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七章 十六歳の前にそびえる壁
(40)一度、村に戻ってみようかな
しおりを挟む南部での戦争状態が一年ほど続いていたから、ヘイン兄さんに言われたとおりに北とか西とかにいた。戦争中なら偽造身分証くらいならどうでもよくなっているだろうと、都のすぐ近くにいたこともある。
でも……ナイローグには会えなかった。
髪を染めずに、銀髪のまま都の大通りを歩いたこともある。絶対ナイローグなら聞きつけてやってくると思ったのに、ヘイン兄さんと会った一年前からずっと……いやその半年前から、ナイローグに会っていない。
勤め先くらい聞いておけばよかった。何度もそう後悔したけれど、ヘイン兄さんに問い合わせるのも今さらと笑われそうな気がしてずっと会えていない。
もちろん、顔を合わせると口うるさいと思う。でも彼には家賃をまだ立て替えてもらったままだ。だから少し気が咎めているのだろう。
でも、こんなにナイローグに会えないのは初めてだ。
代わりに、ヘイン兄さんにはこの一年で三回ほど会えているけれど。……なんだろう、この寂しさは。
子供の頃と同じように、まだ彼がいない生活に慣れていないのだろうか。
妙なところで人のいい門番に会ったから、急に彼が懐かしくなってしまった。
村を出てからもう三年。
そういえば、父さんと母さんにはずっと会っていない。
夢の実現のために家出をした。だから、私が村に戻るのは、魔王となった時だ。立派になった姿を見せて、あのシヴィルが……と驚いてもらうつもりだ。家出をしたのだから、途中の情けない姿は絶対に見せないと決めていた。
そう決意しているのに、現実は魔獣の飼育係以上の仕事はほとんどできていない。魔王なんて夢のまた夢だ。今のままでは、あまりにも遠すぎる。
もう諦めるべきなのか。
夢を追いかけることが本当にいいことなのだろうか。
もっと楽な道を探す方がいいのではないか。
魔力だけは人並み以上だと思っていたけれど、実は人並み以下なのではないか。
うまくいかない日が続くと、下向きな思考ばかりになってうずくまりがちになる。気がつくと自信まで削れてしまっている。歩いていても、地面ばかりを見ていることに気づくこともある。
そんな時には意識して顔を上げるようにしている。今も無理やり顔を上げて、白く霞む空を見上げた。あまり青くない空を見ていると、自然に懐かしい村の空を思い出す。
青い空と緑深い森と険しい崖。
風に揺れる麦畑と、放牧地でのんびり草を食む羊たちと、駆け回る美しい馬たち。
喧騒にあふれた通りを歩いていたのに、ふと足を止めて思い出してしまう。気合を入れ直そうと空を見上げたのに、ため息が出た。
「……一度、村に戻ってみようかな……」
気弱な気分になった私は、ついつぶやいていた。
「そうだな。一度くらい村に戻れ」
突然、男の声が降ってきた。
とっさに、私は振り返りながら後退る。
距離をとりながら、でも私は警戒を解いていた。そんな私の服装をさっと見て、すぐ近くに立っていた男は口元に笑みを浮かべた。
「久しぶりだな。シヴィル。今は女装しているから、シヴィルでいいんだよな?」
「ナイローグ!」
「どうしたんだ、そんなに大きな目になって。……まあ、元気そうだな」
ナイローグは私の顔から何を読み取ったのか、一瞬だけ眉をひそめた。でもすぐに元の懐かしい笑顔になり、私の頭に手を置いた。
「相変わらず、ここにだけはいてくれるなと願う場所にいるんだな」
「ナイローグこそ、どうしてここに……?」
私はまだ呆然としたまま、高いところにあるナイローグの顔を見上げていた。
ずいぶん長くなった黒髪を一つに束ね、すっきりとした簡素な服を着ている。でも周囲の視線はたっぷりと集めていて、遠くからも女性たちの熱い視線が飛んできていた。
彼は相変わらず、女性の目を引く存在のようだ。
でも都から遠く離れたこの小さな街に、どうしてナイローグがいるのだろう。
服の形は庶民的なものでとても簡素だ。でも布地そのものは明らかに上質に見えた。地味な色合いなのに、その色がしっかりと深い。素材は羊毛なのかなと思うけれど、織りが上質なために一般品より艶やかだ。そんな上質の布を体に合わせて丁寧な縫製をしているから、見る人が見えれば財布事情に胸がときめくことだろう。
ナイローグは以前からいい服を着ていたけれど、たぶん今はさらによくなっている。つまりかなり稼いでいるはずで、なのに真昼間からここにいる。……まさか、解雇されてしまったのだろうか。
思わずそんな心配をしてしまったけれど、彼は私の心を読んだように苦笑した。
「言っておくが、失職したとかではないぞ。仕事でここに来ていて、今は休憩中なんだ」
「……本当に?」
「うん、まあ、本当は今も仕事中だな。いつも制服では息がつまるし、目立ちすぎるからこの格好をしているだけだ」
ぽんと私の頭を軽く叩き、ナイローグは私の肩に手を移しながらざっと周囲を見回した。
たぶん、肩に手を置いたのは私の逃亡防止のためだ。
大きな手だ。父さんほど分厚くないが、同じくらいに大きくて、とてもしっかりしている。そんな手に押さえられれば逃げられない。私は肩を押す手に促されて通りの脇へと移動した。
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