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〈三〉
しおりを挟む虚無だ。虚無の休日だ。
涌井は虚ろな目でおざなりに掃除機をかけていた。ごうごうと鳴る吸気音を聞くでもなく聞きながらどんよりと考えに耽っている。
「何で目を覚ましちまったんだよ、俺」
年か。黄昏とはいえまだかろうじて二十代だが。
プロジェクト繁忙期は休む暇もなかった。仕事漬けで独り暮らしのアパートに寝に帰るだけの日々から解放されてみれば暇だった。泥のように眠れるはずが、出勤時間が刻まれた体はきっちり朝目覚めた。恋人と別れてしまいスケジュールがぽっかり空いたままなので仕方なく洗濯と掃除に勤しんでいる。
「さびし……くなんてないぞ。ないったら、ない」
ぶちぶち独りごちめそめそしていたからか、スウェットパンツのポケットでぶるるん、と震えたスマートフォンに涌井は飛びついた。
チャットツールアプリに通知の数字がついている。タップすると
〈お休みのところ失礼します〉
後輩の相沢からのメッセージが届いていた。すわ仕事か、そのわりにチームリーダーの自分の頭越しに後輩へ先に連絡が届く事態というのが不思議だ。
〈仕事とは関係ないのですがお話があります。お目にかかれませんか〉
トラブルかといったん身構えたがどうやら違うらしい。
何があったんだろう。
首を傾げたが、判断材料が乏しいのにあれやこれや考えても仕方ない。
ふと時計を見れば昼近い。
〈俺んちで飯でも食いながら話す?〉
〈うかがいます〉
家飯に誘ったからには何か作るべきだろうが、火事場続きで冷蔵庫にはエナジードリンク一本しかない。ほぼすっからかんだ。メッセージをやりとりした結果、涌井がピザを、相沢が酒を調達することになった。
駅から十五分は歩くが、駅前ロータリーから大きめの通りに出れば一本道と涌井宅は分かりやすい場所にある。迷うことなくたどり着いた相沢は気遣わしげに涌井の顔をのぞき込んだ。
「お邪魔します。雅人さん、おかげんいかがですか」
「特になんともねえけど?」
夕方まで爆睡するつもりだったのに朝から目が覚めたものの、取り立てて体調が悪い感じはしない。疲れは抜けていないが、繁忙期からこちらそれはデフォルトといえる。
相沢はでかいレジ袋を三つ、
どん。
テーブルに置いた。中からウィスキー巨大ペットボトル四リットル入り一本に五百ミリリットルボトル六本セットの炭酸水、ロックアイスの大袋ふたつを取り出す。
「なんか、すげーな」
涌井はどん引きした。
酔わせてどうすんの、などと冗談でいえるレベルを超えている。急性アルコール中毒にさせるつもりか。
こうして休日に顔を合わせて飯を食べるのは初めてだが今までそんな機会を持たずにきたのが不思議なくらい仲はよいつもりでいただけにショックだ。頼りになるかわいい後輩の皮を被った殺し屋か。
「こんな図体なので、たくさん飲むんです」
「そんなもんか」
「はい。そんなもんです。だいたい一度で飲みきる必要もありませんし」
「それもそうか」
頷いた相沢が
「食事の前にお話が」
姿勢を改めた。
背筋が伸びると顔がいくぶん遠くなる。デカい。そして圧が強い。
なんだ、何の話か。ほんとうに頼りになる後輩の皮を被った殺し屋なのであれば泣くし、仮に転職したいという相談であれば相沢が帰った後に泣くしかない。恋人にはフラれ後輩が転職あるいは自分を暗殺だなんて前世で何をやらかしたらこうなるのか。
相沢が鞄から何やら取り出した。
「こちら、見ていただけば話が早いかと」
「昨日の、プレゼント、だな」
リボンのかかった淡いグリーンのギフトバッグ――元カノが贈ってくれた誕生日プレゼントをそのまま社内パーティの余興に流用した例のブツだ。中身は未来へ帰ってくる映画に出てきた紫のボクサーパンツとTシャツだった。射的のコルク銃で相沢がかっこよく一発で仕留めてくれたやつだ。なんでそんなときに限って女子はちゃんと相沢の勇姿を見ず話に夢中になってたりするんだ。
涌井がそう訴えると相沢のリボンを解く手が止まった。
「あ、ありがとうございます……」
もっさりした髪で隠しきれない耳が赤く染まる。
「と、とにかく中身、です。見てください」
ギフトバッグからまず紫色のTシャツが出てきた。次に「んっ」と眉を顰め相沢が掬うように取り出したのは同じ紫色のボクサーパンツだった。ウェストの白い部分に未来へ帰ってくる映画で母親(若)がマーティの名前と誤解したブランドロゴがプリントされていて、それだけだったらよかったんだがそうはいかなかった。
「なんだ、これ……」
くだんのボクサーパンツの違和感は色が派手だとかそんなことではなく前閉じ部分、つまりちんこをおさめるパーツにあった。さすが有名ブランドだけあって前閉じ部分はちんこをしっかりホールドすべく立体裁断されていることが分かる。なぜならくだんのパーツは中に詰めものを入れられてもっこりしちゃっているからである。さらにいえば紫の伸縮性に富んだ生地に包まれたもっこりは銀色をした金属製の貞操帯にがっちり拘束されていた。見ているだけで痛くなってきそうだ。ものものしい銀色のペニスケージにはプレイ中の蒸れ防止のためか排気口が開けられていてそこから毒々しい紫色の生地がのぞいている。
「それだけではありません」
「えっ、まだあんの」
涌井が見たところ、ギフトバッグは空だ。ぺっしょりしぼんでいる。
「こちらです」
相沢の太くて長くて案外繊細な指が銀色の貞操帯をつまみ上げた。
「ぎゃっ」
ボクサーパンツの前閉じ部分は、貞操帯ごとすっぱり切り離されていた。
涌井はしばし呆然としたのち、
「昼飯、食うか」
もさもさと冷めかけのピザを相沢とともに食べた。
ショックが続いて味はよく分からない。スマートフォンのアプリでピザの注文をしていたときは「これで足りるかなあ」なんてだいぶ空腹だったはずなのに。
途中で食べるのを辞めたピザの残りは夕飯にまわすことにした。このぶんだと明日の夜までピザを食べることになりそうだ。
ベッドを背もたれ代わりにして並んで座り、まだ日も高いというのに相沢と並んで酒を飲んでいる。パーティでプレゼントを開けたときちんこを模したパーツがちょん切られているのを見てぎょっとなった相沢は心配してわざわざ会いにきてくれたのだという。
「あんな女性とお付き合いを続けるのはどうか、といいたかったんですが――」
「うん、もう別れた。っていうかフラれた」
小柄な涌井よりさらに小柄で見た目がかわいいわりにちょっと嫉妬深くてねちっこいところのある女だった。
「――それにしてもさあ、あそこまでする必要ってないんじゃねえの、って思うわけよ」
涌井は管を巻いた。もう何度目だ。最初の四回目までは「すまんね」と断ってからぼやいていたが途中から数えるのも「すまんね」もやめた。相沢のつくる濃いめのハイボールが効く。
「先ほどのあれは、呪いです」
「なんか物騒だったよな」
「無双退魔天真流の術でした」
「むそ――、何だって?」
無双退魔天真流とは、相沢によれば呪術の流派のひとつなのだとか。相沢は貞操帯に縛められたまま切り離されたボクサーパンツのちんこパーツから紙のようなものを引っ張り出した。
「和紙?」
「そうです」
ベージュがかって分厚い。ちんこパーツの詰めものにされていなければあたたかみのある手ざわりを楽しみたいくらいだ。相沢はぎちぎちに詰め込まれたちんこ型のそれを丁寧にほぐし、開いた。
――も げ ろ
墨痕鮮やかに大書してある。元カノの筆跡だ。執拗に浮気を疑ったりして性格に少々感心しないところがあったものの字はきれいな女だった。
「うわあ……」
「間違いない。無双退魔天真流の呪物ですね」
「さ、さわっちゃって、よかったのか?」
「平気です。こう見えて僕、――」
相沢が片手でもっさりした前髪をかき上げた。
きゅ。
胸の奥が捩れるように疼く。
「傍系ですが、無双退魔天真流の術者です」
もっさりの奥から現れた切れ長の目は真剣だ。
涌井は居心地悪く身動ぎした。
かわいがっている後輩が、いつもよりさらに頼もしくてかっこいい。
すっきり通ってはいるがふとぶととした鼻すじと厚めの唇を、某国民的ファミリー向けアニメに出てくる、長女の婿の会社の同僚であり細長い魚類と同じ名の恐妻家に似ているなどと口さがない女子社員に酷評されているがそれは目がもっさりに隠れているからだ。
相沢は髪をすっきりさせて姿勢をしゃっきりしさえすれば、誰が見てもかっこいい。浅黒く張りのある肌や高いところから見下ろす少し冷たい感じの目が相俟って野性的な美しさがある。
しかも術者って。
なんたら流の術者ってのがちょびっと中二病っぽいといえなくもないがしかしそこもまたかっこいい。
「同門の術者がご迷惑をおかけして、ほんとうにすみません」
「ど、どうもんって、じゅつしゃって、彼女が?」
「はい。――弾劾は追って師に相談するとしてですね、取り急ぎ術を解かなければなりません」
「じゅつ、って……」
「呪われていますから。雅人さんの――、あそこ」
なんてこった。
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