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1 鑑定の儀編
6-0 そして世界が動き出す(鑑定の儀編 終)
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大神殿を離れる日がやってきた。空気は冷えているが、朝から雲一つない良い天気だ。
荷物はここで生活していたときの身の回りの品と服や下着類が少しあるだけ。
最初、大神殿で用意してくれたのかと思って、テラにお礼を伝えたら、
「お礼なら黒竜に言いなよ。揃えたのはあいつだから」
と言われた。
「こっちで勝手に奥さんの服やら下着やら用意したら、黒竜、怒りまくるだろ」
否定はしない。あの夫なら怒りかねない。
「それに黒竜も、自分好みの服を奥さんに着せたがるだろ」
それも否定しない。あの夫なら絶対に着せたがる。
というわけで、ラウに準備してもらった服や下着は、気持ち悪いくらいのジャストサイズ。うん、ラウだから、このくらいはあり得る範疇だな。
「フィアのことは全部、調査済みだから」
「あ、やっぱり」
うん。聞かなきゃ良かった。相変わらず、夫がヤバい。
「お綺麗です」
荷造りは前日に終わっていたので、今日は着替えて帰るだけ。
ラウが引越用の服を用意してくれたので、着替えると、メモリアが誉めてくれた。
「メモリア、最近、言葉を話せるようになったんだね」
グランフレイムでは、メモリアとは会話らしい会話をしたことがなかった。
あまりにも無言なので、最初のうちは、メモリアは言葉を話せないんじゃないかと思っていたほど。
「昔から言葉は話せます」
「日常会話、まったくなかったけど」
「侍女に会話は不要でしたから」
そうなの? 侍女って会話しないの?
メモリアの中では、侍女は無言を貫く孤高の存在のようだ。
「今は護衛ですので」
そうなの? そういうもの?
護衛の方が会話しないと思うんだけど。もう、普通がよく分からない。
ラウを普通だと思ってはいけないことは、前日にテラからよーく説明されて、それは今も続いている。
「黒竜の言うことは竜種の常識だ。真に受けるな」
「竜種のだろうが何だろうが、常識は常識だろ」
迎えに来てくれたラウが、テラに反論している姿はいつも通りだ。なんだか、微笑ましい。
「愛情が重くて過保護で執着強めで変質者気味で距離感がおかしい以外は、ラウはとくに問題ないと思うんだけどなぁ」
「問題部分にもっと目を向けろよ」
テラは相変わらず、ラウに辛辣だ。
ここに運び込まれたとき身につけていたものは、すべて捨てた。ネージュは死んだんだ。ネージュのものは何一つ残さない方がいい。
グランフレイムでも、私の私物を棺に入れて、入りきらないものは燃やして処分したそうだから。
私がこっそり貯めたお金も燃やされたのかな、と思っていたら、メモリアが持ち出してくれていた。
大神殿に寄付した扱いにしてくれたそうだ。金額も間違いない。ありがとう、メモリア。
ラウに内緒でこっそり使えるお金ができた。
でもあのラウのことだ。このお金の存在も金額もすべて把握しているに違いない。
ラウとテラは未だに言い合いを続けている。メモリアは言い合いが行き過ぎないよう、監視をしているみたいだ。
そんな三人を横目で見ながら、私は部屋の姿見に手を当てた。
姿見が一瞬暗くなる。ぼんやりとしていたものが徐々に鮮明になってきた。
そこに映っているのはジンだ。メモリアのような無表情で、何を考えているのかはまったく分からない。
「ジン、私は元気にやってるよ」
姿見に映るジンは、とある部屋の片隅に控えていた。隣には同じ服装の騎士がもう一人。花柄の壁紙がかわいらしい。
姿見に映らないところに部屋の主がいるようで、声が聞こえるなら、きっと明るいかわいらしい声がしたのだろう。
「ジン、私は、本当は…………」
言葉につまる。その先の言葉が出てこない。
「ジン…………」
「フィア、そろそろ帰ろうか」
ラウの声で我に返る。姿見から手を離すとジンの姿は消えた。
「ええ!」
私はラウの声に応える。
そしてもう一度、姿見を振り返った。
「さようなら、ジン」
そこには私の姿が映るだけ。
「またいつか、会えるといいね」
「フィア」
「お待たせ」
急かすラウのそばに駆け寄った。隣に立つとラウは見上げるほど、背が高い。胸も腕もたくましく、歴戦の猛者って感じがする。
隣を歩こうとしたら、ヒョイと抱え上げられた。あれ?
「ひとりで歩けるんだけど」
「かわいい。柔らかい。いい匂いがする。離したくない。ずっと触っていたい」
うん、夫がおかしい。
「今、問題部分から目をそらしただろ」
すかさずテラが突っ込んだ。
「慣れれば問題ないわ、きっと」
「慣れても問題だらけだろ、絶対」
それ見ろとばかりに、ラウを指すテラ。
「かわいい。柔らかい。いい匂いがする。今日からずっといっしよだな。ずっと触っていられる」
いつもなら、私とテラとの会話に割り込んでくるラウが大人しい、と思っていたら、ラウの妄想が危ない方向に進んでいた。ヤバい。
「あのー、ラウ? ずっと触っているのはどうかと思うんだけど」
「そうか? 普通、(竜種の)夫はずっと妻に触れているぞ」
「え? そうなの?!」
私の母は幼いときに亡くなっているので、父と母の仲がよい姿はまったく覚えていない。
困った、夫婦の普通が分からない。
「おい、真に受けるなって言っただろ。そいつの普通は、竜種の普通だ」
竜種の普通と、普通の普通。区別がつかない。後でメモリアに教わろう。
「チッ」
「黒竜、今、舌打ちしただろ!」
「気のせいだろ。あんまりカリカリしてると、背が伸びんぞ」
「うるせー、僕の成長期はまだ先だ! さっさと帰れ!」
「言われなくても、そうするさ」
ラウは私を抱き上げたままスタスタと歩き、大神殿の外へ出た。空気が冷たい。
暖を求めてラウにくっつく。くっつかれたラウは上機嫌だ。
「さあ、帰るぞ」
「ええ」
私には帰る場所がある。帰りを待ち望んでくれる人もいる。
止まっていた私の世界が今まさに動き出したかのようで、すべてが生き生きとして目にうつった。
さあ、新しい私を生きていこう。
私を望んでくれる人といっしょに。
そうして、私はラウとともに大神殿を後にした。新しい世界に向かって。
荷物はここで生活していたときの身の回りの品と服や下着類が少しあるだけ。
最初、大神殿で用意してくれたのかと思って、テラにお礼を伝えたら、
「お礼なら黒竜に言いなよ。揃えたのはあいつだから」
と言われた。
「こっちで勝手に奥さんの服やら下着やら用意したら、黒竜、怒りまくるだろ」
否定はしない。あの夫なら怒りかねない。
「それに黒竜も、自分好みの服を奥さんに着せたがるだろ」
それも否定しない。あの夫なら絶対に着せたがる。
というわけで、ラウに準備してもらった服や下着は、気持ち悪いくらいのジャストサイズ。うん、ラウだから、このくらいはあり得る範疇だな。
「フィアのことは全部、調査済みだから」
「あ、やっぱり」
うん。聞かなきゃ良かった。相変わらず、夫がヤバい。
「お綺麗です」
荷造りは前日に終わっていたので、今日は着替えて帰るだけ。
ラウが引越用の服を用意してくれたので、着替えると、メモリアが誉めてくれた。
「メモリア、最近、言葉を話せるようになったんだね」
グランフレイムでは、メモリアとは会話らしい会話をしたことがなかった。
あまりにも無言なので、最初のうちは、メモリアは言葉を話せないんじゃないかと思っていたほど。
「昔から言葉は話せます」
「日常会話、まったくなかったけど」
「侍女に会話は不要でしたから」
そうなの? 侍女って会話しないの?
メモリアの中では、侍女は無言を貫く孤高の存在のようだ。
「今は護衛ですので」
そうなの? そういうもの?
護衛の方が会話しないと思うんだけど。もう、普通がよく分からない。
ラウを普通だと思ってはいけないことは、前日にテラからよーく説明されて、それは今も続いている。
「黒竜の言うことは竜種の常識だ。真に受けるな」
「竜種のだろうが何だろうが、常識は常識だろ」
迎えに来てくれたラウが、テラに反論している姿はいつも通りだ。なんだか、微笑ましい。
「愛情が重くて過保護で執着強めで変質者気味で距離感がおかしい以外は、ラウはとくに問題ないと思うんだけどなぁ」
「問題部分にもっと目を向けろよ」
テラは相変わらず、ラウに辛辣だ。
ここに運び込まれたとき身につけていたものは、すべて捨てた。ネージュは死んだんだ。ネージュのものは何一つ残さない方がいい。
グランフレイムでも、私の私物を棺に入れて、入りきらないものは燃やして処分したそうだから。
私がこっそり貯めたお金も燃やされたのかな、と思っていたら、メモリアが持ち出してくれていた。
大神殿に寄付した扱いにしてくれたそうだ。金額も間違いない。ありがとう、メモリア。
ラウに内緒でこっそり使えるお金ができた。
でもあのラウのことだ。このお金の存在も金額もすべて把握しているに違いない。
ラウとテラは未だに言い合いを続けている。メモリアは言い合いが行き過ぎないよう、監視をしているみたいだ。
そんな三人を横目で見ながら、私は部屋の姿見に手を当てた。
姿見が一瞬暗くなる。ぼんやりとしていたものが徐々に鮮明になってきた。
そこに映っているのはジンだ。メモリアのような無表情で、何を考えているのかはまったく分からない。
「ジン、私は元気にやってるよ」
姿見に映るジンは、とある部屋の片隅に控えていた。隣には同じ服装の騎士がもう一人。花柄の壁紙がかわいらしい。
姿見に映らないところに部屋の主がいるようで、声が聞こえるなら、きっと明るいかわいらしい声がしたのだろう。
「ジン、私は、本当は…………」
言葉につまる。その先の言葉が出てこない。
「ジン…………」
「フィア、そろそろ帰ろうか」
ラウの声で我に返る。姿見から手を離すとジンの姿は消えた。
「ええ!」
私はラウの声に応える。
そしてもう一度、姿見を振り返った。
「さようなら、ジン」
そこには私の姿が映るだけ。
「またいつか、会えるといいね」
「フィア」
「お待たせ」
急かすラウのそばに駆け寄った。隣に立つとラウは見上げるほど、背が高い。胸も腕もたくましく、歴戦の猛者って感じがする。
隣を歩こうとしたら、ヒョイと抱え上げられた。あれ?
「ひとりで歩けるんだけど」
「かわいい。柔らかい。いい匂いがする。離したくない。ずっと触っていたい」
うん、夫がおかしい。
「今、問題部分から目をそらしただろ」
すかさずテラが突っ込んだ。
「慣れれば問題ないわ、きっと」
「慣れても問題だらけだろ、絶対」
それ見ろとばかりに、ラウを指すテラ。
「かわいい。柔らかい。いい匂いがする。今日からずっといっしよだな。ずっと触っていられる」
いつもなら、私とテラとの会話に割り込んでくるラウが大人しい、と思っていたら、ラウの妄想が危ない方向に進んでいた。ヤバい。
「あのー、ラウ? ずっと触っているのはどうかと思うんだけど」
「そうか? 普通、(竜種の)夫はずっと妻に触れているぞ」
「え? そうなの?!」
私の母は幼いときに亡くなっているので、父と母の仲がよい姿はまったく覚えていない。
困った、夫婦の普通が分からない。
「おい、真に受けるなって言っただろ。そいつの普通は、竜種の普通だ」
竜種の普通と、普通の普通。区別がつかない。後でメモリアに教わろう。
「チッ」
「黒竜、今、舌打ちしただろ!」
「気のせいだろ。あんまりカリカリしてると、背が伸びんぞ」
「うるせー、僕の成長期はまだ先だ! さっさと帰れ!」
「言われなくても、そうするさ」
ラウは私を抱き上げたままスタスタと歩き、大神殿の外へ出た。空気が冷たい。
暖を求めてラウにくっつく。くっつかれたラウは上機嫌だ。
「さあ、帰るぞ」
「ええ」
私には帰る場所がある。帰りを待ち望んでくれる人もいる。
止まっていた私の世界が今まさに動き出したかのようで、すべてが生き生きとして目にうつった。
さあ、新しい私を生きていこう。
私を望んでくれる人といっしょに。
そうして、私はラウとともに大神殿を後にした。新しい世界に向かって。
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