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変化
(30)相談相手
しおりを挟むしばらく目を閉じていた私は、額に置いていた手をのけて空を見た。
青い空が広がっていた。
マユロウ領のあるこの辺りは、冬が明けた今の季節はよく晴れる。雲もはるか高いところだけで、花々は暖かさとともに降り注ぐ光を浴びて、一層香り高く咲き競う。
青い空と花びらと草の葉でいっぱいになった視界の端で、私の愛馬が動いている。
その愛馬のそばに、もう一つ人影が見えた。
私は傍らにおいていた短剣を手に身を起こした。
こんな田舎の次期領主とはいえ、私はライラ・マユロウを名乗る者。命を狙われない保証はないし、私を人質にという不届きな輩が皆無とは言いがたい。ファドルーン様が目をつけたようにマユロウ家はそこそこ豊かな貴族で、カドラス家のようにマユロウ家が手にしている利権に魅力を感じている存在は少なくないのだ。
だが私は一瞬張りつめた気をすぐに解いた。
愛馬のそばにいたのは、アルヴァンス殿だった。
冷静に考えれば、メトロウド殿の愛馬ほどではないが、かなり我の強い私の愛馬に近づいて騒がれない存在はごく限られている。アルヴァンス殿は私の愛馬が生まれたころからマユロウ家に出入りしているから、ずいぶん馴れているのだ。
「驚かさないでください」
抜きかけた短剣を鞘に戻しながら、私は素直にそう言った。
アルヴァンス殿は端正な顔に穏やかな笑みを浮かべて近付いた。
涙は乾いているはずだが、私は無意識に目元を手の甲でこする。その仕草はよろしくなかったと後で気づいたが、アルヴァンス殿はそれには触れずにいてくれた。
「気配を消すつもりはなかったのですが。何となく声をかけにくい雰囲気だったので、彼女に遊んでもらっていました」
「私の馬に?」
私があきれてそう言うと、アルヴァンス殿は曖昧で洗練された笑みを浮かべただけだった。
それにしても、よくこの場所までたどり着いたものだ。一人だけの時間が終ったことは残念だが、柄にもなく感傷的になっていた私は、誰かと話すことができると思うと心が弾んだ。
これも、この半年の間についてしまった悪い癖だ。
「あなたが急に姿を消してしまったから、館ではちょっとした騒ぎになっていますよ。マユロウ伯は全く動じておられませんがね」
「よくここがわかりましたね」
「おや、ライラ・マユロウがご幼少の頃、ここまで一緒に馬に乗ってきたことがあるのをお忘れですか? くじに負けたばっかりに、初めてマユロウを訪れた私があなたをお乗せしたのですよ」
「……そんなこともありましたか」
「あの時は困ったな。私は子供の相手をしたことはなかったのに、マユロウ伯は大丈夫だと簡単に言ってくれて。あなたはじっとしていないし、私は二人乗りに慣れておらずに緊張するしで大変でした。そこまで頑張ったのに、あなたがこの場所を覚えて頻繁に逃げ込むようになったと叱られたりしましたよ。……そのことをふと思い出して、もしかしたらと思って来てみました」
にこにこと言うアルヴァンス殿は、私の求婚者の一人加えられる前のアルヴァンス殿のように見える。
父とは全く似ていないようで、でも性格的にはとても良く似ている。そんな気楽な話し相手である優美な都の貴族。ハミルドがいた頃と少しも変わらないように見えた。
それが、なぜか無性に嬉しかった。
私はいつになく弱気になっている。
その弱気を察したのか、アルヴァンス殿は少し考えていたが、私の横に座って空を見上げた。
「いい天気ですね。都ではなかなか出会えない好天です。それにこんな優しくて心地よい花畑は、都にはありません」
アルヴァンス殿はゆったりと言葉を紡ぐ。
「都はいいところですが、マユロウの血が流れる私にとっては少々住みにくい。ライラ・マユロウはマユロウ伯とよく似ておられるから、とても耐えきれないでしょうが、たまには遊びに来てくださいね」
私はアルヴァンス殿のその言葉に何かを感じ取り、優美な父の再従弟殿を見つめる。
アルヴァンス殿は優しく笑いかけた。
「私は求婚者をやめようと思います」
「やめる……って、どうして?」
「あなたには相談できる相手が必要です。違いますか? ならば私は、相談相手としての地位を固めたほうがいい。元々求婚するつもりはなかったし……どうやっても私に勝ち目はないですからね」
アルヴァンス殿はそう言いきると笑いを消して私の目をのぞき込む。
「ライラ・マユロウ。求婚者でない私に、何か相談事はありませんか?」
「……たくさんありますよ。あなたが求婚者ではないのなら聞けることだが、私は誰を選ぶべきだろうか」
私は半分投げやりにいい、また横たわって空を見つめる。
「私は誰であっても悪くないと思う。メトロウド殿はマユロウの血の濃い私とは馬が合うし、ルドビィス殿はああ見えても意外に優しい。ファドルーン様はお若いのに底抜けに度量が広い方だから、私を難なく受け止めてくれる」
私はそこでいったん言葉を切った。切ってしまってから、アルヴァンス殿の名も入れたほうがよかっただろうかとふと思う。続きをためらっていると、アルヴァンス殿が先を促してきた。
少し後ろめたい気分になった私は、素直に言葉を続けた。
「皇族との縁組は難しいというが、皇帝陛下からのお声懸かりとなれば、マユロウにも悪い話ではない。政変に巻き込まれない保証はないが、中央との繋がりは太いに越したことはないでしょう」
「その通りです」
それまで黙っていたアルヴァンス殿は、ゆったりと相槌を打つ。
「それからカドラス家については、パイヴァー家とのつながりを考えるとマイナス面はほとんどない。平民の血が混じるということで都の貴族は蔑むかもしれないが、マユロウにとってはそう言うことは問題にはならない」
「都の貴族をよく理解されている。全くその通りですし、マユロウはそう言う家系ですね」
私はアルヴァンス殿に目をやった。
「エトミウ家とはもう解決しているから、敢えて結びつきを強める必要は見当たらない。ただ……」
「やはりハミルド君ですか? メトロウド殿は少しハミルド君に似ていますからね」
「……少しだけ、ですが」
私は素直に認めた。
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