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12 マユとの本当の馴れ初め
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雨で濡れたスーツのまま寝室の床に正座しました。マユも、一張羅の紺色のサマードレスのまま、俺の前に座りました。
俺も泣いた、マユも泣いた、修羅場もあった、オヤジからの謝罪もあった、もういいじゃないか。そういうことか。
あれだけのことをしておいて! フツー離婚一択、親子縁切りしかねえだろ、ボケ!
誰が水に流すか、と思いました。
俺にウソをつき、騙していた事。オヤジへの憎しみは倍増しました。あの光景を思い出す度にマユへの怒りも。しかもワザと見せつけた。それに本当に俺のためなのか。どうしても許せませんでしたし、もう何も信じられません。そんな気持ちでした。
マユはただ俯いていました。ワンピースの裾をいじくったり、ほつれた糸を引っ張ったりしている長い時間の間に、チラチラと俺の顔色を上目づかいで見ていました。俺は腕組みをしてその様子を観察していました。我慢比べのようでした。先に口を開きたくありませんでしたが、かといって、このまま睨めっこしていても仕方がありません。
「何で正座してんだよ」と口火を切りました。
「だって、たー君がしてるから」
「誰も正座しろなんて言ってない。俺は剣道やってたから。稽古の前と後は気持ちを落ち着かせるためにこうやって座るんだ。あんな立ち回りもしたし。それがクセになってるからしてるだけだ」
「もうそろそろ夕ご飯の支度しなくちゃね」
マユは文字通り、痺れを切らして言いました。
「すればいい。俺は要らない」
「でも・・・」
「一食二食食わなくても死なない。腹が減りゃ一人で作って食う。はっきり言って、お前が作るのより、うまい」
言い切りました。
ワザと傷つくように言ったのです。腹の虫が収まらなかったからです。言葉でマユを切り裂きたかったのです。
「そうだよね。たー君、上手だもんね」
何で俺に媚びる。あれだけプライドをズタズタにされた後に媚びられると気が滅入りました。急に何かをぶっ壊したくなりました。
「情けないよな、確かに。そうだよ。俺はオヤジを殴らなかった。
殴れば良かったのか。ナイフで刺せばよかったのか。オヤジも殺して、マユも殺して、家に火つけて全て灰にすればよかったのか。
そこまでやっていいなら、とっくにやってるさ。それで一体何になる。誰が得する? カッコいいこと言ってるようだけど、無茶言ってるのはオヤジの方だろ。そうじゃないか。俺を元気にするために一計を案じて息子の嫁と寝た? 誰が信じるか、そんなもん!」
「たー君。スーツ、皴になっちゃうよ」
「スーツなんか、どうだっていい! クソでもくらえ!」
俺が怒鳴ると、また沈黙です。
「おい」と俺は言いました。
「俺に言わなければならないことがあるだろ」
「何を」
マユは下を向いたままです。
「俺に言わせんのか」
「言わせちゃだめ?」
「ダメに決まってんだろ!」
怒鳴るたび、いい感じに気分が高揚してきました。
「だって・・・。たー君、怒ってるし。仲直りしたのに。お義父さんだって、謝ったし。それなのに・・・」
「いつ仲直りしたっつーんだ!」
自分は本気で怒るととことん理詰めになるようです。マユがそれを嫌っているのを知っていてあえてそういう態度を取ったのです。
「あのな、当たり前だろ。一夜だけのこと、それも俺の事を思っての事だという。決して納得できる事じゃないけど、仮に許したとしよう。
だけどな、俺と付き合う前からオヤジと付き合っていたというのはどういうことなんだ。お前は有責者なんだから説明の義務があるんだぞ」
「ユウセキシャって、なに?」
「妻であるお前が俺に対して隠し事をしていた、俺を騙して結婚し、不貞を働いたということだ」
「だって、たー君のお父さんなんだよ」
「余計悪いわ! 」
俺は吼えました。
「赤の他人のほうがまだいい。よりにもよって、あのオヤジとなんて!
マユにも説明したろ? それを俺に黙って結婚して、しかも半年も同居してたなんてさ。俺の事は許さなくてもいい? 当り前じゃボケ! 誰が許すか。
倫理の問題なんだよ、道徳の問題なんだよ。
旦那さんが病気になりました。お嫁さんは旦那さんを元気にするために旦那さんのお父さんとセックスしました。皆さん、これはいいことですか? 悪いことですか?
間男とのエッチを見せれば亭主は元気になる?
バカ言ってんじゃねえよ。フツーそんな話真に受けるか! 女房とプラモデル一緒にすんなっつうの!」
「・・・イヤ」
俯いていたマユがキッと顔を上げ、俺を睨みました。こんなに怒ったマユを初めて見ました。
「イヤだ! 絶対言わない。だって、たー君怒ってるんだもん。ひとの気も知らないでさ!」
「怒って悪いのか」
「怒る資格、たー君にあるの?」
マユが逆襲に転じ、今度は俺が黙る番でした。
「たー君、どんどん成績下がって。お給料も減って行って。それなのに帰る時間はどんどん遅くなって。二人の時間もどんどん減って。たー君もやつれていって。話しかけても何も言ってくれないし。あんまり話しかけると、うるさいとかシツコイとか言うし・・・。
どうしたらいいのか、分からなかったんだよ。
お義父さん、とっても心配してくれた。だから縋ったんだよ、お義父さんに。だって、あたしの恋人だったんだもん!」
この、またしてもヌケヌケと!
当然に怒りが再燃したのですが、一方でマユの言っていることもわかるのです。
自身、成績で伸び悩んでカラ回りしているのは感じていました。分かっているのにプライドが邪魔して本当のことが、会社の仕事の成績の悪化が言えませんでした。全て事実であるだけに、沈黙するしかありませんでした。
俺が沈黙していると、マユはさらに俺の傷口に塩をすりこんできました。
「今まで言えなかったけど、言うよ。大学の時、バレーのコーチで来てたの、お義父さん。それからのお付き合い。あたし、お義父さんに、コウゾウさんに女にしてもらったの。女の悦びも、教えてもらった。エロいことも、いっぱいした。たー君が見たのより何倍もエッチな事いっぱいしてもらった!」
「なっ・・・」
「あー、やっと言えた。スッキリした!
でもね、お義父さんの言ったことは、本当なんだよ。たー君と付き合い始めてからはしてなかったもん」
「ウソだ! あんなの見せられて信じられるかって!
大体、おかしいと思ったんだ。俺は同居はイヤだって言ったのに、マユが強引に推し進めたんだ。なんで嫁がギリの親と同居したがるのか不思議だった。普通逆じゃねえの?
どうせ俺のいない間にイチャイチャしたかったんだろうって思うだろ普通」
「本当だもん!」
「じゃあさ、なんで付き合う前にオヤジとのこと言わなかったんだ。それがそもそもおかしいだろっての!
だから部活とか聞かれても答えなかったんだな。だから二人でマユの実家行った時にもアルバム見せなかったんだな。無くした、とか言って。ようやく納得したよ」
「そうだよ!」
マユはきっぱりと言い切りました。
「小学校からずっと、バレーやってた。お義父さんと出会ったのもバレー。いつか、言うつもりだった。
でも、言ったら、付き合ってくれた?
あたし、お義父さんから聞いてたから。タカシは俺の事嫌ってるって。ここに引っ越すときだってたー君目茶目茶反対してたし。
でも、たー君も忙しくなって、元気なくなっちゃうし。言ったら絶対怒ったでしょ? だから、だんだん言えなくなっちゃったの。
あたしだって、辛かったんだよ。だからお義父さんに相談したんだよ。出会ったころみたいに、元気で一生懸命なたー君に戻って欲しくて。・・・。
たー君はもう三十年近く親子をしてるんだよね。あたしはお義父さんと出会ってまだ四年と少しだけ。でも多分あたしの方がお義父さんを知ってる。お義父さん、たー君が言うような酷い人じゃない。立派な人だよ」
「息子の嫁と寝るやつが立派な人。へえ。それは、付き合ってたからだろ? お前のオトコだったんだもんなあ・・・」
「もちろん、そうだよ。いい男だよ、お義父さんは。
お義父さん、たー君のこといっぱい教えてくれた。肉が好きで魚が嫌い。小学校でバレーやってたけど辞めちゃって剣道を始めて高校でインターハイまで行ったこと。すごく楽しそうに話してたよ。大学で剣道やめちゃったこと、残念そうだったよ。
それからね、たー君のビョーキのことも教えてくれた。女がダメなんだって。吐き気がしちゃうんだって。あたしたー君と初めてしたとき、それ知ってたんだ。お義父さんが教えてくれたんだよ。なんとかしてやりたいんだって。
あのね、この世界の誰よりも、お義父さんはたー君のこと知ってる。たー君よりも知ってるよ。お義父さん、たー君のことが大事だからだよ」
絶句でした。頭の中は「まさか」の文字で一杯でした。
どうしてオヤジがそれを、吐き気のことを知っているんだ。
混乱の極みでした。
「それにね」
まだ何かあるのか、と思いました。マユは次第に俺ににじり寄って、俺の顔に息が掛かるくらいの距離まで詰め寄りました。
「お義父さん、初めての時あたしが処女だって知ったら途中でやめちゃったの。その後、どうしたかわかる?」
「・・・」
「お義父さんね、ママに会いに行ったの、あたしを連れて。『お嬢さんとお付き合いさせて下さい』って。わざわざ言いに行ったんだよ。スゴイ男らしいと思わない? あたし、胸がキューンてしちゃったよ」
え?
「・・・ちょっと待て。じゃ、何か? お義母さん、お前とオヤジが付き合ってたこと、知ってて俺に黙ってたってこと?」
「あたしが口止めした」
「なっ、そっ・・・」
反論しようとした俺を遮り、さらに彼女は続けました。
「それにね、一回だけ、あたしたー君を裏切りそうになったことがあるの。ここに引っ越してから、たー君泊まりが続いて、あたし寂しくて、仕方なくて・・・、あたし一度だけ、お義父さんに『抱いて』って言っちゃった」
「・・・」
「そしたら、殴られた」
縁側から落ちちゃった・・・。そう言って青タンを作っていた時のことが思い当たりました。マユはその時痛めた方の頬を擦りました。
「冬、ほっぺ冷やしてた日のこと覚えてる? あたし縁側から転げ落ちたってウソついてたけど、あれ、ビンタされたんだよ。とっても痛かった。お義父さんめちゃめちゃ怒って『タカシと別れて今すぐ出ていけ!』って言われた。でも次の日はケロッとして『味噌汁濃いぞ』とか言って普通にしてくれた。メッチャ意志の強い人。そして優しくていい人なんだよ、お義父さんて」
次から次へと未知の情報を突き出されて、俺は茫然とするしかありませんでした。
「ところでたー君さ。あたしばっかり責めるけど、前から訊いてるのに答えてくれてないよね」
「何をだよ」
「あたし、たー君がいるからあの会社入ったんだよ。でもね、それを紹介して社長に口を利いてくれたのは、お義父さんなんだよ」
は?
「・・・何だって?」
まったくの、初耳でした。
「知らなかったでしょ?
あたし、たー君がいるからあの会社入った。会社入る前からずっとたー君のこと好きだったんだよ」
え?
「会社で出会って結婚した。たー君はずっとそう思ってたでしょ。
違うんだよ。たー君が気付いてくれなかっただけで。入社前のインターンの時だって、あたしたー君とお話ししてるんだよ。それも覚えてないでしょ? どうなの?」
いつの間にか攻守逆転。責めていた筈なのに責められていました。でもマユは居丈高になっているのではありませんでした。必死でした。
でも、一体何処で俺を知ったのだろう。全く心当たりがありませんでした。
「あたし、いつかたー君が思い出してくれると思ってずっと、ずっと待ってたんだよ。それなのにさ・・・」
大きな瞳にいっぱいに涙を溜めたマユを見ていると切ない気持ちが湧いてきました。
オヤジとのことは許せません。ですが、悔しいけど、俺はこの女を愛しているのです。愛しているから、許せない。許せないから、責める。責めると、萎れる。愛しているから、萎れているマユを見るのが切ないのです。たまらなく、切ないのです。
どうしたらいいんだ・・・。
袋小路で立ちすくんでいると、突然マユは立ち上がり服を脱ぎだしました。下着姿になってタンスを漁り、ジャージのパンツとTシャツを引っ張り出して身に着け、ドレッサーの前に立ち、なんとハサミで自分の髪を切り始めたのです。
「おい! 何してんだ」
気でも狂ったのかと思いました。
肩より長かった髪をマユは無言でジョキジョキ切り落としていきました。フローリングの床にマユの黒い髪の毛が一房、また一房と落ちてゆきます。ただ傍観するだけの俺を鏡越しに見ながら、先刻までサマードレスを纏っていた若妻が男子高校生みたいな風体になっていました。
あらかた切ってしまうと、ふう、と溜息をつき、今度は俺を引っ張ってライティングデスクに向かわせ、自分は安楽椅子をゴロゴロ転がしてきて隣に座りました。PCを開いて俺を見つめました。
「どう? これでも思い出さない? あたし、出来の悪い生徒だったでしょう」
今にも泣き出しそうな瞳の下の口の端がわなわなと震えていました。
もしその後俺が再び家を出たらきっとマユは自分で自分の人生を終わらせてしまうんじゃないか。そんな恐れさえ抱かせるほどに、切実な表情を湛えていました。
俺も泣いた、マユも泣いた、修羅場もあった、オヤジからの謝罪もあった、もういいじゃないか。そういうことか。
あれだけのことをしておいて! フツー離婚一択、親子縁切りしかねえだろ、ボケ!
誰が水に流すか、と思いました。
俺にウソをつき、騙していた事。オヤジへの憎しみは倍増しました。あの光景を思い出す度にマユへの怒りも。しかもワザと見せつけた。それに本当に俺のためなのか。どうしても許せませんでしたし、もう何も信じられません。そんな気持ちでした。
マユはただ俯いていました。ワンピースの裾をいじくったり、ほつれた糸を引っ張ったりしている長い時間の間に、チラチラと俺の顔色を上目づかいで見ていました。俺は腕組みをしてその様子を観察していました。我慢比べのようでした。先に口を開きたくありませんでしたが、かといって、このまま睨めっこしていても仕方がありません。
「何で正座してんだよ」と口火を切りました。
「だって、たー君がしてるから」
「誰も正座しろなんて言ってない。俺は剣道やってたから。稽古の前と後は気持ちを落ち着かせるためにこうやって座るんだ。あんな立ち回りもしたし。それがクセになってるからしてるだけだ」
「もうそろそろ夕ご飯の支度しなくちゃね」
マユは文字通り、痺れを切らして言いました。
「すればいい。俺は要らない」
「でも・・・」
「一食二食食わなくても死なない。腹が減りゃ一人で作って食う。はっきり言って、お前が作るのより、うまい」
言い切りました。
ワザと傷つくように言ったのです。腹の虫が収まらなかったからです。言葉でマユを切り裂きたかったのです。
「そうだよね。たー君、上手だもんね」
何で俺に媚びる。あれだけプライドをズタズタにされた後に媚びられると気が滅入りました。急に何かをぶっ壊したくなりました。
「情けないよな、確かに。そうだよ。俺はオヤジを殴らなかった。
殴れば良かったのか。ナイフで刺せばよかったのか。オヤジも殺して、マユも殺して、家に火つけて全て灰にすればよかったのか。
そこまでやっていいなら、とっくにやってるさ。それで一体何になる。誰が得する? カッコいいこと言ってるようだけど、無茶言ってるのはオヤジの方だろ。そうじゃないか。俺を元気にするために一計を案じて息子の嫁と寝た? 誰が信じるか、そんなもん!」
「たー君。スーツ、皴になっちゃうよ」
「スーツなんか、どうだっていい! クソでもくらえ!」
俺が怒鳴ると、また沈黙です。
「おい」と俺は言いました。
「俺に言わなければならないことがあるだろ」
「何を」
マユは下を向いたままです。
「俺に言わせんのか」
「言わせちゃだめ?」
「ダメに決まってんだろ!」
怒鳴るたび、いい感じに気分が高揚してきました。
「だって・・・。たー君、怒ってるし。仲直りしたのに。お義父さんだって、謝ったし。それなのに・・・」
「いつ仲直りしたっつーんだ!」
自分は本気で怒るととことん理詰めになるようです。マユがそれを嫌っているのを知っていてあえてそういう態度を取ったのです。
「あのな、当たり前だろ。一夜だけのこと、それも俺の事を思っての事だという。決して納得できる事じゃないけど、仮に許したとしよう。
だけどな、俺と付き合う前からオヤジと付き合っていたというのはどういうことなんだ。お前は有責者なんだから説明の義務があるんだぞ」
「ユウセキシャって、なに?」
「妻であるお前が俺に対して隠し事をしていた、俺を騙して結婚し、不貞を働いたということだ」
「だって、たー君のお父さんなんだよ」
「余計悪いわ! 」
俺は吼えました。
「赤の他人のほうがまだいい。よりにもよって、あのオヤジとなんて!
マユにも説明したろ? それを俺に黙って結婚して、しかも半年も同居してたなんてさ。俺の事は許さなくてもいい? 当り前じゃボケ! 誰が許すか。
倫理の問題なんだよ、道徳の問題なんだよ。
旦那さんが病気になりました。お嫁さんは旦那さんを元気にするために旦那さんのお父さんとセックスしました。皆さん、これはいいことですか? 悪いことですか?
間男とのエッチを見せれば亭主は元気になる?
バカ言ってんじゃねえよ。フツーそんな話真に受けるか! 女房とプラモデル一緒にすんなっつうの!」
「・・・イヤ」
俯いていたマユがキッと顔を上げ、俺を睨みました。こんなに怒ったマユを初めて見ました。
「イヤだ! 絶対言わない。だって、たー君怒ってるんだもん。ひとの気も知らないでさ!」
「怒って悪いのか」
「怒る資格、たー君にあるの?」
マユが逆襲に転じ、今度は俺が黙る番でした。
「たー君、どんどん成績下がって。お給料も減って行って。それなのに帰る時間はどんどん遅くなって。二人の時間もどんどん減って。たー君もやつれていって。話しかけても何も言ってくれないし。あんまり話しかけると、うるさいとかシツコイとか言うし・・・。
どうしたらいいのか、分からなかったんだよ。
お義父さん、とっても心配してくれた。だから縋ったんだよ、お義父さんに。だって、あたしの恋人だったんだもん!」
この、またしてもヌケヌケと!
当然に怒りが再燃したのですが、一方でマユの言っていることもわかるのです。
自身、成績で伸び悩んでカラ回りしているのは感じていました。分かっているのにプライドが邪魔して本当のことが、会社の仕事の成績の悪化が言えませんでした。全て事実であるだけに、沈黙するしかありませんでした。
俺が沈黙していると、マユはさらに俺の傷口に塩をすりこんできました。
「今まで言えなかったけど、言うよ。大学の時、バレーのコーチで来てたの、お義父さん。それからのお付き合い。あたし、お義父さんに、コウゾウさんに女にしてもらったの。女の悦びも、教えてもらった。エロいことも、いっぱいした。たー君が見たのより何倍もエッチな事いっぱいしてもらった!」
「なっ・・・」
「あー、やっと言えた。スッキリした!
でもね、お義父さんの言ったことは、本当なんだよ。たー君と付き合い始めてからはしてなかったもん」
「ウソだ! あんなの見せられて信じられるかって!
大体、おかしいと思ったんだ。俺は同居はイヤだって言ったのに、マユが強引に推し進めたんだ。なんで嫁がギリの親と同居したがるのか不思議だった。普通逆じゃねえの?
どうせ俺のいない間にイチャイチャしたかったんだろうって思うだろ普通」
「本当だもん!」
「じゃあさ、なんで付き合う前にオヤジとのこと言わなかったんだ。それがそもそもおかしいだろっての!
だから部活とか聞かれても答えなかったんだな。だから二人でマユの実家行った時にもアルバム見せなかったんだな。無くした、とか言って。ようやく納得したよ」
「そうだよ!」
マユはきっぱりと言い切りました。
「小学校からずっと、バレーやってた。お義父さんと出会ったのもバレー。いつか、言うつもりだった。
でも、言ったら、付き合ってくれた?
あたし、お義父さんから聞いてたから。タカシは俺の事嫌ってるって。ここに引っ越すときだってたー君目茶目茶反対してたし。
でも、たー君も忙しくなって、元気なくなっちゃうし。言ったら絶対怒ったでしょ? だから、だんだん言えなくなっちゃったの。
あたしだって、辛かったんだよ。だからお義父さんに相談したんだよ。出会ったころみたいに、元気で一生懸命なたー君に戻って欲しくて。・・・。
たー君はもう三十年近く親子をしてるんだよね。あたしはお義父さんと出会ってまだ四年と少しだけ。でも多分あたしの方がお義父さんを知ってる。お義父さん、たー君が言うような酷い人じゃない。立派な人だよ」
「息子の嫁と寝るやつが立派な人。へえ。それは、付き合ってたからだろ? お前のオトコだったんだもんなあ・・・」
「もちろん、そうだよ。いい男だよ、お義父さんは。
お義父さん、たー君のこといっぱい教えてくれた。肉が好きで魚が嫌い。小学校でバレーやってたけど辞めちゃって剣道を始めて高校でインターハイまで行ったこと。すごく楽しそうに話してたよ。大学で剣道やめちゃったこと、残念そうだったよ。
それからね、たー君のビョーキのことも教えてくれた。女がダメなんだって。吐き気がしちゃうんだって。あたしたー君と初めてしたとき、それ知ってたんだ。お義父さんが教えてくれたんだよ。なんとかしてやりたいんだって。
あのね、この世界の誰よりも、お義父さんはたー君のこと知ってる。たー君よりも知ってるよ。お義父さん、たー君のことが大事だからだよ」
絶句でした。頭の中は「まさか」の文字で一杯でした。
どうしてオヤジがそれを、吐き気のことを知っているんだ。
混乱の極みでした。
「それにね」
まだ何かあるのか、と思いました。マユは次第に俺ににじり寄って、俺の顔に息が掛かるくらいの距離まで詰め寄りました。
「お義父さん、初めての時あたしが処女だって知ったら途中でやめちゃったの。その後、どうしたかわかる?」
「・・・」
「お義父さんね、ママに会いに行ったの、あたしを連れて。『お嬢さんとお付き合いさせて下さい』って。わざわざ言いに行ったんだよ。スゴイ男らしいと思わない? あたし、胸がキューンてしちゃったよ」
え?
「・・・ちょっと待て。じゃ、何か? お義母さん、お前とオヤジが付き合ってたこと、知ってて俺に黙ってたってこと?」
「あたしが口止めした」
「なっ、そっ・・・」
反論しようとした俺を遮り、さらに彼女は続けました。
「それにね、一回だけ、あたしたー君を裏切りそうになったことがあるの。ここに引っ越してから、たー君泊まりが続いて、あたし寂しくて、仕方なくて・・・、あたし一度だけ、お義父さんに『抱いて』って言っちゃった」
「・・・」
「そしたら、殴られた」
縁側から落ちちゃった・・・。そう言って青タンを作っていた時のことが思い当たりました。マユはその時痛めた方の頬を擦りました。
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次から次へと未知の情報を突き出されて、俺は茫然とするしかありませんでした。
「ところでたー君さ。あたしばっかり責めるけど、前から訊いてるのに答えてくれてないよね」
「何をだよ」
「あたし、たー君がいるからあの会社入ったんだよ。でもね、それを紹介して社長に口を利いてくれたのは、お義父さんなんだよ」
は?
「・・・何だって?」
まったくの、初耳でした。
「知らなかったでしょ?
あたし、たー君がいるからあの会社入った。会社入る前からずっとたー君のこと好きだったんだよ」
え?
「会社で出会って結婚した。たー君はずっとそう思ってたでしょ。
違うんだよ。たー君が気付いてくれなかっただけで。入社前のインターンの時だって、あたしたー君とお話ししてるんだよ。それも覚えてないでしょ? どうなの?」
いつの間にか攻守逆転。責めていた筈なのに責められていました。でもマユは居丈高になっているのではありませんでした。必死でした。
でも、一体何処で俺を知ったのだろう。全く心当たりがありませんでした。
「あたし、いつかたー君が思い出してくれると思ってずっと、ずっと待ってたんだよ。それなのにさ・・・」
大きな瞳にいっぱいに涙を溜めたマユを見ていると切ない気持ちが湧いてきました。
オヤジとのことは許せません。ですが、悔しいけど、俺はこの女を愛しているのです。愛しているから、許せない。許せないから、責める。責めると、萎れる。愛しているから、萎れているマユを見るのが切ないのです。たまらなく、切ないのです。
どうしたらいいんだ・・・。
袋小路で立ちすくんでいると、突然マユは立ち上がり服を脱ぎだしました。下着姿になってタンスを漁り、ジャージのパンツとTシャツを引っ張り出して身に着け、ドレッサーの前に立ち、なんとハサミで自分の髪を切り始めたのです。
「おい! 何してんだ」
気でも狂ったのかと思いました。
肩より長かった髪をマユは無言でジョキジョキ切り落としていきました。フローリングの床にマユの黒い髪の毛が一房、また一房と落ちてゆきます。ただ傍観するだけの俺を鏡越しに見ながら、先刻までサマードレスを纏っていた若妻が男子高校生みたいな風体になっていました。
あらかた切ってしまうと、ふう、と溜息をつき、今度は俺を引っ張ってライティングデスクに向かわせ、自分は安楽椅子をゴロゴロ転がしてきて隣に座りました。PCを開いて俺を見つめました。
「どう? これでも思い出さない? あたし、出来の悪い生徒だったでしょう」
今にも泣き出しそうな瞳の下の口の端がわなわなと震えていました。
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