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42 手紙
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ルシウスから王太子の元に書状が届いた。ルヒカンド王にではなく、王太子に直接であった。
ガネシュを捕らえマハ王国に責任を持って移送するように、記憶改竄の術をかけマハ・ルヒカンド両国の混乱を招いたのはガネシュであり、その術を解かせることが王女のためにもなる、といった内容であった。
「確かに腑に落ちる……」王太子は書状を読んでそう思った。その時、去ったルシウスの部屋を探索していた部下から報告があった。
「殿下、床下にこんなものが」
部下が差し出したのは封筒だった。かすかに銀木犀の香りがした気がした。王太子は急いで中身を取り出し手紙を読み愕然とした。
王女が自分に宛てた手紙だった。記憶が戻りつつある王太子には、過去に学んだマハ語が読み取れるようになっていた。
ルシウスが隠し持っていたのか。卑怯な男め。怒りを沈めながら文字を追う。
【王太子殿下 お加減がすぐれないようで心配しております。回復されましたら、気分転換にでも一緒に庭園を散策いたしましょう。】
自室に引きこもっていた自分を心配して庭園に誘う内容だった。
「私を気遣ってくれていたとは──」
そうとは知らず、あの時心を閉ざしてしまった自分が情けなかった。それに王女は幾度となく私を訪ねてきてくれたな。
どうしようもなく愛おしさと嬉しさが込み上げてきて手紙を握る手に思わずぎゅっと力が入った。突然に王女と別れなければなかなかった辛さもすっかり洗い流された気分だった。そして手紙の最後に記された名前、初めて知った王女の名前に目を落とす。
【 翡翠 】
「ひすい……翡翠、というのか王女は──」
美しい異国の響きだった。手紙を通じ、翡翠の心に触れた気がした。
「やっと知ることができた。再会できたら、この名を呼んでみたい。王女は振り向いてくれるだろうか」
会いたくてたまらない──
そう強く感じながら、王太子は宝物のように、もう一度小さく「翡翠」と呟いた。
∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵
ルシウスは侍従に化けた残党兵に見張りをさせて翡翠の部屋を訪れた。
「翡翠」
聞き覚えのある声に、文机に座っていた翡翠がまさかと振り返る。黒髪緑眼のルシウスが立っている。
「ルシ──」
「私は黒曜だ」
ルシウスは以前の名前を呼ぼうとする翡翠の声をかき消すように本当の名を口にした。
「黒、曜?」
ルシウスの胸はじんとした。そうだ、その名を呼んでくれるのをどんなに待ち侘びたか。
「王弟の第一王子だ。わかっているだろうが、翡翠の」
「母上から伺っている」
従兄弟の黒曜が自分の夫となるということを。
「そんな沈んだ顔をしないでくれ。マハ王国をふたりで立て直そう。私のことは少しずつ思い出してくれたらいい」
そう言ってルシウスは翡翠のそばに近づこうとした。翡翠は手紙を書いている最中だったのか、さっと手紙を手で隠した。ルシウスは嫌な予感がして嫌がる翡翠から手紙を奪い取った。
「返せ! 奪うとは無礼な」
翡翠が抗議するもルシウスは配慮よりも怒りの方が先に立っていた。なぜなら、その手紙は王太子に宛てたものだったからだ。
「まだ諦めていないのか? 異民族の男と結ばれるはずないであろう?」
手紙の内容はざっとみても、病み上がりの王太子の身を案じるだけのものであったが、ルシウスの胸を嫉妬でかき乱した。文机の上に辞書が置かれてあった。それもルヒカンド語辞書が。
辞書をひいてまで書こうとしたのか。おそらく呪禁で鳥にでも運ばせるつもりだったのだろう。
ルシウスは翡翠の目の前で手紙をびりびりに破りさった。
「マハの女王となる者のすることではない! ルヒカンドの仕打ちを思い出してくれ。金輪際、あの男のことは忘れるのだ」
「渡そうなどと思っていなかった。渡せるはずないであろう? ただ懐かしくて……そのような自由も私にはもうないのだな」
翡翠は悲しげにうつむいた。ルシウスは衝動的な自分の態度が急に後ろめたくなった。傷つけたいわけではなかった。だが、翡翠の心にまだ王太子が住み続けている事実がルシウスには耐えられなかった。
己の愛情を伝えたいだけなのにどうしてこうなるのだろう。ルシウスは気持ちを沈めるため、沈んだままの翡翠を置いて部屋を去った。
何のために、危険を冒してあの者たちを葬り去ったのだ。格下の王太子に私の行先をおびやかされるとは。どうして消しても消しても邪魔者というのは現れてくるのだ。
どうしよもなくよどむ不安と怒りをルシウスは消すことができなかった。
ガネシュを捕らえマハ王国に責任を持って移送するように、記憶改竄の術をかけマハ・ルヒカンド両国の混乱を招いたのはガネシュであり、その術を解かせることが王女のためにもなる、といった内容であった。
「確かに腑に落ちる……」王太子は書状を読んでそう思った。その時、去ったルシウスの部屋を探索していた部下から報告があった。
「殿下、床下にこんなものが」
部下が差し出したのは封筒だった。かすかに銀木犀の香りがした気がした。王太子は急いで中身を取り出し手紙を読み愕然とした。
王女が自分に宛てた手紙だった。記憶が戻りつつある王太子には、過去に学んだマハ語が読み取れるようになっていた。
ルシウスが隠し持っていたのか。卑怯な男め。怒りを沈めながら文字を追う。
【王太子殿下 お加減がすぐれないようで心配しております。回復されましたら、気分転換にでも一緒に庭園を散策いたしましょう。】
自室に引きこもっていた自分を心配して庭園に誘う内容だった。
「私を気遣ってくれていたとは──」
そうとは知らず、あの時心を閉ざしてしまった自分が情けなかった。それに王女は幾度となく私を訪ねてきてくれたな。
どうしようもなく愛おしさと嬉しさが込み上げてきて手紙を握る手に思わずぎゅっと力が入った。突然に王女と別れなければなかなかった辛さもすっかり洗い流された気分だった。そして手紙の最後に記された名前、初めて知った王女の名前に目を落とす。
【 翡翠 】
「ひすい……翡翠、というのか王女は──」
美しい異国の響きだった。手紙を通じ、翡翠の心に触れた気がした。
「やっと知ることができた。再会できたら、この名を呼んでみたい。王女は振り向いてくれるだろうか」
会いたくてたまらない──
そう強く感じながら、王太子は宝物のように、もう一度小さく「翡翠」と呟いた。
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ルシウスは侍従に化けた残党兵に見張りをさせて翡翠の部屋を訪れた。
「翡翠」
聞き覚えのある声に、文机に座っていた翡翠がまさかと振り返る。黒髪緑眼のルシウスが立っている。
「ルシ──」
「私は黒曜だ」
ルシウスは以前の名前を呼ぼうとする翡翠の声をかき消すように本当の名を口にした。
「黒、曜?」
ルシウスの胸はじんとした。そうだ、その名を呼んでくれるのをどんなに待ち侘びたか。
「王弟の第一王子だ。わかっているだろうが、翡翠の」
「母上から伺っている」
従兄弟の黒曜が自分の夫となるということを。
「そんな沈んだ顔をしないでくれ。マハ王国をふたりで立て直そう。私のことは少しずつ思い出してくれたらいい」
そう言ってルシウスは翡翠のそばに近づこうとした。翡翠は手紙を書いている最中だったのか、さっと手紙を手で隠した。ルシウスは嫌な予感がして嫌がる翡翠から手紙を奪い取った。
「返せ! 奪うとは無礼な」
翡翠が抗議するもルシウスは配慮よりも怒りの方が先に立っていた。なぜなら、その手紙は王太子に宛てたものだったからだ。
「まだ諦めていないのか? 異民族の男と結ばれるはずないであろう?」
手紙の内容はざっとみても、病み上がりの王太子の身を案じるだけのものであったが、ルシウスの胸を嫉妬でかき乱した。文机の上に辞書が置かれてあった。それもルヒカンド語辞書が。
辞書をひいてまで書こうとしたのか。おそらく呪禁で鳥にでも運ばせるつもりだったのだろう。
ルシウスは翡翠の目の前で手紙をびりびりに破りさった。
「マハの女王となる者のすることではない! ルヒカンドの仕打ちを思い出してくれ。金輪際、あの男のことは忘れるのだ」
「渡そうなどと思っていなかった。渡せるはずないであろう? ただ懐かしくて……そのような自由も私にはもうないのだな」
翡翠は悲しげにうつむいた。ルシウスは衝動的な自分の態度が急に後ろめたくなった。傷つけたいわけではなかった。だが、翡翠の心にまだ王太子が住み続けている事実がルシウスには耐えられなかった。
己の愛情を伝えたいだけなのにどうしてこうなるのだろう。ルシウスは気持ちを沈めるため、沈んだままの翡翠を置いて部屋を去った。
何のために、危険を冒してあの者たちを葬り去ったのだ。格下の王太子に私の行先をおびやかされるとは。どうして消しても消しても邪魔者というのは現れてくるのだ。
どうしよもなくよどむ不安と怒りをルシウスは消すことができなかった。
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