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3 武道大会編

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「ネージュ様、良かった。ご無事で本当に良かった」

 視線を第二師団長に戻すと、男性にしては小柄な体格の人物が、第二師団長に肩を貸して支えていた。

「いててて。ジン、本当に、間違いないのか」

「はい、見間違えるはずありません。声や話し方も。ネージュ様です」

 小声で会話をする二人。
 金茶色の髪に瞳に、顔つきもどことなく似ている。

 小柄な男性が私に視線を向け、話しかけてきた。

「ネージュ様? 私です、ジンです。ジン・ドゥアンです」

 ジン?

 ネージュとして生きていた頃の記憶にあるジンよりも、目つきが鋭く、そして少し疲れたような印象を受ける。

 ジンて、こんな感じだったっけ?

「ドゥアン卿? 赤の樹林探索の件ですわね!」

 私の背中にへばりついて、ひょこっと廊下に顔を出したルミアーナさんが、心当たりの用件を耳打ちしてくれた。

 ネージュの遺体探索のやつか。
 探索自体は二月末に打ち切りになってたよね。

「あぁ、あれね。最終報告の説明がまだだって話だよね」

「ええ! そうですわ!」

 私が肩越しに問いかけると、ルミアーナさんが元気よく答える。

 あれは私が説明するような話じゃないんだよね。
 ラウか、副師団長のミラマーさんから説明するのが良いんだけど。今は二人とも不在。

「カーネリウスさん」

 ならばと、師団長室の扉近くに避難していたカーネリウスさんに声をかけた。

「第二師団長はいいから。ドゥアン卿に赤の樹林探索の件、応接室で説明して」

「待ってくれ。ジンの話を聞いてやってくれ。ジンはずっとネージュ嬢を探してたんだ」

 私とカーネリウスさんの会話を、第二師団長がもの凄い勢いで遮る。

 ネージュの遺体を探してたのはジンじゃなくて第六師団だよね?
 この第二師団長という人、さっきから何なんだろう。

「それがどうかしましたか?」

 自分でも驚くくらい低い声が出た。

「それがって。君はネージュ嬢なんだろう?」

「私のことは、第二師団長もご存知でしょう?」

 本当に何なの、この人。
 私がラウの伴侶で、特級補佐官だってことは知ってるだろうに。

 そもそもだ。私は赤種として覚醒した時点で、ネージュではなくなった。

 それなのに。

 さっきからネージュ、ネージュと、勝手に違う名前で呼ばないでほしい。

 なんだか、イラッとする。

「ネージュ様、記憶をなくされてるんですか? だから、ご自分のことを覚えていらっしゃらないんですね」

「私、記憶力は良いですよ?」

 ジンも同じだ。

 武道大会の観覧席に元父、元妹、そして護衛といる中に、ジンも混じっていた。
 だから、私がどういう人物なのかは分かっているはずだろう。

 にも関わらず、今度は記憶がないとまで言い出した。

「あなたはネージュ様です。グランフレイムの館に戻ればきっとご自分のことを思い出します。帰りましょう、ネージュ様」

 ジンは感極まったような表情で、まっすぐ私を見ている。
 私に差し伸べられた手を、私は黙って見つめた。

 もう、この手を取ることはない。

 ジンを見つめ返しながら、私は淡々と事実を伝えた。

「ネージュ・グランフレイム嬢は、赤の樹林で魔物の襲撃に遭い、乗っていた車体ごと崖下に落下して死亡」

 ネージュはもういないんだ。

「死亡届は受理されており、グランフレイムでは葬儀も済んでいると聞きましたが」

 死亡届はテラが手を回して、すぐ受理したと聞いた。そして、グランフレイムが遺体なしでさっさと葬儀を行ったことは、メモリアから聞いた。

 ネージュの物はすべて処分されていて、グランフレイムには何も残っていない。

 けっきょく、生存の可能性を信じていたのは、こうして目の前にいるジンだけってことだ。

 そうでないなら、遺体探索の報告を聞きに来るのが、どうしてジンなのか。

 普通は家族が来るだろうに。

 そしてこうやって相対するのは、護衛騎士ではなく、父や兄妹だろうに。

 あぁ、イラッとする。

「だから、それが間違いだったんです。ネージュ様はこうして生きていらっしゃるんですから」

「へー、それで?」

 私の口からはさらに低い声が出た。

「帰りましょう、ネージュ様。何か気にかかることがあるのでしたら、我が家門が、ネージュ様をお迎えいたします」

 ジンは私に手を差し伸べたまま。この手を私が取るのを疑ってもいない。

 私が手を取る相手はひとりだけ。
 私はジンの手をただ見つめる。

「話はそれだけですね。では、カーネリウスさん、後はよろしく」

 私はそれだけ伝えると踵を返した。

 武道大会で元父も元妹も私を見ている。きっとどこかで元兄だって。

 銀髪紅眼の私を。ネージュと同じ容姿、同じ体格、同じ声の私のことを。その目ではっきり見ているはずだ。

 でも。

 元家族からは、何の連絡もないんだ。

「ネージュ様、待ってください」

「ちょっと待ってくれ、ジンはずっとネージュ嬢のことを」

「クロエル補佐官に触れないでください」

 私の背後で様々な声が聞こえる。

「しつこいなぁ」

 振り向くと、カーネリウスさんが第二師団長とジンを抑えていた。
 執務室から補佐一号さんと二号さんもやっきて、カーネリウスさんに加勢している。

 私は第二師団長とジンの方へ足を向けた。

 ゆらり。

 魔力が漏れ出す。

「私はクロスフィア・クロエル・ドラグニール」

 ふわり。

 六翼も顕現した。
 イライラする私の感情を表すかのように。

「第六師団長付き特級補佐官で、赤種の四番目よ」

 するり。

 右手に破壊の大鎌を握り、振りかぶる。

 目の前で息を飲む音が聞こえた。

「これ以上ここで騒ぐなら、私も容赦しない」

 力が及ぶ範囲を目の前だけに絞り込む。

 うん、だいぶ、コントロールできるようになってきたな。
 翼をぜんぶ出していても、建物が壊れない。

「フィア!」

 ラウの声だ。

 ラウが、廊下の果てから、息を切らせながら走ってきていた。
 本部から慌てて走ってきたんだろうな。騎士服があちこち乱れている。

「ラウ。お帰りなさい」

 私は翼と大鎌を消して、ラウを迎えた。

「何があった? なぜ、ベルンドゥアンやドゥアン卿がここにいる?」

「打ち合わせでしょ」

 矢継ぎ早に訊いてくるラウの襟を直しながら、私は笑って答える。

「ドゥアン卿は応接室で、カーネリウスさんから樹林探索の最終報告を聞く。
 ベルンドゥアン師団長は三時から執務室で、ラウと打ち合わせをする」

 それ以外に用件なんて何もない。

「しかし、この雰囲気は?」

「ベルンドゥアン師団長から説明があるんじゃない?」

 さぁ、なんて説明するんだろうか。

 愛情が重くて過保護で執着強めで変質者気味で距離感がおかしい、このヤバすぎる最強竜種の夫に。

 第二師団長の顔色がさっと青くなったのを、私は横目で眺めて、楽しんだのだった。
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