ステンカ・ラージン 【軍神マルスの娘と呼ばれた女 5】 ―コサックを殲滅せよ!―

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それぞれの戦士の運命

55 別れと運命

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 数日後。

 汽艇に乗ってカスピの対岸に着いたヤヨイたちは、全員無事にシュヴァルツヴァルトシュタットに到着した。
 内陸だけに冬の到来はヴォルゴグラよりも早かったようで、すでに街は一面の薄い積雪に覆われていた。皆の吐く息はひと際白かった。
 偵察兵であるビアンカとカミルとディートリヒが参加した関係で、第十三軍団司令部で簡単な戦闘報告をした。
 最後の敵の攻勢でカミルが軽い手傷を負ったぐらいで、救出した「第一次探索隊」3名と共に全員無事に帰還できたことを軍団司令官は喜んでくれた。報告を終え、「第二次探索隊」は、解散した。
 駅で帝都に帰る組とはここでお別れである。
 リーズル、アラン、「第一次」の生き残りゲルダとイルマ、そして民間人ながら大活躍の「大将」ことアベルとハグを交わし、5人は南行きの列車に乗り込んだ。チナ戦役でもそうだったが今回もリーズルとアランにはとても世話になったと思う。
「みんな、本当にありがとう! 特にアベル! あなたの協力がなかったら全員の帰還は出来なかったと思うわ! 改めてお礼するわね! 」
「出来れば形のあるもので頼むよ。それに、今度ぼくが調査に行くときは、是非キミに護衛を頼みたいな」
「ハハハ・・・」
「エラそうに・・・ったく。最後まで口の減らない奴だな、お前は! 」
 苦笑を浮かべながら、シェンカー大尉も「大将」の手を握った。
 客車に乗り込み際、アランが言った。
「あれ? そういえば『マーキュリー』さんは? 」
「リヨン中尉は一足先に偵察機に便乗して帝都に帰ったそうよ。報告があるから、って」
「で、あんたはこれからどうするの? 」
 真っ先に車内に乗り込み、車窓から身を乗り出したリーズルがプラットフォームに残るヤヨイに尋ねた。
「ハンナを送り届けて、偵察大隊のポンテ中佐にもお礼を言わなくちゃ」
「そう。じゃ、またね。面白かったわ。何かあったら連絡ちょうだい!  ハンナも、元気でね!」
「ありがとう! またね! 」
「リーズル様! アラン様もみなさんも、さようなら! 」
 そうして、南に帰ってゆく仲間たちを乗せた汽車が出るのを見送った。
「じゃあ、ボチボチ行くか」
 シェンカー大尉に促され、ヤヨイも騎乗の人となり、第十三軍団の参謀少佐一人を加え、北に向かった。
 もちろん、ヤヨイの馬はヴォルゴグラの戦場で彼女を援けてくれた馬格の大きな牡の栗毛である。
 国境すぐ手前の独立偵察大隊司令部でビアンカとカミル、ディートリヒともお別れだ。
「あなたの技量はもう師匠のリーズル並みだったよ、ビアンカ。カミルもディートリヒも、あなたたちのおかげでとても助かったわ。ありがとう! 」
 3人の偵察兵とも別れを惜しんだ。
「久しぶりに少尉殿と過ごせてよかったです! またご一緒したいです! 」
「めっちゃ楽しかっ・・・、あ、いや、勉強になりました! 」
「また北の作戦があったら使って下さい、少尉殿! 」
「そうね。その時はみんな、よろしくね! 」
 ここで第38連隊副連隊長のポンテ中佐と2個偵察小隊30名がさらに一行に加わった。
 
 雪が降って来た。
 粉雪を蹴散らしながら、凍りかけた国境の河にかかる橋を渡った30余騎は、前進基地に行く前にシビルの里に向かった。
 あらかじめ電信で知らせが行っていたのだろう。雪の中、ヤーノフ族長と彼の妻たちが村の門の傍に立って待っていてくれた。
「お父さん! 」
 馬を飛び降りたハンナがヤーノフに駆け寄り、その巨体に抱き着いた。
「ただいま! お父さん! 」
 ヤーノフはゴツイ顔に似合わない優しげな笑顔で戦場帰りの愛娘を見下ろし、掌で真っ赤な頬を包んだ。
「よく戻った! シェンカー大尉やヴァインライヒ少尉に迷惑をかけなかったか? 」
「とんでもないですよ、ヤーノフ族長! 」
 ヤヨイもまた、山のような北の部族長の前に進み出、頼もしい通訳兼スナイパーの娘の肩に手を添えた。
「ハンナはまれにみる優秀な狙撃手で、優れた通訳でしたわ。それに、お父様に似てとても勇気がある、素晴らしい兵でした。お陰で作戦を成功のうちに終えることができましたわ! 」
「やれやれ! オテンバ過ぎて持て余し気味だった娘がこれほど人様にホメられることになるとは! こりゃ雪が赤く色づくかもしれんな! 」
「このハンナの協力に対して、なにかお礼をと考えました。ハンナの希望もあり、帝都に視察旅行をプレゼントしようか、とも。
 でも・・・。まだハンナは迷っているようなのです」
 ヤヨイは父親に似て大柄な北の娘を促した。ハンナは、頷いた。そして、父を見上げた。
「そうなの。少尉は帝都に連れて行ってもいいと言って下さったの。帝国のいろんなものを見学して、ミハイルにも会って・・・。
 でも今回、ヤヨイ少尉さまの作戦に参加して思ったの。
 シビルは、帝国と結んだ。そして、ヴォルガの北には帝国を受け入れずに挑戦しようとする部族がまだまだ大勢いる。そんな時にあたしまでいなくなるとお父さんやお母さんたちが心配でたまらなくなってしまうかも。だから、迷ってるの・・・」
「まあ、この子ったら! 」
「ハンナ、いつの間に! 」
 マリーカとエレナの二人の母は、ひと回りもふた回りも大きく成長して帰って来た娘の言葉に嬉しい驚きを覚えた。
「本当だな。いつの間にこんな口を利くようになったものやら。これも『軍神マルスの娘』の霊力の賜物かもしれん」
 そうして、父は再び娘を抱きしめ、キスした。
「返事はいつでもいいわ。前進基地を通じて連絡をちょうだい。いつだって大歓迎よ!
じゃあね、ハンナ! ありがとう! 」
「そう言えば少尉殿! この子の名前は決まりましたか? 」
 短い間に逞しくなった北の娘ハンナは、短い間共に戦場を駆けた逞しいヤヨイの愛馬の首を撫でながら尋ねた。
「ええ、決めたわ。この子の名前は『ヘルマン』。そして、帝都でわたしの帰りを待っている、多分彼のお嫁さんになる子は、・・・『ハンナ』にする! 」
「まあ! 」
 たてがみを振り嬉しそうに鼻を鳴らした「ヘルマン」はひときわ高く嘶(いなな)いた。

 そして、愛馬「ヘルマン」に打ち跨ったヤヨイと一行は、シビルの里を後にした。一団にシビル族族長のヤーノフが加わった。
 向かうのは、村からほどない帝国軍の前進基地である。
 騎馬隊30余騎は基地の南正面に着いた。
 通常部隊の編成は1個小隊30名だが偵察部隊は通常の半分になる。1個小隊は騎馬のまま正面のスロープ下に待機し、もう1個小隊15名が下馬して整列した。小隊の隊長少尉が陣営地を仰いで叫びあげた。
「第38連隊副連隊長、独立偵察大隊司令ポンテ中佐であるっ! 開門願いたい! 」
「直ちに開門する! 」
 前進基地の櫓の上から監視兵が応えた。門が、開いた。
 中佐も参謀少佐もシェンカー大尉もヤヨイも下馬しスロープを登った。彼らの後に完全武装の1個小隊が続いた。
 陣営地に上がってすぐにある広場で、基地司令であるシェンカー少佐が息せき切ってやってくるのに出くわした。短く刈り上げた艶やかな黒髪の上には毛皮の防寒帽を被っていたが、温かい宿舎の中にいたらしく、まだ眉毛にも睫毛にも霜は着いていなかった。
 彼はポンテ中佐に偵察部隊式略式の敬礼をした。
「おいでになるとは知らなかったものですから。お出迎えが遅れまして!」
 そう言いながら、中佐に手を差し出し握手した。中佐の傍にいた第十三軍団の参謀少佐にも。だが、降る雪よりも冷たい表情を浮かべた参謀少佐は基地守備隊長の握手を無視した。
「まあ、あえて知らせなかったのだがな」
 中佐は答えた。いつも通りの、穏やかな顔で。
 つかのま、怪訝な顔をしたものの、シェンカー少佐は弟とヤヨイにも笑顔を向けた。
「ジャーギー! 戻ったのだな! ヴァインライヒ少尉も! ふたりともご苦労だった! 全員無事か? 」
 ヤヨイは握手に応えたが、少佐の実の弟であるシェンカー大尉は、
「・・・はい」
 と言って頷いたのみだった。
 そして、ヤーノフにも機嫌のいい顔を向けたが、そこでようやく彼を取り巻く不穏な雰囲気に気づいたらしい。シェンカー兄はポンテ中佐に問いかけた。
「軍団司令部参謀にシビル族族長までお揃いでおいでとは! ・・・何かあったのですか? 」
「うむ。実はな、今日はここにいるヘンドリック参謀の付き添いで来たのだ」
 そう言って、ポンテ中佐は軍団司令部参謀に先を促した。
 ついと進み出た冷たい表情の参謀少佐は、きわめて事務的に、宣言した。
「エーリッヒ・ヘルツォーゲンベルク・フォン・シェンカー少佐! 」
 何かを察したような、そんな顔を浮かべて、前進基地司令シェンカー少佐はブーツの踵をつけ、貴官命令を受領する時にするように居住まいを正し、胸を張った。
「シェンカー少佐。重大な情報漏洩、及び帝国と軍に対する反逆の嫌疑あるにつき、貴官を逮捕し軍団司令部まで連行する! 」
 大隊から来た偵察部隊の兵の半分が銃を構えてシェンカー少佐に向け、もう半分が、何事かと集まり出していた前進基地の兵たちの介入を監視するように外側を向いた。
「逮捕、ですか? 」
「反論、異論は司令部で聴く。少尉、連行せよ! 」
 偵察部隊の一小隊長が進み出、彼の両脇に配下の兵が着き、少佐の腕を取った。
 そこに来て初めて、何かを悟ったかのようにシェンカー少佐はガックリと肩を落とした。
「エーリッヒ。実に、残念だ・・・」
 ポンテ中佐が静かに言った。
 連行される刹那、弟は兄に問いかけた。
「兄貴! 何故だ! 」
 兄は立ち止まり、弟を振り返った。
 兄は、答えた。
「すまん、ジャーギー。カネが、欲しかったんだ・・・。里の家族と母さんを、頼む」
 降りしきる雪の中。基地司令だった兄のシェンカー少佐が、参謀少佐と一個小隊の兵たちに連れられ南正面のゲートを抜けて下って行った。それを見送る弟、ユルゲン・ヘルツォーゲンベルク・フォン・シェンカー大尉の握りしめた拳が震えているのをヤヨイは見た。そして、大尉の頬を一筋の涙が伝い落ちるのも。
 ヤヨイはハンナの父シビル族族長ヤーノフと共に大尉の背中を見守っていた。
「大尉。・・・お気持ち、お察しします」





 それから・・・。
 ポンテ中佐は前進基地の兵たちを集め、事の次第を説明した。
 基地司令だったシェンカー少佐は北の民族の騎馬隊と通じ、金銭と引き換えに北の地の測量図や作戦予定だけでなくシビル族とクラスノ族との合併の情報まで流し、ゆくゆくは騎馬隊によるこの前進基地襲撃の手引きまでしようとしていた疑いがあること。
 突然指揮官が逮捕拘禁されるという一件の重大性を考慮し、後任の司令が着任するまでポンテ中佐が基地司令を務めること、などである。
 
 シビル族族長ヤーノフは直ちにクラスノ族の地に向かった。周辺を徘徊していた敵性部族の背景を説明し、今一度合併の話を前に進めるためだ。
「少尉! あんたのお陰でオテンバ娘が逞しい息子になっちまった!」
 別れ際、ヤーノフはガハハと笑った。
「だが、やはり帝国は素晴らしい! 誰かに間違いがあってもそれをちゃんと正すことができるのは力のある証拠だ。それに、あんたのような男より強い女神もいる。帝国と結ぶというオレたちの選択が間違っていなかったことがこれで証明された。
 これからも、よろしく頼む! 」
 


 ポンテ中佐とヤーノフに見送られ、ヤヨイもまた、シェンカー大尉と共に帝都への帰途についた。
 汽車がシュバルツバルドシュタットの駅を出てから、最後尾の貨物車両に乗せられた「ヘルマン」の様子を見に行った。
「急行じゃないから丸2日かかるの。着いたらいっぱい駆けさせてあげる。だから大人しく待っていてね」
 馬格の大きな毛並みのいい牡馬はヤヨイが鼻面を撫でると嬉しそうに頬を寄せてきた。
 座席に戻った。
 個室の開いた窓の羽根を空け、物憂げに窓外を流れる小麦畑の風景を眺めていたシェンカーは、ヤヨイが入室するや、
「寒いか? 窓、閉めるか」
と尋ねた。
 昨年のチナ戦役が終わった辺りから、列車の車窓にも少しずつ窓ガラスが普及し始めていたが、この列車にはまだのようだった。だから、寒ければ木戸を締め、羽根を傾けて閉じる。
「いえ。もうしばらくは・・・」
 きっと冷たい風に当たりたい気分なのに違いない。
 

 最初に異変に気付いたのは、やはりシェンカーだった。
 最初はルカとムスチスラフという名の二人組の斥候を捕えた時。
 彼らは西からではなく東から来た。それも、まるでヤヨイたちを探すように。「第二次探索隊」の存在を知っているのは帝国の第十三軍団と前進基地、そしてシビルの里だけだった。密かにシビルや前進基地を探っていた者たちから情報を受けてのものか、もしかすると、シビルの誰かが裏切ったのか? 最初はそう疑っていた。
 だが、第三通報地点でアベルを。そして「第一次探索隊」の全滅現場。最終的にはゲルダとイルマが囚われていたヴォルゴグラの村を占領し、ゲルダから決定的な情報を得た。
「敵は我が軍の測量図を持っていました。そして、帝国兵しか持ってないはずの呼子も。さらに吹き方まで! 
 中隊長は森の中から友軍の援けを求める呼子が聞こえたので一個小隊を探索に送り出したんです! しばらく待っても報告が来なかったので、残りの全軍で森に入りました。そしたら、周りの木が一斉に倒れて来て・・・」
 敵は「第一次探索隊」の襲撃前に、すでに彼らの情報をキャッチし、しかも帝国軍しか持っていないはずの装備品を入手していた。
 これは、帝国軍の中に敵に通じている者がいるのかも!
 シェンカーの危惧は無線でリヨン中尉に、そして第十三軍団の司令部に伝えられ、司令部は秘密裏のうちに前進基地の内偵を進めていたのだった。
 そうして、真夜中にひとり、陣営地を離れて敵の偵察兵と落ち合うシェンカー少佐を捉えていた。


 犯行の詳細は今後の軍法会議で明らかになるだろう。そして、大尉の兄、エーリッヒを待つ運命は・・・。
「良くて軍籍と貴族の身分を剥奪され終身労役。悪ければ・・・」
 窓外を流れる夕陽に暮れなずむ大地を見つめたまま、シェンカーは呟いた。
「まあ、2個小隊がほぼ全滅しているし、前進基地と同盟国を危機に曝した。極刑は免れんだろうな。・・・済まなかった」
 シェンカーは薄い木の板を引き上げて窓を閉め、鎧窓の羽根を閉じた。
 作戦中は気付かなかったが、彼は意外に彫りの深い顔と長い睫毛を持っていた。愁いに沈んだ顔に、同情したい気分があった。
「大尉のせいではありません。それに作戦は成功しました。ウリル閣下はそのようなことを気にする方ではありません」
 シェンカーはふと思いついたように顔を上げた。
「ところで、『ヘルマン』はどうしたろう」
「馬の方ですか? それとも・・・」
 大尉はフッと笑みを漏らした。
「『ステンカ・ラージン』の方さ」
「どうでしょう。敵の目標は我々をヴォルゴグラから追い出すことでした。そしてそれは成功しました。今頃祝杯をあげているのではないですか? 」
「そうだろうか」
 そう言ってシェンカーは腕組みし、目を閉じ、防寒ジャンパーの懐に貌を沈めた。
「彼の目的は我々の前進基地を踏み潰し、シビルを血祭りにあげ、最終的には帝国領になだれ込んで、例えば第十三軍団の司令部を陥れるとか、だったのではないか? そうすることで初めて、彼は完全な『北の英雄』、『ステンカ・ラージン』になれる。部族同士小競り合いばかりしている北をまとめ上げるには絶対的な強者が、英雄が必要なのだ。 
 だが、彼の騎馬軍団と船団は壊滅に近い打撃を受けたはず。少なくとも、向こう2、3年は渡河してドンの領地を荒らすなどはまず、不可能だろう。
 力を失った彼を、北の民族たちが受け入れるかどうか。この辺りは、今後注視して行かねばならんだろうな」
「そうかもしれませんね」
 ヤヨイもまた、疲れた体に心地よい列車の振動と睡魔が襲って来て、自然に目を閉じ、眠りの中に入って行った。








 ヤヨイたちが帝都に向かう列車の中でしばしの眠りに着こうとしているころ。
 時差で3時間ほどの西の北の地では、ヴォルゴグラから帝国軍を追い払ったヘルマンの軍がバクーの北、トビリーを目指して行軍していた。
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