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滅亡か屈辱か
(49)道化
しおりを挟む「……カーバインは、我がローグランを滅ぼすつもりか?」
「ははは。僕たちは、別に滅亡まで望むつもりはありませんよ」
シリルが穏やかに答えたが、それをやんわりと否定するように、フィオナが声を上げて笑った。
「ローグラン侯爵ともあろう人が、察しが悪いわね! あなたは私の婚約を散々壊してきたでしょう? カーバインが、何事もなかったように見逃すと思っていましたの?」
フィオナは艶然と笑いながら表情を消した白翡翠の目を見上げ、唇の端をすっと吊り上げた。
「カーバインの女は、おとなしくはありませんわよ? その覚悟があって懺悔をしたのではなくて?」
「相応の覚悟はしている。だが、私は当主だ。ローグランを滅ぼされるのを黙って見ているつもりはない」
「そうね、そうでなければつまらないわ。でもこちらも黙って引けないのよ。私の縁談がまた壊れてしまいそうだから」
そう言ってフィオナがため息をつくと、黒髪の侯爵はまた眉を動かした。
しかしすぐには何も言わず、手紙をポケットに戻す。口を開いたのは、小さく息を吐いてからだった。
「あなたの縁談を壊すつもりはない。ルバート伯爵には私から説明しておこう」
「そんなことをしなくても、もっと効果的な方法があるそうですわよ?」
フィオナは扇子を開いて、首を少し傾げる。
背に流している銀髪がさらりと動き、幾筋か肩からこぼれ落ち、ローグラン侯爵の目は、銀色の髪の動きを一瞬追った。
……今思えば、この男はいつもフィオナの銀髪を最初に見ていた。
亡き妻と似た銀髪を見つめ、全く違っているであろうエメラルドグリーンの目と顔を見て、それから口元を歪めながら薄く笑っていた。
何も言わず、無関心を装い、でも賞賛するように。
フィオナは今更そう気付く。
……なんて腹立たしい。
フィオナは、しかし内心の乱れを全く感じさせない微笑みのまま、扇子を閉じる。
優雅に立ち上がり、ローグラン侯爵を見上げながらそっと囁いた。
「父は、あなたに道化を演じさせるだけで収めよ、と言うの」
「……道化?」
「この場でひざまずいて、できるだけみじめに私に愛を乞い、結婚してほしいとすがりついてくださる? もちろん私はお断りしますけれど」
「それは……どういう茶番だ?」
「単純な交換条件よ。誇り高いローグランの当主が、この場で屈辱的な道化を演じること。それだけでカーバインは兵を収めます。あなたの引退も求めません」
眉をひそめたローグラン侯爵は、黙り込む。
その間も、頭の中ではさまざまな計算がされているだろう。
緑色を帯びた白い目がフィオナを見つめ、やがて傷跡のある口元が笑みの形をとる。途端に、いつもの余裕のある表情が戻っていた。
「私が拒むとは考えないのか? 我がローグランは、そう簡単に滅ぼされるものではないぞ」
「容易い相手ではないのはよく理解しています。でも、カーバインが抱えている兵も腰抜ではないの。……ローグランをすり潰すまで耐えてくれるでしょう」
フィオナは弟を見遣る。
姉の意図を察したシリルは、姉の前に立って腕を差し出した。フィオナは優雅に腕に手をかけ、ローグラン侯爵に流し目を送る。
「考える時間を少し差し上げるけれど、すぐに決めてくださるかしら。私、これから主催者に挨拶をしに行きます。私が広間を横切る間に選択してくださる? 何事もなく向こうの壁に着いてしまったら、ローグランは滅びるでしょう」
フィオナは感情が読めない白翡翠のような目を見上げ、そっと囁いた。
「誇りを捨てて、愛を乞いながら拒まれるみじめな男を演じるか、誇りを選んで一族もろとも滅ぼされるか。好きな方を選んでくださいませ。……それから、あなたが誰の依頼を受けたのかは聞かないわ」
扇子を閉じ、フィオナは前へと向き直る。
シリルはローグラン侯爵に軽い目礼を送り、姉と共に歩き始めた。
夜会の会場は静かだった。
気にしていないふりをするための、表面だけの会話を続ける貴族すらいない。美しいカーバイン家の姉弟を見つめ、進む道を開け、それからまだ立ち尽くしているローグラン侯爵をちらちらと見ていた。
「……あの男、動かないみたいね」
「やっぱり条件が厳しすぎたんじゃないかなぁ。あの人、騎士だったんだろう? そういう人に膝を床につけ、なんてとんでもない要求だと思うよ。当主としても、無様な姿を晒すわけにはいかないし」
「シリル、あなたはあの男の味方なの?」
「味方というわけじゃないけどね。僕も、人前で跪けなんて言われたら突っぱねそうだなぁと思って。姉さんだって、僕や父上が跪く屈辱より全面戦争を取るだろう?」
「……そうかもしれないわね。でも私が代わりにしろと言われれば、いくらでもひざまずけるわよ。カーバインを守れるのなら、簡単なことだもの!」
「あ、うん、姉さんならそうかもしれないね。……そういうところ、姉さんは強いなぁ……」
シリルは感嘆のため息をつく。
しかしその足取りは、顔見知りへの挨拶のために僅かに緩んでいた。
おそらく、足を緩めるために細やかに挨拶をしているのだろう。
そろそろ広間の真ん中に差し掛かろうとしている。このまま向こうの壁までたどり着くと、ローグランは一族諸共の滅亡となる。
ローグラン侯爵はまだ動かない。
誇り高い騎士上がりと言っても、そのくらいの打算はできる人物だと思っていた。だがこのまま騎士として、領主としての体面を選ぶのなら……正直、がっかりだ。
笑顔に紛らわせながら、フィオナは密かにため息をついた。
しかし再び目をあげた時、夜会の中にざわめきが起こった。
道を開けながらカーバイン家の姉弟を見ていた貴族たちが、全員別のところを見ている。姉弟たちの背後——元いた場所の方向だ。
フィオナの心臓が、どくりと跳ねる。
きっと、期待しているのだ。……あの男に屈辱を与える瞬間を。
「フィオナ嬢」
期待通りの、低い声が呼び止める。気のせいでなければ、いつもより固い。
シリルが足を止め、フィオナも元来た方向を振り返りながら微笑む。ローグラン侯爵が少し青い顔で歩いて来るところだった。
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