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2巻
2-2
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ヒュージさん達を睨みつけた大神官は、私に視線を戻してこう言った。
「どうぞ神殿にお任せください。ガイアの娘。我らがすべて善きように取り計らいましょうぞ。リィーン・メネ・ガイア」
誰だよそれ。
「我々ガイア神殿には、『光の癒し手』様がいらっしゃいます。『光の癒し手』様は、偉大なるガイアがファンテスマに与えてくださったガイアの息子。我々が大切にお守りしております。二三〇年近くもの間、かの申し子様を無事にお守りしてきた我らこそ、貴女様をこの世の穢れからお守りすることができるのです。今、ガイアの息子は、国王陛下よりコルテア正夫人の治療のために遣わされ、遠路はるばる、ここコルテアの神殿まで足を運んでくださいました。そして、こちらにもう一人、ガイアの申し子がいるとお知りになり、ぜひ神殿へお越しいただくようにとの仰せでして。それで貴女様をお迎えに上がった次第です、リィーン・メネ・ガイア」
だから誰だよそれ。
「私の名前はリィーン・カンザックです」
そう言うと、大神官はさも心外だという顔をしてこう言ってのけた。
「ガイアの使徒となる者は家名を捨て、すべてメネ・ガイアと名乗るのですぞ。もちろん貴女様もガイアの娘である以上、神殿へお越しいただき、リィーン・メネ・ガイアとして過ごされるべきなのです。それなのに、このような下々の者の治療などさせられて。一刻も早く神殿へお越しいただき、身をお清めにならなくては」
誰を治療したからといって、私が穢れるなんてことはあり得ないよ。
でも大神官は、どうしてもここが不浄な場所で、このままだと私が穢れると言いたいらしい。
「『光の癒し手』様とお会いになれば、貴女様もきっとおわかりいただけるはず。このような汚らわしいところに身を置かれましたら、じきに手の施しようがないくらい御身が穢れてしまいましょう。今ならまだ間に合いますぞ。世俗に穢れる前に貴女様をお救いすることこそ、我ら神殿の使命なのです。王家の犬の言葉に惑わされてはなりませぬぞ」
ヒュージさんとウェッジさんの全身から怒りのオーラが出ている。相手が大神官だからうかつに手を出せないんだろう。剣に手をかけそうになる右手を必死に握りしめて耐える姿が目の端に映った。
大神官が、ガイアの申し子を宗教的な偶像として祀り上げたい気持ちはわかる。
けど私はガイアの申し子じゃないし、神殿になんか行きたくない。行ったら閉じ込められるに決まってる。そんな訳にはいかないよ。だって帰還のためには行動の自由が必要だもの。
「神殿には行きたくありません」
「何をおっしゃる! 神殿以外に貴女様の居場所など、どこにもありませぬぞ。すべての者はガイアのもとにひれ伏すのが道理。……はてさて。貴女様がそう駄々をこねられますと、困る者が多くなるのではないでしょうかねえ」
ちょっと口調が変わったと思ったら、さらっと脅しをかけてきた。私が神殿に行かないと周りにも迷惑かけるってこと?
私が知らない何かがあるんだろうか。レオン殿下は心配ないけど――私なんかが心配したら鼻で笑われる――青騎士の誰かとか、アグネスとか?
それともあのクモンの誘拐事件にも、やっぱり神殿が絡んでいたとか?
この世界では神殿が大きな力を持っているっていう話は、何度も耳にしてきた。でも実際のところ神殿が何をしているのか、私は詳しく知らないんだよね。
そういえば、魔法の属性は神殿に行かないとわからないんだっけ? まだ属性のわからない小さな子供がいる家なら、神殿に嫌われるとすごく困ることになるかも。
それにこの世界に存在する神様はガイアだけだ。宗教の自由なんてないんだ。……ということは神殿に睨まれるのって、ここでは致命的なんじゃない? 私は困らないけど、他の人は絶対困るよね。
もし私のせいで、みんなに何らかの不都合が出てくるなら申し訳ない。
何だか不安になってきて、ヒュージさんとウェッジさんを振り返って見た。
彼らは迷いのない顔で、「ご心配なく」とでも言うかのように首を横に振っているけど。
どうしよう。一度神殿に行ってみたほうがいいのかな?
それで話を聞いて、やっぱり神殿にいたくないと判断したら、その場でしっかり断る。そのほうがいいのかも。
今までの敵とは違う。神殿は絶大な権力を持っているんだから。私の魔法だけで対処できるような、そんな敵じゃないんだ。
私の表情に浮かんだ不安の影を見て取ったらしく、大神官が満面の笑みを浮かべてここぞとばかりにたたみかけてきた。
『さあさあ、ガイアの娘よ、どうか神殿へお越しください。お話はそこでじっくりできますから。心配されずともよいのですぞ。ちゃんとお送りいたしますよ』
――この人、「送ってくれる」って言った。じゃあちゃんと帰ってこれるんだ。それなら行ってもいいかな――
「わたし……」
「リィーン殿。言質を与えてはいけません」
ヒュージさんの冷静な声が室内に響いた。とたんに大神官は目を吊り上げて、ものすごい形相でヒュージさんを睨みつける。
はっ! 私、今何考えてた? ……言質? もしかして、私が「行きます」って言ったら、「神殿にこれからずっといます」って了承したことにされちゃうってこと?
そういえばさっきの言葉、変だった。魔力がこもっていた。
あ! この人、「ちゃんとお送りいたします」って言ったけど、「帰りは」とは一言も口にしてない。ということは、あとで私が「ちゃんと送ってくれるって言ったじゃない」って抗議したとしても、それは「神殿までお送りする」って意味だったと答えられたらお手上げってことだ。
詐欺だ。「消防署の方から来ました」のパターン。こんなの悪徳業者の口上と同じだよ。
うきゃあ、怖い。ここは魔法のある世界。言質を取ったらそれで人を従わせられる奴もいるってことか。だって『服従の契約』まである世界なんだから。大神官のスキル『言の葉』って、そういうやつか。
とすると、称号の『神の声』もそういう意味なのかもしれない。神様の声が聞こえるんじゃなくて、神様みたいに逆らえない声が使えるってことなのかも。
くそぉ、気をつけなきゃって思っていたのに、あやうく取り込まれるところだった。
ありがとう、ヒュージさん。やっぱり騎士はすごい。カミヤズルで誓ってくれたように、ちゃんと私を守ってくれた。
さっきの不安も全部綺麗に消えた。こんな奴に従うなんて絶対いやだ。
もう大丈夫。私はヒュージさんに微笑んでから、しっかり悪徳業者、もとい大神官と向き合った。
「神殿には行きません。そんなところに行ったら、二度と外に出さないつもりなんじゃないですか?」
「ふん。実に嘆かわしい」
邪魔が入ってスキルが効かなかったことで、大神官は演技をやめたようだ。ニコニコ笑いも悲しげな表情も真摯な態度もすっかり消し去り、声の調子もがらりと変わって冷たくなった。
「我々は貴女様の行動を束縛することなど、決していたしませんとも。貴女様は神殿にお越しくださり、なさりたいことをなさりたいようになさればよいのです」
あくまで私を敬っているように話すけど、表情も声も冷たい。私を人とは見ていないことがひしひしと伝わってくる。
「じゃあ、今みたいに外に出ることはできるんですか?」
「ガイアの娘を下界の穢れた気に触れさせるなど、とんでもないことです。ご用があれば我々が代わりにいたしますとも」
「それって結局、束縛するってことじゃないですか」
「束縛など! そんなことはございません。我らが貴女様の手足となってお仕えいたしますぞ」
会話がかみ合ってない。頭が痛くなってきた。
「もちろん、報酬もこのような下賤な場所とは違いますぞ。一度の癒しで金貨一枚を差し上げましょう」
神殿から出られないのに、その金貨をどう使えっていうのよ。
「『光の癒し手』様にお話を伺えば、貴女様もおわかりになりますよ」
何だか眩暈もしてきた。このまま行っても話はずっと平行線だ。
もう、風の魔法とかで追いかえしちゃってもいいかな、なんて考え始めた時、扉の外がまた騒がしくなった。
「僕が直々に来たんだよ。どけよ!」
見下すようなその声は、綺麗なボーイソプラノだった。
「何事だ?」
大神官が声をかけると、扉の前にいた神官達を押しのけて一人の少年が部屋に入ってきた。その後ろから神官が二人、あわてたようについてくる。
一五、六歳くらいかな?
絹糸のように柔らかく光る金色の髪をした、可愛い男の子。
天使だ。天使がいるよ。キラキラエフェクトがついてるよ。プラチナブロンドだ。銀色みたいに見える金髪なんて初めて見た。
金髪天使は私を見ると立ち止まった。
私の顔に注がれたその視線が、つつつっと爪先まで下り、またつつつっと上がってもう一度顔に戻る。
美しい弧を描いた眉が吊り上がり、口元には馬鹿にしたような嗤いが浮かぶ。
そして、ふふんと鼻で嗤ってこうのたまった。
「なんだ、まだねんねじゃん」
何だとぉ! ねんねって私のことか! どう見たって自分のほうが子供じゃないの!
しかも今、全身見たわね! 全身チェックして「ねんね」とは何事だよっ。
くそっ、そんな憎たらしい表情をしても可愛いなんて犯罪だ。
― リリアム・メネ・ガイア―
HP……551/551
MP……312/480
種族……ヒューマン
年齢……230
職種……ファンテスマ王国 王都 ガイア神殿 癒し手
属性……【光】【水】【地】
スキル……□□□
称号……『光の癒し手』
状態……『ガイアの息子』補正(回復魔法 魔力×10 身体組織回復)
状態欄に記載がある! 初めて見た!
今まで何人ものステイタスを見てきたけど、そのどれにも状態欄の記載はなかったのに。
『ガイアの息子』補正? これ、〝×10〟ってことは、唱えた魔法の威力が一〇倍になるってことかな? それに『身体組織回復』まである。
なるほど、この状態になることで『ガイアの息子』ができるんだ。
とうとう会ってしまいましたよ、ガイアの息子に。
「これはこれは、どうされたのですか? 『光の癒し手』様がこのような場所にまでお越しになるとは」
大神官はうやうやしくそう言いながら、金髪天使に深々と頭を下げた。そしてそのまま一緒についてきた神官達を睨みつけると、神官達も頭を下げる。
「申し訳ございません。城から神殿へ戻る前に、『光の癒し手』様がどうしてもこちらにいらっしゃるとおっしゃって……」
「ふむ、まあよい。『黒の癒し手』様、この方こそ『光の癒し手』、リリアム・メネ・ガイア様ですぞ」
大神官は自慢げに金髪天使に視線を向けた後、私に向かって見下すように笑みを浮かべた。
「バーニャが、『黒の癒し手』は僕の対になる者だって言うからさ、どんな女か見に来たのに。なんだよ。ただの子供じゃん」
金髪――金髪天使から格下げだ――は偉そうな口調でそうのたまった。
「ツイってなんのこと?」
「対は対だよ。そんなこともわからないの? 僕はガイアの息子だからね。選ばれし者は選ばれし者と結ばれるのさ」
なるほど……「対」とは結婚相手ということか。つまり私にあんたと結婚しろってこと? 神殿に行ったら閉じ込められるだけじゃなくて、このガイアの息子と結婚させられるのか?
「こんな所で平民を癒すなんてバカじゃないの。お前、それでもガイアの娘なの? 神殿じゃなんでも望みのままなのに、なんでわざわざこんな汚い場所にいるのさ?」
「何が望みのままよ。バカはあなたのほうでしょ。私は私のいたいところにいるだけだよ」
厳密に言えば、ここは私のいたいところじゃないけどね。でも神殿よりはずっといいもの。
「なんだよ! なまいきな女だな。僕になんて口のきき方するのさ。バーニャがどうしてもって言うから来てやったのに。この僕が、だよ。わざわざ王都の神殿を離れて、こんなコルテアなんて辺境の街まで来てやったんだよ」
ここに来たのはコルテア領主正夫人の治療のためでしょう? 別に私のためじゃないじゃん。それとも、もしかしてリリアムは大神官にそう言われて来たんだろうか。
「『光の癒し手』様、『黒の癒し手』様は少し混乱されておるのですよ。偉大なるガイアの御心をお教えできる者が周りにおらず、不幸にもこのようなところで働かされていたのですぞ」
大神官と神官達はそろって「おいたわしい」といったポーズをとってみせる。
「ご心配にはおよびませぬ、『光の癒し手』様。我々ガイア神殿は、『黒の癒し手』様をもこの貧しい境遇からお救いいたしますから」
ガイアの息子についてきた神官が横からそう口を添えた。
「おわかりですかな、『黒の癒し手』様。このファンテスマに今現在、たった二人しかいないガイアの申し子。そのお二人ともが癒し手なのですぞ。どれほどガイア神がお二人を愛で、そして結ばれることを望んでいらっしゃるか……」
慇懃無礼に冷たい視線をよこす大神官に向かって、私はきっぱりと自分の気持ちを口にした。
「私はここにいます。閉じ込められるのはいやです。どうせこの彼だって、神殿の奥から出たことないんでしょう?」
「外は穢れに満ちております。ゆえに我々神殿が大切にお守り申し上げているのですぞ」
「そんなのおかしいじゃないですか」
「お前ってほんとにバカなんだね」
あきれたような金髪の声に、私のほうがあきれてしまった。
「バカはあなたよ、リリアム。自分が閉じ込められてるってこと、いい加減に気付きなさい!」
『ガイアの息子』とも、『光の癒し手』とも呼びたくなくて、リリアム、と名前で呼んだ。
「閉じ込められてなんかいないよ。ねえ、バーニャ」
「ええ、ええ、その通りでございますよ。我々神殿が大切にお守り申し上げてるのです」
「リリアム、聞いて」
「僕は選ばれし者なんだよ。汚い街になんか出るわけないじゃん。神殿の奥の清浄な気の中にいるべきなんだよ。お前だってこんな汚いところに居続けたら穢れてしまうよ。ガイアの娘が穢れるなんて、神への冒涜だよ」
私は大神官を睨む。
「そんな風に神殿の中に閉じ込めて、それが〝大切にお守りする〟ってことなんですか? 彼の自由はどこにあるんですか?」
私の怒りは大神官じゃなくてリリアムの声に遮られた。
「何言ってるの? お前、どこまでもバカだね。僕はこの上なく自由さ。食べたいものがあればすぐに出てくる。欲しいものがあればすぐ手に入る。気にいった娘を見つければその夜には寝所に来る。癒しなんかしたくないって言えば、何日だってしなくていいし、誰も何も文句は言わない。僕は僕のやりたいことしかやってないさ」
「そのとおりでございますよ、『光の癒し手』様。ああ、まったく貴方様のご聡明なこと、このバーニャ、感涙に堪えません」
これがガイアの息子か。二三〇歳にもなって頭の中は一〇歳くらいの子供じゃん。
そんな風に思って目の前の柔らかそうな金髪を眺めているうちに、今度は強烈に神殿に対する怒りがこみ上げてきた。
すべては神殿がやっていることなんだよ。迫害したら「大地が揺れる」からって甘やかすフリをして、囲い込んで閉じ込めて束縛しているんだよ。
リリアム、あなたは本当にそのことに気付いてないの?
二三〇年近くも? どんな風に言いくるめられたの?
いったい幾つの時からこうやって騙されてきたの?
外に出たら穢れるって? なんでも思いのままって?
リリアムの言葉はみんな、神官達が彼に言ってきたことなんだろう。
だめだ。怒りがおさまらない。二三〇歳の被虐待児だよ。
「リリアム、聞いて。あなたはもっといろんなところを見に行ったり、外で遊んだりするべきなのよ。それに、欲しいものがあれば、〝言えばすぐに出てくる〟なんてだめだよ。自分の力で手に入れたほうが、ずっとずっと楽しいし、美味しいし、嬉しいんだよ」
リリアムはきょとんとして立っている。私は悔しくて腹立たしくて、そして悲しくなった。
「言わなきゃ何も出てこないなんて、そんなの自由じゃないんだよ!」
もっと言い募ろうとした時、大神官の強い声で遮られた。
「何をおっしゃるか! 『光の癒し手』様のお心を煩わせるようなお言葉は、たとえ『黒の癒し手』様とて許されることではありませんぞ!」
「リリアムも普通のヒューマンでしょう。彼にだって人並みの幸せがあっていいはずです」
「人並み? 普通のヒューマン? なんという無礼! ガイアの申し子に対して、普通だとか、人並みだとか。なんという冒涜。さあ、『光の癒し手』様、ここは穢れに満ちております。『光の癒し手』様のお身体にも障りましょう。はよう神殿へ戻り、身を清めてさしあげましょう」
「待ってください!」
このまま彼を行かせるのはいやだ。だってこのままだとこの子――二三〇歳だけど――はずっとこんな風に何も知らず、何も教えられず、ただ人形のように生きていくことになる。
追いすがろうとした私の手は、お付きの神官達に冷たく遮られた。
こちらを見て何か言いたそうにしていたリリアムも、大神官に「これ以上穢れると禊の刻が長くなりますぞ」と言われると、ぴくりと怯えるように肩を震わせ、それからふいとそっぽを向いてそのまま神官達に連れられて行ってしまった。
何? 今の。なんか脅かしたわよね。何やってるの、こいつら。
リリアムがいなくなると、大神官は私を冷酷な目で睨みつけた。
「『黒の癒し手』。これ以上は言わぬ。神殿へともに参るがいい。そうすればお前にも何不自由ない暮らしをさせてやろう」
「いやです」
誰が行くもんか。
決死の覚悟で睨みつけると、業を煮やした大神官は低い声で脅してきた。
「神殿の御加護を受けられぬことになるぞ」
それを聞いてヒュージさんとウェッジさんがとうとう私の前に進み出た。
大神官が侮蔑の表情で彼らを見据える。
「ここで神殿と事を構える気か?」
だめだ。このままじゃヒュージさん達も神殿に睨まれちゃう。彼らに害が及ばないようにしなくちゃ。
そう思って私は前に出ようとした。
「リィーン殿、心配御無用。我らは貴女の盾です」
ウェッジさん、しびれるセリフだ。かっこいいぞ。いつものお気楽キャラはどこ行ったのよ、惚れるじゃんか。と萌えに走りたくなったけどそんな場合じゃない。ウェッジさん達に迷惑はかけたくないんだよ。
その時、冷たい声が室内に響いた。
「『黒の癒し手』は、『黄金の戦神』、第二王子レオンハルト・フォン・デュッセル・ファンテスマ殿下が後見となっております。神殿の指図は受けません」
聞き覚えのある声……開いた扉の陰からシアンさんが姿を現した。
「子守が増えたか……」
潮時と見て取った大神官は踵を返して扉に向かったが、一瞬足を止め、ものすごく下卑た表情で私を振り返った。
「第二王子が自ら後見とは。すでにお手がついていたか。なげかわしいことよ」
むかっ。なんてことを!
シアンさんは剣に手をかけたヒュージさんを片手で止めながら、あくまで冷静な声で「お引き取りを」と促す。その視線は氷のようだった。
「ガイアの申し子は神殿のもの。たとえ『黄金の戦神』であろうと、神の御業の前にはいずれひれ伏すことになるぞ。そうなる前に申し子を差し出したほうが御身のためだと伝えるがいい」
大神官はそう捨て台詞を残して去って行った。
か、……帰った。
もうちょっとで神殿に取り込まれるところだった。危なかった。
「遅くなりました。嫌な思いをさせましたね」
シアンさんはそっと私を椅子に座らせた。そして私の前に跪き、手を握って落ち着かせてくれる。緑姫の知らせを受けて駆けつけてくれたらしい。
「神殿が動かないようにこちらで止めていたつもりでしたが、向こうが一枚上手でしたね。本来なら、今日は大神官が城から出られるはずはなかったんですが。嫌な思いをさせました。しかしレオン殿下の後見がある以上、神殿も直接あなたに手を出すことはできません」
ノエルが影から心配そうに様子を伺ってくる。さっきまでのピリピリした空気に、ノエルも緊張していたみたいだ。
大丈夫だよと宥めてはみたものの、実は全然大丈夫じゃなかった。
初めて見たガイアの息子の姿に、私は正直打ちひしがれていたのだ。
もしこの世界に来た時の状況がちょっとでも違っていたら。
私が癒し手だと知られた時に、もし最初に神殿に連れていかれていたら、きっと私もリリアムみたいになっていた。
他人事じゃないだけに、さっきのリリアムの姿は余計に辛かった。
「ヒュージさん、ありがとうございました。止めてくれなかったらどうなっていたか」
ちゃんとお礼を言っておかないと。だってさっきは本気でやばかったから。
「大神官に言質を取られると逆らえぬと、彼が現れた時点で注意を促したかったのですが、その暇もなく……。でも、大事に至らずよかった」
「ウェッジさんも。ありがとうございました。かっこよかったです」
「俺に惚れると火傷しますよ」
お気楽キャラに戻ってるし。
「シアンさん、来てくれてありがとうございました」
「後手に回ってしまいましたね。もうこんなことはさせませんから」
その後、私はレオン殿下から呼ばれて診療所からまっすぐ城に向かった。
「リィーン、話は聞いた。今日は嫌な思いをさせたな。だが、たとえ神殿でも、そなたの了承なしには何も動かすことはできぬから安心いたせ」
「無理やり連れていかれたりはしないってことですか?」
「神殿は『黒の癒し手』を欲しがっているが、そなたの名はもう十分に売れている。誘拐したり、力ずくで連れて行くようなことをすれば、民衆が許さぬ。今後、神殿はそなたの言質をとり、そなたが自ら進んで神殿に来るように仕向けるだろう」
「大神官から神殿の御加護は受けられぬ、って言われました。それはどういうことでしょうか?」
「神殿はガイアを祀り、精霊の加護を人々に与えている」
子供が来たら精霊に呼びかけ属性を調べる。結婚の契約に立ち会う。病人を癒す。人が死んだ時はガイアに祈って埋葬する。レオン殿下の説明によると、そういったことが神殿の仕事なんだそうだ。
私には関係のない話ばかりだよね。
属性は空間以外はもう全部持ってることがわかってる。別に結婚したいとは思ってないし、死んだってこちらの神様に何とかしてもらおうとは思わない。癒しは自分でできるから必要ないし。
もし万が一、日本に帰れなくてこっちで結婚したとする。
神殿が認めた正式な結婚じゃなくても特に困らない。将来私に子供が生まれて属性を調べるのを拒否されたとしても、私にはステイタスが見えるからね。魔中りの症状で属性が調べられなかったシャルル「次期当主様」も、属性がステイタスに表示されていたし。
「私、あんまり困らないように思うんですが」
「ああ、魔術師としてすでに完成し、ましてや癒しの術もあるそなたに、神殿が強く出られる手札はない。今日のことも、そなたの言質がとれなかったから、悔し紛れにそなたを苛めて楽しんだだけだ。私の庇護のもとにあるうちは、神殿にできるのはせいぜい嫌がらせ程度のことだろう。そなたが行くと言わねば連れては行けぬ。もし何か強引に事を進めるなら、私の側室候補ということにしてもよい」
「そそそ、……それはいいです」
「そうか」
レオン殿下、さらっと怖いこと言わないでください。
「当面は、神殿の者が直接そなたに接触できぬよう我らが守る。まあ、そう長くかかることもあるまい。今、私は神殿に集まる権力を分散させるよう動いている。じきに状況が変わる。いずれは癒しの術も神殿から切り離せよう。こたびのことでは、神殿の力を殺ぐことができた。そなたのおかげだな、リィーン」
「レオン殿下……」
私はふと、これまでのことを思い出す。コルテアに来て、図書館で調べ物をしたり、診療所で患者の話を聞いたり、冒険者として働いたりするうちに、いろいろな情報に触れてきた。
その中に、神殿の力が強すぎるという話がちょくちょく出てきたのだ。今、隣国ギューゼルバーンとの関係が緊迫しているのに、神殿が騎士団や貴族の動きを制限したりすることもあるとか。
なんとなく、レオン殿下のやりたかったことがわかってきたのだ。
「どうぞ神殿にお任せください。ガイアの娘。我らがすべて善きように取り計らいましょうぞ。リィーン・メネ・ガイア」
誰だよそれ。
「我々ガイア神殿には、『光の癒し手』様がいらっしゃいます。『光の癒し手』様は、偉大なるガイアがファンテスマに与えてくださったガイアの息子。我々が大切にお守りしております。二三〇年近くもの間、かの申し子様を無事にお守りしてきた我らこそ、貴女様をこの世の穢れからお守りすることができるのです。今、ガイアの息子は、国王陛下よりコルテア正夫人の治療のために遣わされ、遠路はるばる、ここコルテアの神殿まで足を運んでくださいました。そして、こちらにもう一人、ガイアの申し子がいるとお知りになり、ぜひ神殿へお越しいただくようにとの仰せでして。それで貴女様をお迎えに上がった次第です、リィーン・メネ・ガイア」
だから誰だよそれ。
「私の名前はリィーン・カンザックです」
そう言うと、大神官はさも心外だという顔をしてこう言ってのけた。
「ガイアの使徒となる者は家名を捨て、すべてメネ・ガイアと名乗るのですぞ。もちろん貴女様もガイアの娘である以上、神殿へお越しいただき、リィーン・メネ・ガイアとして過ごされるべきなのです。それなのに、このような下々の者の治療などさせられて。一刻も早く神殿へお越しいただき、身をお清めにならなくては」
誰を治療したからといって、私が穢れるなんてことはあり得ないよ。
でも大神官は、どうしてもここが不浄な場所で、このままだと私が穢れると言いたいらしい。
「『光の癒し手』様とお会いになれば、貴女様もきっとおわかりいただけるはず。このような汚らわしいところに身を置かれましたら、じきに手の施しようがないくらい御身が穢れてしまいましょう。今ならまだ間に合いますぞ。世俗に穢れる前に貴女様をお救いすることこそ、我ら神殿の使命なのです。王家の犬の言葉に惑わされてはなりませぬぞ」
ヒュージさんとウェッジさんの全身から怒りのオーラが出ている。相手が大神官だからうかつに手を出せないんだろう。剣に手をかけそうになる右手を必死に握りしめて耐える姿が目の端に映った。
大神官が、ガイアの申し子を宗教的な偶像として祀り上げたい気持ちはわかる。
けど私はガイアの申し子じゃないし、神殿になんか行きたくない。行ったら閉じ込められるに決まってる。そんな訳にはいかないよ。だって帰還のためには行動の自由が必要だもの。
「神殿には行きたくありません」
「何をおっしゃる! 神殿以外に貴女様の居場所など、どこにもありませぬぞ。すべての者はガイアのもとにひれ伏すのが道理。……はてさて。貴女様がそう駄々をこねられますと、困る者が多くなるのではないでしょうかねえ」
ちょっと口調が変わったと思ったら、さらっと脅しをかけてきた。私が神殿に行かないと周りにも迷惑かけるってこと?
私が知らない何かがあるんだろうか。レオン殿下は心配ないけど――私なんかが心配したら鼻で笑われる――青騎士の誰かとか、アグネスとか?
それともあのクモンの誘拐事件にも、やっぱり神殿が絡んでいたとか?
この世界では神殿が大きな力を持っているっていう話は、何度も耳にしてきた。でも実際のところ神殿が何をしているのか、私は詳しく知らないんだよね。
そういえば、魔法の属性は神殿に行かないとわからないんだっけ? まだ属性のわからない小さな子供がいる家なら、神殿に嫌われるとすごく困ることになるかも。
それにこの世界に存在する神様はガイアだけだ。宗教の自由なんてないんだ。……ということは神殿に睨まれるのって、ここでは致命的なんじゃない? 私は困らないけど、他の人は絶対困るよね。
もし私のせいで、みんなに何らかの不都合が出てくるなら申し訳ない。
何だか不安になってきて、ヒュージさんとウェッジさんを振り返って見た。
彼らは迷いのない顔で、「ご心配なく」とでも言うかのように首を横に振っているけど。
どうしよう。一度神殿に行ってみたほうがいいのかな?
それで話を聞いて、やっぱり神殿にいたくないと判断したら、その場でしっかり断る。そのほうがいいのかも。
今までの敵とは違う。神殿は絶大な権力を持っているんだから。私の魔法だけで対処できるような、そんな敵じゃないんだ。
私の表情に浮かんだ不安の影を見て取ったらしく、大神官が満面の笑みを浮かべてここぞとばかりにたたみかけてきた。
『さあさあ、ガイアの娘よ、どうか神殿へお越しください。お話はそこでじっくりできますから。心配されずともよいのですぞ。ちゃんとお送りいたしますよ』
――この人、「送ってくれる」って言った。じゃあちゃんと帰ってこれるんだ。それなら行ってもいいかな――
「わたし……」
「リィーン殿。言質を与えてはいけません」
ヒュージさんの冷静な声が室内に響いた。とたんに大神官は目を吊り上げて、ものすごい形相でヒュージさんを睨みつける。
はっ! 私、今何考えてた? ……言質? もしかして、私が「行きます」って言ったら、「神殿にこれからずっといます」って了承したことにされちゃうってこと?
そういえばさっきの言葉、変だった。魔力がこもっていた。
あ! この人、「ちゃんとお送りいたします」って言ったけど、「帰りは」とは一言も口にしてない。ということは、あとで私が「ちゃんと送ってくれるって言ったじゃない」って抗議したとしても、それは「神殿までお送りする」って意味だったと答えられたらお手上げってことだ。
詐欺だ。「消防署の方から来ました」のパターン。こんなの悪徳業者の口上と同じだよ。
うきゃあ、怖い。ここは魔法のある世界。言質を取ったらそれで人を従わせられる奴もいるってことか。だって『服従の契約』まである世界なんだから。大神官のスキル『言の葉』って、そういうやつか。
とすると、称号の『神の声』もそういう意味なのかもしれない。神様の声が聞こえるんじゃなくて、神様みたいに逆らえない声が使えるってことなのかも。
くそぉ、気をつけなきゃって思っていたのに、あやうく取り込まれるところだった。
ありがとう、ヒュージさん。やっぱり騎士はすごい。カミヤズルで誓ってくれたように、ちゃんと私を守ってくれた。
さっきの不安も全部綺麗に消えた。こんな奴に従うなんて絶対いやだ。
もう大丈夫。私はヒュージさんに微笑んでから、しっかり悪徳業者、もとい大神官と向き合った。
「神殿には行きません。そんなところに行ったら、二度と外に出さないつもりなんじゃないですか?」
「ふん。実に嘆かわしい」
邪魔が入ってスキルが効かなかったことで、大神官は演技をやめたようだ。ニコニコ笑いも悲しげな表情も真摯な態度もすっかり消し去り、声の調子もがらりと変わって冷たくなった。
「我々は貴女様の行動を束縛することなど、決していたしませんとも。貴女様は神殿にお越しくださり、なさりたいことをなさりたいようになさればよいのです」
あくまで私を敬っているように話すけど、表情も声も冷たい。私を人とは見ていないことがひしひしと伝わってくる。
「じゃあ、今みたいに外に出ることはできるんですか?」
「ガイアの娘を下界の穢れた気に触れさせるなど、とんでもないことです。ご用があれば我々が代わりにいたしますとも」
「それって結局、束縛するってことじゃないですか」
「束縛など! そんなことはございません。我らが貴女様の手足となってお仕えいたしますぞ」
会話がかみ合ってない。頭が痛くなってきた。
「もちろん、報酬もこのような下賤な場所とは違いますぞ。一度の癒しで金貨一枚を差し上げましょう」
神殿から出られないのに、その金貨をどう使えっていうのよ。
「『光の癒し手』様にお話を伺えば、貴女様もおわかりになりますよ」
何だか眩暈もしてきた。このまま行っても話はずっと平行線だ。
もう、風の魔法とかで追いかえしちゃってもいいかな、なんて考え始めた時、扉の外がまた騒がしくなった。
「僕が直々に来たんだよ。どけよ!」
見下すようなその声は、綺麗なボーイソプラノだった。
「何事だ?」
大神官が声をかけると、扉の前にいた神官達を押しのけて一人の少年が部屋に入ってきた。その後ろから神官が二人、あわてたようについてくる。
一五、六歳くらいかな?
絹糸のように柔らかく光る金色の髪をした、可愛い男の子。
天使だ。天使がいるよ。キラキラエフェクトがついてるよ。プラチナブロンドだ。銀色みたいに見える金髪なんて初めて見た。
金髪天使は私を見ると立ち止まった。
私の顔に注がれたその視線が、つつつっと爪先まで下り、またつつつっと上がってもう一度顔に戻る。
美しい弧を描いた眉が吊り上がり、口元には馬鹿にしたような嗤いが浮かぶ。
そして、ふふんと鼻で嗤ってこうのたまった。
「なんだ、まだねんねじゃん」
何だとぉ! ねんねって私のことか! どう見たって自分のほうが子供じゃないの!
しかも今、全身見たわね! 全身チェックして「ねんね」とは何事だよっ。
くそっ、そんな憎たらしい表情をしても可愛いなんて犯罪だ。
― リリアム・メネ・ガイア―
HP……551/551
MP……312/480
種族……ヒューマン
年齢……230
職種……ファンテスマ王国 王都 ガイア神殿 癒し手
属性……【光】【水】【地】
スキル……□□□
称号……『光の癒し手』
状態……『ガイアの息子』補正(回復魔法 魔力×10 身体組織回復)
状態欄に記載がある! 初めて見た!
今まで何人ものステイタスを見てきたけど、そのどれにも状態欄の記載はなかったのに。
『ガイアの息子』補正? これ、〝×10〟ってことは、唱えた魔法の威力が一〇倍になるってことかな? それに『身体組織回復』まである。
なるほど、この状態になることで『ガイアの息子』ができるんだ。
とうとう会ってしまいましたよ、ガイアの息子に。
「これはこれは、どうされたのですか? 『光の癒し手』様がこのような場所にまでお越しになるとは」
大神官はうやうやしくそう言いながら、金髪天使に深々と頭を下げた。そしてそのまま一緒についてきた神官達を睨みつけると、神官達も頭を下げる。
「申し訳ございません。城から神殿へ戻る前に、『光の癒し手』様がどうしてもこちらにいらっしゃるとおっしゃって……」
「ふむ、まあよい。『黒の癒し手』様、この方こそ『光の癒し手』、リリアム・メネ・ガイア様ですぞ」
大神官は自慢げに金髪天使に視線を向けた後、私に向かって見下すように笑みを浮かべた。
「バーニャが、『黒の癒し手』は僕の対になる者だって言うからさ、どんな女か見に来たのに。なんだよ。ただの子供じゃん」
金髪――金髪天使から格下げだ――は偉そうな口調でそうのたまった。
「ツイってなんのこと?」
「対は対だよ。そんなこともわからないの? 僕はガイアの息子だからね。選ばれし者は選ばれし者と結ばれるのさ」
なるほど……「対」とは結婚相手ということか。つまり私にあんたと結婚しろってこと? 神殿に行ったら閉じ込められるだけじゃなくて、このガイアの息子と結婚させられるのか?
「こんな所で平民を癒すなんてバカじゃないの。お前、それでもガイアの娘なの? 神殿じゃなんでも望みのままなのに、なんでわざわざこんな汚い場所にいるのさ?」
「何が望みのままよ。バカはあなたのほうでしょ。私は私のいたいところにいるだけだよ」
厳密に言えば、ここは私のいたいところじゃないけどね。でも神殿よりはずっといいもの。
「なんだよ! なまいきな女だな。僕になんて口のきき方するのさ。バーニャがどうしてもって言うから来てやったのに。この僕が、だよ。わざわざ王都の神殿を離れて、こんなコルテアなんて辺境の街まで来てやったんだよ」
ここに来たのはコルテア領主正夫人の治療のためでしょう? 別に私のためじゃないじゃん。それとも、もしかしてリリアムは大神官にそう言われて来たんだろうか。
「『光の癒し手』様、『黒の癒し手』様は少し混乱されておるのですよ。偉大なるガイアの御心をお教えできる者が周りにおらず、不幸にもこのようなところで働かされていたのですぞ」
大神官と神官達はそろって「おいたわしい」といったポーズをとってみせる。
「ご心配にはおよびませぬ、『光の癒し手』様。我々ガイア神殿は、『黒の癒し手』様をもこの貧しい境遇からお救いいたしますから」
ガイアの息子についてきた神官が横からそう口を添えた。
「おわかりですかな、『黒の癒し手』様。このファンテスマに今現在、たった二人しかいないガイアの申し子。そのお二人ともが癒し手なのですぞ。どれほどガイア神がお二人を愛で、そして結ばれることを望んでいらっしゃるか……」
慇懃無礼に冷たい視線をよこす大神官に向かって、私はきっぱりと自分の気持ちを口にした。
「私はここにいます。閉じ込められるのはいやです。どうせこの彼だって、神殿の奥から出たことないんでしょう?」
「外は穢れに満ちております。ゆえに我々神殿が大切にお守り申し上げているのですぞ」
「そんなのおかしいじゃないですか」
「お前ってほんとにバカなんだね」
あきれたような金髪の声に、私のほうがあきれてしまった。
「バカはあなたよ、リリアム。自分が閉じ込められてるってこと、いい加減に気付きなさい!」
『ガイアの息子』とも、『光の癒し手』とも呼びたくなくて、リリアム、と名前で呼んだ。
「閉じ込められてなんかいないよ。ねえ、バーニャ」
「ええ、ええ、その通りでございますよ。我々神殿が大切にお守り申し上げてるのです」
「リリアム、聞いて」
「僕は選ばれし者なんだよ。汚い街になんか出るわけないじゃん。神殿の奥の清浄な気の中にいるべきなんだよ。お前だってこんな汚いところに居続けたら穢れてしまうよ。ガイアの娘が穢れるなんて、神への冒涜だよ」
私は大神官を睨む。
「そんな風に神殿の中に閉じ込めて、それが〝大切にお守りする〟ってことなんですか? 彼の自由はどこにあるんですか?」
私の怒りは大神官じゃなくてリリアムの声に遮られた。
「何言ってるの? お前、どこまでもバカだね。僕はこの上なく自由さ。食べたいものがあればすぐに出てくる。欲しいものがあればすぐ手に入る。気にいった娘を見つければその夜には寝所に来る。癒しなんかしたくないって言えば、何日だってしなくていいし、誰も何も文句は言わない。僕は僕のやりたいことしかやってないさ」
「そのとおりでございますよ、『光の癒し手』様。ああ、まったく貴方様のご聡明なこと、このバーニャ、感涙に堪えません」
これがガイアの息子か。二三〇歳にもなって頭の中は一〇歳くらいの子供じゃん。
そんな風に思って目の前の柔らかそうな金髪を眺めているうちに、今度は強烈に神殿に対する怒りがこみ上げてきた。
すべては神殿がやっていることなんだよ。迫害したら「大地が揺れる」からって甘やかすフリをして、囲い込んで閉じ込めて束縛しているんだよ。
リリアム、あなたは本当にそのことに気付いてないの?
二三〇年近くも? どんな風に言いくるめられたの?
いったい幾つの時からこうやって騙されてきたの?
外に出たら穢れるって? なんでも思いのままって?
リリアムの言葉はみんな、神官達が彼に言ってきたことなんだろう。
だめだ。怒りがおさまらない。二三〇歳の被虐待児だよ。
「リリアム、聞いて。あなたはもっといろんなところを見に行ったり、外で遊んだりするべきなのよ。それに、欲しいものがあれば、〝言えばすぐに出てくる〟なんてだめだよ。自分の力で手に入れたほうが、ずっとずっと楽しいし、美味しいし、嬉しいんだよ」
リリアムはきょとんとして立っている。私は悔しくて腹立たしくて、そして悲しくなった。
「言わなきゃ何も出てこないなんて、そんなの自由じゃないんだよ!」
もっと言い募ろうとした時、大神官の強い声で遮られた。
「何をおっしゃるか! 『光の癒し手』様のお心を煩わせるようなお言葉は、たとえ『黒の癒し手』様とて許されることではありませんぞ!」
「リリアムも普通のヒューマンでしょう。彼にだって人並みの幸せがあっていいはずです」
「人並み? 普通のヒューマン? なんという無礼! ガイアの申し子に対して、普通だとか、人並みだとか。なんという冒涜。さあ、『光の癒し手』様、ここは穢れに満ちております。『光の癒し手』様のお身体にも障りましょう。はよう神殿へ戻り、身を清めてさしあげましょう」
「待ってください!」
このまま彼を行かせるのはいやだ。だってこのままだとこの子――二三〇歳だけど――はずっとこんな風に何も知らず、何も教えられず、ただ人形のように生きていくことになる。
追いすがろうとした私の手は、お付きの神官達に冷たく遮られた。
こちらを見て何か言いたそうにしていたリリアムも、大神官に「これ以上穢れると禊の刻が長くなりますぞ」と言われると、ぴくりと怯えるように肩を震わせ、それからふいとそっぽを向いてそのまま神官達に連れられて行ってしまった。
何? 今の。なんか脅かしたわよね。何やってるの、こいつら。
リリアムがいなくなると、大神官は私を冷酷な目で睨みつけた。
「『黒の癒し手』。これ以上は言わぬ。神殿へともに参るがいい。そうすればお前にも何不自由ない暮らしをさせてやろう」
「いやです」
誰が行くもんか。
決死の覚悟で睨みつけると、業を煮やした大神官は低い声で脅してきた。
「神殿の御加護を受けられぬことになるぞ」
それを聞いてヒュージさんとウェッジさんがとうとう私の前に進み出た。
大神官が侮蔑の表情で彼らを見据える。
「ここで神殿と事を構える気か?」
だめだ。このままじゃヒュージさん達も神殿に睨まれちゃう。彼らに害が及ばないようにしなくちゃ。
そう思って私は前に出ようとした。
「リィーン殿、心配御無用。我らは貴女の盾です」
ウェッジさん、しびれるセリフだ。かっこいいぞ。いつものお気楽キャラはどこ行ったのよ、惚れるじゃんか。と萌えに走りたくなったけどそんな場合じゃない。ウェッジさん達に迷惑はかけたくないんだよ。
その時、冷たい声が室内に響いた。
「『黒の癒し手』は、『黄金の戦神』、第二王子レオンハルト・フォン・デュッセル・ファンテスマ殿下が後見となっております。神殿の指図は受けません」
聞き覚えのある声……開いた扉の陰からシアンさんが姿を現した。
「子守が増えたか……」
潮時と見て取った大神官は踵を返して扉に向かったが、一瞬足を止め、ものすごく下卑た表情で私を振り返った。
「第二王子が自ら後見とは。すでにお手がついていたか。なげかわしいことよ」
むかっ。なんてことを!
シアンさんは剣に手をかけたヒュージさんを片手で止めながら、あくまで冷静な声で「お引き取りを」と促す。その視線は氷のようだった。
「ガイアの申し子は神殿のもの。たとえ『黄金の戦神』であろうと、神の御業の前にはいずれひれ伏すことになるぞ。そうなる前に申し子を差し出したほうが御身のためだと伝えるがいい」
大神官はそう捨て台詞を残して去って行った。
か、……帰った。
もうちょっとで神殿に取り込まれるところだった。危なかった。
「遅くなりました。嫌な思いをさせましたね」
シアンさんはそっと私を椅子に座らせた。そして私の前に跪き、手を握って落ち着かせてくれる。緑姫の知らせを受けて駆けつけてくれたらしい。
「神殿が動かないようにこちらで止めていたつもりでしたが、向こうが一枚上手でしたね。本来なら、今日は大神官が城から出られるはずはなかったんですが。嫌な思いをさせました。しかしレオン殿下の後見がある以上、神殿も直接あなたに手を出すことはできません」
ノエルが影から心配そうに様子を伺ってくる。さっきまでのピリピリした空気に、ノエルも緊張していたみたいだ。
大丈夫だよと宥めてはみたものの、実は全然大丈夫じゃなかった。
初めて見たガイアの息子の姿に、私は正直打ちひしがれていたのだ。
もしこの世界に来た時の状況がちょっとでも違っていたら。
私が癒し手だと知られた時に、もし最初に神殿に連れていかれていたら、きっと私もリリアムみたいになっていた。
他人事じゃないだけに、さっきのリリアムの姿は余計に辛かった。
「ヒュージさん、ありがとうございました。止めてくれなかったらどうなっていたか」
ちゃんとお礼を言っておかないと。だってさっきは本気でやばかったから。
「大神官に言質を取られると逆らえぬと、彼が現れた時点で注意を促したかったのですが、その暇もなく……。でも、大事に至らずよかった」
「ウェッジさんも。ありがとうございました。かっこよかったです」
「俺に惚れると火傷しますよ」
お気楽キャラに戻ってるし。
「シアンさん、来てくれてありがとうございました」
「後手に回ってしまいましたね。もうこんなことはさせませんから」
その後、私はレオン殿下から呼ばれて診療所からまっすぐ城に向かった。
「リィーン、話は聞いた。今日は嫌な思いをさせたな。だが、たとえ神殿でも、そなたの了承なしには何も動かすことはできぬから安心いたせ」
「無理やり連れていかれたりはしないってことですか?」
「神殿は『黒の癒し手』を欲しがっているが、そなたの名はもう十分に売れている。誘拐したり、力ずくで連れて行くようなことをすれば、民衆が許さぬ。今後、神殿はそなたの言質をとり、そなたが自ら進んで神殿に来るように仕向けるだろう」
「大神官から神殿の御加護は受けられぬ、って言われました。それはどういうことでしょうか?」
「神殿はガイアを祀り、精霊の加護を人々に与えている」
子供が来たら精霊に呼びかけ属性を調べる。結婚の契約に立ち会う。病人を癒す。人が死んだ時はガイアに祈って埋葬する。レオン殿下の説明によると、そういったことが神殿の仕事なんだそうだ。
私には関係のない話ばかりだよね。
属性は空間以外はもう全部持ってることがわかってる。別に結婚したいとは思ってないし、死んだってこちらの神様に何とかしてもらおうとは思わない。癒しは自分でできるから必要ないし。
もし万が一、日本に帰れなくてこっちで結婚したとする。
神殿が認めた正式な結婚じゃなくても特に困らない。将来私に子供が生まれて属性を調べるのを拒否されたとしても、私にはステイタスが見えるからね。魔中りの症状で属性が調べられなかったシャルル「次期当主様」も、属性がステイタスに表示されていたし。
「私、あんまり困らないように思うんですが」
「ああ、魔術師としてすでに完成し、ましてや癒しの術もあるそなたに、神殿が強く出られる手札はない。今日のことも、そなたの言質がとれなかったから、悔し紛れにそなたを苛めて楽しんだだけだ。私の庇護のもとにあるうちは、神殿にできるのはせいぜい嫌がらせ程度のことだろう。そなたが行くと言わねば連れては行けぬ。もし何か強引に事を進めるなら、私の側室候補ということにしてもよい」
「そそそ、……それはいいです」
「そうか」
レオン殿下、さらっと怖いこと言わないでください。
「当面は、神殿の者が直接そなたに接触できぬよう我らが守る。まあ、そう長くかかることもあるまい。今、私は神殿に集まる権力を分散させるよう動いている。じきに状況が変わる。いずれは癒しの術も神殿から切り離せよう。こたびのことでは、神殿の力を殺ぐことができた。そなたのおかげだな、リィーン」
「レオン殿下……」
私はふと、これまでのことを思い出す。コルテアに来て、図書館で調べ物をしたり、診療所で患者の話を聞いたり、冒険者として働いたりするうちに、いろいろな情報に触れてきた。
その中に、神殿の力が強すぎるという話がちょくちょく出てきたのだ。今、隣国ギューゼルバーンとの関係が緊迫しているのに、神殿が騎士団や貴族の動きを制限したりすることもあるとか。
なんとなく、レオン殿下のやりたかったことがわかってきたのだ。
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