異世界で『黒の癒し手』って呼ばれています

ふじま美耶

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5巻

5-3

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 魔道具が光る。また弾かれた。
 え? これも駄目?
 この魔道具はノーチェの作品だから、私には修正ができないのかな?
 ううん、だって以前、これに『隷属れいぞく契約解除』の魔法を施したもん。あの時はちゃんと成功したのだし、私が扱えないわけじゃない。
 魔道具には許容範囲があり、魔法を重ねがけする際にその許容範囲を超えると、それ以上の魔法の付与ができなくなるらしい。
 かなり強い魔法を重ねがけしているから、『隷属契約解除』で許容範囲を超えたのか。
 あるいは、ノーチェと私の格の違いのせいで、ノーチェの施した魔法を修正することは、私にはできないという可能性もある。
 まあ魔王様だものね。ノーチェの魔法に私が干渉できるわけない。
 私ではノーチェの施した魔法を修正できないのなら、本人に頼むか。
 もしくは宝石を用意して魔法を施し、それを「まもるくん三号」としてもいいんだけど……
「まもるくん二号」は、私のためにノーチェが作ってくれた魔道具。決してロマンティックな品物ではないものの、ノーチェから私への初めてのプレゼントだ。
 できれば、ずっとこれを使いたい。
 ――ノーチェ……今、忙しいかな。
 私とノーチェはたましいが繋がっている。私がノーチェの名を呼ぶ声は、どこにいても彼に聞こえるのだとか。
 だから私が名を呼ぶと、ノーチェはすぐに転移してきてくれる。
 でも、それって仕事の邪魔だよね。だってノーチェは魔王様。忙しいだろうし、もし仕事中に呼んでしまったら、仕事を放って私のもとに来てもらうことになる。ガーヴさん達側近方にも申し訳ない。
 ついそう考えてしまい、これまで私から呼びかけたことは数えるほどしかない。
 やっぱり呼びかけるのはやめて、また今度ノーチェが来た時にでも頼んでみようか。などと思っていたら、ふいに結界がゆがみ、そこから馴染み深い魔力が現れた。

「え? うそ」

 ちょうど考えていたところに来てくれたノーチェ。
 そんな偶然が嬉しくて、私は満面の笑みで振り向いた。
 すると艶々つやつやとした長い黒髪に紫の瞳の超絶美形が、そこに立っている。
 ビスクドールのような整った顔立ちの彼は、不安げに眉をひそめていた。

「……ノーチェ?」

 ノーチェはものも言わず抱きしめてくる。確かめるみたいに私に触れる手が、少し震えていた。

「ああ、リィーン」

 そう呟く声にも、いつもの余裕がない。
 何をそんなに思いつめているのかと怪訝けげんに思いながら、私はノーチェに声をかける。

「どうしたの?」

 ノーチェはため息交じりに答えた。

「不安でたまらないのだ」
「何が?」
「そなたはあまりにも脆弱ぜいじゃくで、私の目の届かぬ場所で怪我をしているのではないか、いつか死んでしまうのではないかと考えてしまう。恐ろしくてたまらぬ。片時も目が離せぬ」

 びっくりして詳しく話を聞くと、どうやら時々こんな風に、無性に不安に駆られるのだそうだ。
 その上、先ほどまで八公はちこうの面々と、私の護衛をどうするべきか話していたらしい。そこでヒューマンの身体がいかに弱いかという話が出て、『名奉なほうじの儀』の時にノーチェが魔力を解放して危うく私が死にかけたことも言及されたのだとか。それで急に不安になって会いにきたのだと、ノーチェはささやきほどの声で呟く。
 強靭きょうじんな魔族の頂点、狂化のその時まで実質不死の魔王からすれば、ヒューマンの身体のもろさが怖いのだそうだ。
 私が心配しすぎだよと笑うと、ノーチェはもどかしげに口を開く。

「リィーン。そなたの大切な者が、フラジェリッヒだと考えてみよ」
「それは……」

 ノーチェのそのたとえに、私は絶句するしかなかった。
 フラジェリッヒとは、トカゲの卵のからを使った芸術品のこと。例えるなら、ガイアの箱庭版イースターエッグとでも言えばいいか。
 形を崩さぬよう穴をあけ、中身を抜いた殻を丁寧に洗って乾燥させ、それに透かし彫りの細工をほどこして作る。
 中に蝋燭ろうそくを入れてランプシェードにしたり、宝石や金で飾り立てたり、いくつも並べて物語仕立てにしたりと、様々な工夫をらし、その優美さを競う芸術品だ。
 意中の相手の瞳と同じ色の宝石を埋め込んで、贈り物にすることもある。
 ちなみに私の屋敷にも、ランプシェードが飾られている。
 赤に塗られた殻の表面に、楽しげに飛び跳ねる動物達がぐるっと彫られていて、風に舞う粉雪のように淡く金粉が吹き付けられている。蝋燭の明かりを入れると幻想的で美しい。
 魔王の半身候補となったお祝いに、貴族の誰かから貰ったものらしいのだけれど、ちょっと触れるだけで壊してしまいそうで、私は一度も触れたことがない。遠くから眺めて楽しんでいる。
 フラジェリッヒに使われる卵の大きさはアヒルの卵サイズで、鶏卵けいらんより厚みがある分、少しは強いものの、それでも卵の殻であることにかわりはない。
 もともと弱い〝卵の殻〟という素材に透かし彫りの細工を施すわけだから、とても繊細な芸術品で、割れてしまえば捨てるしかない。
 制作を趣味とする者、名だたる職人の逸品を収集することを楽しむ者。楽しみ方は人それぞれだけれど、はかないものに多大な才能と労力、高額の費用をつぎ込む、貴族ならではの遊びだと思う。
 それが、フラジェリッヒ。
 つまり、高位魔族から見たヒューマンは、私達人間から見たフラジェリッヒ並みに脆弱ぜいじゃくだと、ノーチェはそう言っているのだ。自分の恋人が、卵の殻でできている貴重品だと想像してみろ、と。
 ――卵の殻。
 ちょっとした衝撃で壊れてしまう存在。繊細で、自分よりずっとずっと短命。
 恋人や家族がこのフラジェリッヒ並みに脆いと想像すれば、不安になるのも頷ける。だって恋人は簡単に買い替えたりなんてできないのだから。壊れたら取り返しがつかない。
 動く姿を見ているだけで、ハラハラしそう。
 かと言って、姿が見えないともっと不安でたまらないと思う。
 転んでヒビでも入ってやしないか、誰かが不用意に触れて壊してしまうのではないかと、一瞬たりとも目を離せなくなるだろう。
 ああ、こんな不安を、ノーチェに抱かせていたのか。
 八〇〇年以上待ち望み、やっと見つけた『えにしの者』。それはフラジェリッヒみたいに弱くて、数千年を生きるノーチェからしたらまばたきほどの長さの寿命しか持たない。
 半身の契約を済ませれば寿命も延びて、身体も少しは強くなる。なのにそれを先延ばしにし、『ファンテスマのガイアの娘』でありたいとヒューマンの国に居続け、会えるのはほんのひと時。
 その上、大人しくしているならまだしも、神殿とやりあうなど心配ばかりかけて。

「それは……怖いね」
「だろう?」

 ノーチェはまたため息をつくと、私を一層深く腕の中に閉じ込める。
 申し訳なさに心が苦しくなった。
 ノーチェのことは好きだけれど、それが「愛する」ということなのか、私はまだわかっていない。
 数千年の寿命も、その最後にノーチェの狂化があることも、考えれば考えるほど怖くて、半身の契約に尻込みしてしまう。
 でも、ノーチェの傍にいたい。その気持ちは本当。
 溢れるほどの愛情を向けてもらえて嬉しいことも本当。
 ごめん。ありがとう。私はまだまだ悩んでばかりだ。
 せめて今、この時だけでも二人の時間を大切にしなきゃ。
 私はそっと、ノーチェを抱きしめ返す。

「あの魔道具だけでは心もとない。もっと守りを固めねば」

 そうぼそりと呟くノーチェの声に、ひやっとした。
 ……うわあ、言い出せない、言い出せないよリィーン。過剰防衛すぎるからちょっと修正してくださいなんて、今のノーチェに言えません。
 私は「まもるくん二号」をアイテムボックスにそっとしまった。これはまた今度考えよう。
 それから半刻あまり。
 少しでもノーチェの不安を取り除ければいいなと願いつつ、私は努めて明るくふるまった。
 不安に強張こわばった表情のノーチェも、しばらく雑談をしているとちょっとずつ落ち着いてくる。
 こういう何気ない会話の時間も大切だなと思いながら、私はノーチェと取り留めのない会話をして過ごした。



   第二章  持つ者の責務


 五月の風は清々しい。
 朝晩はまだ少し涼しく、日本みたいに梅雨つゆがないこの地の空はからりと晴れ、どこまでも高く広がっている。
 お披露目ひろめパーティから五日後。五月六日風の日――金曜日。
 今日はレオン殿下と打ち合わせがあって、王城へ行くことになっている。

「リィーン殿、今日は天気もいいことですし、馬車ではなくノエルに乗って移動しましょう」

 朝、迎えにきてくれた青騎士団第二師団副師団長のシアンさんにこう言われた。
 確かに、このお天気なら外を歩くのも気持ちいいだろう。お披露目の日も、その翌日も馬車で移動したから、ノエルに乗って街を歩くのは久しぶりだしね。
 頷いた私は、シアンさんにうながされて外へ出た。
 屋敷のエントランスを出たところには、整列している青騎士達と一緒に、狼に似た魔族が二頭、行儀よく座っている。

「おはようございます。今日もよろしくお願いします。……マルクとチェリも、おはよう」

 青騎士に挨拶を済ませ、狼達――マルクとチェリにも声をかけた。
 並んで座った彼らが、耳をぴくぴくと動かしながら私を見上げる。
 マルクとチェリはハティという種族の魔族で、私とノエルの護衛のために用意された、青騎士の騎獣きじゅうだ。
 騎獣というのは、乗り物になる、馬以外の生き物のこと。
 ノエルは中位魔族で、HP、MPともに五ケタある。身体も巨大で強い。だから騎士達の乗る馬は怖がって近寄れないのだ。
 だけど、騎士は私達の傍に近寄らないと護衛ができない。そこでノエルを怖がらないような魔族の騎獣が必要だという話になり、魔界の貿易商であるミリーさんに頼んで連れてきてもらったのが彼ら。
 ハティは狼によく似た魔族で、勇猛で足が速く集団行動も得意なため、騎獣にぴったりなんだそうだ。
 とはいえ彼らはまだまだ子供で、今は猛特訓中。サイズだって小さく、今のところその背に人を乗せることも叶わない。
 去年の一二月に初めて会った時は、体高が一メートルくらいだった。今はもう少し成長していて、ピンと立った耳の先が私のウエスト辺りまで届くようになっている。
 といっても、しぐさや行動が子供のそれで、身体も全体的に柔らかい丸みを帯びていた。甘えてじゃれつく姿は、狼どころか子犬そのもの。
 それでもこの半年近くの訓練で、行進の時は普段の可愛らしさは鳴りをひそめ、きびきびとかっこよく歩くようになっている。
 ちなみに、真っ黒の毛並みで身体が一回り大きいのが男の子のマルクだ。
 チェリは女の子で、灰色の柔らかい毛並み。背中と右前脚、しっぽの先に大きな黒のぶちがある。
 二人ともノエルの可愛い子分達。
 今日もよろしくね、と声をかけて、私はノエルの背に乗った。
 ノエルに乗ると、目線が高くなり視界が広がる。
 心地よい風を感じながら、私は周りを見回した。
 シアンさんの号令で、隊列がさっそうと動き始める。ノエルと私を中心に、前後にはハティと彼らの鎖を持つ騎士、その周りには馬に騎乗した十数名の騎士達がいた。
 風に乗って新緑の香りがする。
 王都のあるこの地は少し春が遅く、今の時期にいろんな花が一斉に咲き始めるのだとか。
 私の屋敷のある上流ゾーンは貴族の屋敷が立ち並ぶ地域で、どの屋敷も敷地が広く、大きな庭園を持っている。それも、庭師が丹精たんせい込めた見事な庭園だ。
 だからこの季節は、頬をでる風にも涼やかな若葉の香りを感じる。
 気持ち良くて目を細めていると、「高原に行けば、美しく咲き乱れる花のじゅうたんを楽しめますよ」とシアンさんが教えてくれた。
 花のじゅうたんか。見てみたいな。
 このところ忙しすぎて、街の外に出るチャンスがなかった。
 またノエルと走りに行こう。ハティと一緒でも楽しいかもね。
 ――ノエル走る――ノエル親分――ハティ子分――
 ノエルも走りたいらしい。うんうん、子分の面倒をちゃんと見られるノエルは偉いね。頼りにしてるよ。
 そうノエルと語り合いながら私達は進む。目的地は王城だ。


 やがて、王城の正門が見えてきた。
 魔王の半身候補である私は、王城に入る際、必ず正門を通ることになっている。
 跳ね橋を渡り、分厚い城壁の門を何度もくぐって奥へと進む。
 そこから複雑に入り組む道を通り、いくつかの結界を抜けた先に、レオン殿下の執務室がある棟がある。
 約束の時間には、まだ早いみたい。
 今日はいつもの道を通らず、ちょっと寄り道をしてもらうことにした。
 少し道を外れると、広くて豪華な庭園があるのだ。その景観の素晴らしさは、何度来て見ても飽きないくらい。
 なかでも私のお気に入りは〝薔薇ばらの回廊〟と呼ばれる道。石造りの支柱の上にアーチ形に薔薇のつたが巻き付いていて、それがずっと続く。
 今の季節は薔薇が満開で、色とりどりの美しい花が今を盛りと咲き誇る回廊は、私のいやしの空間だった。
 いい気分転換になるので、私はちょくちょくこの薔薇の回廊を通ることにしている。
 巨体のノエルでも歩けるほど、回廊は広い。犬の嗅覚きゅうかくを持つノエルはむせ返るような薔薇の香りが苦手みたいだけれど、影に入らず付き合ってくれている。
 高原の花のじゅうたんを見られないのだから、ちょっとくらい今の季節を満喫まんきつしたいものね。
 私はノエルから降り、心地よい朝の空気に混じる薔薇の香りに包まれて、ゆっくり歩いた。


 それから数十分後。
 レオン殿下の執務室には人払いがなされ、厳重に結界が張られた。
 部屋にいる者は殿下と、青騎士団第二師団長のヴァンさん、副師団長シアンさん、私。私の座るソファの後ろにはノエルもいる。
 部屋に入って早々に、レオン殿下からお披露目ひろめパーティとその後の王太子の姫様の治療について、ねぎらいの言葉を貰った。
 そして殿下は、やわらかく微笑んでから、「始めるか」と表情を改める。
 今日は内密の話も含め、話し合うことが多いらしい。
 長期戦になりそうだな、と私も気を引き締める。
 すると――
 始まった話題は、私の趣味についてだった。

「趣味、ですか?」

 私の趣味なんて聞いてどうするのかと、せっかく入れた気合が霧散むさんしてしまう。

「貴族らしいものであれば何でもよい。何かあるか?」

 それからレオン殿下より質問の意図を説明されて納得した。
 わたくしリィーン・カンザック、めでたくも貴族となったわけで。
 今後は貴族として、多少の教育と教養が必要になる。
 貴族のたしなみにふさわしい何かができれば、王都でも一目いちもくおかれる。それにもし魔王の半身となった場合、そういう高尚な趣味を持つことは決して無駄にはならない。
 だから、何か貴族らしい趣味はないかという質問だった。
 って言われても、貴族の趣味なんてあんまり想像つかない。私は軽く首を傾げて問いかける。

「女性貴族の趣味って、たとえば何があるんですか?」
「そうですね。女性の嗜みと言えば、刺繍ししゅうにダンス、詩作、楽器演奏、歌、絵画あたりでしょうか」

 シアンさんがいくつか列挙してくれる。
 続けて説明してもらったところによると、乗馬も人気だそうだ。手先の器用な人なら、例のガイアの箱庭版イースターエッグ、フラジェリッヒ製作なんてものもある。
 なるほど……。言われてみれば、どれも貴族の女性らしい感じがするよね。
 私、何ができるんだろう?

「……ダンスは駄目ですよね」
「ええ、それ以外でお願いします」

 とりあえず、選択肢を減らすために聞いてみた。シアンさんは苦笑をもらしながら頷く。
 お披露目ひろめパーティの時に魔界から言われた通り、私は『魔王の半身候補』だ。他の男性に腰を抱かれて踊るなんて、魔王様が怒ってしまうから却下。
 それに、ダンスとはいわゆる社交ダンスだ。私が知っているわけない。
 他はどうだろう?
 私は視線を落とし、先ほどシアンさんがあげたものを一つ一つ考えてみる。
 刺繍ししゅうは家庭科の授業でやったけど、特に好きではない。絵画や詩作も無理。
 乗馬は、ノエルがいる限り馬に乗る必要はなさそうだ。歌はJポップならまだしも、オペラ的な何かを要求されるだろうから無理。フラジェリッヒ製作? そんな手先の器用さは持ってません。
 どれもこれも、自信を持って「できます」と言えるものはない。
 かろうじて、できるものがあるとすれば……
 私は目線を上げ、レオン殿下を見て口を開いた。

「ピアノならなんとか」
「ぴあのとは何だ?」

 レオン殿下が首を傾げる。どうやらピアノは通じないらしい。
 私は身振り手振りでピアノの形状を表現し、ずらりと鍵盤けんばんが並んでいる楽器で、それを弾いて音を奏でるものだと説明する。
 すると、レオン殿下が合点がてんがいったとばかりに頷いた。

「ああ、カラヴィティンか」

 カラヴィティン? 知らない名前だ。
 レオン殿下の説明によると、カラヴィティンというのはどうやら小型のピアノのような楽器なのだとか。もしかすると、オルガンかチェンバロみたいなものかもしれない。

「カラヴィティンでしたら魔界も喜びましょう。早速連絡いたします」

 シアンさんがそう言うと、レオン殿下は頷いた。

「うむ。ちょうどよいな。魔界からの贈り物として申し分ない」

 へ? なんで魔界?
 急に出てきた魔界という単語に戸惑っていたら、レオン殿下が苦笑交じりに説明してくれた。
 おおやけの身分としては、私はファンテスマ王国の王家直轄の一代男爵で、ファンテスマ王家の庇護ひご下にある。
 屋敷の建築費や人件費もろもろは全部、王家に貰った潤沢じゅんたくな年金と、特別に用意してくれたという準備金からまかなわれた。
 魔界からすれば、私は魔王様の半身候補なのに、私の生活費がすべてファンテスマ王家から出ているという状況だ。このままでは、魔王陛下の半身候補に対して何の援助もしていないことになってしまう。
 なんと――半身じゃなくて半身候補なのに――すでに、魔界でも私に予算がついているのだそうだ。
 実は、ノーチェからドレスや宝石などいくつも貰っている、らしい。ノーチェが直接私に持ってきてくれたんじゃなくて、八公はちこうを通じて私の屋敷に届けられているから、私もよくわかってはいないのだけれど。
 それで、細々としたものだけじゃなくて、大物も用意したいので何か要望はないか、と魔界から打診があったところなのだとか。
 一つ一つ、丹念に手作りされたカラヴィティンはとても高価なもの。
 繊細な構造が紡ぎ出す優美な音色もさることながら、意匠いしょうに工夫をらすこともこの楽器の特徴で、装飾によってどこまでもその値は跳ね上がる。
 魔界が、魔王の半身候補に贈る品として相応ふさわしい代物しろものだ。
 そのような内容を、シアンさんやヴァンさんに説明される。
 そんな高価な楽器、気軽に弾けないよ、もったいなくて。
 今でも十分、いろんなものを貰っているのに……
 クリスさんが用意してくれるドレスはどんどん増えている。どれが魔界の予算で作られたもので、どれが私の年金で作ったものか、私はよくわかっていないのだけれど。
 最近では、毎朝差し出される衣服は、一度も袖を通していないドレスばかり。
 もともとド庶民な私からすれば、ドレスなんて何度も着なきゃもったいないと思ってしまう。そんなに贅沢ぜいたくをするのは嫌だ。
 それに、贅沢しすぎて革命が起きて、「マリーを殺せ!」みたいになったらどうすんの? そう考えてしまうのは考えすぎなのかな。
 不安になってレオン殿下に相談すると、これは必要経費なのだとさとされた。
 私がドレスを何度も着回したりすれば、ノーチェの恥になる。同じように、『ガイアの娘』を庇護ひごするファンテスマ王家にも恥をかかせることに。
 それに私のドレスには、ちゃんと意味があるらしい。
 コルテアで最初にドレスを作る時にレオン殿下の出した指示“『黒のいやし手』の衣装はガイアの娘らしく、清楚せいそで神秘的なものを”というコンセプトは今も健在。それで、私のドレスは他の貴族の姫様達に比べ、一見とても大人しく見える。
 裾の広がりは控えめだし、装飾に使われる宝石も小ぶりで派手派手しさがない。
 だけど、そのドレスの布地は最高級の代物しろものが使われている。小ぶりに見える宝石も、繊細な加工がされた高価なものだし、細やかな刺繍ししゅうやレースの織りも美しい。
 控えめな印象のその衣装は、見る者が見れば、どれほどの技術のすいぜいを尽くしたかがわかる、上品で優美な逸品に仕上がっている。
 私がそんな衣装をまとって人前に出ることで、他の貴族の女性達も競うように着飾る。『黒のいやし手』のドレスのデザインを真似た衣装は、貴族の姫達の新しい流行なのだそうだ。
 それに、といたずらっぽい笑みを浮かべて殿下は続ける。

「そなたは今、王都で流行はやりのカンザック流サロンを知っているか?」
「カンザック流サロン? 私流? ってつまり、じゅうたんに座るってことですか?」

 サロンで靴を脱いでじゅうたんに座るのは、コルテアでも話題となった。
 王都でも同じように私の屋敷のサロンが話題にのぼり、真似をする貴族達が出始めたのだそうだ。
 流行りはじめたという話は家令のフォルトナーさんに聞いていたんだけど、カンザック流サロンなんて名前がついていたとは知らなかった。
 椅子に腰かけるのではなくじかに座ることで、じゅうたんに客の視線が向きやすくなる。だからじゅうたんの刺繍ししゅうに工夫をらし、その細工の面白さや豪華さを競うようになったのだとか。
 貴族同士の集まりは、どうしても見栄の張り合いになってしまう。どれほど高価かだけじゃなくて、どんな素材を使っているか、意匠いしょういきさ、どこの名工に頼んだものか、とか話題に上らない日はないらしい。
 そのおかげで、じゅうたんの注文がすごく伸びているんだって。
 他にも、じゅうたんに座った状態で使える脚の短いテーブルや、家具もどんどん作られている。
 そうやって、あっという間に王都貴族の新しい流行となったのだとか。
 そしてもう一つ、大きな流行となっているものがある。
 靴下だ。
 靴下といっても、日本でお馴染みの形状じゃない。ここにはゴムがないもの。
 ゴムの代わりに伸縮性のある布で作られていて、ひざ下辺りでリボンを締めて留める。
 女性用の長いものは太ももの上まであって、ガーターベルトを使う。初めてこれを着けた時は、大人な雰囲気にむふふってしちゃったよ。
 ちなみにこれは高級品。平民は足袋たびの上に広い布がついた、ふくらはぎにひもで巻き付ける形のものをいている。「脚あて」というのだそうだ。
 私も今は靴下を履いているけど、コルテアで暮らし始めた当初は脚あてを着けていた。
 話は逸れたけど、つまり、その靴下が大流行りってわけ。
 今までは、人前で靴を脱ぐことは決してしなかった。それが靴を脱いでじゅうたんに座るようになり、見られなかったはずの足が人目にさらされることになる。
 まあね。私もコルテアの私の屋敷でレオン殿下の靴下を初めて見た時、下着を見てしまったみたいな怪しいドキドキを感じたもの。

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