落花流水記

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〈四〉

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 結婚式まであと二日。プリシラは案内の申し出を断り、ひとりで庭へ出た。逃げるつもりは毛頭ない。獣けの高い壁で囲まれている屋敷の敷地からは逃げようもない。最後の一線を越えていないとはいえ、スタンレーからの愛撫は夜ごと激しさを増し、昼もふとした拍子に体が疼くようになってしまった。痕をつけられたり乱暴をされたりするわけではないが体が淫らに変化していることを誰かに勘付かれるのではないかと気が気でない。ただただ塞いでしかたない気分を変えたかった。
 行き来する使用人たちを避け静かなほうへと足を向けるうち庭やうまやを通り過ぎ敷地の奥へ来てしまったようだ。プリシラは小川のほとりで立ち止まった。せせらぎに白に近い薄紅の花がふたつ、みっつと流れて行く。

――似ている。

 母の葬儀の日、異相の修道士と出会った日に川で見たあの花に似ている。懐かしい。川沿いをいくらもさかのぼらないうちに熟れた果物に似た甘い香りが漂ってきた。去りつつある春の邪気のない日差しを遮る木立の奥、ゆるりと蛇行する小川に覆い被さるように垂れ下がった房いっぱいに花が咲いている。
 ぽ、と。
 房から離れた花がまたひとつ、水に落ちた。

――この香り、どこかで……。

 よく見てみたい、懐かしいあの花にふれて匂いを確かめたいと腰を曲げ手を伸ばしたプリシラの後ろから影が射した。

「何をしているんですか」

 がっしりとした武骨な手がプリシラの腰を掴んでいる。すぐそばに甘い香りのする花と放り出したらしい籠が散らばっている。

――男の、ひと……!

 血の気が引いた。
 結婚式の直前だ。屋敷の人気のないところで男とふれあっていたなどと人の口のにかかって破談にでもなったら目も当てられない。この結婚が失敗すれば当然実家への援助が止まり、父や弟が路頭に迷ってしまう。離れなければ。すぐに離れなければ。
 勢いよく振り返ったはずみでぐらりと傾いたプリシラの体を逞しい腕が抱き留める。

「危ないですよ」
「あ、……あのときの!」

 驚きにプリシラは目をみはった。
 低く潰れた鼻、目の色がうかがえないくらい落ち窪んだ眼窩がんか、どんな硬いものでも噛み砕いてしまいそうな太い顎――間違いない、川に落ちそうになった弟を助けてくれた異相の修道士だ。今は農夫のような格好をしている。

「わた、し、十年ほど昔に弟を助けていただき、……お忘れかと思うのですがその――」
「もちろん、覚えています」
「ああ、嬉しい! お目にかかってちゃんとお礼を申し上げたかったのです。助けてくださってありがとうございました。そしてその、あのとき混乱して弟と大泣きしてしまって」

 いつしかプリシラは異相の大男の胸にすがりついていた。

「ごめんなさい、違うんです。私、あなたが怖かったんじゃ、ないの」
「よかった。怖がらせてしまったと思っていたから」

 男の大きな手がなだめるように慰めるようにそっと背中をなでる。
 ほ。
 体の奥で熾火おきびが掻き起こされた。

――この香り、夜の……。

 花の甘い香りは夜、スタンレーが塗る媚薬の匂いに似ている。

「…………っ」

 胎の奥がうずきこぼれそうになった喘ぎをプリシラはかろうじて呑み込んだ。

――こんなときに、体がおかしくなるなんて。

 恩のある男の腕のなかにいるというのに、ただ抱き留められただけだというのに、婚約者に愛撫されたときのように体が燃える。
 離れなければ。すぐに離れなければ。
 そう思うのに、できない。意思と反して手が男のふとぶととした首から胸板をなで、脇から背中へまわる。見つめ合いながら互いをかき抱いた。

「……」

 潤んだ視界、男の異相が近づいてくる。

――優しい目をしていらっしゃる……。

 うっとりと見上げ、プリシラは唇を受け容れた。


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