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 俺は今、激しく後悔している。
 なにがって、昨日の自分の発言を、だ。
 自分がいかに考えなしだったかを、俺は、身をもって思い知った。

 言わずもがな、俺の後悔の元凶はかの国宝級イケメンなのだが……。

 昨日、学校でも仲良くしたい、という中条の希望を許可してしまったのがすべての始まりだった。

 朝の挨拶から始まり、休み時間の度に俺の席にやってきて時間をつぶし、移動教室も後をついてきた。クラスメイトたちは、昨日の放課後から一体なにがおきたんだ? と俺たちを物珍しそうに眺めている。前の席の太一なんかは、自分は関わらないぞという強い意志を感じさせるくらい振り向かないし、話しかけてもくれない。

 あぁ……、昨日の俺はどうかしていた。

『俺たち恋人じゃん』

 耳元でひっそりと囁かれた言葉は、甘い響きと熱をもって鼓膜を通り抜けていった。全身の毛がぶわっと逆立つような感覚に襲われたが、それは決して不快とか嫌悪といった感情ではなく、むしろその反対の感情を俺にもたらすから質が悪い。

 過剰に反応してしまったこともそうだし、耳が弱いんだ、と自分の弱点を知られたことがとてつもなく恥ずかしかった。例えるなら、丸裸にされたような、いたたまれない気持ちになった。

 とにもかくにもその場を早く収めたくて、好きにしろよ、なんて投げやりに言ってしまったんだ。

 俺のばか。ばかばかばか。

「……あのさ、中条」
「ん、なに」

 いや、なに、じゃなくて。

 俺は突っ込みたくなるのを必死に我慢我慢。

 公衆の面前でヒエラルキーのトップ層に君臨する国宝級イケメンに突っ込みなんか入れた日には、俺みたいな地味男子なんか明日には存在を抹消されてしまうからな。

「そんなに、見られてるとやりづらいし、中条も手、動かして」

 俺は手元から目を離さずに言った。
 今は家庭科の授業で、4人一組に別れて豚汁と鮭のムニエルを作っている。俺は豚汁の野菜を切っている真っ最中で、中条には鮭の下準備という役目があるのにも関わらず、なぜか俺の横に立ってじーっと見つめていた。

 同じグループのほかの女子も、さっきから中条に手伝ってと声をかけているのだが、ちょっとすると手が止まってこちらを見ている。
 おかげで鮭は塩コショウが片面しか施されずに放置プレイをくらっている。

「いやさ、片瀬が手を切らないか心配で目が離せないんだよ……」

 過保護かよ!

 確かに、普段やり慣れてない分手つきがぎこちなくて不安なのはわかるが、俺の親だってこの年でそんな心配はしないっつーの。

 女子たちも俺も呆れて物が言えない。

 だいたいこの班決めだって、太一と組むつもりでいたのに、にこにこ顔の中条が近づいてきたせいで、俺が声をかけるよりも早く太一はほかの男子を捕まえていた。この裏切者。いつか呪ってやる。

 俺は手を止めて包丁を置く。

「中条が見てたところで切る時は切るんだよ。だからお前はお前のやるべきことをやれ。じゃないと俺たちの班だけメインディッシュを食いっぱぐれるだろ」

「そうだけどさぁ……、あ、じゃぁこうしよう。俺が野菜切るから片瀬は鮭をやって」

 最初っからこうすればよかったな、と一人で納得しながら中条は俺とポジションを交換すると慣れた手つきで野菜を切り出した。

 へぇ、なかなか様になってるじゃん。

 そう思っているのは、俺だけじゃないらしく、

「佑太朗くん、すごい上手!」
「料理できるイケメン最高」

 と方々から黄色い声が上がった。

 ただ野菜を切っているだけなんだけどな。

 といいつつも、ピアスいっぱい茶髪男子がエプロンつけて料理をする姿は確かに絵になるし可愛い。このまま切り取れば、朝のアイドルの料理コーナーにできそう。

「中条、普段料理とかするの?」
「ん-、まぁまぁ。俺ん家共働きだから、母さんが夜勤の日とかは、俺が夕飯担当」

 なんか意外だった。
 俺なんか、朝昼晩、なんなら夜食まで用意してもらえるっていうのに。

「大変だな」

 口からぽろりと出たのはそんな言葉。けれど、中条は気にする様子もなく、「全然? 好きだから苦じゃないんだ」と微笑む。

 その慈愛に満ちた、なんとも可愛い笑顔に瞬殺される周囲の女子のことなどには露ほども気づかず、中条はご機嫌に野菜を切っていった。

 罪な男だぜ、料理男子。





「「片瀬くん! ちょっといい⁉」」

 それは、休み時間に中条がトイレに行くと言って教室から出ていった時だった。「片瀬はトイレ大丈夫?」と着いてきて欲しそうに訊ねる中条の背中を無理やり押してトイレに追いやった直後、数名の女子が俺のところに詰め寄ってきた。

 唐突にバンッと机に手を突かれて、のどがひゅっと鳴る。
 俺を取り囲んだ女子3名は、いずれも中条のグループにいるとりまきの女子だ。

「な、なに」
「佑太朗くんの彼女って誰?」
「この学校?」
「年はいくつ?」

 矢継ぎ早に質問され、俺はあーとかえーとか言葉にならない声を絞り出すのに精一杯。普段女子との会話なんて業務連絡のみの俺にとって、この状況は拷問だ。軽いパニックに陥る俺に、女子たちは今にも痺れを切らしそうに地団太を踏む。

 きっと佑太朗が戻ってくる前になにがなんでも済ませたい一心なんだろう。

「あー……いや、それは……」

 本人が隠していることを、俺が言えるわけないだろ。

 俺の煮え切らない反応に、察したらしく「やっぱだめかー!」と叫んだ。

 そして一縷の望みを断たれた彼女たちは、一人は天を仰ぎ一人は崩れ落ち、一人はムンクの叫びと化し「絶望」を表す。表現の授業なら拍手喝采を受けただろう。

 ゆ、許してくれ。
 俺の口からは何も言えない。

「ねぇ、どんな子?」
「かわいい?」

 女子たちは諦めきれずに食い下がる。しかし、俺にだって事情があるんだからそう簡単には引き下がれない。

「ホント、ごめん」

 その一言で、もうこれ以上はなにも言えないんだ、ということを案に示すも、彼女たちは両手を合わせて「せめて一言! お願い!」と拝みだした。
 俺だって、手を合わせて「勘弁してくれ!」って拝みたい。

 はぁ、どうすっかなー、と頭をひねっていると、

「なになに、俺の彼女のことー?」

 イケメン過ぎる声と共に、背後を取られ俺はぎくりと硬直する。中条が後ろから抱き着き、俺の首に腕を回して俺の頭に顎を乗せてきやがった。

 やましいことなど一つもないというのになぜか冷や汗が。

 それに、なんだ、このやたらといい匂いは。 
 ふとした時に鼻を掠める香りはいつも強すぎず控えめで爽やかだ。イケメンは汗とかかかないんだろうかと不思議に思う。

 女子たちはといえば、しまった、という表情で固まっていた。

 中条がどんな顔をしているのかは、俺には見えない。

 っていうか、重たいし、回された腕は暑苦しい。

 俺はさりげなく中条の腕を剝がそうと試みるが、びくともしなくて、「抱き着いてきた彼氏の腕を掴む彼女」の図が完成されるだけだった。
 ブレザー越しでもわかる筋肉の逞しさに、やっぱり着やせするタイプだ、と再確認できたからまぁよしとしよう。

 週末の撮影会に向けて色々と企ん……準備している姉ちゃんに教えてあげなくては。

「そう、みんな中条の彼女がどんな子なのか、気になって仕方ないんだって。どんな子かくらい教えてあげてもいいんじゃないか?」

 固まる女子たちの心の声を代弁してやる俺、神じゃね?

 まぁ、それは、女子たちが不憫に思えてきたのと、これ以上質問攻めにされたくない気持ちとが半々ずつあってのこと。

 思わぬ援護射撃を得た女子は息を吹き返したように、うんうん、と首を縦に振って中条に訴えていた。

 観念したのか、頭上で軽いため息が吐かれたあと、中条が言った。 


「……白雪姫」

「「し、白雪姫ぇ?」」

 今度は女子たちが俺の心を代弁する。

 なにがどうして、白雪姫なんだ?
 リンスタで白雪姫のコスプレしたことあったかな?

 記憶を辿るも思い出せない。

「そんで、俺の一目惚れ。彼女に事情があって、これ以上は教えられないんだ、ごめん」

 国宝級のパーフェクトスマイルを向けられたのだろう、女子たちは顔を真っ赤にしてしつこく聞いたことを謝ったり教えてくれたお礼を言ったりして散っていった。

 あれ、俺にはなにもないわけ?
 聞き出せたの、俺の援護射撃のおかげだよな?

 俺になど目もくれず、まるで端から存在しなかったかのように去っていく女子たちの背中に心の中で問いかけるも、もちろん返答などあるはずなかった。

 まぁ、それよりも、今はこっちだ。俺は気を取り直して身を捩り「おい、いつまでくっついてるんだ。いい加減離れろ」と後ろの中条を睨みつけた。

 お前が俺にくっついてるせいで、俺がこんな大変な目にあったんだぞ。コミュ障なめんなよ。

 ありったけの恨みをこめて睨んだのに、当のイケメンはどこ吹く風で肩をすくめるだけだった。

 腕が緩まり、重みとぬくもりがするりと離れていく。けれど、中条の指先は俺に触れたまま、滑るように首筋からうなじをなぞっていった。

 ぞくり、と痺れるような感覚に襲われて、思わず首をすくめてしまう。

 くっそ、絶対わざとだ。

 そして、俺の反応を見てほくそ笑んでるに違いない中条の顔なんか見たくもなかった俺は、振り向かないと心に決める。

 あぁ、どうせ悪あがきでしかないことは了承済みだよ。

 恋愛経験値ゼロの俺が、手練れの国宝級イケメン相手に敵うはずがないんだ。

 経験不足は潔く認めてやる。
 けど、今お前の顔は断じてみてやらん。

「くくくっ」

 意地を張ってる俺すらもお見通しかのように、中条は笑いながら去っていく。

 しばらくして授業が始まっても、首の後ろ――ヤツに触られたところ――が、ジンジンと熱を持ってまとわりついて俺を苦しめた。
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