婚約破棄おめでとう

ナナカ

文字の大きさ
上 下
26 / 56
公爵令嬢の男漁り

(26)リンゴ

しおりを挟む

「突然、ごめんなさい。少し、皆様に伺いたいことがありますのよ」
「は、はい、何でしょうか!」

 手近な青年が、ガチガチになりながら姿勢を正す。
 フィオナはちらりと見上げる。家柄こそあまり良くないが、性格と頭脳は良判定とした。

「皆様、リンゴはお好き?」
「……え?」

 予想外の質問に、若者たちは目を瞬かせた。
 だが、すぐに用心深い表情を取り戻す。その反応の良さに内心満足しつつ、フィオナはあえて子供っぽい拗ねたような顔を作る。
 これも、シリルの助言の賜物だった。

「私の弟は、リンゴは緑色の物が好きだというの。でも私は赤いリンゴの方が美味しいと思いますのよ。皆様はどうかしら?」
「青リンゴと……赤リンゴですか?」

 若者たちは戸惑っている。
 しかし同時に、必死で考えていた。
 カーバイン公爵令嬢は無邪気そうに口にした言葉だが、それを文字通りの言葉だと思うような脳天気で浅はかな人間はここにはいない。
 まだ若いとはいえ、彼らは貴族の家に生まれている。
 それほど家格が高くないからこそ、いかにして貴族社会を生き抜くかをいつも考えている。そういう環境で育ってきたものばかりだ。

 だから、彼らは真剣に考えた。
 青リンゴと赤リンゴ。
 何かの隠語の可能性がある。あるいは、何かを暗喩しているのかもしれない。
 もしかしたら本当にリンゴの好みを語っているだけだとして、どう反応するのが正解なのか。

 次期カーバイン公爵となるシリルは、自分たちと同年代だ。
 将来を見越せば、自分も青リンゴが好きだと追従することで未来が開けるかもしれない。
 だが、公爵令嬢フィオナは、今は婚約者がいない。それはつまり、将来誰と結婚するかがまだわからない。何より圧倒的な美人だ!

 公爵となる青年につくか。
 あるいは、いかなる可能性もある公爵令嬢の取り巻きを目指すか。
 貴族の若者たちの間に、張り詰めたような緊張感が漂った。

「……姉さん、急にそういう話をされて、困っているようだよ?」

 話を合わせなければと思いつつ、シリルはため息をついた。
 確かに、姉フィオナとリンゴの好みについての論争はした。
 昨夜の話だ。青リンゴ派としては、論争の場を移しても主張を譲るつもりはない。
 だが、なぜ今それを話題にしたのだろう。……家族の中だけの、間の抜けた話題ではないか。

 シリルが心の中で頭を抱えているのに、フィオナは突然隣のテーブルへと顔を向けた。
 エメラルドグリーンの目が、所在なさそうにしていた年若い令嬢たちを見回す。
 令嬢たちにも緊張が走る。
 しかし、フィオナは令嬢たちに対して屈託のなさそうに明るく笑いかけた。これもシリルの指導を受けた渾身の笑顔だ。

「ねえ、あなた方はどんなリンゴがお好き? そういえば、右端の黒髪のお方はリンゴの産地が領地ではなくて? もしかして、王都では見かけない種類のリンゴもあるのかしら?」
「……あの、それは、たくさんあります」

 指名された黒髪の令嬢は、真っ赤になりながらも控えめに主張した。
 その様子に、シリルは密かに感心する。
 公爵家の令嬢と令息が揃っていて、しかもこの空気だ。なのに飲まれずに対応できるのは、意外に気が強いのかもしれない。
 そんなシリルの内心に頓着する様子もなく、フィオナは目を輝かせて手招きした。

「ねえ、こちらにいらして。他の方々も。王都にないリンゴの種類について教えてくださる?」
「あ、あの、私の領地では黄色いリンゴがよく採れます。甘くて美味しいのですが、香りはあまりなくて……」
「あら、香りが少ないものもあるのね。もしかして、赤いリンゴにもいろいろあるのかしら」

 フィオナは演技とは思えないほど自然に興味を示し、無邪気そうに首を傾げる。
 黒髪の令嬢は、少し元気になって笑った。

「もちろん、赤リンゴにもいろいろありますよ! 王都近郊では加熱に向く種類が多いと思います」
「……そういえば、僕の領地では果肉が柔らかいものが多いな。輸送が難しいから、ほとんど領地の外には出せませんが」
「実は、俺の領地では緑色のリンゴは何種類かあるんです。シリル様がお好きなのは、どの青リンゴだろうかと悩んでいました」
「えっ、そうなんだ。僕は香りが強いものが好きなんだけど」

 笑顔を浮かべているものの、内心ではもう帰りたいと思っていたシリルだったが、青リンゴの情報に思わず身を乗り出した。
 その反応に励まされたのか、青リンゴ情報を出した青年は少し自信を取り戻したように顔を上げて笑った。

「ではバーロン種でしょうか。でも少し香りは弱いけれど、独特の芳香がある青リンゴもあるんです。もしかしたらそちらかな」
「シリルが好きなのは、少し縦長の形をしたものよ。それがバーロン種?」
「縦長でしたら、クロンド種ですね。あれはとてもいい香りですから」
「へぇ、あれはクロンド種というのか」

 フィオナの相槌は、自然で楽しそうだった。
 そのせいで、ついシリルまで本当に興味が出てきて話に興じてしまう。しばらくリンゴ談義を楽しむ。
 なんと言っても、シリルはまだ十九歳。年頃の近い若者たちとの会話は気楽だ。多少の追従を感じつつも、大貴族たち当主たちとの腹の探り合いで味わう陰湿さとは無縁だし、どうでもいいことに笑うのも楽しいものだ。

 ついでに全員の顔と名前を覚え、領地の話題の中で出てきた珍しい産物を記憶し……しばらくそうしていて、ふと周囲を見回して首を傾げた。

しおりを挟む
感想 20

あなたにおすすめの小説

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑

岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。 もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。 本編終了しました。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】私の望み通り婚約を解消しようと言うけど、そもそも半年間も嫌だと言い続けたのは貴方でしょう?〜初恋は終わりました。

るんた
恋愛
「君の望み通り、君との婚約解消を受け入れるよ」  色とりどりの春の花が咲き誇る我が伯爵家の庭園で、沈痛な面持ちで目の前に座る男の言葉を、私は内心冷ややかに受け止める。  ……ほんとに屑だわ。 結果はうまくいかないけど、初恋と学園生活をそれなりに真面目にがんばる主人公のお話です。 彼はイケメンだけど、あれ?何か残念だな……。という感じを目指してます。そう思っていただけたら嬉しいです。 彼女視点(side A)と彼視点(side J)を交互にあげていきます。

【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~

胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。 時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。 王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。 処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。 これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

踏み台令嬢はへこたれない

三屋城衣智子
恋愛
「婚約破棄してくれ!」  公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。  春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。  そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?  これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。 「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」  ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。  なろうでも投稿しています。

交換された花嫁

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
「お姉さんなんだから我慢なさい」 お姉さんなんだから…お姉さんなんだから… 我儘で自由奔放な妹の所為で昔からそればかり言われ続けてきた。ずっと我慢してきたが。公爵令嬢のヒロインは16歳になり婚約者が妹と共に出来きたが…まさかの展開が。 「お姉様の婚約者頂戴」 妹がヒロインの婚約者を寝取ってしまい、終いには頂戴と言う始末。両親に話すが…。 「お姉さんなのだから、交換して上げなさい」 流石に婚約者を交換するのは…不味いのでは…。 結局ヒロインは妹の要求通りに婚約者を交換した。 そしてヒロインは仕方無しに嫁いで行くが、夫である第2王子にはどうやら想い人がいるらしく…。

処理中です...