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過去
03 過去
しおりを挟む来る時とはうって変わり、小柳津は無言で後部座席に座っていた。
松任は初めて訪れた客先との間にたった一時間足らずで三億近い商談を成立させようとしていた。自分には到底出来そうもないし、事務所の先輩にもそんな高いポテンシャルを持った者はいない。助手席で黙っている松任を見る目は下卑た興味から畏怖に変わった。
車が公道に出るや、松谷がバックミラーに映る小柳津に話しかけた。
「このまま駅に着ける。小柳津君、悪いが電車で帰ってくれ。俺は松任君とちょっと行くところがあるんでこのまま車借りる」
それまで静岡営業所の若手のホープと言われていた。
その自信が突然現れた新人に見事に打ち砕かれた。圧倒的な技量の差を見せつけられた。それなのに、助手席の松任はまるでこうなることが判っていたかのように平然としている。もしも自分だったら「三億の契約」に有頂天になってはしゃぎまわっているだろう。松任の落ち着いた風情が気に障った。
車はほどなくして駅のロータリーに着いた。
「ああ、そうだ。あの客先、桑田さんの縁故なんだろう。今日の事話してやれ。今後あの工場は松任君に担当させる。彼が話を膨らませてくれたんだから文句ないよな。後から俺も桑田さんに言っておく」
萎れたような小柳津が車を降り、やがてバックミラーの中で小さくなってゆくと、
「いいだろ?」
こんどは助手席の治夫に言った。
「さっきの客、今後は君に担当して欲しいってさ。そうだ。いっそ、他の客先も遠慮なく好きなようにやってみろ。営業所のあのクソみたいなダメ連中は気にしなくていい。俺もな、去年の暮れに転任してきて唖然としたんだ。あの連中、腐ってやがる」
「わかりました」と治夫は答えた。
車は再びバイパスに乗り西へと向かった。
「ウハラケミカルからの仕入れ価格、どうしてわかった」
新素材の樹脂を製造する会社だ。治夫は前を向いたまま落ち着いて応えた。
「昨日本社で挨拶の間に仕入れ先の一覧を確認しておいたんです。四谷にいたときにも何度か取引はありました。販売に知っている人間もいます。四谷とハカマダでは取引額のケタが違います。だから納入価格は四谷より二三割安いだろうと推測しました」
「さすがだな」と松谷は言った。
「うん、そうしよう。他のの客も君が担当して行く。で、そうなるとだ。連中は顧客をなくしてヒマになる。ヒマになる営業連中をどするかな。会社としてはヒマを持て余す社員に楽をさせる義理は無えんだよな。君、どうしたらいいと思う?」
「私の職責に関係のない話のようです」
松谷はフッと笑い、ハンドルの上で太い指先を遊ばせ時折面白そうに助手席の治夫を見た。煙草を一本取り上げて喫い、窓を少し開けて長い煙を吐き出した。
「昨日、営業本部の沢田専務も言ってたろう。ウチは今変革期にある。もう国内の製造業は頭打ちだ。誰でも知っている。それなのに社内のだれも対応策を講じようとしない。何でかわかるか」
「わかりません」
「ウチは吸収合併を繰り返してデカくなった会社だ。М&Aと言えば聞こえはいいが、つまり寄せ集めだ。役員会から出先の営業所まで。古巣を異にする人間が互いに牽制し合っている。今までの自分の縄張りにしがみつくような旧弊なやり方ではもうダメだ。社内体制のシェイプアップを図るべき時期に来ているのは誰の目にも明らかなのに、業務そっちのけで互いに少しでも自分の出身母体に有利に事が運ぶことに囚われている。
特にさっきの小柳津がいい例だ。あんな無能、普通ならとっくにクビか出向になっていてもおかしくない。それが代理とはいえ一営業所の責任者の桑田の縁故っていうだけでチャラチャラしていられるのは桑田のバックに役員がいるからだ。あいつは前の会社で増田常務の腰巾着みたいなことをしていたのさ。だから所長の俺でも正面切って首切れねえんだ。バカバカしいと思わないか」
そうした「政治」に興味はなかった。会社が自分を必要とするならよし。そうでなければ、また他をあたるだけだ。
「ところで、何処に行かれるんですか」
「遠州鋳造という鋳物屋、知ってるか」
車は大井川を渡り山を越え北に向かった。
市街地を抜けると水田が広がり、そこかしこに真新しい住宅が点在していた。その一帯の一段堆くなった丘の中腹にその工場はあった。県道に面して事務所棟がありスレート葺きの大きな工場棟がいくつか、外壁に長年の煤を纏って立ち並んでいた。
工場から緩やかに降りて来るスロープの下に車を止めた。フラン剤の灼けた香ばしい匂いと集塵機や電気炉が発する唸り声。ショットブラストの打撃音やグラインダーの甲高い摩擦音が重なって漏れ出ていた。一見、順調に操業中の鋳物工場に見えた。
丁度一台の幌を被った大型トラックが治夫の車を避けてスロープを上がっていった。
「戦争中に創業した。鉄兜やら大砲の台座やら作ってたらしい。今は産業用ロボットのベースやアーム。工作機械メインの工場だ」
松谷は新しい煙草に火を点けた。
「この県道を北に行くと第二東名のインターチェンジだ。トレーラーが入れるくらいだから地盤改良工事無しで御前崎倉庫の重機も置ける。建屋は改造して倉庫に転用可能だ。建築制限もない。理想的だと思わんか。俺が何を言いたいか、わかるか」
松谷の吹き出す煙が狭い車内に充満した。
「さっきのトラック、異様に荷台が沈んでたろ。これから荷受けして出荷しようってのに、おかしいだろ?」
治夫の反応を伺うように言葉を切った。
「ちょっと上まで行ってみるか」
県道を上り工場の敷地と同じ高さのところで車を止めた。金網のフェンス越しに鋳型の金枠が積んであった。その奥に一メートルから三メートルほどの様々な大きさの鋳物部品が二三十、いや小さなものまで含めれば数百個近くの赤や青に塗装された製品が雑然と積まれていた。所々錆びているのは一部加工が終わっていることを示していた。
「つまり返品の山だ。加工して不具合があったやつを引き取って放置してるんだ。最近はスクラップの相場が安いからな。売るに売れないんだろう」
「経営が上手くいっていないということですね」
「上手くいってないどころか」
松谷は窓を開けて灰を飛ばした。煙が車外に流れ、独特の鼻をつく匂いが強くなった。
「最盛期にはキューポラが三基煙を吐いていたらしいけどな。今は旧式の二トンの電気炉一基だけだ。設備を一新して生産効率を高めることも、生産技術を高めて品質を上げる努力もしてこなかった。安穏と周囲の状況が好転するのをただ待っているだけなら、そりゃ無理だわな。社長も後継者の息子に出て行かれてから元気無くなったそうだ。銀行の話だと、密かに用地の買い取り先探してるらしい。そこでだ、」
松谷は煙草を備え付けの灰皿で揉み消すと助手席の治夫に向き直った。
「静岡の営業所、沼津、浜松、豊橋の支所。それから御前崎の重機と実働部隊。俺の管轄にある事業所全部、ここに集約してしまう。年間で数百万から千万の経費が浮く。それにここなら三十トントレーラーだって入れる。新たに土地を手に入れるより移転費用は格段に安く済む。
今まで各拠点ごとに個別に縦割りで抱え込んでた案件情報を有機化する。営業が情報を囲い込んでるなんてナンセンスなことはもうお終いだ。情報を統合してシナジーを生み出す。客と客を結びつける新しい営業をここから始める。
それを松任君、君がやるんだ」
松谷は言った。
「君のやりたいようにやってくれていい。俺は鋳物屋の買収とそのための金を分捕ってくる役。君は思う存分鉈を振るって業務を再構築する。ただし、リストラは全部君が一人でやるんだ。どうだ」
東遠州の駅で下してくれという松谷のために運転を替わり駅へ車を走らせた。
「君は知らなかったろうが、俺は以前から君のことを知っていた。四谷にスゴイ奴がいると。前から噂になっていた。丁度運よく、と言っては君に悪いが、四谷があんなことになった。それで君のことを思い出した。君にはいい面の皮だったろうが俺にはチャンスだと思えた。急いで人事に掛け合った。そしてわざわざ君を引っ張って来た。君が適任だと俺が判断したんだ」
相手の心を鷲掴みにするような、有無を言わさない迫力だった。
「ただし、やってくれるならその功績は全て君にやる。君がさっき見せてくれたあのやり方で新しい営業モデルを作ってしまえ。現場で既成事実を作ってしまえばその社内における注目度はかなりのものになる。統廃合なった暁の新事務所の所長は当然君ということになる。というか、会社がそうせざるを得なくなる。静岡は、君のものだ。
そして俺は君を支援し、君の新しいそのモデルをプロデュースし全社に普及する。会社の古臭い因縁など全て吹き飛ばして海外に討って出るんだ。俺はやる。だから君もやるんだ。失うものなんかもう何もないだろ。是非ともこれはやってもらうぞ」
そこまで一気に喋ると再び松谷は口の端を歪めた。
「俺は名古屋に帰る。明日は東京だが昼前に静岡に寄る。その時返事をくれ」
車を降りる前、松谷は穴が開くほど治夫を凝視した。
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