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13 重戦車、アイダ
しおりを挟むまだ10歳のマコに言う話ではないのではないかと思いましたが、任せると決めた以上父と母の意思は一致していると思わせたいので何もいいませんでした。
アイダは裕福な家庭の次男として生まれました。
父親は中央官庁の役人、母親は製薬会社の研究員。ウチと違って超のつくエリート一家でした。年の離れた兄と同様、彼もいわゆるお受験で幼稚園から大学まで一貫の私立の学校に入りました。ここまでは他人が羨むような何不自由のない子供時代を送ったように見えるでしょう。
しかし彼はある種の虐待を受けて育ちました。
それは心の暴力でした。
父親はアイダに全く無関心でした。抱き上げることも頭を撫でることも声を掛けてくれることすらなかったのです。テストで満点を取ろうと、運動会で一等を取ろうと、クラスの女の子にバカにされても、遊具から落ちて骨折して入院しても、学校で健康優良児表彰を受けても何も言ってくれませんでした。
がんばったな、偉かったな、辛かったな、痛かったろうな、さすがは俺の子だ。・・・。
そんな言葉一つかけてはくれませんでした。
親が子供の心に全く共感しない。
アイダの受けた心の暴力とは、そういうことです。
父親の愛情を一身に浴びていたのは年の離れた兄でした。
兄は難病を患っていました。中学に上がるころには寝起きすることすら困難な状態になり、アイダが物心つく頃にはもう、寝たきりになっていました。家に帰るや百点の答案を見せようとするアイダを無視し、父親は真っ先に病室となった兄の部屋に飛び込み、家族との団欒すら持とうとしませんでした。
母親も同じでした。いえ、罵倒だけでしたが少なくとも会話があったことからすれば父親よりはまだましだったかもしれません。
どうしてこの程度の成績なのか。
あれだけ勉強しているのにおかしいのではないか。
勉強しているふりをして騙しているのではないか。
もしくはワザと答案を失敗して気を惹こうとしているのではないか。
そんなことまで言われました。
彼には実の母親に抱きしめられたり手を繋いでもらった記憶さえなかったのです。
夜、床の中でアイダはいつも頬を濡らしていました。
もしかすると自分も病気になれば愛してくれるのだろうか。こんなに頑健な体じゃなくて何処かに障害でもあった方が好かれるのか・・・。
そんな悲壮な思いさえ抱いていたアイダの唯一の心の拠り所はコンピュータを組み立てソフトを作ることでした。
クラスの友達が学校に持って来ていたコンピュータの雑誌を見てこれだと思いました。
最初のPCは電気街に行って部品を買って自作しました。母親は成績さえ良ければ気前よくお金をくれました。BASICなどはすぐ覚えました。マシン語を覚えると彼のスキルは飛躍的に向上しました。とにかく成績さえ良ければ何も干渉されなかったのでPCのスキルの向上に比例して成績もあがってゆきました。
親に愛されなかったが故の自己肯定感の欠落により他人を異常に気にし、常に理由のない劣等感に苛まれ、誰かに認められたいという思いを強くしていたのです。
コンピュータの世界だけが、孤独な彼を癒してくれました。
高等部に入るころにはFORTRANやC言語を勉強し始め、自作のゲームを同じ趣味の友達とやりとりするまでになりました。やりとりと言ってもいつもアイダの輸出超過で、アイダのゲームやりたさに学校をズル休みしたり、果ては、アイダは関わっていませんが友人間での金銭のやり取りにまで発展し、それがあまりに高額になっていたために友人は親にバレ、友人の口からアイダの名前が挙がって大問題になりました。
「アイダはただゲーム作っただけ。それもタダであげたんだよ。ホメられたかった。他人に認められたかった。ただそれだけだったのに。
アイダのお母さん、怒ってPC取り上げちゃった。アイダ、何も悪くないのにね。
不登校ってね。
学校に行きたくなくなっちゃって、学校やめちゃうってところまで行っちゃった」
「それから、どうなったの」
マコは聞きました。
「心のよりどころ、取り上げられちゃったんだよ。
アイダ、腑抜けみたいになっちゃった。
でも、そんな事、世間体しか考えないご両親が許さなかった。
お兄さんの真似してるんじゃない。ボーっとするなら学校行きな。出席だけしてれば卒業できるようにしてやるってね」
エスカレータ式の大学だったこともあり、父親の権力が大きかったこともあり、アイダは親の言う通り学校には通いました。ただ授業中なにもせずにただぼーっと座っているだけ。テストも全て白紙で出しました。
それでも何とか卒業し大学へ進学できるように親が手配したのです。
何も喋らず、何もせず、何も見ず、何も聞かない、誰とも話もせず、ただぼーっとそこにいるだけ。
そのまま、そんな日々をさらに4年間も続けようとしていたのです。
そんなアイダを変えたのは、大学のラグビー部の部長でした。
入学式で、その部長はアイダに声を掛けました。
「キミ。ちょっとグラウンド来ないか」
言われるまま何も考えずにその部長についてグラウンドに降りました。
「あれ、見てごらん」
ちょうど、二人の部員が支えるヒットバッグにタックルの練習をしているところでした。
「キミ、ちょっと、やってみないか」
アイダはスパイクを借り、言われるままにヒットバッグに向かって立ちました。
「今まで生きてきたなかで一番憎いヤツっていないか? ソイツのことを考えろ。あのバッグがソイツだと思え。全力でぶち当たって、潰してしまえ!」
アイダが思い浮かべたのは、両親でした。
一瞬の後、アイダは黒いヒットバッグに向かって突進しました。
恐ろしい形相の鬼に変貌したアイダは唸り声をあげて、バッグにぶち当たりました。
気が付いたら、バッグを支えていたはずの先輩二人は、吹っ飛ばされて尻もちをついていました。
その場に呆然と立ち尽くしていたアイダに部長がゆっくりと歩み寄りました。
「キミが高等部にいた時から、気になっていた。どうだ、一緒にやってみないか」
「重戦車」
アイダはそんなニックネームをつけられ、名プロップとして数々の試合で活躍しチームを勝利に導きました。
ONE FOR ALL. ALL FOR ONE.
誰かのために役に立てる喜び。
彼はやっと自分を認めてくれる人間達に出会い、自分を取り戻したのです。
ちなみに、工学部を優秀な成績で卒業した彼をウチに引っ張ったのはミヤモトさんです。
そうして、マユの一番の子分となり、今に至っています。
彼はたぶん、マユを姉か母親の代りだと思っているのでしょう。
ちなみに、彼のM性癖の原因や経緯は今もって謎です。どうもマユにもわからないらしいです。
「ユウイチ君のお父さん、言ってたよね。『このプログラムを組んだ人に会いたい』って。
大学の先生にそこまで言わせる人なんだよ。お父ちゃんとお母ちゃんの仕事になくてはならない人なんだよ。あんた、そんなスゴイ人に肩まで揉ませてたんだよ。
思いあがるのもいい加減にしな」
救急車が一台、赤色灯を明滅させサイレンのドップラーを曳いて走り去ってゆきました。
俺はまだ幼い骨ばったマコの背中に手を添え、再び歩き出しました。
再びマユはマコに寄り添いました。
「あんた、フジシマさんて覚えてる?」
「フジシマさん?」
「あんたが小学校上がる前に本社に戻っちゃった人だから覚えてないか。よく、あんたのこと肩車して散歩したり、自転車の補助輪外す練習に付き合ってくれたりしたんだよ。
ほら、ちょっと背が低くめでまるっちい感じの。覚えてないか」
「う~ん」
「あんた達のこと面倒見て遊んでくれたコ達、たくさんいたからねえ。
ゴトウ君、ミナミ君、リカ、サヤマ君、チヒロ・・・。
みーんなお父ちゃんやお母ちゃんより偉くなっちゃった。
お父ちゃんとお母ちゃん、会社では、ハセガワさん、とか課長とかいわれるけど、フジシマさんたちみんなね、他の人がいないとこでは今でも社長、姐さん、って呼んでくれるんだよ。
なんでか、わかる?」
マコは黙っていましたが、勘のいい子です。もう母の言いたいことがわかったのでしょう。小さく、コク、コクと頷きながら、歩いていました。
「ミチヨシもケンヤもあんたが怖いから一緒にいるんじゃないでしょ。あんたといると面白いから、楽しいから。あんたを信じてるから。友達だから。
だからでしょ?
あんたたち、ちゃんとつながってるでしょ。
それとおんなじなんだよ。
お父ちゃんもお母ちゃんも、アイダや、フジシマさん達のこと信頼してるし、尊敬してるし、頼りにしてるの。あの人達もそう。お互いに信頼し合ってる。
だから、大切にしてる。みんな、会社の大切な人たちだから」
今日、ミヤモトさんが別れ際に言った一言。
「フジシマだけじゃない。ゴトウも、ミナミも、カンザキも・・・。
役員連中はアホばかりだが、すぐその下のデキる若手たちはみんな、マユを待ってる。マユは、けっして、独りじゃない。みんな、助けてくれる。もちろん、俺もだ。
それだけは、お前の嫁にしっかり、伝えてくれ。
社長も、俺も、だからマユを引っ張り上げたいんだ、ってな・・・」
その一言を、思い出していました。
「自分の子分を、友達を大切にしなさい。
それがあとから何倍も、何十倍にもなって、必ずあんたに還ってくる。ホントだよ」
いつの間にか母娘が前を歩いていました。
マユと小マユが並んでいる後ろ姿。いずれそれが、マユ、小マユ、孫マユになってゆくのでしょうか。なかなかお目にかかれない、いい画でした。
「マコ。ユウイチ君のお父さんが言ってくれたね。
もう一度、正直に、素直に、自分の思いを伝えればいいんだよ。
明日学校に行ったら、ユウイチ君に話してご覧。ね?」
「・・・うん」
できれば、マコには、ファースト・キスをやり直して欲しい。
ふと、そんなふうに思いました。
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