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クロエ (八)
しおりを挟む蹌踉と無人のコンコースを歩く。広場の喧噪が嘘のように、駅舎は静まり返っていた。
かつては麗容を誇ったであろう石造りの駅舎は改修を経て鉄道駅から軌道エレベータのアースポートへと変わった。古びた石壁と、軌道エレベータ基部のなめらかにしつらえられた現代的な内装とがちぐはぐに組み合わさっている。発車ホームは駅舎の奥だ。
――ずるい! ずるい!
ラーシュはどうなっただろう。取り残される多くの人々と同じように拳を握り声を張り上げ自分を非難する恋人の姿を想像し、クロエは絶望し立ち尽くした。
「お嬢。会長と――」
セシルが隣に並び足を止めた。
「ラーシュさんのお気持ちを無駄にしてはなりません」
気遣わしげな声が高い天井にこだまする。促されてクロエは機械的に足を動かした。
定刻ぎりぎりで軌道エレベータのキャビンに乗り込む。
船室に通されてはじめて、ラーシュのハンカチを握りしめたままだったことに気づいた。泣き腫らした目がぼんやり熱をもっている。ハンカチをそっと頬に当てるとラーシュの香りがするような気がする。
付き添いでお目付役のセシルが「これから宇宙港まで一週間の旅程となっており――」と説明を始めようとするのをクロエは制した。
「いい。もうたくさん」
「お嬢」
「宇宙港に行かないと冷凍睡眠処置って受けられないの?」
「そんなことはありませんが――」
「じゃあすぐに、処置の手配を」
船室のソファでセシルが居住まいを正す。
「お願いです。聞いてください、お嬢。目的地到着後のプランについてお確かめいただきたいことが――」
「好きにして」
「お嬢?」
「問題ない。だって、おじいさまからセシルに任せておけば安心だって聞いているもの」
「お嬢、――会長――!」
感極まり、セシルが涙ぐんだ。
「精いっぱい努めます。お任せください」
強面中年男の泣き顔は暑苦しい。
事前の準備を済ませてクロエは冷凍睡眠ポッドを前にしていた。術衣をまとい、ブルネットの豊かな髪を帽子のなかにまとめている。
医療技術者に冷凍睡眠ポッドへ入るよう促されたが、クロエは足を止めた。
「あの、ハンカチですけど――」
「はいはい、ちゃんとお預かりするよう手配しましたよ。だいじょうぶですって」
手もとのファイルと装置のコントロールパネルを見比べ確認に余念がない。女技術者はうんざりした顔をした。クロエが何度もハンカチの保管について念を押すからだ。
「だいじなハンカチなんです……」
あんなに絶望したのに、ラーシュのハンカチを捨てる気にならない。
女技術者が軽く溜め息をつき
「思い出の品なんですね。だいじょうぶですよ。ポッドにしまうとぼろぼろになってしまうかもしれないので、ちゃんと保存処置をしておきますね」
微笑みながら請け負ってくれた。
ばかばかしい。ハンカチ一枚持っていったところで、どうにもならない。目覚めるのは未来、はるか彼方だ。仮に朽ちずに手もとに残ったとしても、そのハンカチをくれた人とは二度と会えない。地球には恋心を置いてきた。展望台のフェンスに南京錠をかけて。次に目覚めるとき、地球はきっと無人だ。万聖街の展望台で南京錠も鍵も凍てつき朽ち果てているだろう。
涙ごとクロエを閉じこめ、ポッドの冷凍睡眠処置が始まった。
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