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1 王女殿下の魔猫編

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 カイエン卿に先導され、蔓バラを眺めながら、庭園の入り口を出る。庭園前の広場まで来たところで、私の杖が話しかけてきた。

《あいつ、見る目ないなぁ。リグヌムの主のくせに》

「そう? なんか感づいてるようだったけど」

 カイエン卿に口の動きを見られないよう、口元を手で隠す。気づかれないように会話をするのも一苦労だわ。

《あの場に漂う僕の気を、嗅ぎ取るくらいできないとな。僕の主はそうだったろ?》

「そうだっけ?」

 クズ男に捨てられてから、私は大切な出会いをいくつも経験した。

 中でも、私にとって生きる支えとなるような、とくに貴重な出会いが二つ。そのうちの一つが杖との出会いだった。




 それはクズ男に魔塔の孤児院へ連れてこられて、一週間ほど経った日のこと。

 七歳のお祝いを兼ねてと、私は他の子たちとともに、三聖の展示室を見学させてもらった。そこでは、私たち以外にも子どもがいて、私と同じ黒髪金眼の子もいたのだ。

 でも、私以外の誰もが、その子のことは見ていないと言う。疲れていて見間違えたんじゃないか、と誰も相手にもしてくれなかった。

 その時の私は、突然の環境の変化に身体も心もついていけず、睡眠も途切れ途切れ、食欲も落ち込んでいた。

 優しく受け入れてくれた子たちに対しても、一週間も経つと徐々に自分との違いが見えてきて、ここで私は『ちょっと違う子』扱いされていることにも気がつく。

 そこへ、他の子から信じてもらえない、ということが起きて。

 心身ともに限界を迎えた。

 私の身体の中で魔力が荒れ狂い、刺すような痛みが全身を襲う。

 魔力暴走というらしい。

 魔力がなくても、ありすぎても父親から怒られた私が取ったのは、ほどほど程度の魔力に見せかけること。

 自分の魔力を自分の魔力で抑えつける。

 この反動で、身体の中で魔力が荒れ狂うことがたまに起きていた。これが起きるたびに、私はベッドで独り耐えた。

 この日、魔力暴走が起きたのは午後のまだ明るい時間。

 ベッドに行けば誰かに見られる。そう思った私は、魔塔の一階の入り口辺り、ホールの片隅、階段下の隙間のスペースに隠れた。
 勝手に外には出られないし、他に隠れる場所を知らなかったから。

 けっきょく、ある人に見つかって。

 見つかったおかげで、魔力暴走を鎮める魔法陣を教えてもらえたのは、運が良かったと思う。

 そして、その後。

 魔法陣が書かれた紙を胸に当てて、じっとしていた私に、またもや、誰かが話しかけてきた。

《なぜ、泣いているんだ?》

 子どもの声?

 でも、子どもの声にしては何か違和感がある。
 それに私は泣いていない。泣きたい気分でいっぱいだったけど、泣いてはいない。

《誰かにいじめられたのか?》

 また声がする。

 私は隠れていたスペースから、そっと顔を出した。

 そこにいたのは、黒髪金眼の男の子。私より少し年上で、さっき魔法陣をくれた人より少し下くらいに見える。

「昼間の…………」

 三聖の展示室を見学したときに、いっしょに見学していた子だった。

 そして気がつく。
 その子の身体が淡く光っていること、口を開いていないのに声が聞こえること。

《どうして縮こまってるんだ?》

 優しい声だ。

 じーっと見られていることに気がついて、そして、私もじーっと見ていたことにいまさら気がつく。

 慌てて、とっさに言い訳をした。

「目立っても、いいことないから」

 嘘ではない、はず。
 魔力暴走を起こして、独りでベッドにこもっていたら、また何か言われてしまう。

 もちろん、心配して言ってくれてるんだけど、独りにしておいてほしい時もあるんだ。

《だから、魔力を隠してるのか?》

 ビクッ

 どうして分かったんだろう。

 さっきは魔力暴走が酷かったから、魔力が漏れていたからだけど、今はだいぶ治まっている。魔力は、完全にではないけど、抑えきれているので、周りから分からないはずなのに。

《どうせ隠すなら、うまく隠してうまく使えた方が良くないか?》

 え?

 弾かれるように、私は身を乗り出した。

「さっきの人も似たような事、言ってた」

 さっきの人も、私と同じように魔力暴走を起こすと言っていた。理由も同じ。同じじゃなかったのは、魔法陣を使ってうまく乗り切っていたこと。

 その時に、この子と同じ事を言っていたんだ。

《だって、悔しいだろ?》

「え?」

《力があって、努力もしてて、それでも認めてもらえないって、悔しくないか?》

「…………うん」

 私に力があるかは分からないけど、努力はしてきたと思う。
 なのに、黒髪だってだけでダメ、お母さまの邪魔になるからダメ、そんな感じで捨てられた。

 その子は私の隣に座り込んだ。

《僕もだ》

 金色の瞳が私をじっと見つめている。

《僕もせっかく力があって、努力もしたのに。主がいないってだけなのにさ》

「さっきの人も似たような事、言ってた」

 私は今日あったばかりの子に、さっきあったばかりの人の話を聞かせた。

「力があって、努力もしてて、でもそれを認めてもらえないって。自分の力に合ってないことを求められるって」

 さっきの人は、今は力をつけるために我慢して、時期を待つと言っていた。そのための努力や準備も惜しまないと。
 まだ大人ではないのに、大人のような人だった。

 私も大きくなるためには、そうならなければいけないのか。ここで、隠れている場合ではなさそう。

 私の話を聞いて、その子は大きく頷く。

《だろ? 僕は悔しい。主がいれば僕は自由に動き回れる。僕は僕のやりたいことができるんだ》

 私やさっきの人とは違って、どうやらこの子は『主』というのを探していて、見つからないみたい。

 ところで『主』ってなんだろう?

 訝しげに思う私に向かって、その子はさらに話し続けた。

《だから、主になってほしい。君なら僕の主になれるんだ》

 何がなんだか分からないのに、そう言われても。混乱する私に、その子は手を差し伸べてくる。

《僕は魔法と魔力の使い方について、いろいろ教えられる。他の誰よりも詳しく》

 魔法と魔力の使い方について、誰よりも詳しく…………

 その言葉が耳に入ってきた途端、

「私も力をつけたい。黒髪ってだけでダメな人間扱いされたくない」

 そんな思いに突き動かされて、私はその子の手を取ってしまった。この行動が、私のその後の人生を決めるとは思わずに。




「うん、まぁ、確かにそうだったわね」

 思い起こせば、あの一日で貴重な出会いが二つもあった。

 クズ男に捨てられて、家から追い出されたからこその出会い。人生って本当に、何が起こるか分からない。

 出会いといえば、ソニアと初めて出会ったときは、大変だったな。

 と、そのとき。

「お止めください」

「デルティウンはいないし、客人も帰ったのだろう? なら、ここを使っても問題ないではないか。少し、バラを見るだけだ」

 ……………………あぁ、またか。

 声がするのは、さっき通ってきた庭園の入り口辺りからだ。

「でもぉ、魔猫がいるんですよねぇ?」

「ダイアナ嬢がいるから大丈夫。ダイアナ嬢は王宮魔術師団なんだ。あの騎士団所属の魔術師とは格が違うからな」

「過分なお言葉、恐縮です」

 カス王子に、マリーアンに、ベラベラ女もいるよ。ベラベラ女って、さっき呼び出されてたよねぇ。まだ行ってなかったんだ。

 私は、つい、声のする方を見てしまった。

「あらぁ、王宮魔術師って凄いんですわねぇ」

「ダイアナ様は若手ナンバーワンの魔術師ですから」

「実力もある上に、由緒正しい伯爵家の家系ですよね」

「皆様、誉めすぎです」

「でも、本当に凄いのかしらぁ?」

 カス王子の周りに女性たちが集まっているのが見えた。

 カス王子を挟んでベラベラ女とマリーアン。仲はあまり良くなさそう。




「散策に行くって言ってたのに」

「王女殿下が席を外すのを待っていたのでしょうね」

 ソニアも、私の隣で、カス王子たちを見ていたようだ。
 カイエン卿のことは無視して私たちはその場でコソコソ、話を続ける。

「殿下が呼び出されるってこと、知ってたとか?」

「もしくは、呼び出されるようにし向けたか」

「あー」

 なるほど、と私がポンと手を打つと、ソニアはクルッと背を向けた。

「エルシア、行きますわよ。面倒なことに巻き込まれる前に」

「あのカス王子、学習能力ないしね」

「そもそも、記憶力がありませんわ」

 そう、

 絶対に、

 また何かやらかす!

「またあの、王女殿下に怒られるんじゃないの?」

「ですわね」

 私たちはカイエン卿とともに、逃げるようにその場を去った。




 脇目も振らず、広場を横切り終わったとき、庭園の方が騒がしくなってきた。

「逃げたぞ!」

「追え!」

 私とソニアは顔を見合わせて、はぁ、とため息をついたのだった。
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