷静であったが、肝心の都督・賈魯が混乱しきっている。そのため蒙古軍は士気こそ高いが、しばしば濠州軍に翻弄され勝利をつかめないでいた。
戦いが始まって二刻。均用は戦況を眺めながら静かに語りかけた。
「どちらの糸が切れるか、だな」
糸とは「緊張の糸」のことで、両軍とも体力・気力が限界に達しており、緊張感が切れた方が敗北する。
「ここまで来れば、天の思し召しだ」
彭大は短く答えた。
「均用よ。徐州の時とは違うな。……蒙古に余裕がない」
「賈魯が都督らしいが、所詮小吏に過ぎなかった」
「それにだ。同朋の動きがまるで違う」
「孫徳崖たちではないな」
「郭子興でもない」
彭大がにやりと笑うと、均用はつぶやくように、「痘痕顔がいるからか」と、答えた。
二人とも小さく哄笑したが、目は鋭かった。優秀な男が仲間であるうちは心強い。しかし敵に回れば己の命を脅かす者になる。元璋は成長すれば、きっと二人を脅かす存在になるに違いなかった。
だがな、と均用は前置きをした。
「今日生き延びるためには奴は必要だよ」
そう苦笑いしながら再び戦場に目を戻した。今は痘痕顔であろうが鬼であろうとも、蒙古を撃退するまでは奮戦してもらわねばならない。
激戦はまだ続く。
齢四十となる順興は体力が尽きようとしていた。その勇猛さは鬼神のようであったが、彼も人間であった。雲霞のような敵を蹴散らしてきたが、剣を振るう勢いは確実に衰えている。
次男・友徳は父を助けようと奮迅したが、手一杯でどうしようもない。敵兵越しに父を案じた。長男の友隆も同様に父を心配したが、蒙古の大軍に崩されそうになったおり、それどころではなかった。
鄧親子の奮闘を城壁で見ていた元璋は邵栄を援軍に向かわせようとした。しかし邵栄にも余裕がなく、どうしようも出来なかった。
やがて湯和が戻ってくると、残りの兵を出すよう口早に進言した。しかし元璋は首を縦に振ることは出来なかった。ここで残りの兵を出し切ってしまえば郭軍の本陣は空となってしまうからだ。そこを蒙古軍に衝かれては郭軍が崩壊し、やがて濠州軍自体が敗北してしまう。ところが今まで采配を預けていた子興が声を荒げて命じてきたのである。
「行け、元璋。鄧親子を見殺しにした所で、ほんのわずか生き延びるだけだ。それならば苦楽を共にした親子と死ぬ方が潔い。お前たちが死ねば、わしも死ぬ。無能な頭であったが、お前たちの死に様を見届けてやる」
そう言うと、子興は今までに見せたことのない優しい笑みを浮かべた。
「元璋よ」
子興は息子の天叙と天爵を呼び、二人の背を押した。
「倅どもも連れていってくれ」
元璋は涙ながら拱手し、力強くうなずいた。
「義父上。蒙古どもに我らの意地を見せつけてやります」
「鈴陶たちのことは案ずるな」
深く頭を下げると、元璋は馬上の人となった。そして残りの兵を率いて、鄧親子救出に向かった。
濠州軍は一兵に至るまで死を覚悟している。誰もが死のみを考え、一人でも多く蒙古どもを道連れにしてやろうと奮戦した。そんな中、元璋たちは鄧親子と合流した。順興は疲労のためか、すっかり涙もろくなっている。満面を涙で濡らしながら、
「かたじけない、かたじけない」
と、何度も礼を述べた。しかしすでに順興に戦う余力はなく、あえなく元璋たちの眼前で討ち死にしてしまった。元璋たちは喉がはちきれんばかりに叫んだが、悲しむ余裕などない。ただ修羅の如く血刀を振るわねば、殺されてしまう。皆、心で涙しながら、必死になって戦い続けた。
狂乱に満ちた戦いはいつまでも続かない。何かきっかけがあれば行方は一挙に定まるものである。そのきっかけは太陽が西に沈もうとした時、蒙古軍で突如起きた。
「あと少し、あと少しで凱歌を奏することが出来るぞ」
賈魯は目を剥きだしながら必死に叫んでいた。当人は勢いよく令旗を振っているつもりであったが、すでに体力・気力が尽き果て、馬にしがみついている状態にあった。見兼ねた側近たちが休憩するよう進言したが、賈魯の耳に届いていなかった。すると発作を起こしたように姿勢を正すと、
「ついに落ちた、濠州が落ちたのだ」
と叫ぶや、両手を挙げた。
ついに気が違えたか――側近たちが唖然としていると、賈魯は全てから開放されたような、そんな笑みを満面に浮かべた。そのままどうっと音を立てて落馬してしまったのである。
「都督、都督ッ」
側近たちが驚き駆け寄ってみると、賈魯は目を見開いたまま事切れていた。耳からは鮮やかな朱血が流れており、すでに事切れていた。
賈魯は不幸な男であった。将帥として彼はあまりにも繊細すぎた。このような激戦に耐えきれるような神経の持ち主ではなかったのだ。
もはや一騎打ちの時代ではない。だがやはり大将を失った軍勢は崩壊してしまう。チンギスハーンは主将が倒れても副将が代わって指揮を執る仕組を作っていたが、賈魯はこの慣例を無視し、都督である自分が全ての権限を握っていた。そのため彼の死は濠州攻略軍崩壊を意味していた。
崩壊は中軍から始まった。潮が引くように中軍が戦場から離脱し、他軍もこれに引きずられるようにして退却を開始したのである。前線で戦っていた保保には賈魯の死が伝えられておらず、
「賈魯は何をしておるのだ」
と、呼び捨てしてしまうほど激怒した。しばらく馬上で剣を振るい、応戦していたが、やがて賈魯の死が知らされた。
――死に所を違えおってッ。
保保は心内で舌打ちした。死に所を違えないのも将としての心得であり、このような切所で頓死するなど賈魯は将として失格であったと保保は思った。
「うろたえるなッ。我はチャガンティムールが甥・王保保なるぞ。王保保がここにあるを忘れたかッ」
保保軍の兵たちは主人の指揮能力を信用しきっている。そのため威厳に満ちた保保の声を耳にするとたちまち冷静さを取り戻した。やはり保保は将として天賦の才を有している。蒙古軍の撤退は当然、濠州軍に勢いを与えた。
「今こそ仇を討つ時なり」
友隆はそう叫ぶや、自軍に追撃の命を下した。もし相手が凡将ならば、この追撃はするべきであった。だが友隆は最後の最後で己の命運が尽きてしまっていた。友隆の命取りは相手が死を決した名将・保保であったからだ。
敵に名将がいるか否か。それは兵の動きを見ればわかる。弟の友徳は兄に比べ、少しばかり冷静で、保保軍がただならぬ軍勢であることを看破した。
「兄者を押し留めよッ。深追いは禁物だ」
そのように伝令を発したが、混乱しきった戦場で兄の耳にこの警告は届かなかった。もはや友隆の頭には討ち取られた父に供奉すべき兵を一人でも多く増やすことしかなかった。
「鼠すら窮すれば噛むものだ。ましてや我らは蒼き狼ぞッ」
保保は唾棄するような口調で叫び、巧みな用兵で友隆軍を包囲した。友隆は必死になって兵を鼓舞したが、兵たちの疲労度は極限に達している。ましてや全方角から攻められてはいかなる軍といえども如何ともなしがたい。友隆を守る兵は皆殺しにされ、最後の最後まで彼は奮戦した。
「今ぞッ」
保保は将を討ち取られ、敵が動揺している機を逃さなかった。兵を手足の如く動かし、唖然とする濠州軍を後に颯爽と兵を退いていったのである。
「おのれ、蒙古めッ」
湯和は怒り心頭、追撃しようとしたが、元璋は必死になって押し止めた。感情に走れば友隆の二の舞になる。
「これ以上戦うは無駄死だ」
そう言って元璋は憤慨する兵たちをなだめて濠州城に撤収させた。
かくして半年に及ぶ濠州攻防戦は終結した。蒙古軍は保保がまとめ、トクト率いる本軍に合流した。
「友恒が……死んだか。そうか……」
保保より報告を受けたトクトは怒りも悲しみもしなかった。
全てが終わったのである。濠州攻略失敗はトクトに深い影を落とした。大軍をもって攻めたにも関わらず、無残にも敗れたのである。当然の如く、この失敗はトクトを終焉へと誘った。
「トクトを解官すべし――」
ここぞとばかり、トクトに押さえつけられていた蒙古貴族たちが、その首魁であるハマを中心に結束し、排斥に動き出したのである。
それでもトクトは劣勢を挽回すべく高郵を攻め落とそうとした。だが濠州での敗戦は予想よりもはるかに黄軍の士気を挫き、反乱軍鎮定はもはや夢のまた夢であった。半年間膠着状態が続き、最後はトクトの丞相罷免によって高郵の戦いにも幕が降ろされたのである。
「……何も申すまい」
これがトクト最後の言葉であった。
罷免されたトクトは遠く雲南に流され、直方も罪をかぶせられて処刑されてしまった。元朝を復興すべく全てを投げ打ったトクトの最期はみじめなものであった。雲南に護送される中、縛られた状態でハマの手によって毒殺されたのである。なおも反乱鎮定のため転戦していた黄軍であったが、トクト亡き後は無用の長物として解散させられてしまった。
「亡国の佞臣どもめッ」
保保は悔しさのあまり血の涙を流したが、トクト亡き朝廷に何の期待も寄せることは出来なかった。保保もまた自軍をまとめ、叔父の許へと戻るほかなかった。
かくして蒙古軍は去った。各地で蜂起する反乱軍は再び息を吹き返し、この後、江南の覇権を巡る激戦が繰り広げることになった。元璋もまた生き延びるために立ち上がる時が近づいていた。
一
郭子興が趙均用に捕縛された。朱元璋と湯和は子興を救うべく、趙邸へ足を進めた。
――均用たちと戦になれば濠州は終わる。
元璋はこの上もなく危機感を抱いている。子興を釈放するよう説得しなければならない。 だがこのような暴挙を仕出かした連中が素直に説得を聞き入れるはずがない。彼らを説得する一番の方法は力であるが、それは出来ない。力を行使すれば、濠州軍が崩壊することは火を見るより明らかであったからだ。
「では行ってくる」
全ての手を打った元璋はにこりと笑うと、邵栄に会釈した。見れば元璋は剣を帯びずに平服のままであった。
「剣を帯びず鎧もまとわぬなど、危ういではないか」
心配症な邵栄は顔を青ざめさせながら、元璋の「無謀さ」を諌めた。しかし元璋は腰を叩きながら呵々と笑った。
「剣を帯びればかえって危ないのです。肝心なのは彭都督への嘆願です。邵哥(兄)、努々怠らなきよう――」
そう、おどけながら慇懃に頭を下げた。
上将として、そして兄貴分として元璋は邵栄を敬慕している。危急の時である今、元璋は毅然とした態度を取らなければならない。そのため敬愛する邵栄を呼び捨てにする必要があった。だがこうして私的な場所になれば再び敬意を表することを元璋は忘れなかった。
――十に八は殺されてしまうだろう。
邵栄は心底、元璋の身を案じた。だが今は彼に虎穴に入ってもらわねば、全ての者が滅亡してしまう。祈るような気持ちで元璋の生還を祈り続けた。
「哎呀(アイヤー)――」
湯和が思わず叫んでしまったほど、趙邸は厳重に警備されていた。内輪揉め如きに物々しいことだ――元璋は呆れる思いで、ため息をついた。
「趙元帥にお目通り願いたい」
元璋の表情に恐怖感はかけらもなく、笑みすら浮かべている。あまりにも悠然とした態度に兵士たちは戸惑った。だがこの当惑を湯和の恫喝が打ち破った。湯和の猛虎の如き勢いに圧され、兵たちは腰砕けになり道を開けてしまった。すると元璋は人懐こい笑みを浮かべながら、
「ご苦労、ご苦労」
と、声をかけながら趙軍の中を進んでいった。硬軟併せた元璋と湯和の見事な連携であった。
均用は小柄で敏捷な人物である。全身に鋭気が満ち、常に目や耳、鼻などあらゆる部分を絶え間なく動かしている。またひらめきこそ大事を成す秘訣だと考えており、この動物的な勘で乱世を生き抜いてきた。かつて徐州陥落の折、トクトの猛攻から逃れたのもこの勘あってのことである。
元璋と湯和は均用の許へと案内された。均用は仔犬のように部屋の中央に座り込み、じろりとにらみすえている。
「座れ、とは言わんよ」
その顔はどこか悪童のようで、興味深く二人を観察していた。
「都督も腰掛けないのですね」
部屋を見渡してみたが、一脚も椅子がない。
「乱世なのだ。座って議する暇があれば、手足を動かすべきだ」
「聞き及ぶところ、都督はご自身のひらめきを大事になさるとか。郭元帥を捕縛されたのも、ひらめきあってのことでしょうか」
温和な笑みを浮かべているが、殺気に似たような気迫を元璋は発していた。助命をと願っているようだが、嘆願する者にしては何ともふてぶてしい。
「君は郭子興の婿であったな。名は……」
「朱元璋と申します」
「そうそう。朱元璋だ。随分とやるそうじゃないか」
からかうようにして均用は笑みを浮かべた。しかし元璋は相手にしない。
「先ほどの問いだが、ひらめきと言えば、ひらめきであろうな。郭子興は、わしにとって害であると感じたゆえに捕らえた」
「兵は神速を尊ぶ――。乱世において一瞬の判断が生死を分ける。ですが事を始めれば収めなければなりませぬ」
均用は元璋という青年に面白みを感じたらしく、楽しげに目許を笑ませた。
「収めねばならぬか」
「収めねばただ人を殺し、そして物を奪うだけでは獣でござりましょう。また速さだけを求めていては真の敵が何たるか、見落としてしまいますぞ」
「真の敵?」
「趙都督ともあろう方が……。おわかりにならぬなら趙均用の命運は尽きたも同然でござりますな」
均用は激昂せず元璋を凝視した。やがて静かに、
「蒙古、だな」
と、答えた。
「そもそも趙都督は蒙古に追われて濠州に参られました。誰よりも蒙古の恐ろしさをご存知のはず」
「ああ。知っている。だからこそまず内憂を取り除こうと考えた。その昔、呉の伍子胥(ごししょ)は越を内臓の患と称し、呉王に討伐するよう進言した。しかし王は聞き入れず越によって滅ぼされた。さしずめ郭子興は濠州における越よ」
そう断じると片手を上げ、控えていた兵を乱入させた。
湯和は咄嗟に己が巨躯を盾とし、眉一つ動かさず元璋を守護した。その姿は泰然としており、一指たりとも手出しをさせまいと気迫に満ちている。
「都督のお考え、よくわかりました。しかしこの朱元璋、ただで討ち取れる者と思われては困ります」
「その大男と暴れに暴れて一人でも多く道連れにすると申すか」
「もちろん鼎臣と共に暴れる所存ですが……」
言葉を途切らせると、不気味なほど自信に満ちた笑みを浮かべた。
均用は用心深い。今まで様々な修羅場を切り抜けてきただけに、相手を見極める目がある。今の元璋にはあきらめの色がなく、むしろこちらを併呑するかのような殺気をみなぎらせていた。
均用は床を指差すと、あごを上げて座るよう命じた。元璋はその場にあぐらをかいた。両者に長い沈黙の時間が流れた。しばらくすると番兵があわてふためいた孫徳崖を連れてやってきた。
徳崖は元璋の顔を見ると飛び上がらんばかりに驚いたが、それどころではないと言った表情であった。
「都督――」
徳崖は何やら耳打ちをすると、見る間に均用の顔色が変わった。
「小童」
いかにもしてやられたというような表情をし、均用は人払いをした。元璋もまた湯和を下がらせ、部屋には二人以外誰もいなくなってしまった。
「孫元帥は何と」
この問いに、均用は弾けるようにして笑い声を上げた。そして響き渡るような大きな舌打ちをして、床を叩きつけた。
「色んな奴に遭ってきたが、お前ほど人を喰った奴はいなかったよ。相当な策士、いや悪党だな」
「蒙古が攻めて参りましたか」
「それもある。彭大を焚きつけ、濠州の要所を抑えるとはたいしたものだ」
「褒めていただくほどのことではありませぬ。乱世において策多き者が生き、少なき者は滅びるもの。ただ私は皆と生き延びたいだけなのです」
「わしは君たちを掌中にしているが、逆に我らを彭大の掌中に入れる――つまり郭子興を赦免せず、お前たちを殺せば我らもまた彭大たちに滅ぼされるということか」
「それだけではありません。その彭都督も迫り来る蒙古に攻め滅ぼされるのです。つまり都督は郭元帥を殺せば、濠州の者は皆、死ぬのです」
「死なばもろとも、か。この趙均用を脅すとは何たる小僧か」
均用はひっひっと妙な笑い声を上げ、両足を床に放り出した。
「わかった。この駆け引き、わしの負けだ」
「では、元帥をお返しいただけますか」
「返さねば共に滅びるのだろう?」
言わずもがな――。何も答えなかったが元璋の眼がそうだと雄弁に語っていた。
「はははは。負けだ、負けだ。俺の負けだ。やむをえん。子興は返してやる。だが蒙古を撃退するまでの間だ。それまでは協力してやろう」
去る間際、元璋は何を思ったのか、均用に一言残した。
「願わくは、我ら利を以って合する者でなく、天を以って属する者でありたいものです」
この言葉を聞き、均用は目を丸くした。
均用は一見粗暴に見えるが大変な読書家で、学識もある。元璋が意外にも学問をしていることがわかり、驚きを隠せなかった。
ひと息ついて、均用は静かに答えた。
「窮禍患害(きゅうかかんがい)に迫られて、相収(あいおさ)む、か」
元璋はにこやかにうなずき、趙邸から去っていった。
二人が交わした言葉――それは『荘子』の一節であった。
意味は利に走る者は危機が迫ると互いを見捨ててしまうが、天命によって集まる者は信頼し合い、危機が迫っても力を併せるものだ、という意味である。
趙邸からの帰路、子興を背負った湯和が尋ねた。いつの間にそれほど博学になったのか、と。
「趙都督は盗賊であったが、学問好きだと聞いていた。邵将軍に力を併せて外敵と戦う教えがないのか、訊いたのさ。それがあの一節だ。もっとも一晩経てば忘れるだろうし、議論すれば化けの皮が剥がれただろうな」
そう言って顔を赤らめながら、元璋は大笑いした。
背負われている子興は呆然と婿の顔を眺めた。彼の資質を喜んでいいのか、それとも警戒するべきなのか複雑な気持ちでいた。だが子興は嫉妬と呼ぶべき心を抑え込まなければならない。今、この有能な婿まで敵に回してしまえば我が命運が尽きることを痛感していたからである。
とにもかくにも、このたびの救出劇は元璋の評価は大いに高めた。
乱世に生きる人たちは英雄を欲する。だが英雄の上に立つ者にとってその存在は頼もしさと同じく危険なものである。英雄の刃が敵に向かう間は良いが、己に向けば身の破滅となろう。朱元璋、恐るべし――濠州の都督・元帥たちが急速に警戒感を強めたのはやむをえないことであった。
だがそんな警戒感はすぐさま吹き飛ばされてしまう。恐れていた事態――ついに蒙古軍が襲来してきたのである。子興救出からわずか三日後のことであった。
二
濠州に迫った蒙古軍の将は、かつて黄河開拓を指揮した賈魯である。
大都に戻った賈魯は黄軍編成などトクトの幕僚として活躍した。徐州攻略戦では見事な計画を練り、残党狩りから民政面などで得意の事務能力を如何なく発揮し、トクトを感嘆させた。
二ヶ月ほど経つと、トクトは賈魯を濠州攻略の都督に任じた。平素より賈魯が兵法を研究し、度々トクトを感心させていたからであった。賈魯は少年の頃より大軍を縦横無尽に指揮することを夢見ていたため、都督拝命を心より喜んだ。黄河開拓の時と同じく、喜び勇んだ時の行動力は迅速であった。ただちに八万の精兵を選抜し、攻城のための新兵器を大都から運搬させたのである。
――だが濠州には十万以上の兵が籠城している。いかに精兵とは言え、八万では心もとない。
トクトは兵数不足を盟友のチャガンティムールに頼み込み、五万の兵を借り受けてやった。チャガン軍は戦場での経験が豊富で、屈強をもって知られている。蒙古軍でも一、二を争う将であることは自他共に認めるところであった。そのチャガン軍五万の兵を率いるは、将来を嘱望されているチャガンの甥・王保保であった。
王保保、この時二十八歳。幼少の頃より戦場で育ち、比類なき将才の持ち主と蒙古中に知られている。トクトより兵法を教わった愛弟子でもある。
「保保は若いが、戦場での経験は豊富だ。兵法の研究は友恒(賈魯の字)の方が遥かに上だが、駆け引きは彼に任せれば良い」
そう言って、保保を濠州攻略軍に加えてやったのである。
黄河開拓の時もそうであったが、トクトはよほど賈魯のことを買っている。だがまたしてもトクトは人選を誤ってしまった。この人事こそ元朝にとって重大な過ちになろうとは予見すらしなかった。
賈魯は国家への忠誠心篤い。かつ兵法もよく研究している。何より事務能力に長け、軍師として上将の補佐をさせれば、その才覚を如何なく発揮することは間違いなかった。
保保はと言えば若いながらも統率力、臨機応変力に富んでいる。将帥として彼ほど適している人物はいなかった。
両人は間違いなく逸材であった。だがこの組み合わせこそ大きな誤算であった。適材適所という言葉がある。これを間違えればいかに有能な人材を用いようとも、良い結果は生み出さない。それどころか互いに足を引っ張り合い、事態を悪化させてしまう。
保保を上将、賈魯を軍師として軍を編成すれば濠州のような小さな城を攻め落とすことは容易であったに違いなかった。だが不幸にも賈魯が上将で、保保が軍師という最悪な組み合わせをトクトは選択してしまったのである。
大都から取り寄せた新兵器は賈魯が研究に研究を重ねたもので、いずれも強力であった。火砲や投石機は従来のものよりはるかに飛距離および破壊力が増強されている。さらに野外決戦用の騎兵や、水路を封じる水軍も加えられた。
賈魯は何事においても慎重であった。しきりに間者を放ち、情報を収集させた。また濠州郊外十里に近づくと守りを固め、さらに多くの間者に城内外を調べさせた。その姿勢は石橋を叩いてまだ渡らぬほど慎重で、保保は眉をしかめた。
賈魯は何事も自分でやらないと落ち着けない性分で、保保以下の部将に何もさせなかった。そのため諸将は手持無沙汰になり、有閑の日々を陣中で過ごすようになっている。反対に賈魯は日に日に疲労し、陣を敷いた後は病人のように痩せこけてしまった。
戦場で育った保保には独特の勘というものがある。濠州を見て感じたのは、一気に攻め込めば、簡単に落ちるのではないかということである。
独自に調べた結果、つい先ごろまで濠州の将帥たちは内紛を起こしていたと云う。結束する前に攻め滅ぼしてしまうべきであった。
そのことを保保は進言してみた。だが賈魯は烈火の如く怒り、声を荒げた。
「都督になったつもりか。いかに君が偉大なるチンギスハーンの末裔とはいえ、濠州攻略の主将はこの私だ。ここは草原ではない。野放図に攻めるは至極剣呑。私が間者を送るは敵を熟知するためなのだ」
くだらないことを――保保は内心舌打ちした。
「戦には機と言うものがござります。兵法も大事ですが、机上で考えても仕方のないこと」
この言葉に賈魯は逆上した。顔を真っ赤にして、飛び掛るような勢いで詰め寄った。
「私のやり方は机上の空論だと申すのか?」
「滅相もない」
保保は当惑せざるをえない。この男と言い争っても無駄だと思い、神妙な面持ちで頭を下げた。しかしこの済ませた顔が賈魯の怒りに油を注いだ。
「兵法を学んで四十有余年。丞相の許、数多くの献策をして成功させてきた。そなたのような青二才に指図される謂れはないッ」
幾度も机を叩き、口早に叱咤した。保保は何も言わず、ただ頭を下げ続けている。しかし賈魯を補佐していこうという気持ちはすっかり消え失せていた。
天佑と言うべきであった。賈魯の慎重さが時間の猶予を与え、濠州軍は一つにまとまることが出来たからであった。大略は彭大が考え、それを均用が補足する。そして五元帥たちがその方針に従って各自得意とする所で防戦に力を注ぐのである。
――さすがに年季が入っている。
元璋は彭大と均用の手腕に舌を巻いた。五元帥たちは所詮侠客や盗賊であり、考え方に戦略性がまるでない。
しかし彭大たちは違っていた。元帥たちの視点と違い、大局で物を見ている。
「大軍にとって糧道を守るは至難の業だ。これを断つべし」
そう、あご髭をしごきながら彭大はつぶやいた。均用は目を細め、
「では孫徳崖にやらせよう」
と、命を発した。
盗賊出身である徳崖たち四元帥たちは強奪など得意中の得意である。神出鬼没に蒙古軍を襲い、兵糧を奪った。そして兵糧を奪えなければ、これを焼き払った。この糧道断ちは蒙古軍を大いに苦しめた。
さらに彭大は指示を出した。
「城壁の守りは郭子興が良いだろう」
「彼の部下には優秀な者が多い。きっと墨守するであろう」
均用は使いの者を走らせ、そのように下知した。
「ところで彭公よ。子興の配下に我らの軍師に迎えたい男がいるな」
興味深そうな表情で彭大は首をかしげげたが、均用は笑みを浮かべるだけで答えようとしない。
「真に使えるか否か――。この戦いで見極めてやろうと考えている」
「玉が石であったということはよくある話だ。玉ならば礼を尽くして軍師に迎えたいものだ」
二人は顔を見合わせると、大きな声で哄笑した。均用が目をつけていた男は言わずもがな、元璋であった。
――心躍らせている場合ではあるまいが……。
均用は危急の時にも関わらず、心ときめかせる己に苦笑した。
三
濠州を守るのは男ばかりではない。女たちも懸命に働いた。その中で最も生き生きと走り回ったのは、やはり鈴陶であった。
――我が妻はいつも楽しそうだな。
蒙古軍に敗れたならば、濠州の人々に待つのは死である。しかし鈴陶に恐怖の色はなかった。それどころが実に楽しそうに立ち働いている。むやみに恐れおののく者はいなかったが、それでも未曾有の危機に誰もが顔を強張らせていた。
ある時、元璋は走り回る鈴陶になぜ楽しそうなのかと訊ねたことがある。すると不思議そうな顔つきで、
「怖いですわ」
と、あっけらかんと答えた。
「怖い時、望みがない時だから笑わねばなりません。身を震わせ、暗い顔をしていれば冥途から使いが参ると申します。冥途の使いを騙すつもりで国瑞様もお笑いなさりませ」
そう言うとまた楽しげに笑い出した。呆れていいのか、感心していいのかわからない。しかし同じように笑えば道が見えてくるのではないかと思い、思いっきり笑ってやった。すると不思議なことに気分が高揚し、物事がはっきりと見えてくるようであった。
冷静に振舞っているつもりであった。しかし元璋も人の子である。どんなに毅然と振舞っていても心底から恐怖の念がにじみ出ていたのだ。
――我が妻は偉いものだ。
元璋は素直にそう思う。この時代、世を動かすは男であった。しかしその男たちを奮起させるも、消沈させるも女次第である。濠州の男たちは鈴陶たちのような賢明な女性を得たことは幸運であったと言うほかない。
城を落とす大きな要素は二つある。
一つは物理的な破壊。
いかに兵の意気が盛んでも城壁が崩れ、敵兵が雪崩れ込んではどうしようもない。
もう一つの要素は士気の喪失である。
古今東西数多の城が陥落したが、その原因として最も多いのは城兵の士気喪失にあった。
城塞の攻防戦では士気をくじくか、保つか――互いの将にとって勝敗を左右する大きな課題であった。
――とにもかくにも気をくじかれてはならぬ。
元璋は自身にも言い聞かせ、兵たちを鼓舞するためにも快活であろうとした。
繊細な邵栄などは意気消沈していたが、元璋夫妻の明るさに釣られ、次第に明るさを取り戻していった。
士気を高める点で湯和は大いに役立った。防戦する時は童が遊びに行くような明るさで指揮を執ったのである。
士気の高低が大事なのは何も守城側ばかりの問題ではない。むしろ攻城側こそ士気の低下は忌むべきことであった。
攻城側には防城側にはない悩みがある。悩みの一番は兵站の確保であった。兵糧を失えば高度な訓練を受けた兵でも戦うことが出来なくなってしまう。
その昔、楚の項羽は強大な戦力をもって常に漢の劉邦を圧倒していた。それにも関わらず、楚が滅びたのは兵站の確保に失敗したことに原因であった。兵站をおろそかにする将は勝利をつかむことはできない。
士気の面から言えば守城側が有利と言える。城という物理的有利があり、落城すれば命を奪われる恐怖がある。そのため自然と士気が高まり、死兵へと化かすことが出来れば小城と雖も攻め落とすことは困難となる。
攻城側は攻略が順調であれば騎虎の勢いとなり、有利となる。だが少しでも躓(つまづ)けば士気は下がり続け、大軍を擁していても大敗を喫することもある。
――機を逸した。
戦場慣れした保保はほぞを噛んでいた。戦において大事なるは機を逃さないことである。攻城戦において機を逃してしまえば、全てにおいて事が進まず、いたずらに日を重ねてしまう。その結果、士気が低下し、勝利を掴むことが出来なくなってしまう。
その機を上将の賈魯はみすみす逸してしまった。その結果、事態は攻城側にとって最も忌むべき膠着状態に陥ってしまったのだ。
打開せねばならぬ――。
無謀だとは思いながらも保保は手勢のみで強襲を仕掛けた。だが結束する猶予を得た濠州軍は難なくこれを退けた。
――学者風情が……。
保保は地団駄踏んで賈魯の無能を罵るほかなかった。これでは最悪の状況――すなわち長期戦になる恐れがある。いや恐れではなく、事実、長期戦の様相を呈してきていた。
――そもそもあの学者は今がどのような情勢なのか理解しているのか。
そう保保が憤りを感じながらいぶかしんだのも無理はなかった。保保はあくまで武人であり政を司る者ではない。 だが元朝にとって反乱鎮圧が長引くことがどういう意味なのかを、武人にすぎない保保はよくわかっている。
――形は城攻めだが、実質は我らが籠城しているようなものだ。
保保はこの攻城戦をそう見ていた。他の幕僚たちと語り合い、時をかけず猛攻すべきだと進言した。ところが保保の意見だと知ると、理性では正しいとわかっていても賈魯は感情的に反対した。彼は依怙地になっていた、と言うより精神的に病んでしまっていたのである。
戦いが始まって二ヶ月が過ぎた。
相変わらず蒙古軍は都督と保保の間にわだかまりが残っていた。だがさすがはトクトが鍛え上げた黄軍であった。当初に比べてみれば動きに統一感が見られるようになったのである。また朝夜関係なく新兵器を投入したため、城内の疲弊度は急激に高まりつつあった。
蒙古軍が投入した新兵器だが、巣車(そうしゃ)という物見車がある。
昇降可能な物見台で、城内の様子がわかり、高所から矢を射かけられる最新兵器であった。この巣車の危険性をいち早く察知したのは元璋であった。報告を受けた均用たちの対応は迅速で、
「城内を探らせてはならぬ。急ぎ火箭(かせん)を集め、巣車を焼き払ってしまえ」
と、命を下した。元璋は子興にその旨を伝え、邵栄と共に巣車を狙撃した。巣車が現れると、集中的に火箭でもって焼き払った。このため元軍は偵察することが困難となり、巣車を撤退せざるを得なかった。
「小癪な者どもめ」
賈魯は罵倒し、次なる手を打った。
用意したのは襄陽砲(じょうようほう)と呼ばれる投石機で、かつて難攻不落の襄陽を苦しめたことで知られている。
蒙古ではチンギスハーンの時代より投石機は攻城の主力兵器として使われた。襄陽砲は投石機の集大成であり、賈魯はさらに改良を加えて飛距離、破壊力、耐久性を飛躍的に向上させていた。
改良された襄陽砲の威力は凄まじく、濠州軍は大いに苦しめられた。
保保は砲撃でひるんでいる敵に歩兵突撃をすれば大勝利を収めることが出来ると進言したが、ここでも賈魯はへそを曲げてしまった。
「砲撃の中、突撃させれば大元の兵たちが襄陽砲の犠牲となってしまう。友軍を犠牲にするなど出来ぬ」
この言い分はもっともであったが、戦で勝利を得るためには時に味方を犠牲にするぐらいの覚悟が必要で、損害を恐れすぎては勝てる戦にも勝てなくなってしまう。
――わしが都督であれば……。
保保は何度そう思ったかわからないが、権限を持たない者はどこまでも非力であった。
守勢に回っては滅びる――。
石が降り注ぐ中でそう感じていたのは、子興であった。子興は侠客の親分として幾度も命を懸けて戦ってきた。その経験から窮地の時こそ勇気を振り絞って攻めねばならないことを識っている。子興は元璋たち麾下の部将たちを召集し、厳命を下した。
「我らは疲弊している。しかし敵は投石機の威力にかまけて油断していよう。危険を冒そうとも敵に打撃を与えねば、気をくじかれて滅びてしまう」
この見解を聞き、元璋は感心した。平素は頑固でどうしようもない親父殿だが、いざとなると何と頼りになる主であろうか。
――だからこそ皆、ついていくのだ。
そう思うと婿として家臣として嬉しくなってしまう。元璋は湯和たちと相談をして夜襲を敢行した。結果は蒙古軍に打撃を与え大混乱させた。また襄陽砲を十門ほど破壊することにも成功した。
意表をつかれた蒙古軍であったが、彼らも手をこまねいていない。賈魯はすぐさま精密で厳重な警戒体制をしき、濠州軍の動きを封じ込めた。さらに、
「震天雷(しんてんらい)を襄陽砲に積み込め」
と、命じた。震天雷とは銅製の玉に火薬を詰め込んだ大型手榴弾のことで、元寇の折に竹崎季長たち鎌倉御家人を脅かした「てつはう」のことであった。
その他にも賈魯はトクトに乞い、将軍筒(しょうぐんとう)と呼ばれる青銅砲百門を濠州に送ってもらった。将軍筒は当時最強の大砲で、濠州軍を脅かすに充分な威力を有していた。
死力を尽くした激戦が続き、双方の死者は日を追うごとに増していった。濠州は各所破壊されているものの、不思議と士気だけは下がらない。
理由の一つは彭大と均用が味わった徐州での敗戦経験が兵すべてに伝わっていたからであった。徐州で捕虜になった人々がどれほど凄惨な目に合ったのかを話し、降伏する気持ちを掻き消していったのである。
蒙古軍は草原時代より敵兵に対しては情け容赦がない。背丈が車輪以上の男は皆殺され、女は家畜同様、戦利品として将や兵士に分配される。このことは反乱の抑止力になったが、ひとたび反乱が発生すると、徹底抗戦をされてしまう。トクトは漢文化の推奨者であるが、戦においては蒙古族の気質をもって臨んだ。敗れた徐州は殺され尽くし、奪われ尽くした。逃げ場のない濠州軍は死兵と化してしまったため、士気が衰えなかった。
士気が衰えなかった要因に鈴陶の存在も欠かせない。
彼女は些細なことでも喜びを見出し、人々の気持ちを明るくした。この濠州戦において彼女が提供した明るい話題は、一人の「子」を得たことであった。子を持ったとは言っても鈴陶が子を産んだわけではない。孤児を拾い、我が子としたのである。
その子の名は沐英(もくえい)と言い、八歳となる少年であった。
沐英が朱家にやって来たのは震天雷が宙を舞い、昼夜将軍筒に悩まされていた頃であった。休息するために元璋が邸に戻ると、鈴陶に手を引かれた見知らぬ子が出迎えた。
「その子は何だ」
激戦の直後で気が荒くなっていた元璋は怪訝な顔つきで尋ねた。鈴陶ははぐらかすように染み入るような笑みを浮かべた。
「賢い子なのです。子柄が良いと申しますか、可愛い顔をしているでしょう?」
そう言うと、沐英の頭をなでてやった。
「この子を私たちの子としたいのです」
――また始まった。
元璋は頭を抱えたい思いになった。
「この忙しい時にくだらぬ冗談はよせ」
「冗談ではありません。本気で私たちの子に迎えたいのです」
「そもそも、どこの子なのだ」
「濠州の子です」
「濠州の子?」
元璋は話についていけず、閉口してしまった。そんな夫に茶を淹れて、気持を落ち着かせようとした。落ち着かねば話など出来ようはずもない。
落ち着かせるために鈴陶はある細工をした。一杯目は熱い茶を淹れて、一気に飲み干せないようにした。ゆっくりと茶をすすることによって気持を落ち着かせようという作戦であった。この作戦は図に当たり、茶をすすっているうちに元璋は落ち着きを取り戻していった。
聞けばこの子は戦災孤児であると云う。先の震天雷の爆発で家族が全滅し、沐英だけが生き残った。一人さまよっている所を鈴陶に拾われ、朱家にやって来たのである。
――相変わらずだな、鈴陶は……。
半ば呆れていたが、こうした優しさが彼女の魅力だと思い、苦笑いした。
「だがな、鈴陶」
元璋は釘を刺すことを忘れなかった。
「戦が続けば同じような児が増えてくるぞ。その都度、養子に迎えるつもりか」
「それは……」
さすがに無理であった。しかし鈴陶はこの沐英だけは育ててみたいと強く願った。
「この子の相が気に入って仕方がないのです」
「いつから観相を心得ているようになった」
元璋が驚くと、弾けるようにして笑って手を振った。
「そのような大層なものではござりません。女の勘、そう……女の勘なのですよ」
「女の勘?」
「女の勘は当たるものなのですよ。その昔、小鬼様も只者ではない、と思ったのも女の勘なのです」
やや意地悪な面持ちで、鈴陶は元璋の顔をのぞき込んだ。昔のことを持ち出されると何も抗弁出来ず、沈黙せざるを得なかった。
元璋は沐英の顔を観察してみた。なるほど面魂は良い。鈴陶が惚れ込むのも無理はなかった。どこまでもまっすぐに見つめているようなそんな瞳をこの子は持っている。
「腹、減っていないか」
優しく訊いてやると、少年は素直にうなずいた。元璋は立ち上がると、厨房にあった雑炊を盛って手渡してやった。
「食べても良いぞ」
少年は元気よく返事をして、掻き込むようにして食べ始めた。
「名は?」
「沐英」
「歳はいくつだ」
「八歳」
元璋は優しくなでてやり、鈴陶に微笑みかけた。
「今日から、この子の名は朱英だ。良いか」
鈴陶は踊り上がらんばかりに喜んだ。朱姓を与えるということは子として迎えるという意思表示で、沐英は元璋夫妻の息子となったのである。英少年は夫妻が見込んだ通り、養父母と朱軍団を支えていく青年へと成長していく。
この縁組は郭軍の人々を驚かせたが、誰もがこの少年を可愛がった。特に湯和は甥のように接し、英も湯和を叔父として慕った。とにもかくにも朱英の養子縁組は苦しい戦いの中で人々の心を明るくする話題であった。
四
さらに二ケ月が過ぎ去った。
その間、濠州軍は善戦に善戦を重ねた。元軍は日々、猛攻を加えたが落城する気配は一向に見えない。濠州の兵糧は邵栄の活躍で潤沢であり、半年以上は持つ。反対に蒙古軍の兵糧は欠乏しつつあった。
さらに濠州における苦戦が各地に伝播され、小規模な反乱が燎原の火のように広がりつつあった。小城である濠州一つにここまで時間がかかることは許されない状況になっていたのである。戦いが膠着化する中、トクトが危惧した通りに大都の様子がおかしくなってきた。
「朝廷に不穏の動きあり」
そう都にいる呉直方からトクトに報告がなされた。
――猶予がない。
トクトは焦っていた。
元の朝廷では力が物を言う。トクトは全権を把握していたが、都を離れていてはその権力は砂上の楼閣のようなものであった。そうならないように直方を朝廷に置いているのだが、彼自身は蒙古貴族でも軍閥でもない。いかに政治的感覚に優れていようともトクトという絶対権力が背景になければどうしようもなかった。
――陛下が、しっかりされておられたならば……。
そのような思いがつい愚痴となってトクトの口から漏れてしまう。決して愚痴をこぼすまい――固く誓ったトクトであったが、彼もまた人である。四方八方が塞がるような苦境では文句の一つや二つも言いたくなる。だが国家の命運を握る丞相の一言は瞬く間に千里を走り、千里の間に思わぬ波紋を広げてしまう。
蒙古帝国において皇帝すなわち、大ハーンの命は絶対である。その皇帝を悪し様に言うことは断じて許されない。トクトとはいえ、いやーー勤皇家として著名なトクトだからこそなおさら皇帝の悪口雑言は寝言でも許されなかった。皇帝を軽侮することはすなわちトクトの権力原理を覆すことになってしまうからだ。
だがトクトが切望しようとも肝心のトゴンには皇帝としての覇気がない。それでもトクトが側にいる時は多少なりとも皇帝としての自覚を芽生えさせていたのだが、彼なき朝廷では無気力なトゴンに戻ってしまっていた。
この不穏な空気を一掃させるには一つの方法しかない。それは南征軍が一気呵成に賊軍を滅ぼす以外手はなかった。
――いや、もう一つ……。
手段がないわけではない。だがそれは禁断の一手であり、トクトは虚しく笑いながらかぶりを振った。それは南征を中断して都に戻り、黄軍をもって反対派をことごとく粛清すれば良い。だが討伐戦を中断してしまえば江南は賊軍の手に落ち、南からの資源は永久に断たれてしまう。そうなれば元朝は根幹から崩壊してしまうに違いなかった。
南征をもって一挙に江南を平定する。この方針をもって軍を発したのだが、事態はトクトの思惑通りには進まなかった。トクト自身は濠州を攻めなかった。なぜなら濠州は戦略的価値としては枝葉に過ぎなかったからだ。それよりも重要なのは張九四(ちょうくし)が守る高郵であった。
高郵は江南の富が結集する心臓のような要点である。ここを押さえれば濠州一城が叛旗を翻しても物の数ではない。だが高郵を攻略するには濠州を初めとする周囲の城市を奪取しなければ不可能であった。そのためトクトは一軍を割いて濠州へ向かわせたのである。
当初は濠州のような小城はすぐにでも落とせると考えていた。だが案に反して未だに濠州は陥落しない。陥落しないどころかその目処もつかず、いたずらに膠着した日々を過ごしている。
――是が非でも打開せねばならぬ。
焦燥していたトクトは様々な手を考えた。
例えば、濠州または高郵のいずれから兵を引き、一方を全軍挙げて攻め滅ぼしてしまう方法はどうであろうか。
――否。
それは難しかった。この方法ではいずれかの軍に糧道を断たれ、南征軍そのものを撤退せざるをえなくなる。
ではどうするべきか。やはり現実の案としては賈魯を叱咤激励し、いかに兵力を損なおうとも一挙に濠州を落とさせるしかない。
――なりふり構っておれぬ。
トクトは賈魯に対して濠州を総攻撃するよう使いを出すほか道はなかった。
トクトも苦しい日々を過ごしていたであろうが、賈魯もまた同様――いやそれ以上に地獄を這いずり回るような苦しみを味わっていた。その証拠にこの数ヶ月間ですっかり痩せ細り、別人のようになっている。目だけはぎょろぎょろと寸断なく動かせ、夜はろくに眠っていないようだった。
「しっかりと眠られることも都督の大事なお役目です」
保保は何度も休養を取るよう勧めたが、賈魯は一切耳を貸さずに大小の軍務を幕僚に任せず一手でこなしていた。ただ彼の事務能力はさすがで、時間さえかければ必ず濠州を落城させるまで手を打っていた。保保たち幕僚は賈魯の性格に合わせながら、作戦が成就するよう補佐を続けている。しかしこの保保たちの努力は一つの厳命によって根底から覆されてしまった。
濠州を力攻めにすべし――そのような命が賈魯にもたされたのである。
どんなに犠牲を払っても一挙に濠州を落城させよというもので、保保は元朝の命運も尽きたと思うしかなかった。賈魯は疲労困憊のため、理性のたがが外れかかっている。保保はそうならないように細心の注意を払っていたのだが、トクトの厳命は全てをぶち壊してしまったのだ。
案の定、賈魯は暴走してしまった。
「全軍休むことなく、全てを投げ打って攻撃すべし」
保保たち幕僚は打ち揃って、この無謀な命に反対した。しかし賈魯はすでに常人ではなくなっている。剣を抜くや、喚き散らすように再度突撃を命じた。
「私は丞相より大権を委ねられし都督である。諸君がいかに尊貴であろうとも、都督の命に背くことは断じて許さぬ。命に背かば、この剣にて討ち果たしてくれようぞ」
この狂気じみた都督を誰も止めることは出来なかった。保保は全滅を覚悟し、総攻撃の準備を整えた。
――我も武人なり。やむをえん。
保保は覚悟を決めた。その表情には悲壮感が漂っており、配下の兵たちに決死の覚悟を示した。
「生を思う者は生を得ず。死を覚悟する者は生を得る。我らは蒼き狼と白き牝鹿の末裔である。濠州如き弱兵におびえて、偉大なる血を穢すなかれ」
この檄は兵士たちの士気を大いに高めた。また保保軍の意気は他軍にも伝染し、蒙古軍の士気は異様なまでに高騰した。
敵兵の異変はすぐにわかる。蒙古軍が今までにない高騰ぶりを濠州軍は感じ取り、一様に戦慄を覚えていた。
――このままではまずい。
歴戦の強者である均用はすぐさま事態が容易ではないことを看破し、彭大に相談した。
こうした時、野放図な彭大は兵たちを鼓舞するのに役立った。
「容易ならざることである」
彭大は集まった諸将に向かい、まず危機感を煽り立てた。
「諸将も気づいていようが、蒙古軍の戦意がただならぬほど高騰している。明日か明後日が命日になるかもしれぬが、我らに逃げる道はない。命を投げ打って戦い、我らを苦しめてきた蒙古どもに一矢でも報いようではないか。一人でも多く、冥途への道連れとしてやるのだ」
この檄は効果的であった。兵たちは狂ったように雄叫びを挙げ、まさしく死兵と化した。郭軍配下の部将――元璋たちもこの檄に応え、死を覚悟した。
自軍に戻る最中、湯和は元璋に訊ねた。
「何か策はないのか」
元璋は紅巾軍に身を投じてから無策であったことは一度もない。今回も妙策があるのではないかと期待していた。
「ここまで来れば策などたかが知れている。最後の最後まであきらめず、手足がちぎれるほど戦うのみだ。我らの狂気が勝つか、敵の狂気が勝つか。ただそれだけだ」
湯和のかたわらにいた鄧順興たちも互いに顔を見合わせ、武者震いした。来るべき決戦でどこまで狂うことが出来るか。勝敗の行く末はすべてそこにあった。
五
狂気に満ちた決戦の幕が切って落とされたのは翌日未明のことであった。
蒙古軍は猛々しく腰太鼓を鳴らしながら、城壁に押し寄せてきた。蒙古軍の意気はまるで大波のようですべてを飲み込むような勢いがあった。
一方、迎え撃つ濠州軍の勢いも決して負けていない。陣太鼓を連打し、兵たちを鼓舞させた。前夜から彭大と均用は甲冑を身に纏っており、陣頭にて采配を振るった。
子興も負けてはいない。方天戟を手にして郭軍を指揮し、元璋は副将として傍らで補佐に当たった。
蒙古軍は四手に分かれた。それぞれ将軍筒など火器を容赦なく撃ち込み、その中を歩兵たちが突撃する。将軍筒は濠州兵に打撃を与えたが、攻め込む蒙古軍をも粉砕した。かつて保保が進言した作戦であったが、予想通り濠州軍はこの砲撃にたじろいだ。
しかし濠州軍も蒙古軍から奪取した襄陽砲を駆使し、油の入った玉を放ち、同時に火矢を撃ちかけて報復した。そのため蒙古陣営は火の海となってしまった。
賈魯はこの日、金色に輝く鎧と深緑の戦袍を身に纏っている。そして「令」と書かれた采配用の小旗を盛んに振り回し、ひるむ兵を叱咤した。
「一歩でも退けば大都督・賈魯が討ち果たしてくれようぞ。賊軍は一人たりとも生かしてはならぬ。皆殺しじゃッ」
この時の賈魯はもはや学者ではなく、一個の戦鬼と化していた。
戦場は異様な空気に包まれている。蒙古軍も正気ではなかったが、濠州軍もまた狂ったように戦意を高揚させていた。平素温和な邵栄でさえ、目を真っ赤にして刀を振るい続けた。体中を火傷しながらも必死の形相で敵兵をなぎ倒していった。
勇猛な鄧親子は決死隊を募り、果敢にも城外に打って出た。父の順興は双剣を両手に持ち、当たるを幸いに敵を斬り倒し続けた。長男の友隆は巧みに兵を指揮し、相手がひるめば攻め、相手が攻めればこれをかわして翻弄し続けた。
次男の友徳は十代の少年ながら、大刀を自在に振り回し、保保軍で名を馳せていた勇将・エセントトを見事討ち取った。その結果、劣勢になりつつある鄧軍に勢いを与えて、幾度となく蒙古軍を撃退せしめた。
湯和は元璋の伝令として戦場を駆け巡っている。当初前線で戦うことを強く望んだが、
「考えなく戦えば勝機を見失ってしまう。勝算は極めて低いが、わずかな光明があるやもしれぬ。俺と鼎臣は肝胆照らす仲だ。俺の分身となってその命を呉れ」
感激した湯和は元璋の手足となることを快諾した。
狂い、狂い、狂いまくる。戦は人を狂わせる。
この濠州の攻防戦ほど双方が狂いきった戦いも珍しかった。しかしどんな狂乱の戦場でも将だけは冷静でなければならない。狂気は連鎖するものだが、その連鎖を将のみは操り、一条の光明を見出さなければならない。その点、濠州軍を指揮する将たちは冷静であった。狂乱する兵たちを操作し、戦いを有利に進めていった。だが蒙古軍は保保など一部の将は冷静であったが、肝心の都督・賈魯が混乱しきっている。そのため蒙古軍は士気こそ高いが、しばしば濠州軍に翻弄され勝利をつかめないでいた。
戦いが始まって二刻。均用は戦況を眺めながら静かに語りかけた。
「どちらの糸が切れるか、だな」
糸とは「緊張の糸」のことで、両軍とも体力・気力が限界に達しており、緊張感が切れた方が敗北する。
「ここまで来れば、天の思し召しだ」
彭大は短く答えた。
「均用よ。徐州の時とは違うな。……蒙古に余裕がない」
「賈魯が都督らしいが、所詮小吏に過ぎなかった」
「それにだ。同朋の動きがまるで違う」
「孫徳崖たちではないな」
「郭子興でもない」
彭大がにやりと笑うと、均用はつぶやくように、「痘痕顔がいるからか」と、答えた。
二人とも小さく哄笑したが、目は鋭かった。優秀な男が仲間であるうちは心強い。しかし敵に回れば己の命を脅かす者になる。元璋は成長すれば、きっと二人を脅かす存在になるに違いなかった。
だがな、と均用は前置きをした。
「今日生き延びるためには奴は必要だよ」
そう苦笑いしながら再び戦場に目を戻した。今は痘痕顔であろうが鬼であろうとも、蒙古を撃退するまでは奮戦してもらわねばならない。
激戦はまだ続く。
齢四十となる順興は体力が尽きようとしていた。その勇猛さは鬼神のようであったが、彼も人間であった。雲霞のような敵を蹴散らしてきたが、剣を振るう勢いは確実に衰えている。
次男・友徳は父を助けようと奮迅したが、手一杯でどうしようもない。敵兵越しに父を案じた。長男の友隆も同様に父を心配したが、蒙古の大軍に崩されそうになったおり、それどころではなかった。
鄧親子の奮闘を城壁で見ていた元璋は邵栄を援軍に向かわせようとした。しかし邵栄にも余裕がなく、どうしようも出来なかった。
やがて湯和が戻ってくると、残りの兵を出すよう口早に進言した。しかし元璋は首を縦に振ることは出来なかった。ここで残りの兵を出し切ってしまえば郭軍の本陣は空となってしまうからだ。そこを蒙古軍に衝かれては郭軍が崩壊し、やがて濠州軍自体が敗北してしまう。ところが今まで采配を預けていた子興が声を荒げて命じてきたのである。
「行け、元璋。鄧親子を見殺しにした所で、ほんのわずか生き延びるだけだ。それならば苦楽を共にした親子と死ぬ方が潔い。お前たちが死ねば、わしも死ぬ。無能な頭であったが、お前たちの死に様を見届けてやる」
そう言うと、子興は今までに見せたことのない優しい笑みを浮かべた。
「元璋よ」
子興は息子の天叙と天爵を呼び、二人の背を押した。
「倅どもも連れていってくれ」
元璋は涙ながら拱手し、力強くうなずいた。
「義父上。蒙古どもに我らの意地を見せつけてやります」
「鈴陶たちのことは案ずるな」
深く頭を下げると、元璋は馬上の人となった。そして残りの兵を率いて、鄧親子救出に向かった。
濠州軍は一兵に至るまで死を覚悟している。誰もが死のみを考え、一人でも多く蒙古どもを道連れにしてやろうと奮戦した。そんな中、元璋たちは鄧親子と合流した。順興は疲労のためか、すっかり涙もろくなっている。満面を涙で濡らしながら、
「かたじけない、かたじけない」
と、何度も礼を述べた。しかしすでに順興に戦う余力はなく、あえなく元璋たちの眼前で討ち死にしてしまった。元璋たちは喉がはちきれんばかりに叫んだが、悲しむ余裕などない。ただ修羅の如く血刀を振るわねば、殺されてしまう。皆、心で涙しながら、必死になって戦い続けた。
狂乱に満ちた戦いはいつまでも続かない。何かきっかけがあれば行方は一挙に定まるものである。そのきっかけは太陽が西に沈もうとした時、蒙古軍で突如起きた。
「あと少し、あと少しで凱歌を奏することが出来るぞ」
賈魯は目を剥きだしながら必死に叫んでいた。当人は勢いよく令旗を振っているつもりであったが、すでに体力・気力が尽き果て、馬にしがみついている状態にあった。見兼ねた側近たちが休憩するよう進言したが、賈魯の耳に届いていなかった。すると発作を起こしたように姿勢を正すと、
「ついに落ちた、濠州が落ちたのだ」
と叫ぶや、両手を挙げた。
ついに気が違えたか――側近たちが唖然としていると、賈魯は全てから開放されたような、そんな笑みを満面に浮かべた。そのままどうっと音を立てて落馬してしまったのである。
「都督、都督ッ」
側近たちが驚き駆け寄ってみると、賈魯は目を見開いたまま事切れていた。耳からは鮮やかな朱血が流れており、すでに事切れていた。
賈魯は不幸な男であった。将帥として彼はあまりにも繊細すぎた。このような激戦に耐えきれるような神経の持ち主ではなかったのだ。
もはや一騎打ちの時代ではない。だがやはり大将を失った軍勢は崩壊してしまう。チンギスハーンは主将が倒れても副将が代わって指揮を執る仕組を作っていたが、賈魯はこの慣例を無視し、都督である自分が全ての権限を握っていた。そのため彼の死は濠州攻略軍崩壊を意味していた。
崩壊は中軍から始まった。潮が引くように中軍が戦場から離脱し、他軍もこれに引きずられるようにして退却を開始したのである。前線で戦っていた保保には賈魯の死が伝えられておらず、
「賈魯は何をしておるのだ」
と、呼び捨てしてしまうほど激怒した。しばらく馬上で剣を振るい、応戦していたが、やがて賈魯の死が知らされた。
――死に所を違えおってッ。
保保は心内で舌打ちした。死に所を違えないのも将としての心得であり、このような切所で頓死するなど賈魯は将として失格であったと保保は思った。
「うろたえるなッ。我はチャガンティムールが甥・王保保なるぞ。王保保がここにあるを忘れたかッ」
保保軍の兵たちは主人の指揮能力を信用しきっている。そのため威厳に満ちた保保の声を耳にするとたちまち冷静さを取り戻した。やはり保保は将として天賦の才を有している。蒙古軍の撤退は当然、濠州軍に勢いを与えた。
「今こそ仇を討つ時なり」
友隆はそう叫ぶや、自軍に追撃の命を下した。もし相手が凡将ならば、この追撃はするべきであった。だが友隆は最後の最後で己の命運が尽きてしまっていた。友隆の命取りは相手が死を決した名将・保保であったからだ。
敵に名将がいるか否か。それは兵の動きを見ればわかる。弟の友徳は兄に比べ、少しばかり冷静で、保保軍がただならぬ軍勢であることを看破した。
「兄者を押し留めよッ。深追いは禁物だ」
そのように伝令を発したが、混乱しきった戦場で兄の耳にこの警告は届かなかった。もはや友隆の頭には討ち取られた父に供奉すべき兵を一人でも多く増やすことしかなかった。
「鼠すら窮すれば噛むものだ。ましてや我らは蒼き狼ぞッ」
保保は唾棄するような口調で叫び、巧みな用兵で友隆軍を包囲した。友隆は必死になって兵を鼓舞したが、兵たちの疲労度は極限に達している。ましてや全方角から攻められてはいかなる軍といえども如何ともなしがたい。友隆を守る兵は皆殺しにされ、最後の最後まで彼は奮戦した。
「今ぞッ」
保保は将を討ち取られ、敵が動揺している機を逃さなかった。兵を手足の如く動かし、唖然とする濠州軍を後に颯爽と兵を退いていったのである。
「おのれ、蒙古めッ」
湯和は怒り心頭、追撃しようとしたが、元璋は必死になって押し止めた。感情に走れば友隆の二の舞になる。
「これ以上戦うは無駄死だ」
そう言って元璋は憤慨する兵たちをなだめて濠州城に撤収させた。
かくして半年に及ぶ濠州攻防戦は終結した。蒙古軍は保保がまとめ、トクト率いる本軍に合流した。
「友恒が……死んだか。そうか……」
保保より報告を受けたトクトは怒りも悲しみもしなかった。
全てが終わったのである。濠州攻略失敗はトクトに深い影を落とした。大軍をもって攻めたにも関わらず、無残にも敗れたのである。当然の如く、この失敗はトクトを終焉へと誘った。
「トクトを解官すべし――」
ここぞとばかり、トクトに押さえつけられていた蒙古貴族たちが、その首魁であるハマを中心に結束し、排斥に動き出したのである。
それでもトクトは劣勢を挽回すべく高郵を攻め落とそうとした。だが濠州での敗戦は予想よりもはるかに黄軍の士気を挫き、反乱軍鎮定はもはや夢のまた夢であった。半年間膠着状態が続き、最後はトクトの丞相罷免によって高郵の戦いにも幕が降ろされたのである。
「……何も申すまい」
これがトクト最後の言葉であった。
罷免されたトクトは遠く雲南に流され、直方も罪をかぶせられて処刑されてしまった。元朝を復興すべく全てを投げ打ったトクトの最期はみじめなものであった。雲南に護送される中、縛られた状態でハマの手によって毒殺されたのである。なおも反乱鎮定のため転戦していた黄軍であったが、トクト亡き後は無用の長物として解散させられてしまった。
「亡国の佞臣どもめッ」
保保は悔しさのあまり血の涙を流したが、トクト亡き朝廷に何の期待も寄せることは出来なかった。保保もまた自軍をまとめ、叔父の許へと戻るほかなかった。
かくして蒙古軍は去った。各地で蜂起する反乱軍は再び息を吹き返し、この後、江南の覇権を巡る激戦が繰り広げることになった。元璋もまた生き延びるために立ち上がる時が近づいていた。
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