上 下
30 / 63
五章 十四歳の再会

(29)ついに手に入った

しおりを挟む
 
 この数ヶ月ですっかり慣れた王立魔道学院の廊下を歩きながら、私は腕に抱えた本を見下ろした。
 大陸の中で、正統派魔法なら随一と言われる王立魔道学院の教本だ。一冊で都の一等地で家が買えると言われるほど高価なもので、王立魔道学院の生徒でもこれを買えるのは実家が貴族や裕福な大商人であるような、ごく一握りだけだ。
 その高価で貴重な教本が、ついに手に入った。
 私はついつい、本を見つめながらうっとりと微笑んだ。

「ああ、ついに手に入ったな……」

 高価な本を撫でながら、ほうっとため息をついた。
 腕の中にあるずっしりと重たい本。
 この重み。この厚み。先ほどちらっと中を見たけれど、びっしりと文字が書かれ、ところどころに不可思議な図形が描かれていた。
 すばらしい。すばらしすぎる。
 私はぎゅっと本を抱きしめた。

 本当をいえば、偽装身分証明書を使って魔道学院の廊下を歩くことも、門外不出と言われるこの教本を手に入れることも、魔道学院の生徒でない私には許されていない。
 最高機密機関のくせに、素人相手にかんたんに侵入を許す方が悪いとは思うけれど、一応は犯罪だ。本来の私の主義に反する。
 でも、私は気にしないことにしていた。
 魔王を目指しているのだ。たいして他人に迷惑をかけない瑣末な罪など、魔王の箔付けにもなるまい。偽造身分証明書はそこそこで回っていて、不審な生徒などはよく見かけるし。
 何より、この魔道書。
 コネと学生割引と教官の弱みなど、とにかく考えつく限りの手を使って入手することができた。もちろん何人もが使い込んだ古いものだけれど、お貴族様ではないから十分だ。貯め込んだ給金のほぼ全てが吹っ飛んでしまったけれど、気にしない。魔獣飼育所の高給万歳!
 これさえあれば、もうこっそり魔法講義に忍び込む必要はない。
 うんざりするほど高慢な名門貴族学生の持ち物に意識を同期させて、実技試験を盗み聞きする必要もない。
 魔法術にはそれぞれコツのようなものはあるだろう。でもそんなのは遠回りすれば体得できる。
 後は実践あるのみ。早く試してみたい……!

「うふふふふふ……」

 私は思わず笑っていた。
 ちょっと不審者っぽく見えたようだ。周囲の目が集まってしまった。でもこの程度の不審な言動は、ここの学院生ならわりと普通だ。常に呪文をぶつぶつつぶやいていたり、意識を何処かに飛ばしながらフラフラと歩きながら笑っていたり、そんな光景は魔道学院内ではただの日常なのだ。
 向こうに立っている人がじぃっと見ている気もするけれど、それも気にしない。眉をひそめられても、こちらに歩いてきても、今の私は腕の中の魔道書しか見えない。
 ああ、幸せってこういう気分なんだな……。
 私はひたすらうっとりとしていた。


「……シヴィル?」

 突然、名前を呼ばれてしまった。
 魔獣の飼育場でも、魔道学院用の偽装身分証明書でも、もちろん私は本名は名乗っていない。今の私は十七歳のターグ少年だ。どう見ても子供にしか見えなくても、今の私は成人した男子学生なのだ。なのに誰にも知られていないはずの名前を呼ばれてしまった。
 夢見心地から一気に現実に引き戻される。
 いやいや、きっと幻聴だ。そうに違いない。
 とりあえず人違いのふりをしようと、そのまま歩いていると、通り過ぎた辺りから足音が近づいて肩を掴まれた。

「おい、シヴィル。無視するな」
「あのー、どなたかとお間違えでは?」

 困惑した顔を作って振り返ると、そこには背の高い男が呆れ顔で立っていた。

「あのなぁ、どう見てもお前はシヴィルだろう。一応変装しているようだが」

 肩から手を離したその男は、じろりと頭から足先まで目を動かした。男装して髪の色を変えて少年魔導師見習いの格好をしているのを確かめて、腕に抱える教本に目をとめる。
 その一瞬だけ、男は目を細めた。
 一方私は、自分の顔から血の気が引くのを感じていた。
 確かに人違いではない。なんでこの男がここにいるのだろう。

「……ナイローグ?」
「そうだよ。お前の兄貴の親友のナイローグだ。覚えてくれていたようで嬉しいぞ」

 ちらっと周囲を見たナイローグは、わずかに眉を動かす。背の高い男が小柄な少年と並んで立っているだけで目立っているようだ。
 ナイローグは私の肩に手を回し、強引に押して廊下の隅に寄った。



 改めて向かい合うと、ナイローグはとても背が高い。
 私が小さいままだから、ますますそう思う。この一年、魔獣飼育所のマッチョ牧童さんたちを見慣れていたけれど、ナイローグはマッチョ牧童さんたちよりも背が高いようだ。肩幅もある。
 それに、相変わらず稼ぎのいい仕事をしているようだ。着ている私服は布地も仕立ても上質で、記憶にあるより長く伸びた黒い髪を束ねている紐にも手の混んだ模様がある。腰に剣を下げているところをみると、そういう職種なのだろう。
 ……だったら、どうして王立魔道学院の廊下で顔を合わせることになったのか。だいたい、ここの内部って帯剣したまま入れただろうか?
 私は恐る恐る顔を上げる。
 高いところにある顔は、以前と同じく嫌味なほど整っている。そして少々怒っているようだ。
 彼の沈黙が怖くて、私から口を開いてしまった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「お前を愛するつもりはない」な仮面の騎士様と結婚しました~でも白い結婚のはずなのに溺愛してきます!~

卯月ミント
恋愛
「お前を愛するつもりはない」 絵を描くのが趣味の侯爵令嬢ソールーナは、仮面の英雄騎士リュクレスと結婚した。 だが初夜で「お前を愛するつもりはない」なんて言われてしまい……。 ソールーナだって好きでもないのにした結婚である。二人はお互いカタチだけの夫婦となろう、とその夜は取り決めたのだが。 なのに「キスしないと出られない部屋」に閉じ込められて!? 「目を閉じてくれるか?」「えっ?」「仮面とるから……」 書き溜めがある内は、1日1~話更新します それ以降の更新は、ある程度書き溜めてからの投稿となります *仮面の俺様ナルシスト騎士×絵描き熱中令嬢の溺愛ラブコメです。 *ゆるふわ異世界ファンタジー設定です。 *コメディ強めです。 *hotランキング14位行きました!お読みいただき&お気に入り登録していただきまして、本当にありがとうございます!

陛下から一年以内に世継ぎが生まれなければ王子と離縁するように言い渡されました

夢見 歩
恋愛
「そなたが1年以内に懐妊しない場合、 そなたとサミュエルは離縁をし サミュエルは新しい妃を迎えて 世継ぎを作ることとする。」 陛下が夫に出すという条件を 事前に聞かされた事により わたくしの心は粉々に砕けました。 わたくしを愛していないあなたに対して わたくしが出来ることは〇〇だけです…

【完結】お姉様の婚約者

七瀬菜々
恋愛
 姉が失踪した。それは結婚式当日の朝のことだった。  残された私は家族のため、ひいては祖国のため、姉の婚約者と結婚した。    サイズの合わない純白のドレスを身に纏い、すまないと啜り泣く父に手を引かれ、困惑と同情と侮蔑の視線が交差するバージンロードを歩き、彼の手を取る。  誰が見ても哀れで、惨めで、不幸な結婚。  けれど私の心は晴れやかだった。  だって、ずっと片思いを続けていた人の隣に立てるのだから。  ーーーーーそう、だから私は、誰がなんと言おうと、シアワセだ。

[完]本好き元地味令嬢〜婚約破棄に浮かれていたら王太子妃になりました〜

桐生桜月姫
恋愛
 シャーロット侯爵令嬢は地味で大人しいが、勉強・魔法がパーフェクトでいつも1番、それが婚約破棄されるまでの彼女の周りからの評価だった。  だが、婚約破棄されて現れた本来の彼女は輝かんばかりの銀髪にアメジストの瞳を持つ超絶美人な行動過激派だった⁉︎  本が大好きな彼女は婚約破棄後に国立図書館の司書になるがそこで待っていたのは幼馴染である王太子からの溺愛⁉︎ 〜これはシャーロットの婚約破棄から始まる波瀾万丈の人生を綴った物語である〜 夕方6時に毎日予約更新です。 1話あたり超短いです。 毎日ちょこちょこ読みたい人向けです。

旦那様は大変忙しいお方なのです

あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。 しかし、その当人が結婚式に現れません。 侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」 呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。 相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。 我慢の限界が――来ました。 そちらがその気ならこちらにも考えがあります。 さあ。腕が鳴りますよ! ※視点がころころ変わります。 ※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。

[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?

シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。 クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。 貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ? 魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。 ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。 私の生活を邪魔をするなら潰すわよ? 1月5日 誤字脱字修正 54話 ★━戦闘シーンや猟奇的発言あり 流血シーンあり。 魔法・魔物あり。 ざぁま薄め。 恋愛要素あり。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...