7 / 63
二章 十歳から始める基本の「き」
(6)にらみ合っている?
しおりを挟む私が生まれた村は、都から少し離れている。
どのくらい離れているかと言えば、都に出稼ぎに行った若者が滅多に帰省できないくらいの距離だ。でも、馬車とか馬とか、そういう手段を使えばそれほどの日数はかからない。
街と街の間を往復する大型馬車を乗り継いでいけば、だいたい六日から七日。
大きな街と街を繋ぐ幹線馬車に乗るお金があれば、乗り継ぎを入れても四日から五日で都から帰ってくることができる、らしい。
こういう事実を理解した今、ナイローグが数ヶ月に一度、少なくとも半年に一度は戻って来るというのはとても珍しい事だと知っている。そして、頻繁な帰省ができるくらい稼ぎがいいということも何となくわかってきた。
しかもナイローグは乗合馬車ではなく、馬に乗って往復している。
乗り継ぎなしだから、旅程はたぶん二、三日くらいだろう。
その上、以前はいろいろな馬だったのに、今はいつも同じ馬だったりする。それも大きくて毛並みのいい極上の馬だ。
旅で馬を個人で借り切ると、お金がかかる。ヘイン兄さんが馬牧場をやっているから、個人で馬を所有するのはお金持ちにならないと無理だということも知っている。
いつも同じ馬に乗るナイローグは、つまりその馬の所有者ということで、普通の稼ぎではない高給取りらしい。
だから、ナイローグが戻ってくると村の内外の若い娘たちが落ち着かなくなるのは当然のことなのだ。稼ぎがよくて、顔も整っていて、面倒見のいい若い未婚の男なんて、飢えた鶏たちが集まって来るように視線を集めるものなのだろう。
私も、十歳になってずいぶん賢くなった。
……賢くなったはずなのに、木立の向こうに見える光景には首を傾げている。
林の中で足を止めた私は、ナイローグの家を見ていた。
今朝早くにナイローグが戻ってきたと聞いたから、こうしてやってきた、のだけれど。
「何か、にらみ合っている……?」
私は首を傾げながらつぶやいた。
ナイローグの家の前には、見たことのないきれいな女性がいた。いや、女性たちがいた。顔立ちがきれいと言うより、来ている服がきれいで、遠目にも上質で、立ち姿もすっきりしている。
見覚えのない顔だから、村のお姉さんたちではない。周辺の街からきた女の人たちでもない。
村に戻ってくる若い男たちが笑いながら話していた「都会の女」というやつだ。そんな垢抜けた雰囲気をしている上に、見るからに裕福そうな女の人たちがいる。
そして道を挟んだ向こう側には、何と無く見覚えのある周辺の街から集まったと思われるお姉様方がいて、双方はものすごい目付きでにらみ合っていた。
いったい何が起こっているのだろう。
わかっていることは、あの緊迫した空気の中に入っていくのは危険だと言うことだけだ。
せっかくナイローグに会いに来たのに、あんな中に突入するなんて、ちょっと無理。いくら悪ガキな私でも、無謀なことはしないだけの理性はある。
でも、ナイローグには「おかえり」と言いたいし……。
悩みながら一人でうなっていると、背後でかさりとごくわずかな音がした。
まったく気配はなかったけれど、私は落ち着いて振り返る。予想通り、そこにはヘイン兄さんが立っていた。もちろんその背後に道なんてない。
兄さんは私以上の野生児あがりで、今も道無き道を平気な顔で進む人なのだ。
「ヘイン兄さん。わざわざ気配を消して来るなんて、どうしたの?」
「うん、まあ、あれだよ」
ヘイン兄さんはサラサラの金髪を困ったようにかきあげ、形の良い指でナイローグの家を指差した。
兄さんのあの表情を見る限り、示しているのはナイローグの家ではなく、家の前や道の向こうに陣取っている若い女性たちの集団だろう。
つまり、あのお姉様方から見つからないように気配を消して、藪の中をやってきたらしい。
「見つからないようにしているのに、わざわざここに来たの? 兄さんって時々変な趣味しているよね」
「ひどいな、シヴィル。かわいい妹のために来たんだよ。危険が及ばないようにね」
「危険? さすがにあの中に突入する勇気はないよ」
「彼女たちも危険ではあるけれどね、私が案じているのは、向こうの男たちだよ」
ヘイン兄さんは困ったように笑い、私の頭を撫でた。
兄さんは「男たち」といった。若い女の人以外に誰がいるのかと、もう一度ナイローグの家に目を戻す。兄さんは私の頭を撫でながら、もう一方の手で指差した。
「いかにも都会の御婦人という女性たちから少し離れたところに、警護の男たちがいるだろう? めったなことはしないと思いたいが、警護担当の人間が全てが人格者とは思っていないんだ」
「でも、暴れるような人たちには見えないよ?」
「……暴れるとか言うより、何というか……村の人間はお前を見慣れているから大丈夫なんだけれど、外部の人間は、ちょっとね。……何と言えばいいのかな。まず鏡を見ろと言うべきか……? いや、その無頓着さがあるから少年にしか見えないのは確かだし……」
ヘイン兄さんは何かぶつぶつとつぶやいている。
私は首を傾げたが、ナイローグの家に目を戻してため息をついた。
「よくわからないけど、あれではナイローグに会いに行けないよ」
「ああ、それは大丈夫だよ。その件もあって、呼びに来たんだ」
ヘイン兄さんはにらみあっている女たちから目を離し、少し腰をかがめて私と目を合わせた。
「ナイローグは家にはいないんだよ。村に戻ってすぐに狩りに参加している。そろそろ私たちの家に戻って来ると思うよ」
つまり、ナイローグはすでに逃亡した後だった?
私は何となくあきれてしまった。でも、あの女の戦い真っ只中に突入しなくていいのはありがたい。それにナイローグが狩りに参加したということは、今夜は肉料理の大判振る舞いになるはずだ!
にんまりと表情を緩める私に、ヘイン兄さんは何だか複雑な顔をしながらまた頭を撫でていた。
0
お気に入りに追加
33
あなたにおすすめの小説
「お前を愛するつもりはない」な仮面の騎士様と結婚しました~でも白い結婚のはずなのに溺愛してきます!~
卯月ミント
恋愛
「お前を愛するつもりはない」
絵を描くのが趣味の侯爵令嬢ソールーナは、仮面の英雄騎士リュクレスと結婚した。
だが初夜で「お前を愛するつもりはない」なんて言われてしまい……。
ソールーナだって好きでもないのにした結婚である。二人はお互いカタチだけの夫婦となろう、とその夜は取り決めたのだが。
なのに「キスしないと出られない部屋」に閉じ込められて!?
「目を閉じてくれるか?」「えっ?」「仮面とるから……」
書き溜めがある内は、1日1~話更新します
それ以降の更新は、ある程度書き溜めてからの投稿となります
*仮面の俺様ナルシスト騎士×絵描き熱中令嬢の溺愛ラブコメです。
*ゆるふわ異世界ファンタジー設定です。
*コメディ強めです。
*hotランキング14位行きました!お読みいただき&お気に入り登録していただきまして、本当にありがとうございます!
陛下から一年以内に世継ぎが生まれなければ王子と離縁するように言い渡されました
夢見 歩
恋愛
「そなたが1年以内に懐妊しない場合、
そなたとサミュエルは離縁をし
サミュエルは新しい妃を迎えて
世継ぎを作ることとする。」
陛下が夫に出すという条件を
事前に聞かされた事により
わたくしの心は粉々に砕けました。
わたくしを愛していないあなたに対して
わたくしが出来ることは〇〇だけです…
婚約破棄に向けて悪役令嬢始めました
樹里
ファンタジー
王太子殿下との婚約破棄を切っ掛けに、何度も人生を戻され、その度に絶望に落とされる公爵家の娘、ヴィヴィアンナ・ローレンス。
嘆いても、泣いても、この呪われた運命から逃れられないのであれば、せめて自分の意志で、自分の手で人生を華麗に散らしてみせましょう。
私は――立派な悪役令嬢になります!
旦那様は大変忙しいお方なのです
あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。
しかし、その当人が結婚式に現れません。
侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」
呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。
相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。
我慢の限界が――来ました。
そちらがその気ならこちらにも考えがあります。
さあ。腕が鳴りますよ!
※視点がころころ変わります。
※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。
[完]本好き元地味令嬢〜婚約破棄に浮かれていたら王太子妃になりました〜
桐生桜月姫
恋愛
シャーロット侯爵令嬢は地味で大人しいが、勉強・魔法がパーフェクトでいつも1番、それが婚約破棄されるまでの彼女の周りからの評価だった。
だが、婚約破棄されて現れた本来の彼女は輝かんばかりの銀髪にアメジストの瞳を持つ超絶美人な行動過激派だった⁉︎
本が大好きな彼女は婚約破棄後に国立図書館の司書になるがそこで待っていたのは幼馴染である王太子からの溺愛⁉︎
〜これはシャーロットの婚約破棄から始まる波瀾万丈の人生を綴った物語である〜
夕方6時に毎日予約更新です。
1話あたり超短いです。
毎日ちょこちょこ読みたい人向けです。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
モブ転生とはこんなもの
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
あたしはナナ。貧乏伯爵令嬢で転生者です。
乙女ゲームのプロローグで死んじゃうモブに転生したけど、奇跡的に助かったおかげで現在元気で幸せです。
今ゲームのラスト近くの婚約破棄の現場にいるんだけど、なんだか様子がおかしいの。
いったいどうしたらいいのかしら……。
現在筆者の時間的かつ体力的に感想などを受け付けない設定にしております。
どうぞよろしくお願いいたします。
他サイトでも公開しています。
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる