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ラーシュ (七)
しおりを挟む八十歳になるアーサーが愛妻クロエを失ったのは二十年以上前のことだ。
亡くなる三年ほど前から病が重くなり入退院を繰り返していたクロエだけでなく、周囲も死期を悟っていた。
「当時の医療技術では手の施しようがなくとも、将来はどうなるか。――わしは妻に冷凍睡眠を勧めた。それだけでない。すでに開発を始めていた人格の複製と義体へのインストールの話ももちかけた」
体は日々病み衰えていても記憶はちゃんとある。まだ実験段階にも至っていないが開発に成功すれば夫婦いっしょに新天地での新生活だけでない。義体で若いころに戻ることも可能だ。
「妻は乗り気でなくてな」
クロエの生まれた国は当時すでになかった。気候変動のせいだけでなく、長らく続いた隣国との戦争に疲弊してしまったのだ。
――必ずすばらしい未来がやってくる。
力強く請け負う国のために男たちが、クロエの祖父が父が兄が死んでいった。
――未来が必ずよくなる保証なんて、ないのよ。
――眠って長い時を超えて起きても、まだこの苦しみと痛みが続くのだとしたら……。
考えただけでつらい、耐えられない、とクロエは訴えた。
それならば、とアーサーは複製人格運搬式移民について熱心に説明した。この方法ならば、コールドスリープのようにポッドが場所を塞ぐこともなければ、生命維持装置のメンテナンスに頭を痛めることもない。圧縮したデータと義体プリンタなどを運べばすむ。資材も持ち出せればいいが何なら現地調達だって可能だろう。居住可能惑星ならば。
複製人格運搬式移民には夢がある。移民船も小さくてすむ分、コールドスリープに比べて建造が容易になる。いいこと尽くめだ。
――駄目よ。絶対に、駄目。
何度説明しても、クロエは頑として首を縦に振らなかった。
――必要とする人たちがいるのは分かる。でも、私のコピーをつくるのはやめて。
――どうしてだ、クロエ。
――だって、私のコピーは、私じゃないのだから。
苦しげに咳きこみ、涙ぐんでクロエは懸命に訴えた。
「はじめ、わしはよく分からなかった」
なぜそう反対するのか。病に疲れ考えが凝り固まってしまったのかとも疑った。
「でも、妻のいうとおりじゃった」
老アーサーは傍らで控える強面の大男を見上げた。
「この男は、孫が旅立つ一週間前にとったデータで複製されたセシルじゃ」
ほぼ実用段階に入っていた人格複製システムをつかったのだという。
考えてみよ。老アーサーは老いさらばえた手で車椅子の肘掛けをぎゅう、ときつく掴んだ。
「籍が新しくつくられたという事実に如実に現れておる。複製体はおまえさんではない。別の人間なんじゃ。――さて」
ここからが本題じゃ。老人はじ、とラーシュを見つめた。
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