学問のはじめ

片山洋一

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第二話「格之助」

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   格之助

   一

 文化・化政、すなわち化政時代。志ある者は武士のみならず、富農、そして町人たちがこぞって学びの門を叩いた。魚心あれば水心で需要があれば供給があるのは当然であった。学問や武芸を身につけた者は、私塾を開き、または道場を構えた。そうした需要と供給の中、大坂はいつしか一大学問都市へと成長を遂げたのである。
 教える者の身分は様々であった。武士だけでなく、町人や富農も師匠となった。武芸は江戸に比べて、大坂は道場の数はやや少なく、槍術を教える所が多かった。その理由は奈良の宝蔵院流などがあったことも無縁ではない。武芸を教わるのは武士がほとんどで、その中には大坂の支配階級である与力や同心たちも含まれている。 
 玉造口や天満川崎は与力・同心たちの屋敷が集中している場所であり、屋敷を利用した道場がいくつか開かれていた。武芸の鍛錬が義務づけられている与力・同心たちであるが、泰平をむさぼり、刀もろくに抜けないような者が多くいた。だが世は次第に混沌の様相を帯び始めている。国内では封建制度の限界のためか、一揆や打ちこわしなど社会不安が広がっており、食料需給も極めて不安定。少しの天候異常でたちまち餓死者が出てしまうほどであった。また海外からは異国船が出没し、蝦夷や長崎など緊迫した空気が蔓延しつつある。危機が迫ればおのずと武力は必要とされ、武士たちは本来の役割――すなわち兵として戦う覚悟をしなければならない。
 志ある者は来る日に備えて武芸を磨くために道場へ通い、そしてそれに応えて腕に覚えのある者は道場を構えたのである。道場へは束脩、すなわち受講料を支払えば誰でも入門ができる。ただ誰でも入門できることを快く思わない者がいた。それは与力やその子弟たちであり、不服の背景には彼らの誇りがある。
 与力は「御抱席(おかかえせき)」と言って、建前では一代限りの身分とされているが、実際は世襲で東西奉行を補佐する彼らは実質的な大坂の支配者であった。与力たちは市政に対して力を有し、奉行どころか城代ですら彼らを敵に回しては大坂ではやってはいけない。その誇りの高さは彼らを数える単位からして特別で「一人、二人……」ではなく、「一騎、二騎……」と数える。
 大坂城玉造口を守衛する与力の一人に坂本鉉之助(げんのすけ)という人物がいた。その養家は鉄砲組に属する家で、実父はその道の第一人者と謳われた坂本天山であった。彼自身も砲術の名手として知られている。堕落しきっていた与力の中では出色の人で、その人柄は柔軟にして清廉潔白、治の中に乱を忘れず、日々文武の鍛錬を怠らない。その鉉之助は同じく玉造口与力・柴田勘兵衛の道場に通っている。柴田が教えているのは佐分利流の槍術で、その門下はいずれも真の武士だと評価が高かった。鉉之助は坂本家当主であり、御役目を頂戴している。多忙であったが、時を見つけては道場に通っている。さらにいえば老齢の師を助けて若い者を監督するためにも足を運んでいた。
 そんな鉉之助が小さな騒動に出くわしたのは文政九年(一八二六)六月のことであった。 その日はたまたま御城へ当直しており、帰宅したのは明け方であった。時刻が早く、誰も来ていないはずであった。だが一つの人影を絃之助は目にした。
「あれは正一郎ではないか」
 道場の門が閉まっているこの時刻に一体何をしているのか鉉之助は怪しいと直感した。 大井正一郎は有名な悪童で、門限は平気で破り、酔って町人を斬ろうとするなど、その悪行は枚挙に暇がない。ついには親に勘当されたのだが、鉉之助が仲立ちをして事なきを得てきたのである。その正一郎が怪しい動きをすれば鉉之助でなくとも勘ぐってしまうのは当然であった。
 ――また酒を飲んだのか。
 鉉之助はそうにらんだが、そうではなかった。なぜなら稽古用の道着をまとい、手には練習用の竹槍を手にしていたからだ。正一郎も励むわ、と鉉之助は思わない。そうであれば誰も苦労はしないし、彼が血相を変えていることから、とても殊勝な心掛けではないことは明白であった。やがて正一郎だけでなく、五人ほど少年たちが集まってきた。いずれも物騒なことを口走っている。
「足腰立たぬようにしたる」
「それよりもあいつは来るんか」
「来る。来んかったら腰抜けや」
 時が過ぎ、軒先に雀どもがさえずり出した頃。一人の少年が現れた。「あいつ」かと思いきや、意外な人物に鉉之助は驚いた。
 ――格之助やないか。
 西田格之助。十三歳。柴田門下では最年少であるが、その腕は群を抜いている。長ずれば必ず師範代になるであろうと目されていた。鉉之助が驚いたのは正一郎と違い、格之助は諍いを起こすような少年でなかったからだ。もちろん「あいつ」が格之助であるはずもなく、正一郎たちに襲われることは考えられない。格之助の真摯な姿勢に暴れ者の正一郎でさえ敬慕していたからだ。
「格さん。いざとなったらわしたちが加勢するからな」
「大井さんはこの格之助を侮りなさるか」
「ま、まさか」
「ならば手出しはなさらぬよう。ただあいつは腰抜けで、いざとなれば逃げるでしょう。その時は逃がさぬように」
 ――まるで忠臣蔵やな。
 鉉之助は少年たちの青臭さに呆れながら、改めて「あいつ」とは誰か推測をした。だがやはり誰であるのかわからない。だがその答えはやがて明かされる。その「あいつ」がやって来たのだ。鉉之助はその正体を見て、拍子抜けした。
 ――先日入門した田上騂之助ではないか。
 なぜ拍子抜けしたかと言えば、騂之助はろくに槍も刀も振るえないほど未熟であったからだ。少なくとも徒党を組み、格之助が堀部安兵衛の心持で対する相手ではないだろう。
 ――ひょっとすると……。
 鉉之助はこの騒動の原因を推測してみた。格之助は優秀で何事にも真摯に取り組む。また無類の親切者であった。だがその裏返しで、不真面目な者がどうしても許せない癖があった。
「お前は先生を侮辱した」
「侮辱?」
 呼び出された騂之助は何が何だかわからず、ただうろたえるしかない。止めるべきか――ふと鉉之助は思ったが、しばらく放っておくことにした。
 ――田上には良い薬になるかもしれない。
 鉉之助までがそう思ったのには、それなりの態度を騂之助が取っていたからだ。
 騂之助が父に連れられ、再び大坂へと戻ってきた。相変わらず何をするべきかわからないままであったが、と言って無為に過ごすことはできない。そんなことをすればまた足守に戻されてしまうからだ。
 ――足守に戻されては、小町先生と会えなくなる。
 極めて不純な動機であったが、騂之助は何かをせねばと動き出した。
 その手始めが武芸であり、選んだのが柴田道場であった。この道場を選んだ理由だが、真面目な門人が聞けば激怒するに違いない。それは場所が川崎天満にあり、小町先生と出会った思案橋が近いからだ。
 だが腑抜けた槍捌きは相手をした者に見破られてしまう。格之助は新しい門人である騂之助に対し、誠意を込めて接してきた。いざ槍を合わせてみたところ、心ここにあらずことをすぐさま見抜き、裏切られた誠意は激しい怒りへと変貌したのである。
「お手合わせを」
 槍を構え、格之助はにらみすえる。相手の気迫におびえるというより、騂之助はただ困り果てていた。病弱もあってろくに稽古をしたことがなく、そもそも武張ったことが苦手であった。道場きっての秀才である格之助とまともにやりあって敵うはずがない。だが格之助は精神的に逃がさぬよう、嘲笑しつつ侮蔑の言葉を放った。
「やはり腰抜けか。備中足守の出とのことやが……なるほど足守の武はマの字にケの字、猫に紙袋、後退り言うわけか」
 これには温和な騂之助もかっと血が頭に上った。「マの字、ケの字」とは負けのこと。猫は紙袋を頭に被せると後退りするものである。武士にとって最大の侮辱は逃げることであり、武士ならば決して許すことのできる暴言ではなかった。
「命をお懸けになるか」
「言わずもがな。これで怒らな、似非侍や」
 格之助はほくそ笑みながら槍を構え、正一郎は自身の槍を騂之助に投げ渡した。
 生まれて初めてであったかもしれない。騂之助は奇声に近い怒号を上げて槍を突いた。 だが悲しいことに気負いだってはいるが、騂之助の槍先はよたよたとしており、格之助はこれをひらりとかわした。その後が悲惨であった。騂之助の槍先は地面に刺さり、その振動は腕を痺れさせた。格之助を睨みながら相手の姿を追った時は、相手の槍は騂之助の腕を強打した。
 我ながら何とみっともなかった。怒り、痛み、そして哀しみが全身を覆う。何より悔しかった。だが格之助は鬼になったか、人の心を失ったが如く、打ち据える。わずかながら情けがあったとすれば騂之助を突き刺さず、ひたすら打ち据えたことぐらいなのかもしれない。突けば相手の生命を奪ってしまうこともある。またあまりの弱さに嘲りつつも、どこか武士の情けを格之助はかけていた。
「思い知ったか。柴田門下の恥さらしめ」
 騂之助の両目からはとめどなく涙が流れたが、痛みのせいではない。こんな侮辱を浴びせられた自分が情けなくて仕方がなかったからだ。
「それ、とどめや」
 調子乗りの正一郎が他の少年たちをけしかけて、一斉に騂之助を袋叩きにしようとした。 格之助は声を荒げて制止したが、こうした時の正一郎はもう止まらない。他の少年たちも付和雷同、騎虎の勢いで襲いかかろうとした。だが雷鳴の如き声が少年たちを一瞬にして凍りつかせたのであった。
「そこまでや、そこまでやッ」
 鉉之助は荒々しく足音を鳴らしながら、少年たちを騂之助から引き離した。
「格之助ッ。おまえは、それでも柴田門下か」
 どの道場でもそうだが、私闘は厳しく禁じられている。柴田勘兵衛もまた同様であり、場合によれば破門となってしまう。言い分を聞いてほしい――格之助の声は哀願に近かったが、鉉之助は一蹴した。
「聞く耳持たん。田上に対して偉そうに説教しとったが、おまえも同じやないか。このこと門人として先生のお耳に入れる。そなたたちへのお咎めは追って沙汰をいたすゆえ、覚悟せいッ」
 この言葉に少年たちは皆おびえた。まるで蜘蛛の子を散らすようにわらわらとその場を逃げ出し、正一郎も逃げようとしたが、鉉之助は素早く襟首を押さえた。
「お前にはやることがある。ちゃんと後始末せえ。さて格之助。このことは後素(こうそ)さんにもお伝えせなあかん」
「さ、坂本さん、それは――」
「何がそれは、や。こんな朝早く先生をわずらわせられるかい。この近くで田上を運び込めるのは後素さんの屋敷しかないやないか」
「で、ですが……」
「阿呆。このまま田上を捨ておけるか。手当てせんと死んでまうやろ」
 この言葉に格之助は返す言葉がなかったが、やはり納得できずに憮然としている。
「正一郎。後素さんはご在宅か?」
「いえ、ご不在です」
 鉉之助は首をかしげ、どこに出かけているのか尋ねた。
「尾張です」
 ――なるほど、そういうことか。
 この答えを聞いて鉉之助は瞬時に格之助がなぜ荒れているのか理解した。ただ柴田門人として騂之助に掣肘を加えただけではなかったのだ。
「格之助、正一郎。ぐずぐずせんと、さっさと後素さんのお屋敷へ行け」
 そう言うと乱暴にも正一郎の尻を蹴飛ばした。

 ――私は……。
「気ィついたか、生きててよかったなァ」
 鉉之助はあくまでにこやかに背負った騂之助に声をかける。
「随分と痛めつけられたな。まァ、格之助はやりすぎやが、田上の自業自得や」
 納得がいかないのか、騂之助はあからさまに不服な表情をした。だが鉉之助は鋭い視線で顔をのぞき込む。
「自分の胸に手を当てて考えてみィ」
 騂之助は苦しげに胸に手を当ててみたが、やはり意味がわからない。だがこの馬鹿正直さに鉉之助は声を挙げて大笑いしてしまった。
「おもろいやっちゃ。まあその阿呆なところが取り得なんかもしれんな。わからんのやったら教えたる。お前……真面目な心で柴田先生の教えを受けてなかったやろ」
 この言葉に騂之助はどきりとした。
「やはりな。なんぼ隠しても誠があるか否かはわかる。柴田先生は立派なお方で、門人は皆、崇敬しておる。特にあの格之助は真剣に鍛錬を積み、皆を感服させた。あいつにしてみれば田上の態度は自分のこともけなされたようで許せんかったんや」
 この言葉に騂之助は一言もない。
「それとな。この坂本絃之助も同じや。正一郎も随分、不真面目な奴やが、先生を敬っておる。人に物を教わるということは簡単なことやない。束脩払えばええというわけやない。わかるな?」
 騂之助は身体を固めるだけで云とも寸とも言えなかった。
「まあ、こないに痛い目に遭うたんや。槍が上達するかどうかは大したことやない。これからも道場へ通うかどうかは田上次第や」
 ここまで言うと鉉之助は全てを忘れ去ったようににこやかになった。背の騂之助は何も言えず、石のように黙り込むしかない。
 やがて目指すべき「後素さん」の屋敷が見えてきた。その屋敷は川崎天満の東照宮裏に位置している。
 川崎東照宮。神君・徳川家康を祀っており、元和年間、すなわち大坂陣後、時の城主であった松平忠明によって建立された。大坂における幕府の聖地であり、かつ徳川と大坂人を繋ぎ止める場所でもあった。東照宮の周辺には代々与力たちがそれぞれ五百坪の屋敷を拝領している。後素さんもその与力屋敷に八代に亘って暮らしてきた。
「着いたぞ。立てるか?」
 本音を言えばこのまま寝てしまいたいほど痛かったが、そこは少年の見栄で意地でも弱音を吐くまいと騂之助は踏ん張った。それでエエ――鉉之助の笑みは無言ながらそう言って褒めてくれているようであった。随分と年季の入った表札があり、「大塩」と書かれている。よほどこの屋敷の勝手を知っているらしく、鉉之助は玄関へと足を踏み入れた。
「立派やろ」
 鉉之助は急に庭から見える一本の大木に目を転じた。意味がわからず騂之助が目を凝らしてみると、見事な槐の木が聳え立っている。
「ほんまかどうかは知らんが……」
 そう前置きをし、あれは神君お手植えなんやと絃之助は答えた。槐の木は樹齢が二百年ほどであり、川崎東照宮建立の時に植えられたか、または芽生えたものである。つまり家康没後に誕生した樹であり、お手植などありえない。だが大事なのは歴史の真贋ではなく、この槐の木を見て育った与力たちの誇りであった。我らは神君から大坂を託されている。御抱席であるが、代々禄を頂戴し、この槐と共にこの街を守ってきた。一見野放図な鉉之助ですら、その誇りを何よりも大切にしているのである。
「後素さんは立派な方や。それは神君とお手植の槐がかの仁を育ててきたんやな」
 足守でも藩主たる木下家と家祖への崇敬の念は大事にされているが、神格化までされていない。大坂はただ雑多な街かと思い込んでいたが、このような家もあることに騂之助は驚きを隠せないでいた。
 それにしてもここ大塩家は格別、異なる雰囲気を漂わせていた。
 ――人が住んでいるのだろうか。
 ふとそう思わせるほど物静かであり、ここは大坂なのだろうかとわからなくなってしまうほどであった。
「ここはな。洗心洞、と言う。聴き慣れん名やけどな。ここは後素さんの私塾でもある」
 塾と言うが、寺社のように静寂としており、騂之助には違和感がある。
 「洗心」とは易経、繁辞上伝にある「聖人は此れを以って心を洗い、密に退蔵す」という言葉が原典で、心の煩累を洗い去る、或いは心を改め面目を一新する意味が込めれらている。「洞」とは文成公すなわち王陽明が住んでいた陽明洞にちなむもので、ここは儒学――とりわけ陽明学を教える場所であることがわかった。
 ――珍しいな。
 騂之助がそう思ったのも無理はない。幕府は武士たちに儒学を推奨して、大いに学ばせてきた。だが推奨したのは朱子学であり、陽明学は敬遠されてきている。朱子学は理を尊び、秩序を重んじる。だが陽明学は言行一致を旨として、時に秩序を脅かす学者が現れたからだ。この当時、学者の最高峰と言われた佐藤一斎は陽明学の有効性を認めながらも、あくまで朱子学を本願としている。彼が「陽朱陰王(ようしゅいんおう)」と称せられる所以であった。
 ――大事ないのだろうか。
 珍しいと思う一方で騂之助はふと心配をした。大塩家は神域と言うべき場所に屋敷を拝領している。そのような家が幕府の忌避している学問を教えていいのだろうか。だがその問いを大塩家で発することもまた忌避されているようであった。
「お、御内儀がお出ましかな」
 話題を逸らせようというわけではないが、ことさら鉉之助は明るい声で挨拶するよう騂之助に促した。
「これは坂本様」
 御内儀かと思いきや、出てきたのはたたずまいに品がある初老の男で、まげの形からすると庄屋のようであった。
「ゆう殿かと思ったが、橋本さんやったか」
 与力と庄屋という身分の差があるものの、鉉之助の声には畏敬の念が籠もっている。
「橋本忠兵衛さん」
 よく関係が飲み込めない騂之助に鉉之助は紹介してやった。
「ただの庄屋やないぞ。この塾、いや大坂でも指折の学識や」
「坂本様はすぐ人をおからかいになる」
「また叱られた。なァ、相手が侍だろうとひるまぬ偉いお方なんや」
 洒落っ気のある鉉之助は愉快げに笑い、忠兵衛も穏やかに微笑んでいる。
「そちらのお方は?」
「そ、それがしは田上騂之助と申します」
「田上様、でござりますね。改めまして橋本忠兵衛と申します。以後お見知りおきを」
 ところでと忠兵衛は真面目な顔つきで言葉を途切らせた。
「お気をつけなさい。いえね、坂本様ですよ。良きご気性の方ですが、人を煙に巻くことが何よりの好物」
「橋本さんにはかなわん。ところでしばらく来ンうちに、えらい様変わりしましたなァ」
「先生があちこちで本をお買い求めになりまして」
「後素さんの道楽も困ったもんや」
「先生は私ども門人のことを思い、借財をしてまで本をお買い求めになるのです」
「本がぎょうさんあるからか……。でもな橋本さん。後素さんは純なお方。橋本さんのような人がしっかりせなあかん。河内屋への気配りも忘れんようにな」
 河内屋とは大坂を中心に出版および販売を手掛けている大手の書店であり、後素がこうして大量に書物を入手できるのは河内屋の好意あってのことであった。
「ところで……」
 忠兵衛は騂之助の傷がやはり気になったらしい。眉をしかめながらどうしたのか尋ねてきた。
「正一郎や」
「ああ、また大井さんですか」
「あいつは手助けしただけやがな。今回は格之助や」
「若先生が、そんな?」
 若先生――その呼称に騂之助は驚いた。格之助は普通の者とは違う雰囲気を漂わせていたが、それでも十三歳の少年にすぎない。その少年が若先生と呼ばれているのはどういうことなのか。騂之助の疑問はさて置かれ、忠兵衛の心は鎮まらない。
「格之助さんがどうなされたのですか?」
 絃之助は神妙な顔つきになり、頭を下げた。
「ゆう殿や。奥方様や。大塩家の」
 騂之助は声を挙げそうになったが、あわてて鉉之助同様に頭を下げた。
「頭をお上げください。それよりも格之助さんが狼藉されたなど……」
「いやいや、ただの喧嘩です。夫婦喧嘩は犬も喰らわず、子の喧嘩親口出さず。餓鬼の喧嘩など犬猫より埒もない」
 ――犬と一緒か。
 あまりの喩え様に当の騂之助はむっとした。だが軽口にも似た表現は事態の悪化を防ぐことができたのである。
「ここへ参りましたは格之助を打擲せえだの、正一郎に灸をすえたろと言ったことではありませぬ。こいつの手当てをお願いしたいと思いましてな。無用に話を広げるは害しかありませんので、この場限りということで……」
 ようやくゆうたちは納得し、それならばと手当ての準備をしようとした。だがなぜか騂之助はこの好意を拒絶した。
「ご無用に願いたい」
 にやにやしながら騂之助の顔をのぞき込んだ。少年ながら――いや少年だからこそ譲れない意地がある。
 ――ここは敵陣ではないか。
 大人たちが聞けば笑われるかもしれないが、騂之助にとっては真面目な気持ちであった。
「わかった。ならば休むな。やけどな、道場に通うかどうかはお前が決めろ。そやけど逃げ癖はつけるな。そうなったら取り返しがつかんようになるからな」
 ――逃げ癖、か。
 真正面から挑まず何もわからないと言っては逃げてきた。身体が弱いと言い訳をしては逃げてきた。逃げた挙句、父に故郷に閉じ込められそうになり、今は年下の小僧に良いように弄られた。何と情けないことか。
「田上さん、と申されましたね。一体、何が気に入らなかったのでしょうね」
「それは拙者が不甲斐ない者だからでしょう」
「そうでしょうか。格之助殿はあなたを見込んでおられたのでしょう。格之助さんは不器用なほどまっすぐな気性。見込んでいたのに腑抜けていたことが許せなかったのではないでしょうか」
「貴方たちは拙者を子供だと思って、よくもそんな好き勝手を申される。私は道なく、人の為にもならぬろくでなし。大坂へ舞い戻ったのも、ただ……」
 小町先生に会いたいからだ、とは言えず、顔を赤くして黙り込んでしまった。その様子を見て、ゆうも忠兵衛も懐かしく、そして嬉しげな表情で静かにかぶりを振った。
「本当にどうしようもない人は――」
 ゆうは言葉を途切らせて、遠くを見るような目で天井を眺めた。
「自分がどうしようもないと思ったことがない者です」
 格之助さんも今はとある事情で荒れてはいるが、心底、騂之助を軽蔑しているなら叩きのめすような真似はしない、とゆうは判じた。
「今日は休んでいきなさい。そんな怪我ではどうしようもないでしょう」
「拙者はまだ所用がありますゆえ、これにて」
 怪我のためか、騂之助は足を引きずりながら立ち上がった。去ろうとする騂之助にゆうが声をかけた。
「無理強いはやめましょう。いつでも遊びに来てください。格之助さんも喜びます」
 そんな訳があるか、と騂之助は反発したが、ここでそれを言い立てても何も意味はない。ただ仏頂面で頭を下げ、洗心洞を後にした。
 ――どうにも……。
 小町先生と言い、大塩家のゆう殿と言い、大坂の女は皆、立派すぎやしないか。いや、とふと騂之助は心内でかぶりを振った。考えてみれば母もにこやかに父を包み込んでいたではないか。そう考えてみると女子は男をおおい尽くしてしまう恐ろしい存在なのかもしれない。ひょっとして騂之助の脳裏に浮かんだのは思案橋で出会った貝吹坊、いや小うるさい童女・八重の顔であった。どうにも利かん気の娘で、成長すればさぞかし男を尻どころか踏み台にしてしまうのではないだろうか。そう考えると騂之助は身を震わせていた。

   二

 少年から青年になる時、激しい感情が成長をうながす力となり、騂之助も一つの激しい感情を抱くようになった。
 ――格之助に義や憤なりと言わせてやる。
  あれから騂之助は、何とか格之助を見返すことがないものか、そのために己の道を見出さなければならないと躍起になっていた。恋はやる気を出させ、憤怒は真剣みを帯びさせる。武芸で身を立てる――これに見込みはない。と言って道場通いをやめるつもりもなく、通い続けていた。とにかく自分にしかできない何かを見出すべきで人がやっていないことが何かないものか、真剣に考えた。あてもなく橋から橋へと渡り、天満橋を南に、天神橋を北に、そして難波橋を南にと歩く。そんなある日のこと。気が付けば正午になっており、とある木橋の上にいた。
「……足守か?」
 思わずそうつぶやいてしまったのは、橋筋に生家の前にもある栴檀の木が目に入ったからであった。そんな騂之助に栴檀木橋だと教えてくれた人がいた。
「栴檀木橋、言います」
 騂之助が振り向くとにこにこと微笑む四十前後の旦那が手代を連れて立っていた。
「昔からここに生えていたのやそうで。この木に何か思い入れでも?」
 勘違いしたことが少し恥ずかしく、騂之助は赤面しながら頭を掻いた。
「人にとって大事なんは愛嬌ですなァ。愛嬌がない方はどうしようもない」
 変わった人だ――かなわないと思った騂之助は再び栴檀の木に目を転じた。
「故郷にあるのです。私の家近くに同じような木がありまして」
「大坂はどこもかしこもせわしいゆえ、故郷と同じ何かを見つけたら、嬉しいですなァ。ああ、これは不躾なことを。手前は堂島沿いにて商いをしております清兵衛と申します。卒爾ながらお武家様は備前……または備中のお方やないでしょうか」
「よくおわかりで」
「手前は姿形こそ大坂の商人の格好をいたしておりますが、産は出雲国の倉吉。大店(おおたな)の旦那衆と違って、主人である手前自ら駆け回らねばなりませぬ。倉吉と大坂を行き来する間に備中や備前はしょっちゅう通りますもので」
「それがしは備中足守、木下家中の者」
「足守と申しますと御家老に木下権之助様がおられますが、幾度もお会いしました」
「それは……。ところで何を商いされているのです」
「『千刃扱き』でございますよ」
 そう言って清兵衛は稲の穂を振る真似をしてみせた。
 千歯扱きとは脱穀するための農具で、「後家(未亡人)倒し」という物騒な別名を持つ画期的な発明品であった。それまで脱穀は手間がかかり、夫を亡くした妻が食を繋ぐための仕事であった。だがこの農具の登場で彼女たちの仕事が奪われてしまい、右記のような異名がついたのである。使い方は十本ほど並べられた刃に稲穂をかけ、そして穂を引くと一気に脱穀ができる仕組みであった。
「その昔、故郷で庄屋が持っているのを見たことがあります」
「千歯扱きが世に出たのは元禄の頃。それから各国に広がったものです」
 だが、と清兵衛は胸を張りながら語る。従来の「千歯扱き」とは違った工夫を清兵衛の「千刃扱き」はしているのだと。
「刃を工夫しましてな」
 「千歯扱き」は便利な農具である。だが酷使せねばならない百姓たちに大きな悩みがあった。それが刃であった。刃はもちろん鉄であり、錆びて切れ味が悪くなってしまう。また刃が悪くなれば新しく買い直さなければならず、百姓たちは不満を抱いていた。そこで清兵衛が「替え刃」を交換できるよう改良し、常に刃を補充したのである。刃が駄目になるのなら刃だけを替えればいいだけで、しかも刃の性質も向上させたのである。
「倉吉は鉄の町ですから」
 清兵衛は事も無げに答えるが、目のつけ所が実に良かった。それまで「千歯扱き」と表記していたのを「千刃扱き」と改称し、替え刃を強調して売ったところ、これが大いに当たった。
「物事を成すコツは世のため、人のため、そして己のためでございますよ」
 妙なことを言う――騂之助は不思議そうな表情で見つめた。世のため、人のためとはよく聞くが、己のために動くのはどうなのだろうかと騂之助はいぶかしんだ。
「人のためを成すには相手の心を察しなければなりまへん。千歯扱きはええ物やけど、何が不満とされているのか。人は己が大事であり、卑下することやない。多くの己が集いて世がある。だから世のためには人のためにならねばならず、そして人の己を知らなければ人のためにならず。そして己のためだからこそ人は懸命に働くことができるのです」
 何と偉いなることを考えるのだろう――騂之助は感心すると共に畏れにも似た感情を眼前の男に抱いた。父や藩の教えはそうではなかった。武士たる者は滅私奉公せねばならない。先祖代々禄を食んできた者に己などあってはならない、そう教えられてきた。だが真に人のためを思うなら己の足で歩まねばならない。まさに世のため、人のため、己のためなのである。
「あなたは偉い方なのですね」
「滅相もない。何、この言葉は手前が考えたものではありまへん。先祖の口癖です。随分昔の人間ですが、その言葉は未だ古びることはない」
 なるほどと騂之助は深くうなずいた。
「ところでお武家様は何と仰せられますか」
「それがしは田上騂之助と……」
 騂之助は言いかけて急に口をつぐんだ。騂之助はしばらく無言であったが、何か意を決したらしく、言葉を繋げた。
「清兵衛さん。それがしは決めた。……今を限りに田上騂之助はやめる」
 清兵衛の顔は唖然としているが、騂之助は構わず続ける。
「生まれ変わるのです。それがしは……いや私が私を生む。……緒方三平。ウン。私は緒方三平だ」
 良き名でございますな、と清兵衛はうなずいてくれた。だがこの唐突で奇妙な改名になぜ清兵衛が一言も疑問の声を発しないのか、騂之助――いや三平には不思議でならない。
「それはもう。ここが大坂ですから。ここは奇なる地でございますよ」
 「天下の台所」と称せられるこの地には日本各地より物だけでなく人も集まってくる。人が多ければ、自然とふるいがかけられる。結果、大坂を動かすはいずれも奇人変人でなければ務まらなくなってきた。伝統ある地であれば奇人は反逆者であり、静かなる地であればひたすら敬遠されてしまう。だが大坂人は自分たちの街を育ててきたのは他でもない奇人たちであり、むしろそれら異形の人を重んじる気風が育まれてきた。
「お国元ではやはり木下様に忠義を尽くされるのでしょうね」
 清兵衛に尋ねられるまでもなく、どこの藩でも主君を重んじるのは当然である。だが大坂は幕府の直轄地とは言え、主たる将軍は遠く江戸に住んでいる。そのため大坂人は将軍を意識することなく生涯を全うする。
「こんな俳句をご存知で?」
 清兵衛がある俳句を口ずさんだ。

  お奉行の名さへ覚えず歳暮れぬ

 これは元禄期に活躍した俳人・小西来山の作で、意味は歳が暮れていくが、奉行の名は何と言ったかというからかいの俳句であった。
 ――信じられぬことだ。
 武士として生きてきた三平は驚きを隠せなかった。大坂人は元和年間の再興より二百年、お上に対する反骨精神は他の地では見られないほど旺盛であったのである。
「道頓堀、常安橋、心斎橋、宗右衛門町……」
 驚く三平に清兵衛はいくつか大坂の地名を挙げた。いずれも名の由来は武士ではない。大坂発展に尽くした町人の名が由来となっている。特に道頓堀などは大坂の陣で豊臣方に付いた反逆者であるにも関わらず、堂々とその名が冠せられているのだ。
「怪態な街でございましょう。いずれの者も阿呆と言われながら己の信ずる道を進み、そして今の大坂を遺してくれた。誰もが上手くいくか考えず、ただ前へと進み、大坂を切り開きました。緒方三平様、まだまだでございますよ。あなた様は奇人として半人前。大坂で生きていくおつもりでしたら、もっともっと奇人や変人にならなあきまへん」
 そう言うと清兵衛は愉快そうに大笑いをした。
「さて、緒方様。お聞かせ願えませぬか。何ゆえ、御名を変えられたのかを」
 できれば三平は大見得を張りたかったが、実に他愛もない。緒方姓は佐伯家の先祖にあったもので、田上姓よりもその歴史は古い。ただの思いつきであり、三平という名にいたっては騂よりも書くのが楽だというのが理由であった。
 ――父の思い通りにはなりたくない。
 稚ないと言えばそれまでだが、三平は大真面目であった。騂の字には父の想いが託されているのはわかっているが、三平には重苦しい。この名を背負っている限り、生涯、己の道を見出すことができないと思えた。
「緒方様。あなた様はこの大坂で何をなさりたいので」
 意気軒昂となっていた三平は唖然とした。名を変えれば事態が好転するという根拠のない高揚感ではどうしようもないことをすぐさま気づかされたのである。
「何もないのでしょう?」
 そのように聞きながら清兵衛は軽蔑などしていなかった。大器晩成という言葉があるが、若い時は己が身もだえするほど道に迷うべきだし、自身の夢が掴みきれず途方に迷う者こそ大きく成長する。「何もない」と言ってあきらめるのではなく、右往左往しているのは、この少年が道を必死になって見出そうとしている証拠なのである。
「旦那様」
 のんびりと構える清兵衛に手代が心配そうな顔で語りかけてきた。清兵衛は暇ではない。それどころか多忙を極める身であった。だが彼には一つの病がある。それはお節介であった。これぞという人物と出会った時はどんなに時間がなくとも、見極めようとあれこれと世話をしてしまいたくなる。
 ――困った旦那様や。
 店の者はこの手代のみならず、皆、主人の奇妙な道楽に眉をしかめていた。
 世のため、人のため、己のため。眼前の取るに足らない三平少年に関わることは、意味がないことかもしれない。いや益体もない青年となる可能性はむしろ大きいだろう。だが清兵衛は己の直感を重んじる。
「大坂で生きていくは難しゅうござりますなァ。人と違うことをしなければこの大坂はあなた様をぺろりと呑み込んでしまう。そやけど、大坂で生きていくには、大坂という物の怪を呑み込まんとあきまへん。そのためにも異なる道を学びなされ」
 何のことか三平はさっぱりわからなかい。
 ――恐ろしいでっしゃろ?
 清兵衛は不敵な笑みを浮かべながら、三平の顔をのぞき込んだ。もし三平が熟した大人であれば、言葉を構えて去ったであろう。また三平が無関心、無感動な者であれば何も反応しなかったに違いない。だが三平は恋を知り、対抗心を燃やすことを覚えてしまった。 何かをしたい。良い所を見せたい。そして格之助めを義や憤なりと叫ばしてやりたい。
 ――緒方三平を舐めるなッ。
 少年の壮気こそ物事を大きく進展させる。清兵衛はまんじりともせず、三平を凝視し、やがて満足気に頷いた。
「ならば参りましょうか」
 え、と首を傾げる三平の手を清兵衛は無造作に強く握りしめた。
 痛ッ――。
 あまりの力強さに三平は悲鳴を挙げそうになったが、必死になって堪えた。だが清兵衛は構わず、三平をどこかへと連れていこうとしている。
「旦那様ッ」
 いずれへおいでになるのかと手代はあわてながら尋ねたが、清兵衛の耳にはその声は届かなかった。連れ去られる三平は困惑しつつも、心のどこかで己に苦笑している。
 ――私という者はよくよくさらわれる運命にある。
 父と言い、この清兵衛と言い、大人というものは実に勝手だ。少年を双六の駒のようにあちこちに連れていってしまう。吉と出るか、凶と出るか。この点、緒方三平には運があった。清兵衛という奇人に出会ったことが、三平の人生を大きく動かすことになるのである。
 江戸は八百八町、大坂は八百八橋――。
 大坂は元和の再興より縦横の運河によって運営され、天下の台所として大きく発展を遂げてきた。
 ――足守の町、いや備中一国全ての橋よりも大坂の橋の方が多いのではないか。
 三平がそう思ったほど大坂の橋の数は多かった。橋を渡り、また渡って、違う橋を渡っていく。迷路のように清兵衛はいくつかの橋を渡って三平を連れ回した。やがてたどり着いた橋は隙間がないのではないかと思えるほど人の往来が激しかった。
「心斎橋です」
 ここが――大坂案内の絵図で必ず紹介される心斎橋であることに三平は驚き、そして感動した。
「緒方様は心斎橋が初めてで?」
「大坂には二年いますが、迷うのが億劫で人通りの多い心斎橋から足が遠のいていました」
 それはええ機会となった――清兵衛は嬉しげな表情でうなずいた。
「そろそろどこへ向かっているのか教えていただけませんか」
「ああ。あそこですよ、あそこ」
 心斎橋を東に渡り、少し歩くと、一軒の町屋が見えてきた。
「塾でございますよ」
 なぜ塾に連れてきたのか、また何の塾なのか。三平は矢継ぎ早に質問をしようとしたが、清兵衛は微笑を浮かべながらかぶりを振った。ただ無言でその塾を再度指差す。
 その塾は随分古ぼけた建物にあった。三平が今まで通ってきた塾はいずれも普請がしっかりとしていたが、ここはお世辞でも立派だとは言えない。だがわずかに塾だとわかるものもある。それは看板であったが、その字はすすけて読みづらかった。
「絲漢堂(しかんどう)……。どういった塾なのです?」
「蘭学でございますよ。気色悪いでっか?」
 清兵衛は悪童のような顔つきで尋ねた。三平は云との寸とも言わず、ただ清兵衛の顔を見つめる。蘭学が気色悪いというのは当然であった。
 八代将軍吉宗の時代に禁令が緩まり、西洋学が長崎経由で日本に流入するようになってきた。また大坂は流通の拠点で長崎の情報が入るため、自然と蘭学の研究が進んでいる。蘭学は医学や科学などの分野で大いに進んでおり、研究者は確実に増えていた。
 だが一方で蘭学は忌むべき紅毛人の学問であり、幕府は好意的ではない。進歩的な者が施政者であれば良いが、保守的な者が立つと蘭学は弾圧されてしまう。そもそもなぜ蘭学をしなければならないのか三平にはわからなかった。
「お父上が恐ろしいですか。蘭学など勧めるなど清兵衛はとんだ食わせ者だと思われましたか」
「なぜ私が父を恐れるのです?」
「お武家様は御法度に弱い。蘭学修業をお認めになる御家中はあまりないでしょう」
「足守のような小家が御公儀ににらまれたら事です」
「ごもっともなことで。そやけど緒方様はただ足守に埋もれるおつもりですか。それとも大坂で生きていきたいとお思いですか?」
 三平の目は大坂だと無言ながら呟く。
「それやったら機を逃したらおしまいです。さて、緒方様は何を志しておいでですか。先んずれば即ち人を制し、おくれば則ち人の制する所と為る。大坂は奇異なる者が集う場。その中で道を見出すなら奇異なることを学ばんとあきまへん。人が名を遺す早道は人が成さぬこと、人が嫌がること、人にとってありがたいことに触れることです。天文、物の理、医術。いずれも和の道では敵わん道。緒方様は今、空っぽやけど、そやから見込みがある」
「だが私に蘭学の道は……」
「何も蘭学だけやとは言いません。蘭学という異なる道に触れることで、新たな道が見つけられるんやないかと言うことです」
 清兵衛がここまで蘭学を奨める理由は一つの経験にあった。千刃扱きの替え刃だが、少しばかりだが蘭学を通じて合理的な精神を学び得たからだ。世は行き詰まり、混沌の様相を見せ始めている。聞けば四海には異国の船が出没し、その回数は増えていると聞く。
 ――きっと世は動く。
 本能的に清兵衛はそのことを直感している。と言って三平が世を変革する大人物になると予測しているわけではない。何かに化けるかもしれないが、何にもならないかもしれない。だがどんな種も蒔かねば大木は育たない。人は人と繋がることで、人の世を良くも悪くも動かす。無地である三平だからこそ未知なる蘭学に触れさせるのは面白いことだ、と清兵衛は思うのである。
「せっかくのご厚意ながら、私にも志はあります」
「差し支えなければお教え願えませぬか」
「歌道です」
「歌道?」
 想像のななめをいく言葉に清兵衛は首をかしげた。江戸期は俳句が随分と流行したものだが、この頃は下火になっている。歌道、すなわち和歌はそれ以前に遺跡のような感があったものの、化政時代になって情勢が変わりつつあった。蘭学は最先端の学問であったが、世の動きには反動というものが自然現象として起きる。新しき学問の蘭学が勃興しつつあったこの頃、日本古来の文化である学問、すなわち国学が隆盛を極めようとしていた。眼前の少年はその歌道を志していると云う。ただ意地のあまり突飛なことを三平は口にした訳でもなかった。歌道を目指すと言った背景には姉の嫁ぎ先が深く関係している。
 彼の姉、きちは吉備津神社の宮司に嫁いでいる。その夫は故人であったが、二人の間には男子がおり、長男は次代の宮司として教育されていた。次男は佐伯家同様に別家を立てるか養子の口を探さなければならないが、無事、養子先が決まっていたのである。その養子先が高名な国学者・藤井高尚であった。
高尚の影響以前に佐伯家自体が歌道をたしなんでいた。そのため三平にとって歌道は物心ついた時から慣れ親しんできたものであり、ついこの道を志すと口にしてしまったのである。
「それは面白い」
 それやったら――と清兵衛は力強くうなずきながら、やはり絲漢堂で学ばれるべきだと強く勧めた。
「もちろん、ここで歌道を究めることはできまへん。ですが道を究めるおつもりなら、その道だけにいては偏りができてしまう。故きを温めて新しきを知るが国学の目指す処。ただ決められた道を大事に守るだけでは歌道の本質をつかむことは無理でしょうな」
 だから正反対の蘭学を学べと言うのか。
「蘭学はただ奇異なるものかとお思いなら違います。紅毛人の考えは物の理がどこにあるのかを求め、そして道を切り開く――それが蘭学です」
「随分と――」
 肩入れされているようで、と三平は皮肉を言った。だが清兵衛はその通りと一向にこたえない。
「まあ私は蘭学ではなく曇斎(どんさい)先生びいきなんですけどね」
 曇斎とは絲漢堂の主で、その名を橋本宗吉といって、大坂における蘭学者の草分け的な存在で、多くの人たちから一目置かれている。
 清兵衛は三平が志すものが何であれ、宗吉を紹介したいだけのようであった。清兵衛は宗吉に親炙しているが、蘭学についてよく知らない。だが宗吉の話を聞いていると本質のつかみ方を会得出来るようで、蘭学以外にも大いに役立った。
 つまるところ、清兵衛はお節介をしているだけであった。三平という少年に見所を感じた以上、自分が良いと思ったことを奨めてみたい。相手の怪訝な顔など清兵衛にはさしたる問題ではなかった。
「いや、どうも……またあかん癖が出てもうた」
 三平はやはりついていけない。
「私は听不懂看不懂(ティンプトンカンプトン)であかん」
「て、てん……かん?」
「てぃんぷとんかんぷとん。見てわからない、聞いてわからない――清国の言葉でございますよ。つまりは珍紛漢紛(ちんぷんかんぷん)のことですよ」
 儒者が難解な清語を使ったことから揶揄のため作られた造語であり、なるほど清兵衛のお節介は珍紛漢紛であった。
「まあ絲漢堂に入られるかどうかは、緒方様がお決めになること。橋を架けるまでがわしらの仕事。でもそれを渡って新しきことをするンは、あなたのお仕事。お節介はここまででございます」
 そう言いながら清兵衛は笑い、呆然とする三平を残して去ろうとした。
「なぜ、こんな親切を?」
「血……でしょうな。この清兵衛には珍紛漢紛の血が流れてます。元和の頃……戦で灰になった大坂に橋を架け、堀を作り、そして人の流れを作った珍紛漢紛の血が」
 一体、清兵衛にはどんな珍紛漢紛の血が流れているというのか。その問いに清兵衛はにこりと微笑みながら、
「淀屋常安」
 と、短く答えた。常安とは大坂の陣後、天下の台所の原点である流通網を五代にわたって活躍した淀屋初代の当主である。その血を継ぐとは一体この清兵衛は何者なのか。
「またご縁がありましたら、お会いしましょう」
 清兵衛は深くお辞儀をしながら、心斎橋を後にした。
 残された三平は呆然とたたずんだ。ひょっとすれば絲漢堂はとんでもない所かもしれない。だが少し覗いてみたいという冒険心が背中を押した。歌道を志すと口にしたが、やはり出まかせであった。そのためそれほど歌道にこだわっているわけではない。
 どうせ何もないんだ――三平は新たな可能性を求め、ついに絲漢堂へと足を踏み入れるのであった。
 先日訪問した洗心洞も異風を感じる塾であったが、ここ絲漢堂も違った空間が広がっている。蘭学だからかと思ったが、そうでもなかった。塾は師や塾頭が塾生相手に講義するものだが、至る所に書物が無造作に広がっていて、何名かがむさぼるように読みふけっている。ただ無造作にと三平は思ったが、そうではなかった。うっかり三平が書物の一冊につまずきそうになると、「千金喪失」と刺すような声がする。どうやらここでは人より本が大切にされるようであった。
 ――ここは物の怪屋敷なのか。
 三平は怖がり屋で妖怪話がとにかく苦手であった。幼い頃は風雨の音が物の怪に思えて眠れない夜を過ごしたこともある。少しは成長したが、どうしても物の怪は好きにはなれない。
「……もし」
 三平は書斎と思しめき奥部屋の前で立ち止まり、赤い蘭書を読んでいた三十半ばの男に声をかけた。
「曇斎先生でございますか?」
 男は異物を見るような目で三平の顔をのぞき込み、再び書に目を戻した。何も教えてくれないのかと三平が呆れていると、男はぼそと、
「違う」
 と、答えた。
「十両や」
「十両?」
「その本は十両や。その隣は三十両」
 この時代の本はいずれも高額である。特に蘭学書は入手が難しく、他の分野よりも飛びぬけて高い。どうやら絲漢堂はそうした希少な蘭学書が読めることが存在意義であるらしかった。それゆえ人よりも本が大事にされていたのだ。
 ようやく三平は書斎、と言うよりは書庫に足を踏み入れた。
 ――先生は奥だ。
 そう男は言うが、どこに先生が埋まっているのか見当が付かない。
「曇斎先生……先生はおられますか」
 恐る恐る三平が声をかけると、窓際にあった本の山から黒い影がせせり出てきた。
 ――んあ?
 本当にこの先生は先生なのか、三平は不思議でならなかった。だが宗吉は、たしかに人であるようで、人語を口にした。
「本、読みたいか」
「はあ、いえその……」
「ほなら……何しに来た。蘭書を読みにきたのやないのか。ふん、怪態な奴ゃな」
 宗吉は自分の怪しさを棚に上げて、蝉のような笑い声を上げた。
「なら、何を志す」
 この問いにようやく三平は、「歌道です」と答えられたが、宗吉は、ただ目を見開き、不可思議な生き物――眼前の三平を食い入るように見つめる。
――しまった。
 驚く宗吉の顔を見て、三平は己の未熟さを叱りつけた。清兵衛の言葉に乗り、興味本位でこの塾に踏み入ってしまった。だが蘭学塾の門戸を叩いた以上は蘭学を学びたいと言うべきであった。
 ――私は柴田道場の時と同じことをしている。
 絲漢堂でも格之助のような奴に殴られるのか――三平は己のうかつさを怨み、そしてこれから起きる災難にため息した。三平は場違いであったが、絲漢堂はむしろ三平の奇異を受け入れてくれる空気がただよっていた。
「ああ、そう。……同じやな」
「同じ?」
「わしと同じや、言うとるねん」
「蘭語を知らなかったということでしょうか」
「四万語や」
「四万語?」
「提灯の紋書ばかりしていたわしに旦那衆が飯を食わせてやるから、蘭語を覚えろとある日言われてなァ。ここにある本を読みたいだけ読め。わからんのやったら一万でも二万でもとにかく言葉覚えたらエエ」
 無造作に言うが、全く阿蘭陀語の素養がない者が一万語を覚えるなど不可能に近い。だが宗吉はここではそれから全てが始まると話した。
「歳はいくつや」
 先ほど書斎前にいた眼鏡の男が物憂げに声をかけてきた。
「十六ですが……」
「なるほど世間知らずなはずや」
 三平はむっとしたが、世間知らずであることに違いはなく、何も言い返せなかった。
「大坂ちゅう所は無料(ただ)で物教えてもらえるということはない。生涯書物に埋もれて息ができたら、幸せなことはないんやが……人は飯を食わなあかん。ところで、あんさん……ぴかっと空に光るもん知っとるか」
 空でそのように光るのは雷しかないではないか、三平はそこまで世間知らずではないという顔をした。
「そうや。雷や。皆、雷を怖がるが、わしは餓鬼の頃から雷は何なのか知りとうて知りとうてしゃあなかった。それをわしに教えてくれたのが――」
 懐から蘭書を引っ張り出して大事そうに撫でた。
「阿蘭陀人やった。エレキテルちゅうもんが、雷の正体なんや」
 宗吉は熱心に語るが、三平には一体何を言いたいのか全くわからない。だがやがて宗吉がそのような話をする理由がわかってきた。
 宗吉はエレキテルの研究が夢であった。ただ研究で飯は食えない。そのため医者の真似事や、こうして絲漢堂という大仰な塾を開いて、糧を得てきた。
 無造作にあるが、この塾の教材である蘭書はいずれも高価なもので、ここまで収集している場所は大坂でも類がない。また蘭学は日進月歩であり、常に新書を仕入れる必要がある。そうしなければ塾生は来なくなってしまい、宗吉はエレキテルを研究するどころか、生きていけなくなる。束脩、すなわち入塾費を支払えということであった。
「それは――」
 三平は困惑した。二度にわたる上坂で三平は何ヶ所も塾やら道場に入っては、その都度束脩を支払ってきた。だが長続きせず、そのたびに父から苦い顔をされてきている。柴田道場に通ったのは真面目にやっていると示すためであったが、格之助との確執でご破算になってしまった。そんな状態で胡散臭い絲漢堂の束脩を父が出してくれるはずがなかった。 本来ならば金の切れ目は縁の切れ目で追い出されておしまいになるのだが、宗吉は違った。
 どうするべきか――あれこれと思案していたが、やがて疲れたらしく、いきなり寝転んでしまった。そして物憂さげに「藤田君、藤田君」と、先ほど書斎の入口にいた眼鏡の男の名を連呼した。
「わしぁ、眠なった。無料言う訳にはいかんが、算盤はじくのも面倒や」
 宗吉は三平を手招きして、「藤田君」を紹介した。
「藤田君は自慢の弟子や。師匠のためにこの子の束脩を何とか考えたってくれ」
 勝手なことを申されますな――と、藤田は抗議しなかった。宗吉は物ぐさで、傍若無人である。愛想笑いもしないほど無精者だが、どうにも可愛気のある人で、その頼みを弟子たちは断ることができなかったからだ。
 またこの藤田顕蔵という人物も師匠同様、愛想のない人であったが、面倒見が良いことで信望を集めている。人に頼まれて嫌とは言えず、何よりも師匠が好きで仕方がない。 藤田は眼鏡越からじっと三平の顔を観察し、やがてうなずいた。
「師の申されることを聞くも門人の務め。私にはわからないが、どこか見所があるのでしょう。これも命なり、か」
「命……」
「蘭書を読んでみたいのでしょう?」
「さあ……」
 我ながら頼りない返事だと呆れたが、三平の正直な感想であった。だがこの返事が逆に顕蔵へ好感を与えた。
「明日から堂島にある私の診療所へ来なさい」
「あなたは医者なのですか?」
 この疑問に顕蔵はうなずいた。堂島は中之島の中間にある大江橋を北に渡った場所にあり、船津橋からさほど遠くはない。この顕蔵はその堂島で開業している医者である。またこの当時、評判を記した番付でも上位になるほど医者として高名であることを三平は後で知った。
「大坂では何事も一身独立してこそ物も言え、成し、そして学ぶことができる。貧乏暇なしとはよう言うたもんで、仕事は山ほどある。それを手伝ってくれたら、ここで蘭書が読めるよう束脩を立て替えるが……どうです?」
 こんな言葉に三平がどうするべきか迷ったのは、やはりまだ子供であった証拠であった。 世の酸いも甘いも経験をした大人ならば、騙されているのではないかと勘繰ってしまう。だが三平は無知で、かつ無邪気であった。
 丁か、半か――。顕蔵は眼前の少年が懸けるのか否か、興味深く観察した。かたわらの宗吉も凝視する中、三平は承諾した。
「まずは悪い目やない。良かったな」
 宗吉はケタケタと満足気に笑った。つまり三平は良い様に騙されたのではないと言うのである。
「ところで君の名は?」
「緒方三平と申します」
「緒方君か。では明日、ここへ」
 そう言うと顕蔵は住所を記した名刺を差し出した。
「緒方少年」
 去ろうとする三平に宗吉は傷のある腕や足を指差し、化膿せぬよう注意してやった。世の中はわからないことばかりだと三平は吐息したが、その足取りは心なしか軽やかであった。

 ――ほなら手伝ってもらいましょう。
 顕蔵が束脩代わりに三平にさせたのは、義眼や義足作りであった。この時代、義眼や義足の需要が高まっており、医者の副業となっていた。だが義眼や義足は使い勝手と見た目が大事であり、作ればそれで良いという訳にはいかない。大切なのはまず身体の構造について学ぶ必要がある。
「まずはこの本を読みなさい」
 顕蔵は『解体新書』からわかりやすく抜粋した自書を手渡した。これは弟子や手伝いに与える教科書であり、実にわかりやすくまとめられている。三平は何度も読み、そしてある程度身体の仕組みを理解した。それから顕蔵は義眼と義足を見本として製作し、これまた丁寧に教えてやった。顕蔵の言葉遣いは淡々としていたが、誠意にあふれており、いつしか三平は敬意を抱くようになっていた。
 この気持ちは何も三平だけではない。町医者は一見、気軽に見えるがこれほど厳しい世界はない。患者である町人たちにそっぽを向かれては成り立たない。
「愛想がないけど、藤田先生なら確かや」
 これが町人たちからの評判であった。
「医者はな――」
 顕蔵は三平の義足や義眼を修正しながら、色々と話してくれた。
「素人の心を忘れたらあかん」
 この言葉に三平は首をかしげた。三平には良くない経験がある。病弱であったため、医者と接する機会が多かった。だがどの医者も面子を重んじ、医術を安売りすることなど決していなかった。
「フーフェランドという御仁を知っているか?」
 フーフェランドはドイツ・ベルリンの医師で、父や祖父はワイマールの宮廷で侍医を務めていた。彼自身も高名な内科医であり、医者とは何であるかを説いた人物である。
「阿蘭陀国の南に住む先生でな。医術は時に天に逆らい、時に天に随って病を治す業。それゆえその業を利己のために使ってはならぬと仰せや。この眼や足は作り物やけど、使い物にならんと意味がない。患者、すなわち素人の心を知らんとごみ同然になってしまう。作ってる眼と足を患者さんの役に立つかどうかは素人の心を己の物とし、そして玄人の業をもって患者の苦しみを和らげる。それが大切なんや」
 この言葉に三平は納得し、幾度も頷いた。その感動ぶりに顕蔵は照れながらゆっくりとかぶりを振った。
「その目は尊敬してくれているようやが、受け売りや。緒方君は宗吉先生を奇人やと思うてるようやが、先生は素人の心を持ち、誰もが見過ごしてしまう原点を見つけてしまう」
「すごい方なのですねぇ」
「そう。すごい方や。そやけど、あの先生にお聞きして学ぶつもりやったら他へ行った方がええし、わしの所におってもしゃあない。塾は機を得る場所で与えてもらう場所やない。病を治すのもまた同じ。医者が病を治すんやない。患者が病を倒すんや。人の中にある命という力で病という敵を倒す。そのきっかけを医者は与える。塾も、師は己が伝えたいことを語り、その中から弟子が我が血肉とするべきことを探し出す」
「ですがそのようなことは……」
「無理思うんやったら、何もせんと故郷へ帰って一生寝ていればよろしい」
 何とも厳しい言葉であり、三平は抗する力を失った。
「ここまでかな。そやけどな。私の言うたことがわかったら、もっと上手に眼や足を作れるようになる。そうやないと宗吉先生への束脩は永遠に払えんよ」
 そう言うと顕蔵は楽しげに笑った。何だか煙にまかれたようであったが、自分がこれを使ってみることを三平は懸命に想像し、そして作り続けた。
 三平は武芸も学問も苦手であったが、不思議と人の身体についての理解度が高かった。また意外と手先が器用であるらしく、十日ほどで顕蔵をうならせるほど出来の良い義眼と義足を作れるようになっていったのである。

   三

 三平にとっては「朗報」が舞い込んできたのは、絲漢堂に通い始めて間もなく、八月四日のことであった。
「わしは足守に帰る」
 突如、父が帰郷することを告げたのである。
 ――また連れ戻される。
 三平は身構えたが、瀬左衛門はじっと顔を見つめるのみで何も言わない。
「おまえはこのまま修業しろ」
 えっと言った表情を三平は浮かべた。
「父がいなくなって嬉しいか」
 三平はことさらに顔を強張らせ、激しくかぶりを振った。
「庄右衛門だけではなく、蔵屋敷にも、わしの目付がいることを忘れるな。書状は月に三度、欠かさずに送れ」
 この厳命に三平は声を挙げたくなるほど辟易していた。
 まだ十歳だった頃。父はよく不在したが、必ず書状を書くよう命じられた。そのたびに返事が来るのだが、必ず朱筆で修正が加えられている。そして次の書状で書き直すよう命じられるのである。「書は人なり」というのが瀬左衛門の考えで、兄の馬之助も随分と書き直しを要求されたものである。ある時など朱筆で元の字が見えないほど修正されたことがあった。
 ――これなら日々父と相対している方がましだ。
 三平は泣きたくなったが、と言ってこのまま連れ戻されたくはない。瀬左衛門はにらみすえたが、三平は以前のようにうなだれもしなかった。
 ――少しは成長したらしい。
 この三平の姿勢に瀬左衛門は少し安堵したのか、それっきり何も言わず足守に帰還し、三平は一人大坂に残された。大坂に残った三平であったが、羽根を伸ばす余裕はなかった。何しろ父が与えてくれた金銭は驚くほど少なく、どう考えても生活ができなかったからだ。蔵屋敷では少しばかりの飯は支給されるものの、成長期の三平に足りるはずがない。
 さらに言えば住む場所が問題であった。父は下士ながら留守居役であり、役宅とまではいかないが、蔵屋敷内に部屋が用意されている。だが騂之助は佐伯家の分家で、下士の資格すらない。父の部屋に居座ることは許されなかった。ならばどこかへ寄宿しなければいけないのだが、選択肢がないことに気づかされた。
 ――柴田道場は無理だ。
 端から道場の選択肢はない。何よりも道場で寄宿すれば格之助たちがどのようなことを言ってくるのかわからなかったからだ。では絲漢堂はと言えば、宗吉が承諾しても物理的に塾で寝起きする場所がない。それでは顕蔵先生の家という訳にもいかなかった。顕蔵は誠意のある人であるが、結局、寝泊りだけは蔵屋敷の台所にでもと頼み込むことにした。幸い、屋敷番の者が瀬左衛門を快く思ってくれており、長屋の一部屋を使うよう手配をしてくれたのである。
 住む場所は得たが、空腹を少しでも満たすためには働かねばならない。大坂では日雇いの口が多く、騂之助は汗水を垂らしながら、日々逞しく成長していくことになった。
 こうして夏が過ぎ、秋が訪れ、そして年が暮れていった。やがて春が訪れ、また初夏が訪れようとしている。

 文政十年(一八二七)五月下旬。
 ――あれから二年過ぎたのか。
 三平は時の流れの速さに驚きを隠せないでいた。瀬左衛門は未だ大坂へは戻らず、三平は平々凡々、日を過ごしていく。変わったことは格之助が道場にあまり顔を出さなくなったということで、その理由は彼の身の上に大きな変化があったからである。
「田上。わしは今日から与力見習いだ」
 そう、鼻息荒く告げたのは前年の秋のことであった。
「田上騂之助ではない。緒方三平だ」
「おまえがそう言っているだけではないか。ではおまえの父上に緒方三平となった、田上騂之助の名を捨てましたと言えるんか?」
 絲漢堂に出入りする頃から知人や同輩たちには「三平」と呼ばせ、多くは何も言わずに改称に応じてくれている。だが足守藩蔵屋敷でも、ましてや父への手紙には「田上騂之助」と署名しており、誰も改名のことは知らない。つまりは自称、あるいは僭称ということになる。もし格之助が瀬左衛門に改名のことを告げれば厄介であった。
 ――わしは父に縛られない。
 そう意気込んでの改名だったが、まだ父に対する畏れが三平には濃厚に残っていた。
「格之助こそどうなんや。二年前にわしを痛めつけた理由を知ってるんやで」
 格之助は目を険しくした。
「大塩先生が欲すは尾張にあり、やないんか」
 実は格之助を大塩家の養子に迎える話は早くからあった。
 大塩家当主・平八郎の義祖母の実家は西田家と言い、格之助はその次男坊であった。 だが当主・平八郎(後素)は尾張徳川家に仕える大塩宗家から養子を望んでいたため、格之助が宙に浮いた状態になっていた。未だに後継者として指名をもらっていない。
 二年前の格之助は十三歳で多感な時期であった。その時に自分はいらないと思い込み、たまたま三平の不甲斐なさを見て言いがかりのように襲ったのであった。三平にしてみれば迷惑以外何物でもない。もっとも三平の何事も表裏を見てしまう性格で、格之助の苦しさを誰よりも理解していた。
 ――わしも同じだ。
 自分も期待はされず、そして家を継ぐ身でもない。大坂に放り出された身で、己の場所がない空虚さは身に染みるほどよくわかる。だがこの三平の「同情」を格之助はひどく嫌がっている。
「坂本さんから盗み聞いたか」
 格之助はかっとなり、そう叫んだ。だが三平は「そんな訳ないやろ」と苦笑した。
 絃之助は一見、口が軽いと見られるが、大事なことは喋ったりしない。絃之助は何も話さなかったが、柴田道場はかつて格之助の父も通っており、大塩家の事情は道場の者なら誰もが知っていた。
「ほなら、誰から聞いたんや」
 格之助はそう叫ぶと飛びかかろうとした。だが三平はひらりとそれをかわした。三平も成長を遂げてはいる。力は相変わらずないが、身のこなしは軽やかになっていた。
「逃げ足だけ、速ァなりおって」
「格之助は強なったが、動きは鈍牛や」
「うるさい。もうええわ。わしは必ず大塩家を継ぐ。おまえのような素浪人と格がちゃう」
「誰が素浪人や。格とはどういうことや」
 この問いに格之助はにやにやしながら答えようとしなかった。
「おいッ」
 三平はなおも叫んだが、格之助は高らかに笑うだけでそのまま去っていってしまった。
 ――もったいぶりやがって。
 三平は悔しがったが、今は己の道を探すしかない。それだけがあの忌々しい格之助に義や憤なりと叫ばせる道なのだ。だが三平には焦りがある。宗吉先生は三平と同じ頃に蘭語を四万語暗記したと云うが、一向に蘭語が覚えることができない。覚えたと思えば忘れてしまうことを繰り返してきた。
 ――わしは能無しや。
 三平は自嘲していたが、それを聞いた顕蔵は弾けるようにして笑った。
「橋本先生は天才や。凡人のわしや君が先生の倍を学んでも追いつくことはできん。君は自分を買いかぶりすぎや」
 叱咤のようであるが、慰めでもあり、激励であった。
 ――一歩一歩進んでいくしかない。
 三平はそう自分に言い聞かせながら、ある日は絲漢堂に、ある日は顕蔵宅へ、そしてある日は日銭を稼ぐために働きに走った。
 ――自分は何をしたいのか。
 そんな問いに宗吉先生は鼻をほじりながら、
「そんなん誰もわからん。わしも何をしたいのか、ようわからん。いや、長く生きれば生きるほどわからんようになるわなァ」
 と、息を吐きながら答えてくれた。
 何をしたいか。その一つは未だあの小町先生のこともあったが、格之助という存在がその呪縛から解き放ってくれたように思える。とにもかくにも三平は立ち止まるわけにはいかない。日々これ修業なり――そう言い聞かせながら、顕蔵宅へと足を向けた。
 早朝。この日は朝からずっと小雨が降っている。
「鬱陶しいなァ」
 三平は眉をしかめながら歩いていると、早朝にも関わらず、先方が何やら騒がしい。
 ――捕り物や、捕り物や。
 ある家を中心に人だかりが出来ており、三平は前に進むことができない。三平も幾度か捕り物、すなわち奉行による逮捕劇を何度か目にしたことがある。だが今回の捕り物の人数は規模が大きい。よほど大きな罪人が追求されているに違いなかった。
 ――一体、誰が……。
 三平が背伸びをしながら探っていると、まさかと耳を疑うような名が耳に飛び込んできた。
 ――……じ田先生や。
 ――あの藤……や。
 「藤……田先生」とは、まさか顕蔵先生やないやろな。悪い冗談や、とごまかし笑いながら激しくかぶりを振った。
だが冗談でも夢でもなかった。自宅から顕蔵が同心や手代たちに縄をかけられ、出てきたのである。一体、顕蔵先生が何をしたと言うのか。三平は身体を震わせながら、状況を把握しようとした。確かめるべく三平が顕蔵宅に踏み入ろうとしたその時、突如三平は、その手を強く握られた。
「何しはりますッ」
 三平は必死であった。だが相手の手は力を込めたままである。
 ――あッ。
 三平は相手の顔を見て小さく叫んだ。見ればそれは格之助であった。
「ええから、こっちへ来いッ」
 訳のわからない三平はなおも抵抗したが、力の強い格之助に引っ張られるようにして、路地裏へと連れて行かれてしまった。
 この日の捕り物こそ三平を――いや、大坂を揺るがす一大事件へと発展していくのである。
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