2 / 21
第二話 それは小牧長久手から始まった。
しおりを挟む
家康の運の無さ。
それは小牧長久手の合戦から、すでに始まっていた。
秀次の暴走により森長可、池田恒興ら有能な武将は戦死し、家康は勝利していた。
しかし、一抹の不安はある。
ーーこのまま戦って何になるのか?
西からは支援を申し出た長宗我部がいる。
上手く挟み撃ちをすれば、このまま羽柴家を滅亡させることは可能だろう。
しかし、織田信雄が言う天下など叶うわけがない。
九州は時期に島津が支配し、中国は毛利、上杉も羽柴が落ちるとわかれば領土の拡大に打って出てくるだろう。
天下は混沌とするだけだ。
羽柴軍の本営6万が攻めにくると聞き、本多忠勝が迎撃に出た。
家康にとって彼は切り札のような存在であり、万が一、信雄はこれくらい動員できると知っても闘い続けるだろうか?
いや、あの男は戦わないだろう。
単独で闘うことになった際に置いておきたいと留守を任せていた。
秀吉は少数精鋭でやって来た忠勝の勇気に心を打たれ、退却をしようとしていた。
「秀吉様! あの者を討つ好機ですぞ! なぜ、退くのですか!?」
若い加藤清正、福島正則はまだ武士のモラルを知らない。
卑怯にも不意を狙うなど、恥に近い行為。
秀吉が単騎で馬に水を飲ませている忠勝を二人に見せながら言う。
「清正、正則よぉ、戦ってのは勝てばいいってわけじゃにゃーよ。あの姿見てみ。凛々しいじゃろ? アレこそ武士の……」と秀吉が絶賛した瞬間……銃声が聞こえ、忠勝が前のめりに倒れる。
「にゃにゃ!? どうしたぎゃ!」
秀吉が驚き、仔細を尋ねると……
足軽が褒美欲しさに暴走したとのこと。
「にゃにゃにゃ! おみゃあ! どうしてくれんだぎゃ!! やっちまった足軽の首持って、家康に謝れ!」
秀吉が怒り狂うと、弟の秀長となぜかまだ生きている竹中半兵衛が言う。
「いやいや、兄者よぉ、そりゃかわいそうだで。金やって帰してやろう?」
「その通りです。彼らがやったことは正当な攻撃。油断した本多忠勝に落ち度があるように思います」
秀吉はこの二人には頭が上がらない。
「にゃにゃにゃあ……」
秀吉は怒りを堪えながらも、討ち取った足軽に褒美となる金と食料を与えた。
「さすが、秀吉さんやで! 今日は祝杯や!」
喜ぶ足軽たち。
竜泉寺付近にいた徳川軍は忠勝が討ち取られたことにより総崩れとなる。
徳川家康はなんとか持ち直すが、士気は目に見えて低くなっている。
この場合、問題は織田信雄だ。
彼がもしかすると、単独講和の可能性がある。
家康は今のところ有利に闘えてはいるが、単独で講和されると大義名分がなくなる。
大半の大名は敵になってしまい、次第に戦況は悪化してしまう。
秀吉側も焦りがあり、長宗我部、北条、佐々成政が徳川と組んでおり本格的な参戦の準備に入っていることを知る。
日本が真っ二つになっていたのだ。
そして、戦況は少しずつ秀吉側に有利なものとなっていく。
しかも、大雨の影響で徳川家の兵士動員は上手くいかず、ますます戦況は厳しくなる。
そして、家康側に負け戦が増えてきた。
これを機に織田信雄は講和に応じ、家康も地震や大雨の影響で戦どころではなくなり、講和することになる。
「困ったときゃ、お互い様じゃ。講和に応じたるでよ」
両家互いにメリットしかない講和。
この戦は消耗するだけで意味がないものに変わっていったのだ。
もちろん、北条、佐々、長宗我部から反対された。
後に北条や佐々、長宗我部は徳川家康が天下人になることを望んでいた。
このままでは秀吉に無理難題を押し付けられて、破滅していくのはわかっている。
家康は彼らの命乞いに近い戦の継続要請をガン無視して秀吉と共に歩むことを決意する。
ここは史実通りなのだが、本多忠勝が討ち取られたことが後に大きな変化となるのであった。
続く。
それは小牧長久手の合戦から、すでに始まっていた。
秀次の暴走により森長可、池田恒興ら有能な武将は戦死し、家康は勝利していた。
しかし、一抹の不安はある。
ーーこのまま戦って何になるのか?
西からは支援を申し出た長宗我部がいる。
上手く挟み撃ちをすれば、このまま羽柴家を滅亡させることは可能だろう。
しかし、織田信雄が言う天下など叶うわけがない。
九州は時期に島津が支配し、中国は毛利、上杉も羽柴が落ちるとわかれば領土の拡大に打って出てくるだろう。
天下は混沌とするだけだ。
羽柴軍の本営6万が攻めにくると聞き、本多忠勝が迎撃に出た。
家康にとって彼は切り札のような存在であり、万が一、信雄はこれくらい動員できると知っても闘い続けるだろうか?
いや、あの男は戦わないだろう。
単独で闘うことになった際に置いておきたいと留守を任せていた。
秀吉は少数精鋭でやって来た忠勝の勇気に心を打たれ、退却をしようとしていた。
「秀吉様! あの者を討つ好機ですぞ! なぜ、退くのですか!?」
若い加藤清正、福島正則はまだ武士のモラルを知らない。
卑怯にも不意を狙うなど、恥に近い行為。
秀吉が単騎で馬に水を飲ませている忠勝を二人に見せながら言う。
「清正、正則よぉ、戦ってのは勝てばいいってわけじゃにゃーよ。あの姿見てみ。凛々しいじゃろ? アレこそ武士の……」と秀吉が絶賛した瞬間……銃声が聞こえ、忠勝が前のめりに倒れる。
「にゃにゃ!? どうしたぎゃ!」
秀吉が驚き、仔細を尋ねると……
足軽が褒美欲しさに暴走したとのこと。
「にゃにゃにゃ! おみゃあ! どうしてくれんだぎゃ!! やっちまった足軽の首持って、家康に謝れ!」
秀吉が怒り狂うと、弟の秀長となぜかまだ生きている竹中半兵衛が言う。
「いやいや、兄者よぉ、そりゃかわいそうだで。金やって帰してやろう?」
「その通りです。彼らがやったことは正当な攻撃。油断した本多忠勝に落ち度があるように思います」
秀吉はこの二人には頭が上がらない。
「にゃにゃにゃあ……」
秀吉は怒りを堪えながらも、討ち取った足軽に褒美となる金と食料を与えた。
「さすが、秀吉さんやで! 今日は祝杯や!」
喜ぶ足軽たち。
竜泉寺付近にいた徳川軍は忠勝が討ち取られたことにより総崩れとなる。
徳川家康はなんとか持ち直すが、士気は目に見えて低くなっている。
この場合、問題は織田信雄だ。
彼がもしかすると、単独講和の可能性がある。
家康は今のところ有利に闘えてはいるが、単独で講和されると大義名分がなくなる。
大半の大名は敵になってしまい、次第に戦況は悪化してしまう。
秀吉側も焦りがあり、長宗我部、北条、佐々成政が徳川と組んでおり本格的な参戦の準備に入っていることを知る。
日本が真っ二つになっていたのだ。
そして、戦況は少しずつ秀吉側に有利なものとなっていく。
しかも、大雨の影響で徳川家の兵士動員は上手くいかず、ますます戦況は厳しくなる。
そして、家康側に負け戦が増えてきた。
これを機に織田信雄は講和に応じ、家康も地震や大雨の影響で戦どころではなくなり、講和することになる。
「困ったときゃ、お互い様じゃ。講和に応じたるでよ」
両家互いにメリットしかない講和。
この戦は消耗するだけで意味がないものに変わっていったのだ。
もちろん、北条、佐々、長宗我部から反対された。
後に北条や佐々、長宗我部は徳川家康が天下人になることを望んでいた。
このままでは秀吉に無理難題を押し付けられて、破滅していくのはわかっている。
家康は彼らの命乞いに近い戦の継続要請をガン無視して秀吉と共に歩むことを決意する。
ここは史実通りなのだが、本多忠勝が討ち取られたことが後に大きな変化となるのであった。
続く。
11
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
第一機動部隊
桑名 裕輝
歴史・時代
突如アメリカ軍陸上攻撃機によって帝都が壊滅的損害を受けた後に宣戦布告を受けた大日本帝国。
祖国のため、そして愛する者のため大日本帝国の精鋭である第一機動部隊が米国太平洋艦隊重要拠点グアムを叩く。
信長の秘書
にゃんこ先生
歴史・時代
右筆(ゆうひつ)。
それは、武家の秘書役を行う文官のことである。
文章の代筆が本来の職務であったが、時代が進むにつれて公文書や記録の作成などを行い、事務官僚としての役目を担うようになった。
この物語は、とある男が武家に右筆として仕官し、無自覚に主家を動かし、戦国乱世を生き抜く物語である。
などと格好つけてしまいましたが、実際はただのゆる~いお話です。
江戸時代改装計画
城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
皇紀2603年7月4日、大和甲板にて。皮肉にもアメリカが独立したとされる日にアメリカ史上最も屈辱的である条約は結ばれることになった。
「では大統領、この降伏文書にサインして貰いたい。まさかペリーを派遣した君等が嫌とは言うまいね?」
頭髪を全て刈り取った男が日本代表として流暢なキングズ・イングリッシュで話していた。後に「白人から世界を解放した男」として讃えられる有名人、石原莞爾だ。
ここはトラック、言うまでも無く日本の内南洋であり、停泊しているのは軍艦大和。その後部甲板でルーズベルトは憤死せんがばかりに震えていた。
(何故だ、どうしてこうなった……!!)
自問自答するも答えは出ず、一年以内には火刑に処される彼はその人生最期の一年を巧妙に憤死しないように体調を管理されながら過ごすことになる。
トラック講和条約と称される講和条約の内容は以下の通り。
・アメリカ合衆国は満州国を承認
・アメリカ合衆国は、ウェーキ島、グアム島、アリューシャン島、ハワイ諸島、ライン諸島を大日本帝国へ割譲
・アメリカ合衆国はフィリピンの国際連盟委任独立準備政府設立の承認
・アメリカ合衆国は大日本帝国に戦費賠償金300億ドルの支払い
・アメリカ合衆国の軍備縮小
・アメリカ合衆国の関税自主権の撤廃
・アメリカ合衆国の移民法の撤廃
・アメリカ合衆国首脳部及び戦争煽動者は国際裁判の判決に従うこと
確かに、多少は苛酷な内容であったが、「最も屈辱」とは少々大げさであろう。何せ、彼らの我々の世界に於ける悪行三昧に比べたら、この程度で済んだことに感謝するべきなのだから……。
架空戦記 旭日旗の元に
葉山宗次郎
歴史・時代
国力で遙かに勝るアメリカを相手にするべく日本は様々な手を打ってきた。各地で善戦してきたが、国力の差の前には敗退を重ねる。
そして決戦と挑んだマリアナ沖海戦に敗北。日本は終わりかと思われた。
だが、それでも起死回生のチャンスを、日本を存続させるために男達は奮闘する。
カクヨムでも投稿しています
【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原
糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。
慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。
しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。
目指すは徳川家康の首級ただ一つ。
しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。
その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。
日は沈まず
ミリタリー好きの人
歴史・時代
1929年世界恐慌により大日本帝國も含め世界は大恐慌に陥る。これに対し大日本帝國は満州事変で満州を勢力圏に置き、積極的に工場や造船所などを建造し、経済再建と大幅な軍備拡張に成功する。そして1937年大日本帝國は志那事変をきっかけに戦争の道に走っていくことになる。当初、帝國軍は順調に進撃していたが、英米の援蔣ルートによる援助と和平の断念により戦争は泥沼化していくことになった。さらに1941年には英米とも戦争は避けられなくなっていた・・・あくまでも趣味の範囲での制作です。なので文章がおかしい場合もあります。
また参考資料も乏しいので設定がおかしい場合がありますがご了承ください。また、おかしな部分を次々に直していくので最初見た時から内容がかなり変わっている場合がありますので何か前の話と一致していないところがあった場合前の話を見直して見てください。おかしなところがあったら感想でお伝えしてもらえると幸いです。表紙は自作です。
結城のヤモリは長槍で戦に臨む 関ヶ原の戦い編
KATSU
歴史・時代
時は戦国時代、下総結城の地に「結城晴朝」を城主とした小国があった。晴朝は織田信長より一つ年上であり、まさに戦国時代の真っただ中に生きた人物である。多分に漏れず小国は他国からの侵略が絶えない。当時の上杉、武田、北条は列強であり武力兵力は絶大であった。しかし晴朝は列強に攻められ様とも、長い間、結城の地を守り抜いている。当然、勇猛に刃を交え戦ってきたが、和議を以っての解決もしたのだ。武勇もあれば知恵もある猛者であった。所が、天下人になった豊臣秀吉の養子であった、豊臣秀康が突如結城家の養子に入る事となる。当然晴朝は隠居させられ、質素な暮らしを強いられてしまう。他にも秀康に対する、晴朝の不満が更に募る事例もある中、関ヶ原の戦に挑む両者。はたして結城晴朝は徳川家康に加勢するか、石田三成に加勢するのか。
この物語は、年月日を含め、史実に基づき構成してあります。あくまでもフィクションではありますが、登場する人物の史実による『生き様』から推察して、決して!無きにしも非ず。史実は捻じ曲げておりませんので、古書文献が残っていないだけかもしれません。
私は1年後の未来を知っている―ただそれは私だけでは無かった―
俣彦
歴史・時代
ここから1年の動きを知る事が出来た徳川家康。舞台は会津へ向かう途中。天下取り目前の1600年。あとは知らされた史実をなぞれば天下統一と思ったその時。彼の目の前に現れたのは来るはずの無い大谷吉継。
そう。ここから1年の動きを知っている人物は徳川家康独りでは無い。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる