上 下
18 / 40
過去

17 過去

しおりを挟む
 鏡の中の自分。
 大きな目。とがった顎。大きく突き出たおでこ。長すぎる手足・・・。どれも父にも母にも似ていない。近頃これがとても気になっていた。
 サンタクロースが父であることを知ったのは、クラスで一番遅かったかも知れない。母も、父さえもが自分にウソをついていたのが大きなショックだった。だからもっと大きなウソをついている可能性は十分にあると思っていた。
「ねえ、お母さん。あのさ・・・。あたし本当にお母さんとお父さんの子なんだか?」
 ちょっと前、母にも訊いた。
「は?」
 母は素で真っ白になっていた。
「だってさ、顔全然似てないし・・・」
 しばらく由梨を見つめていた母は大きな溜息を吐き、抱えていた洗濯物の籠を床に置き、目の前に仁王立ちになり、由梨の耳を痛いほど抓り上げた。
「この大きな耳。これが何よりの証拠だに」
 痛さに顔を顰めた。すると母はにっこり笑い由梨を力一杯抱きしめた。
「あんたはお父さんの娘。お母さんがお腹を痛めた子。くだんないこん言ってる暇があったら早く宿題済ませてしまいな!」
 父の事務所に遊びに行っても、
「由梨ちゃん、最近ますますお父さんに似て来たに」
 ミヨシさんが言うと、
「そうだよ。そのお茶飲むときの仕草。やっぱ血は争えんね」
 さっちゃんも同じことを言う。
 営業の男の人は何年かで変わってゆくけど、この二人のおばさんだけは小さなころからずっと変わらずに事務所にいた。
 父は毎日忙しく母も一度は家庭に入りながらも時々父の事務所を手伝ったりしていた。だからミヨシさんちには時々お泊りだってする。
 家から歩いて百メートルほどのミヨシさんち。大きな江戸時代みたいな昔風の家だ。
 いつも旦那さんがニコニコして迎えてくれる。由梨は愛情をこめ「おじいちゃん」と呼んで慕っていた。三島のおじいちゃんが亡くなり、本物の祖父と言える人がいなくなってしまったこともある。普段あまり喋らないそのおじいちゃんも由梨に対してだけはいろんな話をたくさんしてくれた。そして最後には必ず、
「由梨ちゃん。お父さんに感謝するだよ。由梨ちゃんのこん、この世で一番大切に思ってくれてるのは、お父さんだでな」と言った。
 その父は今朝も早くから仕事に行った、と思う。寝ぼけ眼を擦りながら階下を降りたらもう居なかった。
 由梨の不満は他にもある。それは・・・、
「ちょっと。あんたいつまで鏡見てんの。何時だと思ってんの。今日から六年生だら。登校リーダーが遅れたら恥ずかしいに。さっさと行きナい!」
 この母のことである。
「わかってる!」
 パタパタ洗面所の戸口にやって来た母に目も向けずに言い返した。
「わかってるなら早くしにゃ!」
「いろいろやるこんあるだよ!」
「生意気に。小学生が何やるこんあるだ。早くランドセル背負って学校行きな!」
 ウザイ。ウザすぎる。
 ひとの顔見る度に必ず一つか二つ小言が飛んでくる。何とかならんか。いつも思う。
 逃げるように家を出て集合場所に向かい既に集まっている下級生の中の真新しいランドセルの小さな子の手を引き黄色い旗を持つ。列を作って歩き出す。その間も頭の中はずっとモヤモヤしていた。昨夜だって、
「由梨。お父さん疲れてるの。あんたもう大きいんだから少しは気遣わにゃ」
 久々に明るい時間に帰って来た父に甘えたくて父の胡坐の中に座ってTVを見ているとそんな風にチクチク刺すのである。

 最悪だ。
 桜の舞い散る校門をくぐり、一年生を下駄箱に誘導してからクラス分けの掲示を見た。
今年も美奈と一緒だ。一番仲のいい友達と最期の学年を共に出来るのは嬉しかった。少しいい気分になったのに、あの天敵の達也も一緒だったことでプラスマイナスゼロだ。一学年二クラスしかないから、仕方がない。
 去年までのかっこいい男の先生が持ち上がることを期待していたが、新しく転任してきた女狐のような女の先生が担任だった。何となく、母に似ているような気がした。雰囲気が。
 せめて美奈にグチでも聞いてもらおうと思ったのに新学期早々欠席だという。
「誰かプリントを届けてくれる人、いませんか」
 由梨は当然のように手を挙げた。

 休み時間はマンガを描く。
 ノートの端っこや自由帳にせっせと描いた。最初は自分やアニメのキャラクターを正面から描いているだけだったが、次第に様々なポーズをつけて活写するようになった。クラスの友達をモデルにしたキャラクターを描いてあげたりもした。さらに、自分をデフォルメしたヒロインが情けない姿の達也をやっつけるストーリーの四コママンガを描いた。
 達也の何が嫌いか。
 由梨が好んで一緒に遊ぶ男子は、サッカーが得意だったり、足が速かったり、スポーツ少年団のピッチャーだったりした。
 その正反対が達也だった。なよなよしていて、ズルくて、不真面目だからだ。
 掃除をサボる。共同制作では必ず何処かへいなくなる。運動会の徒競走で一位になりたいがために予選で遅いグループに入れるようワザと遅く走ったりする。そういう小ズルさが大嫌いなのだった。クラスはもとより、学年中から嫌われていた。
 だからマンガは大ウケ、面白いと持て囃された。注目されることにカイカンを覚え、調子に乗って授業中も続きを描き続けたりもした。
 せめて新学期初日は大人しく真面目にしておけば良かった。だが朝っぱらから母に怒鳴られ、大嫌いな達也と同じクラス。美奈もいないし。つまらなかったから、新しいクラスでもさっそくやってしまい、転任してきた女狐にバレた。達也がチクったからだ。
「先生。コイツずっと前から授業中にマンガ描いてるんです!」
 当然に、叱られた。
 由梨の失態を最も喜んだのが達也であることは言うまでもない。
 彼は教師の叱責を受けた由梨に聞こえるように呟いた。
「ぷっ。ざまみろケツデカ男女」
 気が付いたらヤツの椅子を蹴っていた。
 さらにあろうことか達也に掴み掛り、授業の真っ最中に取っ組み合いの喧嘩を演じた。当然だが二人とも親を呼ばれる羽目になった。


 久々に営業車ではなく自分の車で帰宅することが出来た。
 春の夕暮れが美しい。
 赤く染まる小さな家を見上げた。毎日出張や残業続きで明るいうちにしげしげと我が家を見上げるのは久しぶりだった。
 ミヨシさんの紹介で建てたばかりの新古品とも言える家を譲り受け越してきてから十年になる。これまでいろいろあったなあ・・・。しばし感慨にふけった。
 初めてこの家を見に来た日。多恵子と由梨と、三人でこの家を見上げたのを想い出す。
「どうして私を選んでくれたの」
 多恵子のその言葉に答えようとした時、由梨が駆け出した。まだ剥き出しの土のままだった庭を嬉しそうに駆け回る由梨を追いかけているうちに答えるのを忘れてしまっていた。
 そのままバタバタと十年が過ぎてしまった。
 この家で過ごした時間は、それまで治夫が過ごしてきた時間に比べようもないほど素晴らしいものだった。
「由梨も来年は中学生だもんなあ。年を取るはずだな」

 今日事務所で印象深い出来事があった。
 急な案件もなく、久々に早く帰ってやろうかと机の上を片付けていたら、山岸幸恵がつかつかとやってきた。
「所長、ちょっといい?」
「どうしたの」
「あたしね、結婚することになっただよ」
「おう。小柳津君とか」
 いつも仏頂面でPCに向かっている彼女がこの時ばかりは少し恥ずかしそうに頬を染めていた。
 二人が付き合っているという話はなんとなく聞いていた。どちらかというと地味で引っ込み思案な印象があった彼女が、いつのまにか吹っ切れたような明るい女性になっていた。三十路を過ぎて開き直ったのかと思っていたら、ミヨシさんが教えてくれた。むしろ「いつまで待たすだか」とわが事のようにやきもきしていたくらいだった、と。
 あれから小柳津は一時東京に出て小さな商社に入社した。その後静岡の営業所に配属され、そこから彼女と以前の同僚の縁を温めたのだろうと想像していた。
「そうか。それはめでたいな」
 ところが幸恵の話には思いがけない続きがあった。
「でね、所長に仲人して欲しいだけん・・・」
「は?」
「理想なんだよ。所長の家庭が」
 それで、久々に明るいうちに帰宅したというわけなのだった。

 玄関ポーチの前に立ち家を見上げた。そこそこに色褪せ風味を加えているように見えた。
「理想、か・・・」
 口に出してみた。
 これはいい機会だ。幸恵の依頼をきっかけにして、改めて妻に感謝の言葉を伝えたい。多恵子からもらった二つのかけがえのないもの。多恵子の献身と、もう一つは・・・。
 ドアのノブに手をかけた。
「由梨! 待ちなさい。待て、コラ!」
 ドアを開けたとたん、多恵子の怒声と共に、ノートと由梨が飛んできた。
 驚いて立ちつくしていると背中に由梨が回り込んだ。目の前に般若に変貌した多恵子が仁王立ちになっていた。娘は般若の攻撃を躱すために治夫を盾にしているつもりらしかった。
「・・・ただいま」と言ってみた。
 怒りで顔を強張らせた般若は、見る間に目に一杯の涙を溢れさせると三和土に落ちたノートを拾い上げ治夫に突きつけた。
「最近机に向かってるから頑張ってるのかなと思って喜んでいたのに・・・。この子、授業中にこんなもの描いてたんだよ! しかも女の子のくせに男の子と取っ組み合いするなんて! 今日先生に呼ばれて、お母さんとっても情けなかったよっ! 
 由梨! こっち来なさい。親にこんな、恥かかせてホントにこの子はもおっっっ!」
 多恵子が逃げ惑う由梨を追いかけるのを尻目に、手にしたノートをパラパラめくった。図形の角度を求める問題の横に由梨らしきデフォルメされた女の子や、幼いころに治夫が描いてやった懐かしいキャラクターが随所に描かれ吹き出しまで入っていた。懐かしさが溢れた。
 それによく描けてもいた。
『あー勉強だりー』『遊びたいー』『チョコパフェ食べたい』
 タッチも構図もかなり進歩している。ちゃんとオチまでつけてある。娘が自分と同じようなイタズラ描きをしていることを知り、愛情がいや増す。ニヤニヤしながらページをめくっていると、多恵子の冷たい炎のような視線に気づいた。恐ろしかったのでとりあえず微笑んでみた。
「あなたっ! あなたも何か言ってやって。もう、滅茶苦茶恥かいただに。お母さん、穴があったら入りたかったんだでね。裏切られた気分なんだでねっ!」
 そう叫ぶと多恵子はワッと崩れるように蹲った。ここはやはり母親の側に立たねばならないだろう。
「由梨。今お母さんが言ったことは本当なのか」
 自分の背中に隠れている娘を振り返り、問い正した。
 由梨は唇を噛んだ。
 しばらく背中を震わせて泣いている母親を見下ろしていたが、下駄箱の前に放り投げてあったランドセルからプリントを取ると風のように玄関を出て行った。
「ちょっと美奈の家に届けもんして来るで」
「由梨っ! 話まだ終わってないに!」
 逃げ足が速いというのか、治夫が呼び止めようとしたころにはもう、自転車にうち跨って表の道を遠ざかって行ってしまっていた。
 娘の背中におっかぶせるように言ってやった。
「早めに帰れよ。車に気を付けるんだぞ」
 そして怒り心頭の妻を顧みた。
 十年の感謝の言葉どころではなくなってしまった。今夜はまた長くなりそうだ。と治夫は思った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

ゾンビ発生が台風並みの扱いで報道される中、ニートの俺は普通にゾンビ倒して普通に生活する

黄札
ホラー
朝、何気なくテレビを付けると流れる天気予報。お馴染みの花粉や紫外線情報も流してくれるのはありがたいことだが……ゾンビ発生注意報?……いやいや、それも普通よ。いつものこと。 だが、お気に入りのアニメを見ようとしたところ、母親から買い物に行ってくれという電話がかかってきた。 どうする俺? 今、ゾンビ発生してるんですけど? 注意報、発令されてるんですけど?? ニートである立場上、断れずしぶしぶ重い腰を上げ外へ出る事に── 家でアニメを見ていても、同人誌を売りに行っても、バイトへ出ても、ゾンビに襲われる主人公。 何で俺ばかりこんな目に……嘆きつつもだんだん耐性ができてくる。 しまいには、サバゲーフィールドにゾンビを放って遊んだり、ゾンビ災害ボランティアにまで参加する始末。 友人はゾンビをペットにし、効率よくゾンビを倒すためエアガンを改造する。 ゾンビのいることが日常となった世界で、当たり前のようにゾンビと戦う日常的ゾンビアクション。ノベルアッププラス、ツギクル、小説家になろうでも公開中。 表紙絵は姫嶋ヤシコさんからいただきました、 ©2020黄札

野球部の女の子

S.H.L
青春
中学に入り野球部に入ることを決意した美咲、それと同時に坊主になった。

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―

入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。 遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。 本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。 優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...