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椎名とハナのしるし
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「あんた…………まさか往く当てないの?」
とあるマンションの一室で、この部屋の家主――椎名愛々は呆れ顔を浮かべた。
椎名の視線と発した言葉の先には、茶の間で座椅子に納まりながらもどこか落ち着かない様子の女性の客人が一人。
――一見どこにでも居そうな可愛らしい女性なのだが、椎名にとってはただの客人ではなかった。
その女性は申し訳程度の困り顔に愛嬌を上乗せした愛想笑いで言葉を返した。
「えへへ、そうなんですよお……」
「『そうなんですよお』……じゃないよ、まったく! しょうがない……こっちにいる間はここに泊まりなよ。私から乗った船だ、最後まで面倒見るよ」
「あ、ありがとうございます! 今日は記念日ですね!」
「うん、違うね」
「あれ? お礼を言うところじゃなかったですか?」
「そこじゃないよ! 記念日の方だよ!」
「えぇー! 椎名さんは細かい記念日は苦手ですか? 現代人向きじゃあないですねえ」
――『なんだよその現代人向きって……』という返答を飲み込んで、椎名は「はあぁ」と大きな溜息をついた。
「でも……未来の世界の発達は凄いですね!」
座している女性――織乃花子は楽しそうに云った。
「そう? 私は『古き良き』って感じの方が好きだけどね」
「やっぱり、椎名さんは現代人向きじゃあないですね!」
「だから、なんだよその現代人向きって!」二回目は流石に突っ込みを入れた椎名だった。
「えへへ、過去人ジョークですよ!」
「やかましい」椎名は怒気の含まない声色で花子をたしなめた。
***
織乃花子はタイムトラベラー――つまり、過去人である。
そんな花子と出逢った椎名愛々は、彼女の面倒を見ることになったのだが――
これは、過去から来たという織乃花子と、お節介焼きの椎名愛々の――時代を結ぶ一つの真実を辿る物語である。
***
「ただいま……」
椎名は、いつものように座する花子の前を足取り重く通り過ぎ、奥のソファに崩れる様な形で腰を落として、背もたれにその身を預けた。
時刻は夜の九時を回っていた。
「今日もお帰りが遅かったですね……お仕事、お疲れさまです」
「んー? ああ、ありがと」椎名は生気の抜け落ちた様な声で返す。
「あの……毎日、すみません……」花子はバツが悪そうに俯いて、ぽつりと零した。
そんな花子の様子に椎名は苦笑いで応える。
「ハハハ……謝らなくていいよ。私は迷惑だと思ってないよ」
「でも、わたし……あれからずっとお世話になりっぱなしで……」
「何言ってんの。元はといえば、『面倒見るよ』って切り出したのは私なんだからさ? まあ、花ちゃんが気を遣うことなんかないよ」
椎名の言葉を聞いてバツの悪さが少し薄まりはしたが、未だに俯目のやり場に困った素振りで、「……ありがとうございます」と、花子は云った。
「それに……私だって感謝してるところあるんだよ? 仕事や用事から帰ってきて出迎えがある生活も、悪くないな……ってさ」椎名は照れ臭そうに話した。
「椎名さん……!」
「だからさ、何も気にせずに元気出しなよ?」
「……はい! ありがとうございます!」
花子の表情は幸福感にあふれていた。
「うん! それでよし」その表情を見て、椎名も自然と顔がほころんだ。
ほころんで――
「そうと決まれば……明日は二週間目記念ですよ! 椎名さん!!」
「………………」――ほころんだまま固まった。
(やっぱり、簡単に過去の人を助けてあげようなんて思うもんじゃ……)
固まったままの椎名の脳裏にささやかな後悔の波が押し寄せかけたが――
――「あれ? 椎名さん?」
(でも、この子を家に泊めるようになってから、明日でもう二週間か……)
その後悔の波は感傷という形に派生して――
――「おーい! 椎名さーん?」
(ということは、初めてこの子と出逢ったのは十三日前……早いなあ……)
派生した感傷は、回想という形で繋がっていく。
――「椎名さん訊いてますかー?」
(確かあの日は――)
――「椎名さーん! 独りで勝手に回想にふけな――」
***
――――十三日前
その日、私は街に出ていた。
青空が澄み渡っていた。太陽も一番高い位置にありこれから少しずつ沈んでいくのだろう。
吹き抜ける風がとても心地よかった。
そして、その大通りで――私は一人の女性の存在に気付き、目が留まる。
(あれ……あの子……)
その女性の周りだけ、空気が違う――いや、彼女の存在感が周囲と異なっている様にも見えた。
私は彼女に引き寄せられるかのように、彼女の背後に近づいて……
「こんにちは!」前触れもなく声を掛けてしまった。
「へ?! うわわわああああああ!」
突然背後から私に声を掛けられた彼女は――目紛しい混乱と驚きの色を見せて、急いでその場から逃げようとしていたが――
「はい! ストップ!」彼女の両肩を咄嗟にがっちりと抑えて、私は彼女を制止した。
「は、は、離してください! 悪霊退散!」
「なっ! 失礼な! 誰が悪霊だあ!」
「背後に忍び寄るなんて……悪霊です! それか、変質者のすることですよお!」
「……なるほど! 確かに! 異議なし!」
「な、なんで納得してるんですか! いいから、離してくださいよお!」彼女はまだジタバタしている。
「離しません!」
「ど、どうしてですか……!」彼女が私の眼を見つめてそう云うので――
「だって……あんた、多分この時代の人じゃないでしょ?」
確信があった訳ではない。どちらかといえば、つい勢いで口にしてしまったとすら思っている。
もしどうしても理由が必要ならば『ただ何となくそんな気がしたから』だ。
それでも私はその『何となく』を信じて言葉を続ける。
「だから、もし何か困ってるなら――私で良ければ、話くらい聞くよ」
私は自分なりに真摯に気持ちを込めて――彼女を見つめ返して、そう伝えた。
私の言葉を受けた彼女は、もうその場から逃げ出そうとはしなかった。
その後の話で――西暦にして凡そ三十年前の時代から、何らかの弾みで意図せずこの時代に来てしまったということ。元の時代への戻り方を知らないということ。そして、元の時代のことについてもやや曖昧になってしまっているということを聞いた。
それが、私と過去からのお客様――織乃花子の初めての出逢いだった。
***
「でもまさか、声を掛けたその日から家に泊めることになるとは思わなかったなあ」椎名は缶ビールを片手にしみじみと話す。
時刻は夜の十時に差し掛かるところだった。
「『善は急げ』ですからね!」花子は得意げに頷く。
「まあね」そう云うと、椎名はグイっとビールを飲み干した。
花子はそれを見て――
「もう一本、お出ししましょうか?」椎名に訊ねた。
それは花子が、奥のソファに座る椎名よりも冷蔵庫から近い位置に居たことと、何よりも自分の為に協力してくれている椎名に対しての、花子なりのせめてもの気遣いだった。
「ありがと。んー、でも今日はもう控えておくよ。節約しないとねえ」花子の気遣いを察した椎名は柔らかな微笑みで断りを入れた。
「節約ですか……地に足がついてるんですねえ」
「あんたがそれを云うとジョークだよ」
「えへへへ」
「花ちゃんはお酒呑まないの?」
「はい! だってわたし、一応元の時代では十八歳ですからね!」椎名の眼には、花子が誇らしげに云ったように見えた。
「……ああ、そうだった……ね……」
「忘れないでくださいよー! 椎名さんの年齢をちょうど半分に――」
そこまで云いかけたところで花子の言葉は途切れた。
花子は何者かの魔の手によって口を塞がれ――そこから凡そ数分間に渡り悲痛ともとれる慟哭を浴びせられるのであった。
そして、花子は思う――
――(この人、やっぱり本当は悪霊なんじゃないか……)と。
ひと悶着も終わりを迎え、部屋は落ち着きを取り戻していた。
椎名は一度深呼吸をして――
「――さて、花ちゃん。今日は、過去に戻るための進展は何かあったかい?」心なしか表情を引き締めて椎名は云った。
普段から花子の言葉に喜怒哀楽の変化は見せるものの、花子の悩みに関わる話をする時だけは、必ず椎名の表情が真摯なものに切り替わることが花子にはとても頼もしく思え、それと同時にこの上なく嬉しくもあった。
「はい! やっぱりわたしは、映画だと思うんです!」花子は歯切れよく云った。
椎名はビールの空き缶を手で遊ばせながら――
「『映画』……ねえ……」そうポツリと零した。
(やっぱりそうなるのかあ……)
花子の『映画』という答えを椎名も予想していた。
椎名と花子が出逢ったあの日から二人が探し求めているものとは、この時代に来て花子が失くしてしまった――『過去の時代の大切な何か』だった。
花子、そして椎名も、その『大切な何か』を取り戻せば――元の時代に戻れるのではないかと考えていた。
現状の花子に残った記憶を基に手掛かりを整理すると――元の時代では映画に対して強い思い入れを持っていた。その中でも一つだけ漠然とした印象だけで上手く思い出すことの出来ない映画がある。
それが花子の心に妙に引っかかっており、それを探すために有名な映画館があるという噂を耳にしてこの街にひとまずやって来た……ということが分かっているのだが――
「でも、映画の線は――」
椎名は顔を上げて虚空に何かを求めるように当てもなく視線を泳がせながら口を開く。
「花ちゃんの云う、『当時の映画』についても色々調べたけど――ピンとは来なかったようだしねえ……」
当時――凡そ三十年ほど前の時点で公開された映画という手掛かりについては、すでにもう辿るところまで辿っており、残念ながら花子の望む何かは得られなかった。
「今でこそ私も映画が好きだけど、三十年前はまだちゃんと映画に興味を持つ前だもんなあ」惜しげながら椎名は云った。
「そういえば、椎名さんはいつから映画に興味を持たれたんですか?」
花子の問いに、椎名は何か思い耽る様な素振りを見せて、ほんの少し時間を置いてから話し始めた。
「たしか……二十四年前だったかな。その時暮らしていた町の小さな映画館が閉館してさ。そこは普通じゃあお目に掛かれない掘り出し物が観られるって、地元では有名だった」
花子は椎名の話を真剣に聞き入っていた。
「最後の上映会の日に子供だった私も思い出として観に行ったんだよ。館内は地元の人はもちろん、海外から来たって人もいて――凄く賑わってた」椎名は切なくも嬉しそうに話を続ける。
「そして最後に上映された作品は、ある人に捧げるための最初で最後の上映だって館長が云ってたっけな。……昔のことだから詳しくは忘れちゃったけど――その作品に漠然と魅了されたのはよく覚えてるよ。それ以来かなあ、映画をちゃんと観るようになったのは」
「素敵なお話ですね」花子は穏やかな心で云った。
「だからさ、ちょっとは分かるんだよ。花ちゃんが映画にこだわるのも。……だから――何とかしてその三十年前の映画ってやつを見付けてあげたいんだ……」
そう話す椎名の横顔を見つめる花子の眼には――椎名への感謝の想いが溢れていた。
「見付けてあげて……」椎名は一度そこで言葉を区切り、花子に微笑みかけるように続けた。
「一緒に観よ。――約束」
次の日――椎名は更なる手掛かりを求め、花子を連れて街にある映画館に向かった。
「お客さん結構入ってるねえ」
その椎名の言葉通り映画館の劇場内広場は賑わいを見せていた。
壁や電光板には現在上映中の作品から、近日上映予定の作品までポスターや予告映像がびっしりと掲示されている。
「目移りしちゃいますねー!」
花子はその光景に心を躍らせ駆け出し、場内の壁に沿うように一つ一つの掲示を嬉々として眺めている。
椎名は花子の後ろを付いて回りながら、楽しそうなその様子を見て心地よさを感じていた。
「これは、二週間記念ですよね!」
「まあ、そういうことにしといてあげる」
それから少しの間二人で広場を見回っていると――ある映画のポスターの前で花子は立ち止まり興味を示した。
その映画は――最近発表されたばかりの洋画だった。
脚本のモチーフとなったのは日本の作品らしく、その関係者の名前だろうか――『Special thanks To Yuki Akaba』の文字がポスターに記されていた。
上映期間は二週間と短く、今日がちょうどその最終日だった。
椎名がその場で映画の内容について調べると――『Hannah』という名の女学生が、未来を自由に行き来する能力に目覚めることで物語が始まっていくということも分かった。
「タイムトラベル…………椎名さん。これ、観てみたいです」
花子のその言葉と表情から、この映画に何か期待をしていることが椎名には伝わった。
「……わかったよ。今チケット買ってくる」
そう云うと椎名はチケット売り場へ走り出した。
走りながら椎名は――
――(もしかしたら、この映画には大きな何かが隠されているのかもしれない……)
――(しかし、この映画は……きっと花ちゃんの望むものでは……)
そんな矛盾にも近い二つの想いを抱えていた。
結論から云うと――椎名が抱いた想いは正しかったことになる。
この映画はとても面白い作品として花子の印象に強く残ったが、それでも花子が望んでいた何かでは無かったのだ。
二人で映画を鑑賞している最中――
その作品の内容に椎名はずっと既視感を抱いていた。
花子も自身の現状と似ている点――共通項も多々感じてはいたものの、それはあくまでも『似ているだけ』であり、奇妙な偶然の範疇からは越えてはいないと思っていた。
そして、この映画のラストシーンは――能力の使用にも限りが見え始めた女学生が、未来で共に過ごしてきたパートナーと別れ過去に戻るのか、それとも未来の世界で共に暮らしてゆくのかを迫られるというものだった。
パートナーの『過去に戻るは生者、未来に残るは亡霊――僕と一緒に死んでくれるか?』という印象的な台詞の後、その答えを女学生が述べる瞬間にエンドロールを迎え、作品を観た者それぞれに、その結末を委ねる形で締めくくられていた。
エンドロール中――花子は手掛かりにならなくとも、椎名と一緒に鑑賞できたことへの満足感を浮かべていたが……
椎名は未だに心に残る数多の違和感を必死に紐解こうとしていた。
そしてエンドロールも終わりを迎える。
その最後には大きく『For encounters and condolences 24 year ago』の文字が映し出されていた。
――(これって……まさか……)
その文字を観た時――椎名は自分の中で喪失感と僅かな後悔を抱き、その直後に葛藤した。
そして、どこか自分を無理にでも納得させるように――
「花ちゃん。もしかしたら私達……もうすぐ――お別れかもね」そう云った。
***
――いつから気が付いたか?
確信を持ったのは三日前――花子と一緒にあの映画を観て、そのエンドロールが終わった時だ。
ただ、漠然とその可能性を考えたのはいつかとなると――最初から、かもしれない。
――なぜ気が付いたか?
花子を以前どこかで見かけた気がしていた。
それに、花子の云う『三十年前』
二人で観た映画に抱いた既視感――人物、物語、ポスター
そして、エンドロールのあの文字。
全てが繋がった。
こんな、偶然――いやある意味必然だったのか……。
――これからどうするのか?
花子との約束を守りにいくよ。
その先のことは花子に任せる。
ただ、花子にはちゃんと観させてあげたい――花子がずっと探し求めていたものを。
そして、それを――一緒に観たい。
花ちゃん。約束、守りにいくよ。
私は何度も自問自答を繰り返して――花子のもとへと向かった。
***
「お待たせ、花ちゃん」
街の映画館で二人が映画を観た後の二日間――椎名は自宅に殆ど戻らずにある準備を進めていた。
そして、その準備を終えた椎名は花子をある場所に呼び出して、そこで待機させていた。
「ここは、前に話した――二十四年前に閉館した映画館だよ」
そこは――隣町にある閉館した映画館の劇場内だった。
二十四年前に閉館して以降、度々の清掃は行われたものの、ほとんど手付かずのままで残されていた。
数多の傷が見られ、色褪せている劇場内の壁や椅子は年季を感じさせた。
「ここで――一緒に観たいものがあるんだ」
そう云うと椎名は、花子を真ん中あたりの座席に誘導し――後方に何か合図の様なものを送り、自身も花子の隣に座った。
すると徐々に暗転して、数秒の間の後に正面のスクリーンに一本の映画が映し出された。
「この映画はね、ここで上映された最後の作品――『ハナのしるし』」
――『ハナのしるし』
その物語は、「自分は過去からやって来た」と云う孤独な少女が、ある日出逢った青年と共に、自分の本当の居場所を求めて旅に出るというものだった。
そして、その少女の名前は――『織乃ハナ子』
ハナ子には過去を視る力が宿っており、旅の途中でその力を使い、青年と共に協力しながら人助けをし続けていく内に、ハナ子は自分が求めているモノに気付き始めるのだが――
終盤――ラストへと繋ぐ導入の場面で、青年はハナ子に、自分が辿り着いたある真実を伝える。
ハナ子は過去からやって来たのではない……と。
そしてハナ子が孤独だった理由は――織乃ハナ子は、青年を除いて、誰にもその存在を認識されていなかったからだと。
ハナ子は何十年も前に亡くなっており、青年と出逢うまで自我を持たずにひたすら彷徨い続けた霊体だったことが発覚するという――とても印象の強い終盤の導入から、物語はラストシーンを迎える。
この作品は、名作として世に名を馳せるはずだった――
しかし、この作品が一般公開されることはなかった。
――それは織乃ハナ子を演じる女優が、ラストワンシーンを残して不慮の事故で帰らぬ人となってしまったからだ。
故にこの作品は当時の一部の映画ファンの間では『隠れた未完の名作』として噂が広まっていた。
一度も陽の目を見ることがないと思われたこの作品にある転機が訪れたのは、それから六年後――今から二十四年前のことだった。
ここの映画館の館長が、当時の関係者に頼み込んだ末にたった一度のみ、未完ながらも一般公開の上映が許されたのだ。
そして、館長はこの作品を――自身の映画館の最後の作品として上映した。
「初めから……気付いておきたかった。……そしたら――」
椎名はそこで言葉に詰まると、それ以上は何も言わずに席を立ち上がり――ゆっくりと出入口へ向かった。
スクリーンに映し出された映像は――ちょうど青年が、織乃ハナ子に真実を伝えている場面だった。
「おや、椎名ちゃんもう良いのかい?」
椎名が劇場からホールに出ると、ここの館長だった中年の男性――山岸が声を掛けた。
「いえ、最後まで流しておいてください。そして……すみません、無理云って」
「良いんだよ。椎名ちゃんの頼みなら! でもまさかもう一度あの映画を観たいだなんて驚いたよ――しかも、椎名ちゃん一人でさ」
「ちょっと思い出しちゃいまして」椎名は苦笑いで応える。
「まあ僕も、久しぶりにこの場所が蘇った様で嬉しいよ」
「ありがとうございます」椎名は一礼した。
「そうだ! 椎名ちゃんはどっちだと思う?」
「え?」
「織乃ハナ子の最後の決断だよ。真実を告げられたことで、霊体としての力が強くなり始めて、最後の方は青年ですら認識が薄れ始めるでしょ? ハナ子はそのまま青年の前から消えるように安らかに眠ることを選ぶのか、それとももう成仏が出来なかったとしても……青年の隣で、青年だけに認識されて存在し続けるのか――」
山岸の問い掛けに、椎名は劇場の方を振り返り、扉を見つめた後に零す様に――
「……花ちゃんは――」それだけを云った。
「ん? どうかしたかい?」
「いえ、何でもないですよ! すみません、すぐに戻るんで……」そう山岸に伝えると、椎名は一度外に出た。
青空は澄み渡り、吹き抜ける風が心地よかった。
遠くの方で蝶々が蜜源を求めてフラフラと漂っているのが見えて――椎名は季節を感じた。
少しの深呼吸の後、椎名は空を見上げる。
その澄み渡る青空の眩しさに、僅かに瞳を潤わせ――
「約束は守ったよ――赤羽ゆうきさん」そう告げた。
そして目元を拭って振り返り、劇場の中へと消えていった。
とあるマンションの一室で、この部屋の家主――椎名愛々は呆れ顔を浮かべた。
椎名の視線と発した言葉の先には、茶の間で座椅子に納まりながらもどこか落ち着かない様子の女性の客人が一人。
――一見どこにでも居そうな可愛らしい女性なのだが、椎名にとってはただの客人ではなかった。
その女性は申し訳程度の困り顔に愛嬌を上乗せした愛想笑いで言葉を返した。
「えへへ、そうなんですよお……」
「『そうなんですよお』……じゃないよ、まったく! しょうがない……こっちにいる間はここに泊まりなよ。私から乗った船だ、最後まで面倒見るよ」
「あ、ありがとうございます! 今日は記念日ですね!」
「うん、違うね」
「あれ? お礼を言うところじゃなかったですか?」
「そこじゃないよ! 記念日の方だよ!」
「えぇー! 椎名さんは細かい記念日は苦手ですか? 現代人向きじゃあないですねえ」
――『なんだよその現代人向きって……』という返答を飲み込んで、椎名は「はあぁ」と大きな溜息をついた。
「でも……未来の世界の発達は凄いですね!」
座している女性――織乃花子は楽しそうに云った。
「そう? 私は『古き良き』って感じの方が好きだけどね」
「やっぱり、椎名さんは現代人向きじゃあないですね!」
「だから、なんだよその現代人向きって!」二回目は流石に突っ込みを入れた椎名だった。
「えへへ、過去人ジョークですよ!」
「やかましい」椎名は怒気の含まない声色で花子をたしなめた。
***
織乃花子はタイムトラベラー――つまり、過去人である。
そんな花子と出逢った椎名愛々は、彼女の面倒を見ることになったのだが――
これは、過去から来たという織乃花子と、お節介焼きの椎名愛々の――時代を結ぶ一つの真実を辿る物語である。
***
「ただいま……」
椎名は、いつものように座する花子の前を足取り重く通り過ぎ、奥のソファに崩れる様な形で腰を落として、背もたれにその身を預けた。
時刻は夜の九時を回っていた。
「今日もお帰りが遅かったですね……お仕事、お疲れさまです」
「んー? ああ、ありがと」椎名は生気の抜け落ちた様な声で返す。
「あの……毎日、すみません……」花子はバツが悪そうに俯いて、ぽつりと零した。
そんな花子の様子に椎名は苦笑いで応える。
「ハハハ……謝らなくていいよ。私は迷惑だと思ってないよ」
「でも、わたし……あれからずっとお世話になりっぱなしで……」
「何言ってんの。元はといえば、『面倒見るよ』って切り出したのは私なんだからさ? まあ、花ちゃんが気を遣うことなんかないよ」
椎名の言葉を聞いてバツの悪さが少し薄まりはしたが、未だに俯目のやり場に困った素振りで、「……ありがとうございます」と、花子は云った。
「それに……私だって感謝してるところあるんだよ? 仕事や用事から帰ってきて出迎えがある生活も、悪くないな……ってさ」椎名は照れ臭そうに話した。
「椎名さん……!」
「だからさ、何も気にせずに元気出しなよ?」
「……はい! ありがとうございます!」
花子の表情は幸福感にあふれていた。
「うん! それでよし」その表情を見て、椎名も自然と顔がほころんだ。
ほころんで――
「そうと決まれば……明日は二週間目記念ですよ! 椎名さん!!」
「………………」――ほころんだまま固まった。
(やっぱり、簡単に過去の人を助けてあげようなんて思うもんじゃ……)
固まったままの椎名の脳裏にささやかな後悔の波が押し寄せかけたが――
――「あれ? 椎名さん?」
(でも、この子を家に泊めるようになってから、明日でもう二週間か……)
その後悔の波は感傷という形に派生して――
――「おーい! 椎名さーん?」
(ということは、初めてこの子と出逢ったのは十三日前……早いなあ……)
派生した感傷は、回想という形で繋がっていく。
――「椎名さん訊いてますかー?」
(確かあの日は――)
――「椎名さーん! 独りで勝手に回想にふけな――」
***
――――十三日前
その日、私は街に出ていた。
青空が澄み渡っていた。太陽も一番高い位置にありこれから少しずつ沈んでいくのだろう。
吹き抜ける風がとても心地よかった。
そして、その大通りで――私は一人の女性の存在に気付き、目が留まる。
(あれ……あの子……)
その女性の周りだけ、空気が違う――いや、彼女の存在感が周囲と異なっている様にも見えた。
私は彼女に引き寄せられるかのように、彼女の背後に近づいて……
「こんにちは!」前触れもなく声を掛けてしまった。
「へ?! うわわわああああああ!」
突然背後から私に声を掛けられた彼女は――目紛しい混乱と驚きの色を見せて、急いでその場から逃げようとしていたが――
「はい! ストップ!」彼女の両肩を咄嗟にがっちりと抑えて、私は彼女を制止した。
「は、は、離してください! 悪霊退散!」
「なっ! 失礼な! 誰が悪霊だあ!」
「背後に忍び寄るなんて……悪霊です! それか、変質者のすることですよお!」
「……なるほど! 確かに! 異議なし!」
「な、なんで納得してるんですか! いいから、離してくださいよお!」彼女はまだジタバタしている。
「離しません!」
「ど、どうしてですか……!」彼女が私の眼を見つめてそう云うので――
「だって……あんた、多分この時代の人じゃないでしょ?」
確信があった訳ではない。どちらかといえば、つい勢いで口にしてしまったとすら思っている。
もしどうしても理由が必要ならば『ただ何となくそんな気がしたから』だ。
それでも私はその『何となく』を信じて言葉を続ける。
「だから、もし何か困ってるなら――私で良ければ、話くらい聞くよ」
私は自分なりに真摯に気持ちを込めて――彼女を見つめ返して、そう伝えた。
私の言葉を受けた彼女は、もうその場から逃げ出そうとはしなかった。
その後の話で――西暦にして凡そ三十年前の時代から、何らかの弾みで意図せずこの時代に来てしまったということ。元の時代への戻り方を知らないということ。そして、元の時代のことについてもやや曖昧になってしまっているということを聞いた。
それが、私と過去からのお客様――織乃花子の初めての出逢いだった。
***
「でもまさか、声を掛けたその日から家に泊めることになるとは思わなかったなあ」椎名は缶ビールを片手にしみじみと話す。
時刻は夜の十時に差し掛かるところだった。
「『善は急げ』ですからね!」花子は得意げに頷く。
「まあね」そう云うと、椎名はグイっとビールを飲み干した。
花子はそれを見て――
「もう一本、お出ししましょうか?」椎名に訊ねた。
それは花子が、奥のソファに座る椎名よりも冷蔵庫から近い位置に居たことと、何よりも自分の為に協力してくれている椎名に対しての、花子なりのせめてもの気遣いだった。
「ありがと。んー、でも今日はもう控えておくよ。節約しないとねえ」花子の気遣いを察した椎名は柔らかな微笑みで断りを入れた。
「節約ですか……地に足がついてるんですねえ」
「あんたがそれを云うとジョークだよ」
「えへへへ」
「花ちゃんはお酒呑まないの?」
「はい! だってわたし、一応元の時代では十八歳ですからね!」椎名の眼には、花子が誇らしげに云ったように見えた。
「……ああ、そうだった……ね……」
「忘れないでくださいよー! 椎名さんの年齢をちょうど半分に――」
そこまで云いかけたところで花子の言葉は途切れた。
花子は何者かの魔の手によって口を塞がれ――そこから凡そ数分間に渡り悲痛ともとれる慟哭を浴びせられるのであった。
そして、花子は思う――
――(この人、やっぱり本当は悪霊なんじゃないか……)と。
ひと悶着も終わりを迎え、部屋は落ち着きを取り戻していた。
椎名は一度深呼吸をして――
「――さて、花ちゃん。今日は、過去に戻るための進展は何かあったかい?」心なしか表情を引き締めて椎名は云った。
普段から花子の言葉に喜怒哀楽の変化は見せるものの、花子の悩みに関わる話をする時だけは、必ず椎名の表情が真摯なものに切り替わることが花子にはとても頼もしく思え、それと同時にこの上なく嬉しくもあった。
「はい! やっぱりわたしは、映画だと思うんです!」花子は歯切れよく云った。
椎名はビールの空き缶を手で遊ばせながら――
「『映画』……ねえ……」そうポツリと零した。
(やっぱりそうなるのかあ……)
花子の『映画』という答えを椎名も予想していた。
椎名と花子が出逢ったあの日から二人が探し求めているものとは、この時代に来て花子が失くしてしまった――『過去の時代の大切な何か』だった。
花子、そして椎名も、その『大切な何か』を取り戻せば――元の時代に戻れるのではないかと考えていた。
現状の花子に残った記憶を基に手掛かりを整理すると――元の時代では映画に対して強い思い入れを持っていた。その中でも一つだけ漠然とした印象だけで上手く思い出すことの出来ない映画がある。
それが花子の心に妙に引っかかっており、それを探すために有名な映画館があるという噂を耳にしてこの街にひとまずやって来た……ということが分かっているのだが――
「でも、映画の線は――」
椎名は顔を上げて虚空に何かを求めるように当てもなく視線を泳がせながら口を開く。
「花ちゃんの云う、『当時の映画』についても色々調べたけど――ピンとは来なかったようだしねえ……」
当時――凡そ三十年ほど前の時点で公開された映画という手掛かりについては、すでにもう辿るところまで辿っており、残念ながら花子の望む何かは得られなかった。
「今でこそ私も映画が好きだけど、三十年前はまだちゃんと映画に興味を持つ前だもんなあ」惜しげながら椎名は云った。
「そういえば、椎名さんはいつから映画に興味を持たれたんですか?」
花子の問いに、椎名は何か思い耽る様な素振りを見せて、ほんの少し時間を置いてから話し始めた。
「たしか……二十四年前だったかな。その時暮らしていた町の小さな映画館が閉館してさ。そこは普通じゃあお目に掛かれない掘り出し物が観られるって、地元では有名だった」
花子は椎名の話を真剣に聞き入っていた。
「最後の上映会の日に子供だった私も思い出として観に行ったんだよ。館内は地元の人はもちろん、海外から来たって人もいて――凄く賑わってた」椎名は切なくも嬉しそうに話を続ける。
「そして最後に上映された作品は、ある人に捧げるための最初で最後の上映だって館長が云ってたっけな。……昔のことだから詳しくは忘れちゃったけど――その作品に漠然と魅了されたのはよく覚えてるよ。それ以来かなあ、映画をちゃんと観るようになったのは」
「素敵なお話ですね」花子は穏やかな心で云った。
「だからさ、ちょっとは分かるんだよ。花ちゃんが映画にこだわるのも。……だから――何とかしてその三十年前の映画ってやつを見付けてあげたいんだ……」
そう話す椎名の横顔を見つめる花子の眼には――椎名への感謝の想いが溢れていた。
「見付けてあげて……」椎名は一度そこで言葉を区切り、花子に微笑みかけるように続けた。
「一緒に観よ。――約束」
次の日――椎名は更なる手掛かりを求め、花子を連れて街にある映画館に向かった。
「お客さん結構入ってるねえ」
その椎名の言葉通り映画館の劇場内広場は賑わいを見せていた。
壁や電光板には現在上映中の作品から、近日上映予定の作品までポスターや予告映像がびっしりと掲示されている。
「目移りしちゃいますねー!」
花子はその光景に心を躍らせ駆け出し、場内の壁に沿うように一つ一つの掲示を嬉々として眺めている。
椎名は花子の後ろを付いて回りながら、楽しそうなその様子を見て心地よさを感じていた。
「これは、二週間記念ですよね!」
「まあ、そういうことにしといてあげる」
それから少しの間二人で広場を見回っていると――ある映画のポスターの前で花子は立ち止まり興味を示した。
その映画は――最近発表されたばかりの洋画だった。
脚本のモチーフとなったのは日本の作品らしく、その関係者の名前だろうか――『Special thanks To Yuki Akaba』の文字がポスターに記されていた。
上映期間は二週間と短く、今日がちょうどその最終日だった。
椎名がその場で映画の内容について調べると――『Hannah』という名の女学生が、未来を自由に行き来する能力に目覚めることで物語が始まっていくということも分かった。
「タイムトラベル…………椎名さん。これ、観てみたいです」
花子のその言葉と表情から、この映画に何か期待をしていることが椎名には伝わった。
「……わかったよ。今チケット買ってくる」
そう云うと椎名はチケット売り場へ走り出した。
走りながら椎名は――
――(もしかしたら、この映画には大きな何かが隠されているのかもしれない……)
――(しかし、この映画は……きっと花ちゃんの望むものでは……)
そんな矛盾にも近い二つの想いを抱えていた。
結論から云うと――椎名が抱いた想いは正しかったことになる。
この映画はとても面白い作品として花子の印象に強く残ったが、それでも花子が望んでいた何かでは無かったのだ。
二人で映画を鑑賞している最中――
その作品の内容に椎名はずっと既視感を抱いていた。
花子も自身の現状と似ている点――共通項も多々感じてはいたものの、それはあくまでも『似ているだけ』であり、奇妙な偶然の範疇からは越えてはいないと思っていた。
そして、この映画のラストシーンは――能力の使用にも限りが見え始めた女学生が、未来で共に過ごしてきたパートナーと別れ過去に戻るのか、それとも未来の世界で共に暮らしてゆくのかを迫られるというものだった。
パートナーの『過去に戻るは生者、未来に残るは亡霊――僕と一緒に死んでくれるか?』という印象的な台詞の後、その答えを女学生が述べる瞬間にエンドロールを迎え、作品を観た者それぞれに、その結末を委ねる形で締めくくられていた。
エンドロール中――花子は手掛かりにならなくとも、椎名と一緒に鑑賞できたことへの満足感を浮かべていたが……
椎名は未だに心に残る数多の違和感を必死に紐解こうとしていた。
そしてエンドロールも終わりを迎える。
その最後には大きく『For encounters and condolences 24 year ago』の文字が映し出されていた。
――(これって……まさか……)
その文字を観た時――椎名は自分の中で喪失感と僅かな後悔を抱き、その直後に葛藤した。
そして、どこか自分を無理にでも納得させるように――
「花ちゃん。もしかしたら私達……もうすぐ――お別れかもね」そう云った。
***
――いつから気が付いたか?
確信を持ったのは三日前――花子と一緒にあの映画を観て、そのエンドロールが終わった時だ。
ただ、漠然とその可能性を考えたのはいつかとなると――最初から、かもしれない。
――なぜ気が付いたか?
花子を以前どこかで見かけた気がしていた。
それに、花子の云う『三十年前』
二人で観た映画に抱いた既視感――人物、物語、ポスター
そして、エンドロールのあの文字。
全てが繋がった。
こんな、偶然――いやある意味必然だったのか……。
――これからどうするのか?
花子との約束を守りにいくよ。
その先のことは花子に任せる。
ただ、花子にはちゃんと観させてあげたい――花子がずっと探し求めていたものを。
そして、それを――一緒に観たい。
花ちゃん。約束、守りにいくよ。
私は何度も自問自答を繰り返して――花子のもとへと向かった。
***
「お待たせ、花ちゃん」
街の映画館で二人が映画を観た後の二日間――椎名は自宅に殆ど戻らずにある準備を進めていた。
そして、その準備を終えた椎名は花子をある場所に呼び出して、そこで待機させていた。
「ここは、前に話した――二十四年前に閉館した映画館だよ」
そこは――隣町にある閉館した映画館の劇場内だった。
二十四年前に閉館して以降、度々の清掃は行われたものの、ほとんど手付かずのままで残されていた。
数多の傷が見られ、色褪せている劇場内の壁や椅子は年季を感じさせた。
「ここで――一緒に観たいものがあるんだ」
そう云うと椎名は、花子を真ん中あたりの座席に誘導し――後方に何か合図の様なものを送り、自身も花子の隣に座った。
すると徐々に暗転して、数秒の間の後に正面のスクリーンに一本の映画が映し出された。
「この映画はね、ここで上映された最後の作品――『ハナのしるし』」
――『ハナのしるし』
その物語は、「自分は過去からやって来た」と云う孤独な少女が、ある日出逢った青年と共に、自分の本当の居場所を求めて旅に出るというものだった。
そして、その少女の名前は――『織乃ハナ子』
ハナ子には過去を視る力が宿っており、旅の途中でその力を使い、青年と共に協力しながら人助けをし続けていく内に、ハナ子は自分が求めているモノに気付き始めるのだが――
終盤――ラストへと繋ぐ導入の場面で、青年はハナ子に、自分が辿り着いたある真実を伝える。
ハナ子は過去からやって来たのではない……と。
そしてハナ子が孤独だった理由は――織乃ハナ子は、青年を除いて、誰にもその存在を認識されていなかったからだと。
ハナ子は何十年も前に亡くなっており、青年と出逢うまで自我を持たずにひたすら彷徨い続けた霊体だったことが発覚するという――とても印象の強い終盤の導入から、物語はラストシーンを迎える。
この作品は、名作として世に名を馳せるはずだった――
しかし、この作品が一般公開されることはなかった。
――それは織乃ハナ子を演じる女優が、ラストワンシーンを残して不慮の事故で帰らぬ人となってしまったからだ。
故にこの作品は当時の一部の映画ファンの間では『隠れた未完の名作』として噂が広まっていた。
一度も陽の目を見ることがないと思われたこの作品にある転機が訪れたのは、それから六年後――今から二十四年前のことだった。
ここの映画館の館長が、当時の関係者に頼み込んだ末にたった一度のみ、未完ながらも一般公開の上映が許されたのだ。
そして、館長はこの作品を――自身の映画館の最後の作品として上映した。
「初めから……気付いておきたかった。……そしたら――」
椎名はそこで言葉に詰まると、それ以上は何も言わずに席を立ち上がり――ゆっくりと出入口へ向かった。
スクリーンに映し出された映像は――ちょうど青年が、織乃ハナ子に真実を伝えている場面だった。
「おや、椎名ちゃんもう良いのかい?」
椎名が劇場からホールに出ると、ここの館長だった中年の男性――山岸が声を掛けた。
「いえ、最後まで流しておいてください。そして……すみません、無理云って」
「良いんだよ。椎名ちゃんの頼みなら! でもまさかもう一度あの映画を観たいだなんて驚いたよ――しかも、椎名ちゃん一人でさ」
「ちょっと思い出しちゃいまして」椎名は苦笑いで応える。
「まあ僕も、久しぶりにこの場所が蘇った様で嬉しいよ」
「ありがとうございます」椎名は一礼した。
「そうだ! 椎名ちゃんはどっちだと思う?」
「え?」
「織乃ハナ子の最後の決断だよ。真実を告げられたことで、霊体としての力が強くなり始めて、最後の方は青年ですら認識が薄れ始めるでしょ? ハナ子はそのまま青年の前から消えるように安らかに眠ることを選ぶのか、それとももう成仏が出来なかったとしても……青年の隣で、青年だけに認識されて存在し続けるのか――」
山岸の問い掛けに、椎名は劇場の方を振り返り、扉を見つめた後に零す様に――
「……花ちゃんは――」それだけを云った。
「ん? どうかしたかい?」
「いえ、何でもないですよ! すみません、すぐに戻るんで……」そう山岸に伝えると、椎名は一度外に出た。
青空は澄み渡り、吹き抜ける風が心地よかった。
遠くの方で蝶々が蜜源を求めてフラフラと漂っているのが見えて――椎名は季節を感じた。
少しの深呼吸の後、椎名は空を見上げる。
その澄み渡る青空の眩しさに、僅かに瞳を潤わせ――
「約束は守ったよ――赤羽ゆうきさん」そう告げた。
そして目元を拭って振り返り、劇場の中へと消えていった。
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