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第1章 アンジュの気持ち
第2話 “任務”遂行の夜②
しおりを挟む※交合を示す内容があります※
彼には、愛してやまない女性がいる。
それを知ったのは、私という存在を無視した事務的な交合が2度続き、今夜が3度目の交わりになろうとしていた日のこと。
『愛している、リリー』
特別に処方された秘薬と大量のお酒を口にし、百合の香油を身にまとって現れたその日の彼は、私を私ではない女性だと誤認識した。
錯誤したまま女性を抱くなど、失礼極まりなく怒り心頭に発する事案だが、その時の私はなにも考えられない状態になっていた。
結婚後1度として向けられたことのなかった優しさ、今までとは違う甘く温かな交合、彼から伝わる熱い想い。
私が願ってやまなかった応対を受け、なすがままになってしまったのだ。
その事象から、彼を想っていた私に残ったものは、残酷にも“彼はリリーという女性を深く愛している”ということ。
そして、“リリーとして交われば温かく、行為中に感じる痛みが緩和される”という認識だった。
彼の内情はなにも知らず、事故ともいえる事象を経験した当時の私は、激しい動揺に見舞われた。
リリーとは誰なのか。
これから、彼とはどのように関わるのが正解なのか。
様々な事が頭を過ぎり今後の身の振り方に不安を覚えたが、それは杞憂に終わった。
彼はその晩のことを覚えておらず、それ以降も今迄と何ら変わらない冷淡な態度を向けてきたからだ。
苦悩と複雑な想いを生み出した事象。
それを1人抱え込むことになった私は、彼には内緒で、彼の想い人について調べ始めた。
そうして知ったリリーという女性に、私は絶句した。
彼の言うリリーは、現国王の長男、彼にとって実兄であるジハイト・ラントの妻、リリア・ラントのこと。
輝くプラチナブロンドにスカイブルーの澄んだ瞳、陶器のような肌質と爽やかに香る百合の薫りが特徴的で、ただ在るだけで魅了されると評判な美女の。
リリー、いや、義姉のリリア様についてや彼がリリー様に惹かれている理由など、思浮かぶ内容は膨大だが、その全てを内に思い起こす余裕は今の私にはない。
私が言いたいことはつまり、今の私の装いには深い意味があるということ。
彼の想い人を思わせる髪色や香りを身につけることは、これから行う“任務”にとって有益になるということだ。
「…………早く準備しないか」
酷く冷めた声色が静かな空間に響いた。
行為のための準備をせず、彼を見据えながら自分の置かれた状況を再認識していた私に、彼は痺れを切らしたようだ。
「すみません。この綺麗な髪色と清楚な香りを噛み締めていたもので」
染められた髪をひと房持ち上げ、清楚な香りを靡かせる。
リリー様の髪色と香油。
それを身にまとった姿は素敵だと、わざと彼の感情を揺さぶるような発言をしてみても、彼は
「…………」
反応を返さない。
さすが、非の打ち所がない王子だと名高い王太子。
微動だにしない彼の姿は、心根を読まれてはならない王族として完璧な態度だ。
「時間をかけて準備したものですので、存分に感じたかったのです。美しい髪色はこの薄暗い中でも、ほら、綺麗に見えますもの」
持ち上げていた髪を彼に見せつけるようにし、更なる嫌味を投げかけてみるが、彼の様子は全くと言っていいほど変わらない。
清々しい程の無反応。
彼の想い人を皮肉っても一切反応せず、私がこの場に存在していないかのような扱いは尊敬に値する。
しかし、これも想定内。
私が彼と関わる中で唯一彼の素直な反応が表れるのは、この装いで交わる時のみ。
リリー様に似せ目隠しをしてやっと、私に心ある反応を返すことを私は理解している。
「……始めましょうか」
話しをしていた間、一度も私に視線を合わせずにいた彼にそう言えば、彼は小さく息を吐き、静かに瞳を閉じた。
その反応から、彼が合意したと捉えた私は広すぎるベッドの中央へ移動する。
目的の位置にたどり着いた私は、ガウンのポケットにいれてあったハンカチを静かに取り出し、両目を覆う。
そうして、その場に静かに寝そべり、脱がされることのないガウンの両ポケットに手を入れた。
そのまま息を詰めていると、間も無くしてギシリとベッドが軋んだ。
彼がこちらに来る。
そう察知した私は、布漉しに目を閉じた。
「「………………」」
感じる空気感に、止まらない小刻みな震え。
否が応でも早まってしまう鼓動。
グッ。
歯を食いしばり、両手に拳を作り強く力を込める。
「っ」
握り込んだ手のひらに爪が刺さった。
痛い。
けれども、それでいい。
おかげで体の震えが止まった。
なにより。
この疼痛に集中すれば、目の前の苦痛に意識が向きづらくなる。
ギシッ。
上に覆い被さられた気配がする。
次いで、柔らかな布団に投げていた両膝に手がかけられた。
大丈夫。
声を殺して、自分が自分に与える痛みに集中すればいいだけ。
私なら大丈夫……
冷静でいるための自己暗示。
それを心の中で繰り返しながら、私は、唇を強く噛み締め両手をさらに強く握りこんだ。
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