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〈一〉
しおりを挟むチームの女子社員のひとりがちょこちょこと駆け寄ってきて
「涌井さん、お出かけ前に――」
両手を差し出した。首は真っ直ぐだが心なしか小首を傾げていそうな風情でかわいいといえなくもなく、また彼女に似合っていなくもない仕草だが涌井はその手の媚びが好きでない。しかしくだんの女子社員の首は真っ直ぐのままであって涌井に媚びる気配もない。腹の中のこととはいえ八つ当たりだ。
涌井は通勤鞄から包みを取り出した。
「分かってる。はいよ」
「えっ、ちゃんと用意あるとか意外! しかもかわいい! ――さては彼女さんですね?」
余計なことをいわずさっさと受け取ればいいものを。むっすりと涌井は包みを載せた手を引っ込める。
「いるの、いらねえの」
「いります、いりますってば。お預かりします! ――中身、何です?」
知らねえ。
口走りそうになって涌井は口もとを引き締めた。
「――いっちゃっていいの?」
「だって涌井さんって童顔で見た目キュートなのに内面が無駄に武骨ですし、コンビニで適当に買った袋菓子とかレジ袋に詰めてもってきそうじゃありません? ちゃんとプレゼント買えなそうですもん。だから中身、確かめたほうが――って、彼女さんのチョイスなら間違いないですね」
「あいつへの信頼半端ねえ。会ったことあったっけ?」
「いえ、一度も。でも間違いなく涌井さんよりプレゼント選び上手でしょ。今日のパーティ、六時半からですよ。忘れないでくださいね」
「了解」
ぱ、と遠ざけかけた手からリボンのかかった淡いグリーンのギフトバッグを奪うとるんるんと音がしそうな足どりで女性社員が去って行く。実際の歩調はごく普通、もちろん偏見だ。
――相手が女だってだけでつんけんしそうになるなんて、俺も焼きがまわってきたな。
涌井は溜め息をつき、外出の準備を始めた。
プロジェクトがやっと終わる。
請け負ったのは得意先の顧客管理システムのメジャーアップデートで、そこそこに手こずったものだ。
フロアの空気はピーク時に比べてだいぶ穏やかだ。うきうきしているとすらいえる。そして金曜の今日は終業後、プロジェクトの成功を祝い社内でささやかにパーティが催されることになっている。会議室のパーティションを取り払い、ピザやらスナック菓子、ちょっとしたオードブル、ビールやらソフトドリンクやらを並べて立食形式で、プロジェクトマネージャーのスピーチをちょっと聞いた後は飲み食いしながら歓談して一時間半――そんなもんだろうと思っていたのだが
――もうちょっと、何かしない? 余興とか。
プロジェクトマネージャーがほざいたのだとか。
涌井は腹の中で上司に悪態をついた。
言い出しっぺの法則とか、あるだろ。ひとり漫才でも腹踊りでも好きにやりやがれ。
しかし成功裡に終わったプロジェクトのおかげで全員頭が沸いている。パーティの余興はそれぞれが持ち寄ってのプレゼント交換会に決まった。予算三千円程度。現金や金券、悪ふざけは不可。小学生のお誕生会じゃあるまいし、音楽流して手から手へプレゼント回して自分のプレゼントが誰の手に渡るのか、誰のプレゼントが回ってくるかどきどきしますねってか、
――だる。
勘弁してほしい。
いつもいつもこうじゃない。
プレゼント交換会は真にだるいイベントだが、普段の涌井なら単なる社内パーティぐらいで臍を曲げたりしない。むしろ歓迎だ。食費が浮くから。
しかし今は事情が異なる。
ありとあらゆるものすべてを呪いたい。
チームのリーダーとしてプロジェクトの成功を見届けるべく職務に邁進した。しまくった。だから終わって嬉しい。そのはずが涌井はキュートと女子社員に評される目の下に隈をこしらえげんなりしている。今日も客先へ出向くことになっているのだ。パンチリストを手に。
パンチリストとはプロジェクト終盤の残工程を列挙したタスク表のことだ。もとは建設業界用語でタスクが完了した印としてリストにぱっちん、とパンチで穴を開けたことからそう呼ばれるのだとか。本来は納品前にすべてパンチ済みであるべきだろうが、プロジェクトも終わり間近になってねじ込まれたタスクなどはそうもいかない。仕様変更だのなんだのと顧客の要望をほいほい持ち込む営業が悪いのだが請けてしまったものはしかたない。危うく大火事になるところだったが涌井のチームが残業しまくったり、とにかく残業しまくったりして何とか納品に漕ぎつけた。奇跡だ。しかし不具合が出るとしたらこの部分ともいえる。
――今日はパーティだってのにほんっと、すまないね!
元凶たる営業のチャラ男斉藤にチャラっチャラ軽く謝ってこられてかちんときたが、涌井としても納品後が気になる。だからパンチリストという名の不具合予測リストを手に客先へ向かうわけだ。
それだけでなく、今の涌井はパーティ気分ではなかった。
トイレを出て手を洗い、鏡に映る窶れた顔をじっと見る。
先般、涌井は恋人にフラれた。
開発をしているとそこそこにあることで初めてではないが、だからといってダメージが軽減するわけではない。
小柄な涌井よりさらに小柄で見た目がかわいいわりにちょっと嫉妬深くてねちっこいところのある女だったが、お笑い番組を見ながらふにゃふにゃ笑う顔と料理中に包丁を使う真剣な表情とのギャップが鮮やかなところに涌井は惚れていた。そのつもりだった。だが
――おっかしいでしょ? 夜も仕事、週末も仕事、そんなに仕事ってあるものなの?
ブチ切れた恋人に浮気を疑われぎゃんぎゃん詰められて別れる羽目になった。最後に会ったのは誕生日の夜というか翌朝で、部屋でいらいらと待っていたらしい恋人はプレゼントと合い鍵、
――誕生日の夜も浮気とか信じられない。もげろ。
捨て台詞を残して去った。話を聞いてもらうことすらできなかった。地球上で人類に与えられた時間は一日二十四時間、そのほとんどを仕事に費やしているというのに浮気なんぞできようか。できるわけがないというのに。
泣きたい。プロジェクトが終わったら埋め合わせに遊園地とか温泉デートとかショッピングとか、彼女が喜びそうなあれやこれやをしまくろうと楽しみにしていたのに。
涌井は恋人が用意してくれた誕生日のプレゼント、リボンのかかった淡いグリーンのギフトバッグを開けることができなかった。当然、捨てることもできない。だから未練を断ち切るためにプレゼント交換会なるあほあほしい余興に提供することにしたのだ。
「ひでえ顔……」
無意識に漏れた独り言に苦笑いする。二十代も黄昏のわりにかわいいなどといわれる童顔もさすがに積み重なった疲れでくすんでいる。その疲れた顔の映る鏡に
「雅人さん」
ぬう、ともっさりした男がカットインしてきた。
同じチームの後輩社員、相沢だ。
大男なのに小太郎という。名が体を表していない。
背が高く見映えがするはずのにいつも肩を丸めていて、もっさりと伸びた前髪が目を覆い、すっきり通ってはいるがふとぶととした鼻すじと厚めの唇が目立つ。声が小さく物言いもしょぼしょぼとしてはっきりしない。そのせいかまるで女っ気がない。
――いいやつなんだけどな。
涌井は相沢を買っている。
同じチームに配属されてからの相沢はもとより技術情報の吸収に熱心でもあり、粘り強く仕事に取り組む質ということもあって、めきめきと力をつけてきた。仕事の相談も愚痴もまず相沢にするくらい、涌井はこのもっさりした大男を頼りにしている。
「外出ですか」
「おう」
「顔色、よくないですよ。僕もいっしょに行きます」
首もとに大きな手が伸びてきた。ネクタイの緩みがなおされる。普段よりいくぶん――もとい、だいぶ顔が近くなった。もさもさの前髪越しにちらりとのぞく目にじっと見つめられて
きゅ。
胸の奥が捩れるように疼く。
ヤバい。忙しすぎてマジで体調を崩しかけているのかもしれない。三十路に全速力で突っ込んでいっているのは確かだがまだ循環器系にガタが来るには早い。休もう。パンチリストの目処がついたら休みを取ろう。ひとまず週末の明日はしっかり休もう。
「疲れてるのはお互いさまだっつうの。それにいっしょにって相沢、今日は客先行けるかっこじゃねえだろ」
髪がもさもさしているだけでない。紺色のシャツにグレーのチノパンといつもどおりのカジュアルないでたちだ。シャツが無地だったりチェックだったり、チノパンが紺色だったりベージュだったり。気温によってシャツの袖が長くなったり短くなったり、ジャケットやコートが加わったりするくらいで通年変化がない。相沢だけでなく涌井もふだんはそんなものだ。社内で仕事をする分には肩の凝る服を着る必要はない。
「服だったら何とでも――」
「平気、へいき。心配するほどのことはなーんもないって。行ってくる」
涌井は相沢を見上げへら、と笑った。
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