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第二話 それは小牧長久手から始まった。

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家康の運の無さ。
それは小牧長久手の合戦から、すでに始まっていた。
秀次の暴走により森長可、池田恒興ら有能な武将は戦死し、家康は勝利していた。

しかし、一抹の不安はある。

ーーこのまま戦って何になるのか?

西からは支援を申し出た長宗我部がいる。
上手く挟み撃ちをすれば、このまま羽柴家を滅亡させることは可能だろう。
しかし、織田信雄が言う天下など叶うわけがない。
九州は時期に島津が支配し、中国は毛利、上杉も羽柴が落ちるとわかれば領土の拡大に打って出てくるだろう。
天下は混沌とするだけだ。

羽柴軍の本営6万が攻めにくると聞き、本多忠勝が迎撃に出た。
家康にとって彼は切り札のような存在であり、万が一、信雄はこれくらい動員できると知っても闘い続けるだろうか?
いや、あの男は戦わないだろう。
単独で闘うことになった際に置いておきたいと留守を任せていた。
秀吉は少数精鋭でやって来た忠勝の勇気に心を打たれ、退却をしようとしていた。

「秀吉様! あの者を討つ好機ですぞ! なぜ、退くのですか!?」

若い加藤清正、福島正則はまだ武士のモラルを知らない。
卑怯にも不意を狙うなど、恥に近い行為。


秀吉が単騎で馬に水を飲ませている忠勝を二人に見せながら言う。

「清正、正則よぉ、戦ってのは勝てばいいってわけじゃにゃーよ。あの姿見てみ。凛々しいじゃろ? アレこそ武士の……」と秀吉が絶賛した瞬間……銃声が聞こえ、忠勝が前のめりに倒れる。

「にゃにゃ!? どうしたぎゃ!」

秀吉が驚き、仔細を尋ねると……

足軽が褒美欲しさに暴走したとのこと。

「にゃにゃにゃ! おみゃあ! どうしてくれんだぎゃ!! やっちまった足軽の首持って、家康に謝れ!」

秀吉が怒り狂うと、弟の秀長となぜかまだ生きている竹中半兵衛が言う。

「いやいや、兄者よぉ、そりゃかわいそうだで。金やって帰してやろう?」
「その通りです。彼らがやったことは正当な攻撃。油断した本多忠勝に落ち度があるように思います」

秀吉はこの二人には頭が上がらない。

「にゃにゃにゃあ……」

秀吉は怒りを堪えながらも、討ち取った足軽に褒美となる金と食料を与えた。

「さすが、秀吉さんやで! 今日は祝杯や!」

喜ぶ足軽たち。

竜泉寺付近にいた徳川軍は忠勝が討ち取られたことにより総崩れとなる。

徳川家康はなんとか持ち直すが、士気は目に見えて低くなっている。


この場合、問題は織田信雄だ。
彼がもしかすると、単独講和の可能性がある。
家康は今のところ有利に闘えてはいるが、単独で講和されると大義名分がなくなる。
大半の大名は敵になってしまい、次第に戦況は悪化してしまう。
秀吉側も焦りがあり、長宗我部、北条、佐々成政が徳川と組んでおり本格的な参戦の準備に入っていることを知る。
日本が真っ二つになっていたのだ。
そして、戦況は少しずつ秀吉側に有利なものとなっていく。
しかも、大雨の影響で徳川家の兵士動員は上手くいかず、ますます戦況は厳しくなる。

そして、家康側に負け戦が増えてきた。

これを機に織田信雄は講和に応じ、家康も地震や大雨の影響で戦どころではなくなり、講和することになる。

「困ったときゃ、お互い様じゃ。講和に応じたるでよ」

両家互いにメリットしかない講和。
この戦は消耗するだけで意味がないものに変わっていったのだ。
もちろん、北条、佐々、長宗我部から反対された。
後に北条や佐々、長宗我部は徳川家康が天下人になることを望んでいた。
このままでは秀吉に無理難題を押し付けられて、破滅していくのはわかっている。
家康は彼らの命乞いに近い戦の継続要請をガン無視して秀吉と共に歩むことを決意する。
ここは史実通りなのだが、本多忠勝が討ち取られたことが後に大きな変化となるのであった。

続く。
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