南京錠と鍵

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クロエ (三)

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 ラーシュとはパーティで出会った。
 誰が主催だか、覚えていない。数多あまた声のかかるうちのひとつ、気まぐれに出かけた退屈しのぎの会だ。ぜいらしていても退廃でかげるそんな場所でラーシュは光を放ちひとり、際だって見えた。砂色がかった金髪だからか、青みを帯びた灰色の目だからか。他にいくらでも美しい男も女もその場にいたはずなのに視界を占めるのはラーシュだけだった。

「ああ、あいつ」

 取り巻きのひとりがクロエの目が向かう先を見て耳打ちする。

「ラーシュ・ヨハンソン、グラスルーツの新代表さ」

 グラスルーツは地球残留派思想団体だ。急死した前代表の父親から団体を継いだその男は医師だった。人々の低緯度地域への移住を助ける地球行政府関連団体に所属し、省資源のために閉鎖の決まった緯度の高い地域をめぐっていたという。
 ラーシュの物腰には志の高い男独特の熱と、現状へのもどかしさを面に出さない抑制とが見えた。
 なかなかに歯ごたえがありそうじゃないの。
 クロエが口を開く前にまわりの男たちがぴーちくさえずりはじめた。

「医者、ね。辺境ドサ回りを買って出るとか――」
「意識高い系の聖人さまってか」
「金なさそーう」
「富裕層の主治医とかならともかく公務員じゃなあ」
「しかも元公務員。地味だよな」
「公務員からグラスルーツの頭目ってすんごい方向転換だね」

 家族が選んだ取り巻きたちは親の七光りで失敗のない事業に名前だけ加わっているような暇人どもで、毒にもならなければば薬にもならず、かといってクロエの歓心を買えるほどおもしろみもない。しかもその自覚があるものだからクロエの視界から骨のありそうな男を排除するのに熱心でもあった。

「あんなやつ、やめときなよ」
「きっとつまらないぜ」
「ふうん」

 投げやりに婀娜あだ相槌あいづちを打ちながらクロエはラーシュから目を離せずにいた。

「グラスルーツなんてさ、フレーザー社の敵なんだから」

 男のひとりが口を滑らせた。

「ふうん」

 クロエの心がさらにラーシュへと傾く。
 取り巻きの男たちがこき下ろすのに腐心しているということは、おもしろい男なのかもしれない。

――フレーザー社の敵、ね。

 祖父アーサーが厭がるのを想像すると胸がすく。
 跳ねっ返りで天邪鬼。良妻賢母だった祖母そっくりの清楚な外見なのに、クロエの性格は宇宙開発企業を一代で大きくした祖父譲りだった。
 その日のクロエは祖父の意を受けたデザイナーの手による深い紺色のドレスを着ていた。レースのハイネックに七分丈の袖、Aラインのシルエット、ゆっくりと足を運ぶたびに優雅に揺れるシフォンは銀河をイメージして重ねられている。
 望むと望まざるにかかわらず、クロエは広告塔だ。
 地球から旅立とう。
 宇宙へ行こう。未来を掴もう。
 フレーザー社のメッセージと交換に周囲の注目をベールのように巻き取りまといながら一歩一歩、クロエはラーシュのいる一角へ近づいていった。
 ほんとうは、足を踏み出すのが躊躇ためらわれる。
 そのときラーシュは光の源だった。パーティの場でただひとり、輝いていた。祖父へあてこすりしたいからという軽率な気持ちで近づいていいのだろうか。
 でももう足を止められない。
 視線が絡む。青みを帯びた灰色の目に惹きつけられる。
 ラーシュだって、周囲の注目を集めて近づいていくる女が何者か、知らないわけがない。
 宇宙移民推進派政商の孫娘と、地球残留派思想団体の新代表。互いを隔てる立場の違いを知っていながら駆け引きもなく、ラーシュはクロエの手をとった。
 大きな手がそっとクロエの指を包むころにはすでに分かっていた。互いにもう引き返せないほどに恋い焦がれている、と。

 あれからずっと、恋をしている。
 誰に反対されてもずっと。

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