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30 魔獣

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ガネシュが庭園の林の奥で、アプリ魔術を起動する。
魔獣候補の中で黒豹くろひょうのアイコンをセレクトする。

”王女に危害を加えない”
”王女の拉致を最優先”
という命令をオプションで追加。

これで王女をさらえれば、マール家とも縁を切れる。一石二鳥だな。

ガネシュは得意げに【実行】ボタンをタップした。

庭園の林の暗闇から、尾が3本ある黒豹のような魔獣がぬるっと現れる。
そのまま一歩一歩、翡翠に迫っていく。


∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵


庭園の銀木犀の前で、翡翠が誰かを待ち続けている。

ルシウスが遠目で見ている。翡翠を見つめながらルシウスはじれったい思いを抱えていた。臆病者の王太子は今だ自室にこもったままだ。

それでも翡翠は信じているのだろうか。例え手紙の文字を理解できずとも、王太子が自分の元に来てくれると。手紙は私が隠した。王太子は来ない。早く諦めるんだ、翡翠。

その時、ガルグルル……と黒い影が翡翠に近づいてくるのが見えた。日光の元その姿が明らかになる。ひと噛みで人を殺せる豹型魔獣だ。

「魔獣!? 王宮になぜ!?」

王宮の周りには魔獣よけの結界が張られているはずだ。それをかいくぐってどうやって侵入したのだ。

ルシウスが反応するより早く、いきなり翡翠に飛びかかる魔獣。無数の牙が並んだ顎が大きく開く。

気配に気づき、振り向いた翡翠の目が大きく見開かれる。
迫る鋭い牙。

ルシウスがその身を呈して翡翠を庇おうとしたした瞬間。

疾風の如く、走り来る影。

ガイン!!

間一髪、滑り込んできた剣。
王太子だ。
魔獣の顎に剣を挟みこみ、力押しして来る魔獣を両手で支えた剣でじりじりと押し返していく。

「殿下──!」

「下がっていろ。ルシウス、王女を頼む」

王太子はそのまま剣を素早く滑らせ、魔獣の両目を切り裂く。
ギャオ!! と鋭い叫び声。王太子は暴れる魔獣の首元に一瞬で滑り込み、一気に首を掻き切った。

翡翠は何度も王太子を振り返り、「殿下、殿下」と呟いている。ルシウスは面白くなかった。

私でも十分守れたのに。翡翠、そんなにあの男のことが気になるのか。

「心配無用です。王太子は王国一の剣の達人です」

ルシウスは何とか心を押し殺し、翡翠に言い聞かせる。悔しいが腕に自信があるルシウスでも、剣の手合わせでは王太子に勝てなかった。

ルヒカンド王国は、実は大陸一の軍事国家だ。王家の男子ならば、騎士団長並みの武術の腕を持つのも、この国では珍しいことではなかった。
マハ王国を短期間で攻め落とせたのも、元々ルヒカンドの軍事力の大きさゆえである。

魔獣の息の根を止めた王太子が、血で汚れた剣を地面に刺し、こちらに向かって来る。

「怪我はないか」

翡翠に優しい言葉をかける。こくりとうなずいた翡翠は気丈にしているが、少し手が震えていた。王太子はそれに気づき翡翠の手に触れようとしたが、躊躇したのかすぐにその手を下ろした。ふたりは双方の行き違いからくる気まずさから互いの顔を見れないものの、離れ難いのか目を伏せたままずっと向き合っている。

早く翡翠を向こうに連れて行きたい。王太子のいないところへ。ルシウスをそんな焦燥感が急かした。

「殿下、王女殿下にお怪我はありません。ご安心を」

ルシウスは翡翠を誘導して王宮内に入ろうとした。
だが、翡翠は違う行動をとった。

翡翠はレースのハンカチを取り出し、王太子の頬を抑えた。

「血、殿下、大丈夫、か」

魔獣の牙がかすったのか、王太子の頬に小さな切り傷ができていた。
王太子は突然の出来事に口をぱくぱくしている。赤面しながら、「こここ、これしき、何でもないぞ」と、もごもごと呟いている。

この光景に、ルシウスの胸は掻き乱される。耐えられない。翡翠が他の男に優しくしている姿など。

しかし、ルシウスには耐えるしかなかった。自分は現状、ルヒカンド王家の一家臣でしかないのだ。

翡翠は王太子に深々と礼をした後、長居することなく王宮へ向かった。ルシウスは王太子に一礼し、翡翠に付き従う。

王太子は受け取ったハンカチで頬を押さえ、しばらく翡翠の後ろ姿を目で追ったままぼんやりと立ち尽くしていた。そして、ルシウスから指令を受けた兵たちがどやどやと集まり始めてようやく我に帰り、ふと幸せそうに笑みを浮かべた。
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