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二章 十歳から始める基本の「き」

(6)にらみ合っている?

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 私が生まれた村は、都から少し離れている。
 どのくらい離れているかと言えば、都に出稼ぎに行った若者が滅多に帰省できないくらいの距離だ。でも、馬車とか馬とか、そういう手段を使えばそれほどの日数はかからない。

 街と街の間を往復する大型馬車を乗り継いでいけば、だいたい六日から七日。
 大きな街と街を繋ぐ幹線馬車に乗るお金があれば、乗り継ぎを入れても四日から五日で都から帰ってくることができる、らしい。

 こういう事実を理解した今、ナイローグが数ヶ月に一度、少なくとも半年に一度は戻って来るというのはとても珍しい事だと知っている。そして、頻繁な帰省ができるくらい稼ぎがいいということも何となくわかってきた。

 しかもナイローグは乗合馬車ではなく、馬に乗って往復している。
 乗り継ぎなしだから、旅程はたぶん二、三日くらいだろう。
 その上、以前はいろいろな馬だったのに、今はいつも同じ馬だったりする。それも大きくて毛並みのいい極上の馬だ。

 旅で馬を個人で借り切ると、お金がかかる。ヘイン兄さんが馬牧場をやっているから、個人で馬を所有するのはお金持ちにならないと無理だということも知っている。
 いつも同じ馬に乗るナイローグは、つまりその馬の所有者ということで、普通の稼ぎではない高給取りらしい。

 だから、ナイローグが戻ってくると村の内外の若い娘たちが落ち着かなくなるのは当然のことなのだ。稼ぎがよくて、顔も整っていて、面倒見のいい若い未婚の男なんて、飢えた鶏たちが集まって来るように視線を集めるものなのだろう。
 私も、十歳になってずいぶん賢くなった。
 ……賢くなったはずなのに、木立の向こうに見える光景には首を傾げている。


 林の中で足を止めた私は、ナイローグの家を見ていた。
 今朝早くにナイローグが戻ってきたと聞いたから、こうしてやってきた、のだけれど。

「何か、にらみ合っている……?」

 私は首を傾げながらつぶやいた。
 ナイローグの家の前には、見たことのないきれいな女性がいた。いや、女性たちがいた。顔立ちがきれいと言うより、来ている服がきれいで、遠目にも上質で、立ち姿もすっきりしている。

 見覚えのない顔だから、村のお姉さんたちではない。周辺の街からきた女の人たちでもない。
 村に戻ってくる若い男たちが笑いながら話していた「都会の女」というやつだ。そんな垢抜けた雰囲気をしている上に、見るからに裕福そうな女の人たちがいる。

 そして道を挟んだ向こう側には、何と無く見覚えのある周辺の街から集まったと思われるお姉様方がいて、双方はものすごい目付きでにらみ合っていた。

 いったい何が起こっているのだろう。
 わかっていることは、あの緊迫した空気の中に入っていくのは危険だと言うことだけだ。
 せっかくナイローグに会いに来たのに、あんな中に突入するなんて、ちょっと無理。いくら悪ガキな私でも、無謀なことはしないだけの理性はある。
 でも、ナイローグには「おかえり」と言いたいし……。

 悩みながら一人でうなっていると、背後でかさりとごくわずかな音がした。
 まったく気配はなかったけれど、私は落ち着いて振り返る。予想通り、そこにはヘイン兄さんが立っていた。もちろんその背後に道なんてない。
 兄さんは私以上の野生児あがりで、今も道無き道を平気な顔で進む人なのだ。

「ヘイン兄さん。わざわざ気配を消して来るなんて、どうしたの?」
「うん、まあ、あれだよ」

 ヘイン兄さんはサラサラの金髪を困ったようにかきあげ、形の良い指でナイローグの家を指差した。
 兄さんのあの表情を見る限り、示しているのはナイローグの家ではなく、家の前や道の向こうに陣取っている若い女性たちの集団だろう。
 つまり、あのお姉様方から見つからないように気配を消して、藪の中をやってきたらしい。

「見つからないようにしているのに、わざわざここに来たの? 兄さんって時々変な趣味しているよね」
「ひどいな、シヴィル。かわいい妹のために来たんだよ。危険が及ばないようにね」
「危険? さすがにあの中に突入する勇気はないよ」
「彼女たちも危険ではあるけれどね、私が案じているのは、向こうの男たちだよ」

 ヘイン兄さんは困ったように笑い、私の頭を撫でた。
 兄さんは「男たち」といった。若い女の人以外に誰がいるのかと、もう一度ナイローグの家に目を戻す。兄さんは私の頭を撫でながら、もう一方の手で指差した。

「いかにも都会の御婦人という女性たちから少し離れたところに、警護の男たちがいるだろう? めったなことはしないと思いたいが、警護担当の人間が全てが人格者とは思っていないんだ」
「でも、暴れるような人たちには見えないよ?」
「……暴れるとか言うより、何というか……村の人間はお前を見慣れているから大丈夫なんだけれど、外部の人間は、ちょっとね。……何と言えばいいのかな。まず鏡を見ろと言うべきか……? いや、その無頓着さがあるから少年にしか見えないのは確かだし……」

 ヘイン兄さんは何かぶつぶつとつぶやいている。
 私は首を傾げたが、ナイローグの家に目を戻してため息をついた。

「よくわからないけど、あれではナイローグに会いに行けないよ」
「ああ、それは大丈夫だよ。その件もあって、呼びに来たんだ」

 ヘイン兄さんはにらみあっている女たちから目を離し、少し腰をかがめて私と目を合わせた。

「ナイローグは家にはいないんだよ。村に戻ってすぐに狩りに参加している。そろそろ私たちの家に戻って来ると思うよ」

 つまり、ナイローグはすでに逃亡した後だった?
 私は何となくあきれてしまった。でも、あの女の戦い真っ只中に突入しなくていいのはありがたい。それにナイローグが狩りに参加したということは、今夜は肉料理の大判振る舞いになるはずだ!

 にんまりと表情を緩める私に、ヘイン兄さんは何だか複雑な顔をしながらまた頭を撫でていた。

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