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理の外から来たモノ

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 ゴウン。

 腹の底にびりびりとした振動を感じる。その場所から舞い上がった灰色の砂埃でたちどころに辺りは灰のもやがかかる。


 地震が起きたのではないかと思った。地面が縦に揺れ、前にこけそうになるもなんとか足を踏ん張りバランスを取る。


 なんのことはない。ソレが巨岩から飛び降りただけだ。

 俺は動けずにソレが降り立った場所を見つめる。木の根達も同じように揺らめきながらソレの方を向いている。

 砂埃はやがて静まり、周囲がようやく把握出来るようになる。

「うわ」

 思わず顔を顰めて呻く。ソレの異常性が目に見えて分かる。一体その小さな体のどこにそれまでの体重を秘めているのか。ソレが着地した地面はまるで隕石が落ちたかのように陥没していた。


「クレーターじゃないんだからよ」


 どうする?  やるか、逃げるか。

 灰トカゲを完封したことや、自分に味方をしているらしい超常現象で気が大きくなったのか。

 ついさっきまでは逃げるしかないと思っていた目の前の化け物だが、なんとなくやれるのではないかという考えが俺の中で生まれていた。



 もし未確認の怪物なら討伐まで行かなくても写真や交戦記録だけでもかなりのインセンティブが出る。


 ダンジョン酔いのせいか、はたまた元からそういう強欲な人間だったのか。ともかく今の俺の中には逃げると闘う。両方の選択肢が出来ていた。


 どうする?

 俺はソレを見つめる。永い時間そうしていたような気がして、それから。


 ソレがこちらへ駆け出す!


 体勢はそのまま、手と足を同時に出すあの走り方。


 来るか。俺が斧を構えて腹を決める。ここでやる。殺す。


 木の根がその意思に反応するようにソレに向けて伸びる。まずは二本の木の根がその先端をソレに突き刺そうと疾る。


 くらえ、串刺しになっちまえ。一本目の木の根は地を這うように伸びソレの左足に巻きつき絡めとる。ガクンとソレの体が止まり、一対の耳が大きくたわんだ。


 今だ。すかさず二本目の木の根が蛇のようにとぐろを巻きながら伸び上がりソレの死角である真上から振り降りる。その切っ先は螺旋のように尖っている。

 狙うはソレの耳の真上。脳天。


 とった。と俺は確信した。

 それほどまでに木の根の速度と連携は完璧だった。恐らく俺が操作しているのではなく、木の根は勝手に自立して敵に襲いかかっている。生き物か機械かよくわからない不気味な正確性で化け物を葬らんとした。



 行け! やれ。


「слабый…」


   聞いたことのない音か、言葉がソレの耳穴から流れ出た。

 ソレはまず真上から襲い来る木の根に対しほんの少しその大きな耳を捻ったかと思うと、ことも無げにそれを振るう。濡れることを嫌がっゾウの耳のように振られたその耳は直上から襲い来る木の根を弾いた。


 は?  

 弾かれた木の根が

 灰ゴブリンの住居を崩したり、木の根の盾に斧を突き立てた俺は知っている。

 それはそんな風に砕けるようなものじゃあない事を。形を自在に変えるしなやかな弾力と、灰トカゲの厚い表皮や硬い骨を貫く鋭さ。それらを併せ持つこの木の根が、そんな陶器が割れるように砕けることなど。


「あるわけが、ねえ…」


 現実は残酷だ。ソレが足に巻きつくその木の根を振り払おうと蹴るように足を動かす。まるで鋭い刃物を用いて達人に断ち切られたように木の根は振り払われた。



 調子に乗った。それ以外にない。少し不思議な事が起きたために見誤った。


 


 思わず一歩後ずさりをする俺と対照的に、足元に残った揺らめく三本の木の根達は勇敢だった。



 勇敢に同時にソレに襲いかかる。先端を尖らせ、体をしならせ生き物のように柔軟に、機械のように正確に自らが為すべきことを為そうとした。


 正面からソレの耳の穴を貫かんと根が迫る。まるで人が蚊を払うようなソレのビンタにより、根はその先端をぶりんと落とされる。

 右と左に別れた残りの二本がそれぞれの角度からソレの胴体の側面を串刺しにすべくー

 また耳を振り回す。


 ガラス細工を床に叩きつけたように木の根達は残さず粉々になった。


俺に与えられた奇跡は踏みにじられた。

「Ist es schon vorbei?」

 またあの機械音のような合成音声のようなものがソレの耳から再生される。


「…日本語喋れよ…」


 気付けばゆっくりと俺は後ずさりを繰り返していた。体が今すぐここを離れろと足を動かそうとするが、必死に理性でその衝動を抑える。


 間違いなく、今背中を向けたら死ぬ。そんな予感が俺にはあった。



「Pleurer  صيحة  CRY   ハハハハハ。」

 最後に嗤ったのはだけはわかった。ソレは楽しむようにその短い腕を広げて じり、じりと俺に近づく。


 あの膂力で襲われたのなら俺はひとたまりもなくミンチにされるだろう。


 ミンチ、ははっ。痛いだろうな。


 ダンジョン酔いが促す、興奮物質の供給は止み、いつしか俺の脳内には極度の眠気が充満し始めていた。


 膝が小刻みに揺れる。注意しないとこけそうだ。カチカチ鳴っている音が聞こえる。歯の根が噛み合わない。

 体が浮いて、重心が見つからない。


「来るな…、こっちに来るな!」


「Plus、hơn、More 、Pleurer」


 なんだ、コイツさっきから何をいっている?  俺が叫ぶほどソレは耳を小刻みに振動させながらわけのわからない音声を流し続ける。

 ズサっ。
 足が止まる。
 とうとう俺の背中が背後の岩にぶつかりこれ以上の後退が出来ない。


 ソレは近づく。目も口もないソレが裂けるような笑顔を見せたように思った。


 逃げておけばよかった。やっぱり調子に乗っていいことなどない。

 次があれば絶対逃げるから、もう一度チャンスを下さい。

    この世から神や仏が消えて久しい。残念ながらとうの昔に神は死んで仏は廃仏毀釈により燃え消えた。俺の願いを聞くものはいなかった。

    太り過ぎの小便小僧のような体に頭の代わりに不気味な一対の巨大な耳。近い。一体どんな邪悪な偶然が重なればこんな生き物が生まれるのか。ソレの異形がさらにはっきり見える。

   もう3メートルもない。


 互いの歩みが止まる。


 そしてソレが動いた。右拳。ゆるく握られたそれは大雑把で動きで振るわれる。


 動け、動け、動け。


「動、いたぁ!」

 恐怖で固まった足を強引に動かす。長時間正座をした後のような痺れを伴いロクに動かない足を力だけで無理やりに跳ねさせる。


 その場に飛び込む形で拳をかいくぐる。


 どしゃあ、と砂に倒れる。肋骨からはもう痛みを感じない。痺れのみだ。


 俺はできる限りいそいでまた体勢を整え、その拳の行った先を見た。口が力なくの字に開いた。


 灰色の岩を砕いたわけではない、ソレの拳が突き刺ささっている。一体どんな拳をしていればあんなに深々と拳が刺さるのか。


 ソレはなんの気もなしに拳を引き抜く。小さな穴が深々と空いていた。


 もしあれが当たっていたとしら。俺は思わず腹のあたりを摩る。ちょうどこの辺りに食い込んでいたのか? 岩を貫く拳の一撃は皮膚を裂き、筋肉を破って内蔵をかき混ぜただろう。


「nice.ナイス」

 ソレがまた音を発する。今度はわかった。nice。ナイス。
 ナイスだとよ。すげえ、コイツ本気で化け物だ。

「ふふっ、ふふふっ、はははは」

 腹の底から笑いがこみ上げる。視界の端がレンズを通したように歪んだ。やべ泣けてきた。



「わかった、わかったよ。今のでよくわかった」


 舌が回る。

「俺はどうあがいてもお前には勝てないんだな?  ここで必ず殺されるということだ。」


 耳の化け物はこちらを見つめる。

 膝の震えは止まったいた。代わりに蘇えったように心臓の鼓動が体を揺らす。それはまるで俺を励ます打楽器のように。



 もういい、怖がるのもバカらしい。やけくそだ。


    どうせ死ぬならやってやるさ。涙と鼻水を撒き散らしながら死ぬよりはカッコがつくだろ。


 俺が右手の斧を握りしめソレに向けて特攻を仕掛けようとした時。




    まただ。




 左手が熱い。さっきから無意識に握り込んでいたモノがまた熱を発していた。


 期待していたわけではない。狙っていたわけでもないのに、俺は小さく呟いた。




「来た」





 耳の化け物がその足をたたみ、しゃがみこんだかと思うと一気に飛び上がる。宙を舞う高々とまるで空舞う翼を持つモノのように。

 向かう先は俺。このままでは間違いなく潰される。


 左腕が自分のものではないように勝手に動く。その熱を飛び上がる耳に向けて翳すように向ける。


 ああ、ヤツはこれを使おうとしていたのか。灰色の幼い戦士の最期が俺の脳裏に去来した。




 ボコ。

 地面が隆起し、沈んだ。あまりの衝撃に片膝をつきそうになるがそのままの姿勢を維持しようと踏ん張る。


 炎のような黄緑色の光が手袋に覆われた拳の隙間から漏れ出した。


「ぶちかませ」



 沈んだ地面から重い茶色をしたものが生える。木の根ではない。大人の胴体を三倍にしたような太い濃い茶色の木の幹だ。

 それは鉄槌のような勢いで飛び上がったソレにぶつかり、下から突き上げるように捉える。

アッパーカット。

耳の化け物をきりもみしながら吹き飛ばした。


 地面に転がり、一回転、二回転、三回転、縦に横にソレが回転するように転がり、やがて止まる。


 ソレは立ち上がらない。

 俺は斧を素早くホルスターに入れた。





 神も仏もいない。ここにいるのは恐ろしい化け物と、平凡で意外と図太くそして不運で幸運な人間だけだった。

    よし、にげよう。俺はすぐさまそこから走り出した。今度は間違えないし、二度と調子には乗らない。

 ただ、走る。死から逃げるために。


 灰色の地面にコンバットブーツの新たな足跡が刻まれた。
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