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王家の婚約者 【過去】
(5)けちの付き始め
しおりを挟むフィオナはカーバイン公爵家の娘だ。
幼い頃から美しく、王国の明るい未来を象徴しているようだと讃えられていた。
その「完璧」と思われたフィオナの人生は、どうやってもケチがつく運命だったらしい。
達観したカーバイン公爵がそうつぶやいた時、誰も否定はしなかった。
娘を愛する公爵夫人エミリアも、姉思いのシリルも。
そして、フィオナ自身も。
完璧な公爵令嬢フィオナの人生は、十歳の時から激変した。
と言っても、肝心なフィオナ本人の認識では、人生が動き始めた程度でしかないのだが。
最初の激変は、フィオナが十歳になって一ヶ月が過ぎた日のことだった。
◇◇◇
十歳になったフィオナは、美しいドレスに埋もれるように着飾った姿で王宮の大広間に立っていた。
今日は国王の生誕日を祝う祝典だ。このめでたき日に、水面下では決まっていた「王太子との婚約」が正式に発表された。
しかし、この発表を意外だと思った貴族はまずいないだろう。ほとんどの貴族にとっては「やはりそうだったか」と自分たちが得ていた情報の答え合わせをする程度のことだ。
敢えて言うなら、どうやってカーバイン公爵家との繋がりを守り、あるいは新たに作ることができるかと悩んでいるだけだ。
そんな貴族たちの思惑を察しつつ、フィオナは長々と続く婚約の口上を聞きながら、そっと隣を見上げる。
隣に立つのは、フィオナの正式な婚約者である王太子だ。
フィオナから見るとほとんど大人だが、まだ十六歳だから完全な大人の年齢でもない。
今まで頻繁に顔を合わせていたし、お菓子を食べながらの対面はそれなりに楽しいものだった。
でも、もしかしたら婚約者として接するときは、厳しい顔をする人かもしれない。……そういう覚悟もしていたが、見上げるフィオナに気付いて笑い返してくれる顔は、今まで通りの親しみやすくて優しげなものだった。
「どうしたの? 疲れた? 大臣の話は長いけどそんなに重要ではないから、気分が悪くなったふりをして退出してもいいのだよ?」
「でも、それは未来の王妃として、ただしい姿ではないと思います」
「うーん、それはそうだけど、母上を見てきたからかな。いくら王族であろうと、過度な無理は必要ないと思っているんだよ」
そう答える王太子は穏やかそうな笑顔だったが、その目はとても真剣だった。
意外に思ったが、そういえば王太子の生母である王妃は、本当は体が弱いらしい。フィオナは父カーバイン公爵がさりげなくしていた話を覚えていた。
母親のように無理をさせたくない、と考えてくれたようだ。
(やっぱり、この方はとても優しいのね)
その配慮は嬉しい。
でもフィオナはまだ十歳ではあるが、王家に嫁ぐ心得はすでに教え込まれている。
だから、表情の薄い顔に精一杯の笑みを浮かべた。
「大丈夫です。殿下も知っていると思いますが、私は体が丈夫です。ちょっと無理するくらいは平気だし、これからもっと体が強くなるように鍛えていきます!」
深窓の令嬢らしくない、ちょっとおかしな方向に前向きな言葉に、王太子は驚いたような顔をした。
でもすぐにこっそりと笑い始め、フィオナに対して小さく頷いた。
「前から思っていたけれど、フィオナは前向きだね」
「それが取り柄です!」
「ははは。とてもいいことだね。……僕たちは、これからもきっとうまくやっていけるだろう」
そう言って笑いかけてくれる顔は、とても優しく、同時に頼もしく見えた。
実は密かに緊張していたフィオナの心が、ほんのり暖かくなる。
しかし、さらに王太子が何か言おうとした時、なおもまだ続いていた長すぎる口上が突然途切れた。
大広間に奇妙な騒めきが生まれていた。
口を閉じた大臣もどこかを見ている。
不審に思ったフィオナがそちらに目を向けると、大広間の入り口付近に人が集まっていた。でもフィオナがいる場所からはよく見えない。
何があったのだろうと首を傾げていると、隣にいる王太子が小さく息を呑んだ。
「……あの旗印は急を告げる早馬のものだ」
その言葉に、フィオナもはっとした。
やがて土埃で汚れた人物が、式典用の服装の騎士たちに支えられながら進み出るのが見えた。肩に掛けている旗印は、確かに早馬のものだ。
フィオナたちが驚いている間に、さり気なく早足で広間を進んだ近衛騎士が国王に何事かを耳打ちする。その間に、疲労のためか足元が少し危うい急使が国王の元へようやくたどり着き、金属製の筒に入った書状を渡した。
いつに間にか、フィオナの父カーバイン公爵もその場にいて、国王や大臣たちとともに書状に目を通していた。
「……皆のもの! 式典は中止とする!」
突然、大臣がそう告げた。
それとほぼ同時に、主要貴族たちのところに近衛騎士が駆け寄って何かをささやいていく。王太子にも何事か囁かれ、優しげだった顔がすっと固くなっていた。
王太子はフィオナにちょっとだけ笑いかけて、すぐに退出した。主要貴族たちも表情を改めて、近衛騎士の案内で別室へと移ってしまった。
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