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第1話 帰って来た旦那様
しおりを挟む「奥方様、領都の孤児院から定期報告書が届いております」
家令から手渡された書類に目を通す。
「ありがとう…あら、焼き菓子販売が黒字に転じているじゃない!」
この領都にパン屋はいくつかあるけれど、どこもお菓子はついでで種類もわずか。
私がレシピを持ち込み、孤児院に焼き菓子専門店を作ったのだ。
故郷の味を私が食べたかったというのもあるんだけど。
「わずかながら、ですけどね。それに初期の設備投資などを考えればまだまだではないかと」
「ううん、いいのよ。一歩ずつ進めていくことが大事だわ」
試作はしてるけど表に出していないレシピはまだいくつもある。
ある程度間隔をあけて新作を小出しにしていく作戦だ。
「それから、その報告書には記載されておりませんが、孤児2人が領都の西側にあるパン屋に住み込みで働くことが決まりました」
「…あ!もしかして赤毛の兄弟かしら?」
うなずく家令。
「そうです、よくご存知で」
孤児院での店舗の立ち上げでたびたび訪問しているからどの子もよく知っている。
兄はしっかり者で慎重派、指示されなくてもテキパキ動く。
まだ幼い弟はおしゃべりが大好きでいつもニコニコ。
「あのパン屋には跡継ぎがおりませんでしたから、いずれ正式に養子にするつもりだと聞いております」
「まぁ!それはよかったわ」
赤毛の兄弟の屈託のない笑顔を思い浮かべた。
あ、そうだ。
この件は王都にいる旦那様へのお手紙に使わせてもらおう。
何を書いても反応が薄くて書くことがなくて困ってたのよね。
15歳で嫁いでもうすぐ3年。
王都での任務に当たる旦那様とお会いするのはせいぜい年に1度。
まぁ、どうせ雇われ妻だからどうでもいいんだけど。
■□■□■□■□■
国境近くの子爵家に生まれた私は、母が早くに亡くなったこともあって家のことや父の領地経営を手伝っていた。
兄が結婚して子爵家を継ぐことになり、兄嫁はとてもいい人だから邪魔にならないよう外で働く先を探していたところに持ち込まれたのは就職先じゃなくて縁談。
お相手は軍人さんで国境紛争で武勲を上げたことにより男爵位と領地を賜った。
平民だったので領地経営に関してはまったくの素人。
多少なりとも知識のある私に白羽の矢が立ったというわけだ。
「男爵の妻という職に就いたと思って欲しい」
最初の顔合わせでそう言われた。
軍人らしく無骨な容貌と雰囲気の彼には王都での役職もある。
領地経営と男爵家の家政は私に任せ、夫婦として過ごすことはないということ。
「かしこまりました。微力ながら男爵家と男爵領の発展繁栄に尽くしたいと思います」
結婚願望はもともとたいしてなく、自立を目指していたからその方が私としてもありがたい。
結婚式は行わず、書類にサインして提出しただけ。
実家である子爵家を発つ前に家族で少しだけ豪華な食事会をしたけれど、そこに夫となる人はいなかった。
「多少なりとも手助けは出来るだろうから、困ったことがあればいつでも連絡しなさい」
もうすぐ家督を兄に譲る父がそう言ってくれた。
「ありがとうございます、お父様」
父は私がこれから暮らすことになる男爵領について調べてくれていた。
もともとは不正を摘発された貴族から没収された領地の一部。
不正をするような家なので領地経営についても推して知るべし。
やらなければならないことは多そうだ。
父は自身の右腕とも言うべき家令を嫁ぐ私につけてくれた。
私が生まれる前から我が家にいてくれた頼れる人。
次の子爵となる兄には家令の息子さんがすでに次期家令として働いている。
「こちらの引継ぎが落ち着いたら私もそちらへ顔を出すとしよう。まずは自分に出来ることを頑張りなさい」
父と兄夫婦に見送られて旅立った。
「ようこそ、奥方様。お待ちしておりました」
眼鏡をかけた年配の文官が出迎えてくれた。
しばらく国の直轄領となっていた男爵領は、国から派遣された文官が領主代理を務めていた。
これから引継ぎを行っていくけれど、領主代理はずっとこの地に留まるという。
「これが文官としての最後の務めと決めておりました。ここは私の故郷でもありますから」
領主代理の身で出来ることは限られていて、現状維持が精一杯だったのだとか。
「そして奥方様のご実家から送られてきた計画書に私は心揺さぶられました。どうかこの地の発展のためお手伝いさせてください」
そう、経験豊富な父や頭の切れる兄と相談して自治や開発などに関する計画書を事前に作成しておいたのだ。
「計画を実現するには人手はいくらあっても足りないから、間違いなく多忙になるわよ?」
文官が笑みを浮かべる。
「ははは、望むところですよ。これでも文官としていろいろと経験してきましたし、伝手やコネもそれなりにございますからね」
こうして私は実家からついてきてくれた家令と領主代理の文官というイケオジ2人を戦力にした。
この勝負、勝てそうな気がしてきたわ!
旦那様?
いてもかえって邪魔になりそうだから、いない方がやりやすいかもね~。
■□■□■□■□■
「奥方様、旦那様がこちらへ来られるとのことでございます」
旦那様が王都での任務を終えるまでは領主代理を務めることになっている文官が手紙を持ってやってきた。
「え、先々月に来たばかりよね?」
この地に嫁いで約3年。
土壌改良や水路開拓、林業のための山間整備、さらに福祉や教育制度の整備など忙しく過ごしていたらあっという間だった。
その3年間に夫である男爵がこの地を訪れるのはせいぜい年に1度か2度。
こないだ来たばかりなのにまた来るの?というのが率直な思いではある。
「伝手がありまして少々情報は得ているのですが、ご本人からお話を聞くのがよろしいでしょう」
どうやら王都で何かあったらしい。
壁際に控えていた家令に視線を向ける。
「よくわからないけど支度をお願いね」
「かしこまりました」
いつものように丁寧なお辞儀をして家令は執務室を出て行った。
「おかえりなさいませ、旦那様」
「…ああ」
どうしたのかしら?
あいかわらず熊みたいに大きいけれど、今日はなんだか元気がなさそう。
「すまないが君と少し話がしたい。よいだろうか?」
応接室に移動して、お茶を出してくれたメイドが去った後は2人きりになる。
「…実は軍を辞めてきた」
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