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5.私は私で

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彼に起こされた。朝が来たようだ。窓のない室内は暗く、今の時間がわからない。起きてそうそう、朝早くからも彼は唐突だった。

「これからマーフィー男爵領に向かいます。」
「そんな急に無理に決まってるでしょ!一度侯爵領に戻りお父様にご移行を伺わなければならないわ!」

急すぎる。こんなに早く移動するとは思わなかった。侯爵領で過ごせないことは分かったが、何故マーフィー男爵のもとなのだろうか。それも含めお父様に聞かなければならない。
何故、私は海軍の保護下からマーフィー男爵の保護下に移されるのか。知らない地、知らない男爵の元に1人で。彼も付いてくると言われたて彼だって赤の他人だ。実質1人じゃないか。

「あなたのお父様がお望みのことです。」

その言葉に驚いた。

何故。

私の抗議はそれ以上続かなかった。抗議をやめ、呆然とした様子の私に彼は手紙を差し出した。
彼に渡された手紙を手に取る。彼は言った。

「あなたのお父様からです。」

手紙に書いてある名前は間違いなく父の名だった。急いで渡された手紙を開く。

「私はこれからお前の無実を晴らすために動く。侯爵領は王都から近く、お前を家から追い出せと圧力がかかっている。お前はマーフィー男爵のもとで、それなりの功績を上げなさい。そうすることで、もしお前の無実の証拠が見つからなくても、お前を処刑するのが惜しいと思うだろう。実力で己を示しなさい。」

そう美しく力強い筆跡で書かれていた。実に簡潔な要件だけの短い手紙だった。私の心配なんて書いてないけれど、私が何も弁解しなくとも信じてくれる父に涙が出そうだった。こんな家の恥になってしまった私のために、忙しい父が動いてくれる。私に強い言葉をくれる。

私は自分を思い出した。私は悪役令嬢ベアトリーチェ。ベアトリーチェ・チェンバレン。私が前世でしていた乙女ゲームのベアトリーチェはこんなことには屈しない。彼女は痛いほど真っ直ぐに突き進むのだ。後ろなど振り返らずに。

彼女はただ一度サラを学園で定期イベントとして行われるお茶会の場で牽制したのだ。婚約者のいる王子に過剰な接触をする子爵家の彼女に。それをライアン王子に見られたことが彼女の至らなさだ。しかし何度繰り返しても彼女なら同じことをしただろうか。正義感の強いライアン王子は、気の強い婚約者に責められているか弱い少女を擁護した。そして批判を買うのだ。

真っ直ぐにただひたすらに前を進む彼女は美しかった。だからこそ処刑を回避できなかった。牽制をするにはいささか人が多過ぎた。そんなことを考慮しない彼女も美しかった。また愚かにも見えただろうか。様々な罪を被り処刑されるなんて。

婚約者であるライアン王子がサラとの結婚を宣言し、処刑されるその瞬間さえ彼女は下を向かず真っ直ぐに彼らを睨んでいた。彼女は最後まで悪役令嬢であり続けた。私は今彼女なのだ。
そんな強かで愚かで美しいベアトリーチェなのだ。
前を向け。動揺するな。狼狽えるな。そんな無様な姿を晒すな。現実を真っ向から受け止めろ。

無理だなんて言うのは私じゃない。無理だと言わせるのが私だ。

「着替えをしなくちゃならないわ。準備をして!」

確かに相手が証拠を残しておくわけもない。父に任せるだけでなく私も努力しなくてはならないだろう。

本当は、少し本当に少しだけ彼の“お父様の望みだ”という言葉を聞いて動揺した。お父様に捨てられたんじゃないかと思って。そんなお父様の手紙に勇気づけられ当分会うことの出来ないだろう父の姿を思い浮かべた。
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