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「スターリングラード」攻防戦
30 「コサック」騎兵団現る!
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帝国はその開闢以来約1000年もの間、馬と共に生きてきたと言ってもいい。
軍では歩兵隊よりも先に騎馬隊が整備されたし、今ではもう馬を飼っていない家の方が多くなったが、300年ほど前まではどの家にも厩があり家族全員分の馬が繋がれていたほどだ。
馬にもいろいろある。
主に騎兵部隊が重用するような全身筋肉のカタマリで耐久性もあり脚の速い馬。小柄でこどもでも御せるほど気性の優しい馬。そして体格が大きくて重量のある馬、などである。
昨年チナ戦役で初めて戦場に登場した戦車が現れる前は、陸軍で最も重い兵器は帝国陸軍最大の火力を誇る10センチ榴弾砲だった。
携架式、つまり馬で曳く可動式の砲の場合、その総重量は2トン弱になるが、それを前・中・後ろ2頭ずつ6頭の馬で曳く。その中でも一番重要な最も砲に近い後馬(こうば)には体重1トンほどの重輓馬を繋ぐ。馭者はこの重輓馬を馭すことで方向を変える。言わば車のハンドルの役目をする重要な馬になる。これが軽い馬だと砲が重いだけに轍などに捕まったりして逆に馬が振られ車が左右にブレやすくなる。
一方、騎兵部隊に向く馬は重量よりもスピードと粘り強さ、そして少々の音などには物怖じしない、タフな馬が選ばれる。そうでなくては混戦状態になった戦場で竦んでしまい、役に立たない。もちろん、イザ戦闘状態ともなれば相応の俊敏さも求められる。
しかも、騎兵は馬そのものに乗って行軍するから、長い行軍でも耐えられる忍耐強い馬である必要がある。2日や3日の行軍でへたばってしまうようなヤワな馬ではとうてい軍用には向かない。
しかし、かといって、全速力で丸一日、休息も取らせずに走らせるようなことをすれば、全ての馬はヘタってしまい騎兵部隊そのものが成立しなくなる。馬も生き物なのだ。
ゆえに、帝国陸軍ではその行軍スケジュールによって馬の速度が決められている。
まず、移動する距離が極めて近い場合、例えば双眼鏡でなんとか視認できる敵に襲撃をかける場合などは駆歩(かけあし)。時速20~30kmの速度で訓練された馬ならば1時間弱ほどは騎行可能である。この場合も行軍後は休ませねばならず、いきなり戦闘を開始することはまずありえない。敵前で戦列を組みつつ、水を補給させるなどするのが通常である。この場合、一日の行軍距離は最大30~40kmほどになる。
また、移動する距離が仮に500㎞もある長旅になる場合はどんなに急いだとしても常歩(なみあし)をとる。この場合の速度は時速5~6km。休憩と水の補給を挟んで一日に約50~60km移動とする。つまり、500㎞移動するにはどんなに急いでも8日ほどは掛かる計算になる。ヤヨイたちのように小規模な部隊なら、しかも載せる荷が軽いものであればもう少しスピードアップできるが、騎兵部隊のようにフル装備の兵士を載せるならなおさらである。
故に、帝国軍では長距離の場合は小説などのように一日中全速力で休みなく騎走させるなどはまずありえず、最大限急いで時速6㎞ほどの速度で行軍するようマニュアルに定められているほどだ。
しかし、北の野蛮人であるヘルマン、『ステンカ・ラージン』の騎兵部隊は、馬という動物の扱いにまだ歴史が浅く、ゆえに帝国軍ほどには慣れていなかった。
ヘルマンたちは帝国軍ならば絶対にしないギャロップ、襲歩、駆歩(かけあし)に近い速度でしかもロクに馬を休ませもせずに夜を日に次いで急いだ。
過酷なほどの急行軍に耐えた馬もいたが、総兵力4千はあった騎兵隊の三分の一という膨大な数の馬が脱落した。
「無視できぬ損害だが、やむを得ん。ここはできる限り急いで帝国軍の存在を無きものにするのが何よりも必要なのだ! 急ぐのだ、皆の者! 」
その結果、ヘルマンの騎兵部隊は2千余りとなり、残る1千数百の兵は歩兵となってしまった。
それでも、ヘルマンは急いだ。
そして、その非情なまでの急行軍の結果。
ヘルマンたち北の民族の腹を空かし疲れ切った「混成騎馬歩兵軍団」は、まったく様変わりしてしまった本拠地ヴォルゴグラを目にした。
「これは・・・」
「なんだ、こりゃ! 全部水浸しじゃねえか! 」
ユージン、イーゴリといった側近たちはヘルマンの傍に馬を止め、絶句した。
もちろん、さしものヘルマンも、ヴォルゴグラのあまりな変わりように言葉を失った。仮に村が占領されたとしても大兵力となった騎馬部隊の蹄にかけて踏みつぶせばよいと思っていたのだ。
「なまじ近隣の部族との交流があっただけに、砦や空堀などの防備を怠ってきたのが敗因でしたな」
彼の傍に馬から下りた怜悧なセバスチャンが冷たく分析を下した。
「お頭。この上はヴォルゴグラはいったん捨て置き、しばし兵と馬を休ませたのち最終目標であるシビルに向かいましょう。このように水浸しにするということは、帝国もこの村の占領は長くは続けるつもりはないのでしょう。であるなら、なまじ固執して兵に損害を出すよりはその方が得策というもの!
お頭! ここは耐えましょう! 」
優秀な参謀の言葉に副将格のユージンやイーゴリも口を添えかけた。
そうだ。セバスチャンの言うとおりだ、と。
しかし、コサックの首領は違った。
「常ならば、セバスチャン。お前の言う言葉が最も正しいだろう。
だが、今は違う! 」
過酷な急行軍に兵たちと同じ粗食に甘んじてヘルマンの頬はこけ、髭も髪も汚れ切っていた。その眼だけが血走った様は、悪鬼という形容が相応しかったかもしれない。
「我らについてきた者どもに、帝国軍など恐れるに足らん、を見せてやらねば!
力なのだ、セバスチャン! 力だけが、我らの拠り所なのだ!
我らは、ここで怯むわけには行かぬのだ! 」
部隊には明日の総攻撃を命じ、絵図面を描かせておけと言いおいてヘルマンは副将たちを伴って幕舎に去った。
だがセバスチャンは違った。夕日に染まるヴォルゴグラを見つめながら、長い間思案に没頭した。
これは、難儀ないくさになる。
白い肌のセバスチャンは、その灰色の脳細胞の中にいくつもの秘策を巡らしては吟味を続けた。
北の騎馬部隊「コサック」の到着は「島」の監視哨からも見えた。
ヴォルゴグラの村の焼け跡の中から使えそうな木材を引っ張って来て急ごしらえの櫓(やぐら)を組んだ。5メートルほどしかないが、無いよりはマシである。
監視していたアランが叫んだ。
「ヤヨイ! おいでなすったぜ! 」
屋敷から出てきたヤヨイはアタマに紺色のバンダナを巻いて軽々と櫓を登った。
アランから双眼鏡を受け取ると、はるか北を眺めた。
「ホントだ。来たわね! 」
続いてシェンカーも登って来た。
双眼鏡を覗く「隊長」に、「軍神マルスの娘」は言った。
「では、大尉。予定通りに」
「わかった。神々の御加護を」
そうして、「マルスの娘」は軽々と櫓を降り、彼女の「ヴァルキリー」たちを連れて、対岸に渡っていった。
馬が1日に走れる距離は?どのくらい?時速何キロで走る?
乗馬用品、馬具の専門店ジョセス 本店
https://www.jothes.net/contents/column/3261/
輓馬牽引の重砲の例として以下を参考にしました。
ウィキペディア
九一式十糎榴弾砲(きゅういちしきじっせんちりゅうだんほう)は、1930年代初頭に大日本帝国陸軍が採用した榴弾砲。
制式名 九一式十糎榴弾砲/機動九一式十糎榴弾砲
重量 九一式十糎榴弾砲 1,500kg 機動九一式十糎榴弾砲 1,750kg 砲身重量 343kg(閉鎖器共)
砲口径 105mm 砲身長 2090mm 砲口初速 454m/s
最大射程 10,800m 仰俯角 -5°~+45°
水平射角 左右20°後座長 1100~1170mm
製造国 フランス 大日本帝国
総生産数 九一式十糎榴弾砲 1,100門 機動九一式十糎榴弾砲 100門
軍では歩兵隊よりも先に騎馬隊が整備されたし、今ではもう馬を飼っていない家の方が多くなったが、300年ほど前まではどの家にも厩があり家族全員分の馬が繋がれていたほどだ。
馬にもいろいろある。
主に騎兵部隊が重用するような全身筋肉のカタマリで耐久性もあり脚の速い馬。小柄でこどもでも御せるほど気性の優しい馬。そして体格が大きくて重量のある馬、などである。
昨年チナ戦役で初めて戦場に登場した戦車が現れる前は、陸軍で最も重い兵器は帝国陸軍最大の火力を誇る10センチ榴弾砲だった。
携架式、つまり馬で曳く可動式の砲の場合、その総重量は2トン弱になるが、それを前・中・後ろ2頭ずつ6頭の馬で曳く。その中でも一番重要な最も砲に近い後馬(こうば)には体重1トンほどの重輓馬を繋ぐ。馭者はこの重輓馬を馭すことで方向を変える。言わば車のハンドルの役目をする重要な馬になる。これが軽い馬だと砲が重いだけに轍などに捕まったりして逆に馬が振られ車が左右にブレやすくなる。
一方、騎兵部隊に向く馬は重量よりもスピードと粘り強さ、そして少々の音などには物怖じしない、タフな馬が選ばれる。そうでなくては混戦状態になった戦場で竦んでしまい、役に立たない。もちろん、イザ戦闘状態ともなれば相応の俊敏さも求められる。
しかも、騎兵は馬そのものに乗って行軍するから、長い行軍でも耐えられる忍耐強い馬である必要がある。2日や3日の行軍でへたばってしまうようなヤワな馬ではとうてい軍用には向かない。
しかし、かといって、全速力で丸一日、休息も取らせずに走らせるようなことをすれば、全ての馬はヘタってしまい騎兵部隊そのものが成立しなくなる。馬も生き物なのだ。
ゆえに、帝国陸軍ではその行軍スケジュールによって馬の速度が決められている。
まず、移動する距離が極めて近い場合、例えば双眼鏡でなんとか視認できる敵に襲撃をかける場合などは駆歩(かけあし)。時速20~30kmの速度で訓練された馬ならば1時間弱ほどは騎行可能である。この場合も行軍後は休ませねばならず、いきなり戦闘を開始することはまずありえない。敵前で戦列を組みつつ、水を補給させるなどするのが通常である。この場合、一日の行軍距離は最大30~40kmほどになる。
また、移動する距離が仮に500㎞もある長旅になる場合はどんなに急いだとしても常歩(なみあし)をとる。この場合の速度は時速5~6km。休憩と水の補給を挟んで一日に約50~60km移動とする。つまり、500㎞移動するにはどんなに急いでも8日ほどは掛かる計算になる。ヤヨイたちのように小規模な部隊なら、しかも載せる荷が軽いものであればもう少しスピードアップできるが、騎兵部隊のようにフル装備の兵士を載せるならなおさらである。
故に、帝国軍では長距離の場合は小説などのように一日中全速力で休みなく騎走させるなどはまずありえず、最大限急いで時速6㎞ほどの速度で行軍するようマニュアルに定められているほどだ。
しかし、北の野蛮人であるヘルマン、『ステンカ・ラージン』の騎兵部隊は、馬という動物の扱いにまだ歴史が浅く、ゆえに帝国軍ほどには慣れていなかった。
ヘルマンたちは帝国軍ならば絶対にしないギャロップ、襲歩、駆歩(かけあし)に近い速度でしかもロクに馬を休ませもせずに夜を日に次いで急いだ。
過酷なほどの急行軍に耐えた馬もいたが、総兵力4千はあった騎兵隊の三分の一という膨大な数の馬が脱落した。
「無視できぬ損害だが、やむを得ん。ここはできる限り急いで帝国軍の存在を無きものにするのが何よりも必要なのだ! 急ぐのだ、皆の者! 」
その結果、ヘルマンの騎兵部隊は2千余りとなり、残る1千数百の兵は歩兵となってしまった。
それでも、ヘルマンは急いだ。
そして、その非情なまでの急行軍の結果。
ヘルマンたち北の民族の腹を空かし疲れ切った「混成騎馬歩兵軍団」は、まったく様変わりしてしまった本拠地ヴォルゴグラを目にした。
「これは・・・」
「なんだ、こりゃ! 全部水浸しじゃねえか! 」
ユージン、イーゴリといった側近たちはヘルマンの傍に馬を止め、絶句した。
もちろん、さしものヘルマンも、ヴォルゴグラのあまりな変わりように言葉を失った。仮に村が占領されたとしても大兵力となった騎馬部隊の蹄にかけて踏みつぶせばよいと思っていたのだ。
「なまじ近隣の部族との交流があっただけに、砦や空堀などの防備を怠ってきたのが敗因でしたな」
彼の傍に馬から下りた怜悧なセバスチャンが冷たく分析を下した。
「お頭。この上はヴォルゴグラはいったん捨て置き、しばし兵と馬を休ませたのち最終目標であるシビルに向かいましょう。このように水浸しにするということは、帝国もこの村の占領は長くは続けるつもりはないのでしょう。であるなら、なまじ固執して兵に損害を出すよりはその方が得策というもの!
お頭! ここは耐えましょう! 」
優秀な参謀の言葉に副将格のユージンやイーゴリも口を添えかけた。
そうだ。セバスチャンの言うとおりだ、と。
しかし、コサックの首領は違った。
「常ならば、セバスチャン。お前の言う言葉が最も正しいだろう。
だが、今は違う! 」
過酷な急行軍に兵たちと同じ粗食に甘んじてヘルマンの頬はこけ、髭も髪も汚れ切っていた。その眼だけが血走った様は、悪鬼という形容が相応しかったかもしれない。
「我らについてきた者どもに、帝国軍など恐れるに足らん、を見せてやらねば!
力なのだ、セバスチャン! 力だけが、我らの拠り所なのだ!
我らは、ここで怯むわけには行かぬのだ! 」
部隊には明日の総攻撃を命じ、絵図面を描かせておけと言いおいてヘルマンは副将たちを伴って幕舎に去った。
だがセバスチャンは違った。夕日に染まるヴォルゴグラを見つめながら、長い間思案に没頭した。
これは、難儀ないくさになる。
白い肌のセバスチャンは、その灰色の脳細胞の中にいくつもの秘策を巡らしては吟味を続けた。
北の騎馬部隊「コサック」の到着は「島」の監視哨からも見えた。
ヴォルゴグラの村の焼け跡の中から使えそうな木材を引っ張って来て急ごしらえの櫓(やぐら)を組んだ。5メートルほどしかないが、無いよりはマシである。
監視していたアランが叫んだ。
「ヤヨイ! おいでなすったぜ! 」
屋敷から出てきたヤヨイはアタマに紺色のバンダナを巻いて軽々と櫓を登った。
アランから双眼鏡を受け取ると、はるか北を眺めた。
「ホントだ。来たわね! 」
続いてシェンカーも登って来た。
双眼鏡を覗く「隊長」に、「軍神マルスの娘」は言った。
「では、大尉。予定通りに」
「わかった。神々の御加護を」
そうして、「マルスの娘」は軽々と櫓を降り、彼女の「ヴァルキリー」たちを連れて、対岸に渡っていった。
馬が1日に走れる距離は?どのくらい?時速何キロで走る?
乗馬用品、馬具の専門店ジョセス 本店
https://www.jothes.net/contents/column/3261/
輓馬牽引の重砲の例として以下を参考にしました。
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九一式十糎榴弾砲(きゅういちしきじっせんちりゅうだんほう)は、1930年代初頭に大日本帝国陸軍が採用した榴弾砲。
制式名 九一式十糎榴弾砲/機動九一式十糎榴弾砲
重量 九一式十糎榴弾砲 1,500kg 機動九一式十糎榴弾砲 1,750kg 砲身重量 343kg(閉鎖器共)
砲口径 105mm 砲身長 2090mm 砲口初速 454m/s
最大射程 10,800m 仰俯角 -5°~+45°
水平射角 左右20°後座長 1100~1170mm
製造国 フランス 大日本帝国
総生産数 九一式十糎榴弾砲 1,100門 機動九一式十糎榴弾砲 100門
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