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第五章

(42)黒い犬の正体

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「お前は貴族だ。貴族法がなければこの場で処分していたところだが、裁判にかけてやる。結果は同じだろうがな。……連れて行け」

 セレイス様に対する冷ややかなお兄さんの言葉の最後は、部屋の外へ向けてのものだったらしい。
 扉が吹き飛んだ戸口から、王国軍の制服を着た騎士たちが入ってきた。身動きが取れずにいるセレイス様を手際よく縛り上げて、乱暴に引き立てる。
 そのまま、引きずるようにどこかへ連れて行った。
 騎士様たち……なんていいタイミングで踏み込んできてくれたんだろう。助かったけど。
 鮮やかな手際に感心していると、お兄さんがチラリと私を見た。

「お前の居場所さえわかれば、例え侯爵家であろうと踏み込める。それが王国軍の特務騎士だ」

 どうやら、いつも通りに思考が読み放題になっているらしい。これはこれで便利だから、気にしない。
 それより、あの騎士たちは滅多に見られない人たちだったらしい。私は思わず身を乗り出した。

「特務騎士! それであの無駄のない格好良さなんですね! ……でも、お兄さんが動かしてくれたんですか?」
「アズトール伯爵から、お前の保護の要請が出ている。私は情報を渡しただけだ。人間の移動だからもう少し時間がかかると思ったが、彼らも優秀だな」

 お兄さんが、今度は騎士様たちを褒めた。
 ということは、あの騎士様は本当に優秀な人たちなんだろう。いかにも強そうだったし、王都の騎士様はやっぱりかっこいい!

「閣下。上で立会いをお願いできますか」

 ひときわ階級の高そうな騎士が入ってきて、声をかけてきた。
 軽く頷いたお兄さんは、私の背中を押して部屋を出る。やはり窓がない通路は、今は騎士たちが忙しそうに歩き回っていた。
 思っていた以上に大規模な捜査が入っているようだ。それぞれが動いているけど、無駄がないというか、組織的というか。
 とにかくすごい。庶民の自警団とは動きが違う。

 驚いている間も背中を押されている私は、そのまま狭い通路を進み、階段を上がって広い部屋に出た。
 天井には鳥の絵が一面に描かれていた。まだ火が灯っていない豪華なシャンデリアにも見覚えがある。ゼンフィール侯爵家のお屋敷だ。
 振り返ると、壁の一部にぽっかりと空間ができていた。そばに豪華な壁掛けが床に落とされているから、隠し通路なのだろう。
 きょろきょろと周りを見ていると、階級の高そうな騎士と小声で何か話していたお兄さんが振り返った。

「私は少し長めに立ち会う必要がありそうだ。お前はここで待っていろ。帰りの馬車の手配もしておく」
「……普通に馬車で帰るんですね」

 もしかしたら、帰りも空間移動になるのかと思ってました。
 ついそんなことを考えたら、お兄さんは眉を動かした。

「お前には普段は魔力がない。空間移動は不快だろうと配慮してやったのだが」
「あ、はい。その通りです。ここに連れてこられた時、どうやら一瞬意識を失っていたみたいで、しばらく気持ちが悪くなってました」
「……そうだろうな。大人しく、いや、そこでじっとしていろ。動くなよ。見張りを置いていく」

 お兄さんはそう言って、足早にどこかへ出て行ってしまった。
 忙しそうだ。でも見張りとは?
 改めて周りと見たけど、他に人はいない。では……あ、見張りはいた。黒い犬様だ。
 たぶん、魔獣どころか魔物様なんだろうけど、あの毛並みはぜひ触ってみたいなぁ……。

『まずは、座ったらどうだ?』
「え?」

 声が聞こえた気がしたけど、やっぱりここには黒い犬しかいない。
 ……いや、魔物様ならしゃべるのは当たり前か。
 うん、普通だね。
 無理矢理にそう納得して、素直に長椅子に座った。それが一番近くにある椅子だったからだ。でもその柔らかな座面はなかなかに座り心地がいい。
 それに座ってみると、急に疲れを感じて動けなくなりそうだ。
 ぽすんと背中を預けていると、ひょいと黒い犬が隣の空いた場所に上がった。

『全身に魔力の残り香があるな』
「あ、うん、さっきまで黒い蛇犬の魔力で拘束されていたから」
『……蛇犬?』
「さっきの犬の姿をした魔物だよ。本体は蛇でしょ?」
『分かるのか?』
「なんとなく。犬のふりをしていたけど、形は動物になりきっていなかったし。魔獣の混ざり方とも違うから、そうじゃないかなと。……それで、あの、触ってもいいですか?」

 そっとお伺いを立ててみる。黒い犬様は答えなかったけど、サラリとした美しい尾がゆれている。どうやら拒否ではないようだ。
 恐る恐る手を伸ばす。
 黒い犬様は座面に座ったまま動かない。寛大にも私が撫でることを受け入れてくれた。
 ……ふわぁ、サラッサラ……。
 普通の動物にはあり得ないような、この毛並みの柔らかさが気持ちがいい。癒される……。

『お前は本当に面白いな。アレには何か聞かれたか?』

 アレとは?
 首を傾げたけど、すぐにあの蛇犬のことだと思い当たった。

「うーん、何か聞かれたかな。……あ、そう言えば、誰の縄張りかとか何とか言われたかな。意味がわからなかったけど」
『ふふ。それは私も知りたいところだが、うるさく男がいるゆえ聞かぬようにしよう。ところで、私の本体はわかるか?』

 私は撫でる手を止めて、しげしげと犬を見た。
 美しい黒い毛は長く、しなやかな体は大型犬よりさらに大きい。目はまぶしいくらいの銀色で、牙は少し長めで……。
 形としては、牙が長すぎるだけで、他は完璧な犬だ。でもこの犬の本体は犬ではなく、別の姿をしているはずだ。

「たぶん、きれいなお姉さんかな」
『……ほう?』
「美犬って言った方がいい?」
『はっ。なんだ、わかっているわけではないのか。だが直感でそう言ったのなら、お前は実に面白い』

 犬は笑った。
 笑いながら、全身がじわりと銀色の光に包まれていく。
 またどこかへ転移してしまうのかと残念に思っていたら、ぐにゃりと体の線が歪んだ。
 犬の体が伸びる。上へと伸び、下にも伸びる。四肢がしなやかに伸びていき、頭部からは艶やかな髪が流れ落ちていって……。


「何をしている」

 冷たい声がした。
 途端に、伸びていた犬の体がまた縮んでいく。すぐに銀色の光も消え、長椅子にゆったりと座る美しい犬に戻っていた。
 そして犬の姿でケラケラと笑った。

『残念ながら、口うるさい男が戻ってきてしまった。女同士、また今度ゆっくり話をしよう』
「その必要はない。もう行け」
『顔のわりに連れない男だな。せっかく、あの雑魚蛇を捕まえてあげたのに。締め上げなくていいのか?』

 拗ねたような事を言っているが、黒い犬は楽しそうだ。
 ……雑魚蛇?
 捕まえた?
 一瞬意味が分からなかった。でも、言葉通りに受け取ると、あの蛇犬には逃げられてしまったと思ったけど、実際には逃げることを許さなかったのだろうか。
 何もしていないように見えた黒い犬様は、やはりすごい存在らしい。
 私が考えていることは、またしてもお兄さんに筒抜けだったようで、氷のような水色の目が呆れたように私を見た。でもすぐに小さく頭を振って黒い犬様に向き直った。

「……締め上げたとして、何か出てくるとは思えない」
「出てこないであろうな。では、あれはもらっていいか?」
「好きにしろ」

 お兄さんが吐き捨てるように言うと、黒い犬様はニヤリと笑った。犬なのにぞっとするほど美しくて、恐ろしい笑みだった。
 ……うん、怖いな。
 形態をあんなに変えようとしていた時点で、とんでもない存在だと確信してしまったけど。

 異界由来の存在は、なぜか人型を取ることはない。もし人型に変わる存在がいたとすれば、それは魔族と言われる存在しかいない。
 少なくとも、ロイカーおじさんにはそう教えられてきた。
 だから……さっきの黒い犬の変容に、思わず思考停止して見入って……見てはいけないものを見てしまうところだった。危なかった!
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