誰何の夢から覚める時

多摩翔子

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序章

2.喫茶まほろば

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 バイクの背に揺られながら、僕が自分が今持っている”認識”をなるべく整理した。


 
 “美珠町とは、人口およそ一万人ほどの町だ”

 “田舎から見れば栄えていて、都会から見れば田舎に見られるような立ち位置。海に面しており、観光客もそこそこ来る”

 “自分は美珠町の中心街の外れにある住宅街にて、喫茶店を経営している”

 “名前は『喫茶まほろば』”

 “バイトなどはおらず、自分一人で切り盛りをしていた”
 

 ……しかし、自分がどういった経緯で喫茶店を経営するに至ったのか、そもそといつからこの街に住んでいるのか、自分に関する過去の記憶はいくら頭を捻っても思い出すことが出来なかった。

 思考が止まると、一気に現実が襲ってくる。雨に打たれ、傘も無いこの状況でいい加減体が悲鳴をあげていた。


(……寒い……体が震える。
なぜ?自律神経の働きにより交感神経が刺激され血管が収縮して血流が悪くなって、体が冷たく感じる、から……でも、それだけじゃなくて……)


 ダメだ、あまり重要でないことを思い浮かべてしまっている。小さく歯噛みして、僕は背中をつかむ手を強めた。手の先から伝わる、バイクの男の体温がジワリと伝わる。自分と同じく冷えているはずなのに、男は寒がる様子は無い。

 そのぬくもりに、少しだけ集中力を取り戻した。
 次に、どうして今自分はこんな時間にバイクに揺られているのかの記憶を探ってみることにする。

 こちらに関しては脳裏から声が聞こえることも“認識”が増えることもなかったので推察を重ねてみる。
 
 まず最初に気が付いた場所は美珠町郊外の裏山だ。一応整備はされているが、特に何も無いところなので立ち入る人はそう多くない。

 コートについた泥と、節々の痛みから、おそらく僕はそこで倒れていて、バイクの主が助けてくれたのだろうと察することは出来た。


(……どうしてこんな時間にそんなところにいたのかは分からない。)


 つまり、自分が持っている正確な“記憶”は、『気がついたら裏山で倒れていたところを、目の前の男に助けられた』だけである。

 美珠町にて喫茶まほろばを経営していた事、確かにこの街に住んでいたという“認識”はあるが、今に至るまでの詳細な“記憶”は一切ない。


 (これは、困ったな……)


 先程のように、刺激を受けたらまた“認識”がふっと湧いてくる可能性もなくは無い。でも……何かおかしいような気もする。

 今は“記憶”を掘り起こしても無駄だ、と脳のリソースを周りの景色の観察に切り替える。とっくに山道を抜け、住宅街に入っていた。

 寒気は気にしないよう、五感に意識をなるべく割く。
 薄ぼんやりとした街灯の光に浮かぶ街中に、見覚えがあるだろうかと思考すれば良いのだ。

すると、存外簡単に記憶が蘇った。


(美珠町南西区の住宅街、だったかな)

 
 道には人一人いないが時間帯を考えると無理もないことだった。時折窓から光が見えることから少なくとも人は住んでいるのだと察することはできる。


(人口がちょっと少ないだけの、普通の町、普通の風景、普通の日常……)
 

 それにしても、男は自分に住所を聞いたくせに、道に迷う様子は無かった。右へ、左へ、閑散とした住宅街を緩やかなスピードで走りぬける。
 そして、特徴的な青い屋根の建物の前で止まった。


「ここか?」




 そこは、少しくすんだバラがクリーム色の壁を伝って咲いていて、可愛らしい木製のカラスの看板には“close”と書かれている、ずいぶん可愛らしい見た目の喫茶店だった。
 自問自答する前に、口から言葉が滑っていく。


「うん、ここが喫茶まほろばだよ」


 口に出した後、脳が納得し“認識”する。そんな感覚に慣れ始めていた。
 止まったバイクから身を降ろし、玄関近くまで駆け寄る。喫茶まほろばの建物自体は少し古びているが、デザインは可愛らしく小洒落ていて古さすらレトロとして使いこなしているようだ。


 (僕の店、僕が、望んだ……)

 はて、自分はこのような外装を望むだろうか。


“──喫茶まほろば、すいかが経営してる個人喫茶店。持ち家で、一階がカフェスペース、二階が生活スペース。”
 

 また、脳から声がした。

 そんな自分を横目に男は了承も得ずにバイクを敷地内に停めた。路駐は良くないが、どうにも強引だ。その事を咎めるべきか迷ったが結局口を閉ざした。

「ありがとうございました。あの……名前」

 呼びかけるべき名前は相変わらず思い浮かばない。はく、と口が空回った。
 
 改めて彼の顔を確認しようと横を向いて、そこで初めて街灯に照らされ彼の容姿が克明になった。自分より一回り以上ある大きな背丈に横幅のある体躯はいかにも頑強な印象を与えた。


(……また震えた。これは、恐れ?知らない男の人に対する警戒反応?)
 

 寒気とは違う震えを押し殺し(これが失礼にあたることは理解できる)、決して相手に悟られないよう目を見つめ返した
 浅黒く日焼けした肌に、真っ黒な髪、通った鼻筋にポツンとほくろが浮いている。吊り目な眼光がこちらを見定めるように僕を射貫く。

 さっきまでは暗くて分からなかったが、よく見るとその目は深緑をしていた。


(……珍しい、日本人にはあまりない色。考えられるのは混血、あるいは虹彩異常……)


「静寂潮、牛の男じゃなくて海の潮の方な」


 そんなことを考えている最中、男はあっさりと自らの名前を明かした。

 
「しじま、うしお……」


 名前を聞く限り日本人のようだ。何か思い出せないかと反芻すれば、脳の奥の方が、何かが引っ掛かるような感触はあった。


(知ってる、ような……)


 が、それはすぐに霧散し分からなくなる。
 
 とにかく、この男は静寂潮というらしい。


「一つアドバイスだ。初対面の奴と話をしたい時は、まずは自分から名乗り、その後相手の名前を尋ねるといい。順序を逆にするやつは人として礼儀がなってないからな」

「……つまり、さっき僕に名乗らせた君は礼儀知らずってこと?」
 
 一瞬、彼は面食らった顔をした。その表情で、僕は相当な事を言ったと気付いたがもう遅い。
 彼は顔をくしゃりとゆがめて笑い出した。

「はっはっはっ、ぶっ飛ばすぞ!!」
 
「っ、君が言い出したんだろ!」

 緊張感が消し飛んだ。真面目腐った顔をするのも馬鹿らしい!
 とにかく全てが謎だ。口ぶり的に、そもそも初対面では無いんだろうなとは察していたが、僕の“記憶”にはない。
 彼はまだニヤニヤと笑っている。そして率直な質問が投げかけられた。
 
「まぁいい、何か思い出せたか?」


 が、それにはまったく答えられそうにない。


「いえ……」


 結局そんな言葉しか返せず、小さく歯噛みする。さっきからずっと変だ。一部の記憶だけが意図的にすっぱ抜かれているような感覚、通常の記憶障害とはおそらく違う。
 

……普通の記憶喪失とは何かと聞かれても自分には正確な返答は出来ないが。
 
 そんな自分の様子をそこまで気にせず、隣の男は自然に、まるで当たり前のようになんの躊躇いもなく、『喫茶まほろば』の扉を開けた。


「え」


 止める間もなく部屋の中に入ってしまった。木製の扉がぎぃと音を立てる。


「ちょ、ちょっと!入るなら一言言っておくれよ!」

「いい加減寒いんだ、続きは中で話すぞ。」

 記憶の方に回していた思考力を現実に引き戻す。身分のわからぬ男をいきなり自分の家に入れてはならないだろう。というか人の店に無断で入るのは人の常識的に考えてどうなんだ。

 が、彼のいうとおりそろそろ寒さも限界だ。濡れたコートは容赦なく体温を奪っていくし、髪もすっかり濡れている。
 仕方なく、僕も後を追うように店の中に入った。


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