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過去
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しおりを挟む美奈は転校生だった。
穏やかで控えめ。いつも一人で本を読んでいた。男子が掃除をさぼって箒を放り投げたりしていると、黙って箒を拾い上げ笑顔で相手に差し出す。何故かその男子が顔を赤くして素直に掃除を始めたのを見て不思議に思っていた。仮に自分が同じことをやっても、
「由梨、ウゼェわ!」
となるのは請け合いなのに。
塾に通っていて、百点以外の点数を取ったことがないという評判の子でもあった。
去年、同じ生き物の世話係になったことをきっかけに彼女に話しかけた。
「どうしてそんなに勉強するだ? 面白いだ?」
この辺りではほとんどの子が地元の公立中学に進学する。小学生から学習塾に通うのはよほど熱心な家に限られていた。由梨自身も父からはもちろん、あの小煩い母からですら勉強しろなどと言われたことがなかったのだ。
「ウチ、転勤族だから」と美奈は答えた。
お父さんが転勤すると子供は塾に通う? なんだそれ。
意味がよくわからなかった。どういうことかと尋ねると、
「またいつどこに転校するかわからないし、この学校では見てないけど転校生ってちょっとしたことでイジメられるんだよ。でも成績が良かったり運動できる子はあんまりイジメられないから・・・」
係になってひと月もしないうちに、世話をしていたウサギが死んだ。見つけたのは美奈だった。飼育小屋の前で蹲って泣いていたのを慰め、一緒に職員室に知らせに行った。
次の日美奈は学校を休んだ。
近所と思われる子に家を教えてもらい行ってみることにした。意外に由梨の家に近かった。美奈によく似た美人のお母さんが応対してくれ、美奈を呼んでくれた。
「わざわざ来てくれたの」
彼女は、美奈はとても喜んでくれた。
通された部屋は格段にお嬢様な部屋だった。
「わー。カワイイ」
フリルの付いた淡いグリーンのカーテンとベッドカバーがお揃いだった。その上に大勢のぬいぐるみがいた。部屋の隅にも等身大のぬいぐるみがデンと腰を下ろし由梨を迎えてくれた。
友達の家で紅茶を振舞われたのは初めてだった。感激した。高価そうなティーカップを小指を立てて摘み、お姫様気分でボーっとしていると美奈が話してくれた。
「ごめんね、心配させちゃって。あの子、去年から気になってたの。いつも隅っこでじっとしててエサもあまり食べてくれなくて。係になれたら絶対お世話して元気にしてあげようと思ってたのに。だから落ち込んじゃってたの。でも松任さんが来てくれて元気になったよ。明日は学校行くよ」
「由梨って呼んでや。あたしも美奈って呼ぶで。いい?」
こうして二人は仲良くなった。
初めて美奈を家に連れて来た日、父と母は歓待してくれた。それに気を良くしていつもの父とのやりとりを美奈に披露したがった。
「ねえ、お父さん。美奈にさ、アレやってみせて」
「アレ? アレかあ。アレはマズイだろ。美奈ちゃんびっくりしちゃうぞ」
「いいから。早く」
父は照れくさそうに美奈に向き直り、テーブルの上に右手を出して親指を突き立てた。
「美奈ちゃん。あのさ、ちょっとここ握ってくれる?」
何の疑いも持たず、美奈は言われた通りに治夫の指を握った。途端に大きな尻上がりの放屁音が鳴り響いた。
何度見ても笑える。腹を抱えて大笑いしていた由梨は、急に塞ぎ込んでしまった美奈を見て顔色を変えた。心配になり顔を覗き込んだ。
「どうしただ?」
美奈はさめざめと泣き出した。
大きく狼狽した。自分でしつこくリクエストし大笑いまでしておきながら下品なパフォーマンスをした父を理不尽にも詰った。異変を感じた多恵子もキッチンから飛んできて治夫を責めた。
「お父さん、サイッテー!」
「人様の娘さんの前で何?。時と場合ってもんがあるら?」
意気消沈する父を睨みながら、しゃくりあげる友達の肩を抱いて自分の部屋に連れて行った。
「ごめんね、美奈。ウチのお父さんホントああいう気が利かない人なんだよ、昔っから。冗談ホンキにするもんでさあ・・・」
非常時だから仕方がない。父を悪者にして美奈をベッドに座らせ背中を撫でながら言い訳した。美奈は手のひらで涙を拭きながら顔を上げた。
「ううん、違う。違うんだよ。ごめんね。違うの。由梨のパパ、悪くない」
「え?」
「あたし、あんなパパが欲しかった。由梨が、羨ましい・・・」
その「おなら事件」があってから、以前にも増して美奈の様子を気にするようになった。
普段はいつもと変わらずに接してくるのに、時折ふっと影が差すように感じる。そういうことが増えていた。
由梨は地中海風のおしゃれな美奈の家を気に入っていた。
春休み中は美奈の都合がつかずに会えずにいた。玄関へのアプローチにはさまざまな色の石が敷き詰められ、プランターにはいつもよく手入れされた季節の花々があった。可愛くて頭のいい美奈によく似合う。
いつものように素敵なメロディーのジングルが鳴るインターフォンを押した。カメラに向かって変な顔をして見せた。スピーカーから笑いが漏れた。美奈の声だ。元気そうでちょっとホッとした。
ドアを開けてくれるのはたいてい美奈のお母さんだったが今日は違った。
「わざわざ来てくれたんだ。入って」
美奈はいつも通りのように見えた。
お母さんはいなかった。彼女がつけているいい匂いのする香水が由梨は気に入っていた。
大人の匂い。
母は石鹸の匂いで、ミヨシさんは線香の、さっちゃんは家のとは違う高そうなシャンプーの香りがしたが、それらとは格が違うような気がした。
「どうしただ。調子悪いだ? 風邪け?」
美奈は由梨と同じ一人っ子。お父さんは単身赴任中。だから彼女のお母さんが出掛けてしまうと家に誰もいなくなる。
「朝から熱っぽくてさ。でも今はもう平気」
「お母さんは」
「ああ。ママね、パート始めたんだ」
「一人で寂しくない?」
「ううん。かえってせいせいする。最近ママ、ガミガミ煩いんだ」
美奈は素っ気なくそう言った。
「ウチもだに~。しかも、ずっと前っからだに~」
やっぱり美奈とは波長が合う。
キッチンからお菓子とジュースのペットボトルを持ち出し由梨を部屋に招いてくれた。
「同じクラスになったに。せんせーは新しく来た人だよ」
部屋に入ると真っ先にそれを言った。はいこれと持って来たプリントを渡し、いつものようにベッドに腰かけた。
「ほんと? やったね」
そう言って彼女はすぐにプリントに目を落とした。
もっと喜ぶかと思っていたのに・・・。美奈の反応はどこか素っ気なかった。どこか、何か、違和感を覚えた。
「でさー、今日さー、やっちゃってさー」
「・・・どうしたの」
由梨のことだからグチグチ恨み辛みを並べたりせず、達也とのバトルを面白おかしくいささか誇張して盛り上げて聞かせた。そして母から落ちた爆弾で傷ついた可哀そうな自分を大袈裟に演じ美奈を笑わせた。
「達也くんて、ちょっと子供っぽいよね」
「そうだら? 幼稚園から全然変わらんだに。ガキだに、ガキ」
達也の話で盛り上がっていると聴き慣れない携帯電話の呼び出し音が鳴った。美奈がいつの間にか携帯電話を持っていたのも驚いたが、こぼれて来る声の質と話の内容から相手が何となくわかってそちらのほうに興味を惹かれた。
「ごめん、由梨。今から友達がくる」
「友達って、男子?」
「うん。・・・彼氏」
美奈は目を逸らして恥らいつつ、こう付け加えた。
「黙っててごめん。いつか言おうと思ってたんだ」
好奇心を隠せなかった。それで矢継ぎ早に質問を浴びせた。
「彼氏って、ウチの六年? 誰」
「ううん。南中の人」
「年上かあ。どこで知りあっただ?」
「塾で」
・・・羨ましい。
可愛いし、頭がいいし、スタイルもいい。それに美奈は胸もある。たぶんクラスで一番大きい。去年一昨年は体の変化に困惑している子もいたが、六年生ともなると皆当たり前のように受け入れ始めていた。
「あのさ、その、えーと・・・」
美奈はクスッと笑った。由梨の訊きたかったことを先取りして自分から告白した。
「もう、キスはしたよ」
そして、こんな風に尋ねた。
「由梨は? 今好きな人とかいる?」
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