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「スターリングラード」攻防戦

21 ヴォルゴグラへ

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 もう、第三通報地点に拘る理由はなかった。
 リヨン中尉やコードネーム「ヴィーナス」ことアヌーク・エマール中尉の情報収集の結果、クンカーを襲撃しヴォルガ河口まで西行した騎馬隊は北岸に渡って逆に東進をはじめ、北の異民族の村々を次々に支配下に収めながら兵力を増強し、最終的にはシビルと帝国の前進基地攻撃を企図していることがわかった。
 その途中にあるヴォルゴグラは言わば要衝であり、第一次探索隊のうち騎馬隊に連れ去られた4名の兵と調査員が囚われている可能性も高まっていた。
 なるべく早くヴォルゴグラへ向かい、もし捕虜となった4名が生存しているようなら救出して川を渡河して南に脱出する!
ヤヨイたちの方針が、決まった。



 一行は騎馬部隊が南への渡河拠点に使ったと思われるヴォルゴグラという海辺の村を目指した。敵の斥候に発見されるのを避けるため森林地帯は通らないものの、蹄の音が聞こえるのを警戒し、先を急ぎつつも極力速度を落として進んでいた。
 いつものように、ヤヨイは先頭でシェンカーと轡を並べていた。
「ヴォルゴグラ、か・・・。そいつぁ、またずいぶんと、インネンのある土地だなァ・・・」
「インネンのある土地、といいますと? 」
「ヤヨイ、キミは旧文明の第二次世界大戦というものを知っているか? 」
 最初ちょっとトゲトゲしささえ見せていたシェンカー大尉は、だいぶ打ち解けてフランクになっていた。ヤヨイへのヘンな対抗意識などもうすっかり消えて、対等以上のエージェントとしてキチンと認めてくれていた。性格は意固地ではない。
「申し訳ないんですが・・・、歴史はちょっと・・・」
「ヴォルゴグラというところはな、千年前の旧文明では『ヴォルガ河の街』ヴォルゴグラード、それ以前は『スターリングラード』と呼ばれていた時期があってなァ・・・」



 ― 統合参謀本部史料編纂室監修「実録第二次世界大戦」より抜粋 ―

 スターリングラード攻防戦

「スターリングラード攻防戦(スターリングラードこうぼうせん、英語: Battle of Stalingrad, 1942年6月28日 - 1943年2月2日)は、旧文明20世紀における2つの大戦中、第二次世界大戦の独ソ戦において、ソビエト連邦領内のヴォルガ川西岸に広がる工業都市スターリングラードを巡り繰り広げられた、当時のナチスドイツ、ルーマニア、イタリア、ハンガリー、およびクロアチアからなる枢軸軍とソビエト赤軍の戦いである。両軍合わせスターリングラード市の民間人も含め約200万人以上が犠牲となった大激戦であった。・・・」



 幸か不幸か。
 士官学校の日々があまりに短すぎたため、ヤヨイはそうしたいかにも眠気を催しそうな授業を受けずに済んでいた。
それにしてもこのシェンカー大尉という人はよくあんなタイクツな授業や本を読んで眠くならないものだなあ・・・。あんなタイクツを耐えねばならないなら、少尉の肩書なんか、要らんわ・・・。
 シェンカーが期待した方角とは全く違う方向で、ヤヨイはこのカタブツの大尉を尊敬し始めていた。
「そうだったんですね。そんなに大勢の人が・・・。まるで亡くなった人たちの怨霊が籠っていそうなところですね」
「ほお! キミは怨霊などというものを信じているのか。やはり、ヤーパンの血、かな?」
 リラックスして雑談に興じているように見えて隠れたトラップや敵影への注意も怠らない。「古代戦史オタク」のカタブツではあるけれども、爆発物やゲリラ戦の知識もある。ミッションを共にするのに使える人ではあるな・・・。
「あの、ヤヨイ少尉? 」
 すぐ後ろで馬に揺られているシビルの娘から呼びかけられた。なにやら首をかしげている。
「なあに、ハンナ。どうしたの?」
「もしかして、笑われちゃうかもですけど、小舟ならそんな遠い村まで行かなくても、どこからでも乗れちゃうんじゃないですかね? 河原なら、すぐそこにもありますし・・・」
 ゆるやかに流れる川辺を指さして、不可解そうな面持ちを見せていた。
「そうね。例えば、あなたのおうちのウッドデッキくらいの小舟なら、あなたが乗っても大して変わらないわ。でも、あなたの乗ってるその馬ならどうかしら」
「それは・・・。きっと、ひっくり返っちゃいますね」
「でしょう? そうすると、もっと大きな舟にしなきゃよね」

 下船するときならば河原などに乗り上げて降りればいいだけだが、乗船するとなれば、話は別である。
 しかも10数頭の馬を乗船させるとなれば、舟が横付けできる、しかも適当な水深のある港でなくてはならない。一頭が数百キロから時には1トン近い馬が10数頭も乗船すれば当然に舟は沈み喫水はあがる。そのような大きな舟は適当な水深が取れなければ確実に水底に船底を着いてしまい、動けなくなるのだ。
 3千騎もの多数の馬と人が100艘から150艘の小舟に分乗したとすれば、一艘あたり少なくとも10数頭から20頭の馬が乗船可能な、排水量で言えば少なくとも2、30トン程度はある舟でなければならない。単純な算数の問題だった。しかもそのような重い舟を人力だけで漕ぐのはムリだから帆も張らねば。そうした舟に馬や人を乗船させるにはある程度の水深がある、帆の修繕など適正な設備を備えた港でなくてはならないのだった。

「なるほど! よくわかりました! 」
 度胸もある。銃のウデもたつと聞いた。ヤヨイですら吐いてしまうほどの惨たらしいものを見てもシビルの村で生まれ育っただけにへっちゃらだ。足りないのは経験によるリアリティーだけだ。鍛えれば、この子は必ず大きく成長するはず!
 ヤヨイは妹のように可愛いけれどたくましい女性兵候補の娘に大きな将来性を見出し暖かな愛情を感じた。

 そして。
 第一次探索隊の、現在のところの唯一の生存者であるバカロレアの物理学科講師だ。
 だいぶ落ち着いてはきたが、まだヤヨイたちに心を開いたわけではなかった。
 後ろに背中合わせに居眠りするアランを縛り付け、前には例のガイガーカウンターを入れた背嚢を抱えるようにして馬を御していた。リーズルやビアンカ、ディートリヒ・カミルの偵察兵たちはイザ襲撃を受けた場合には銃を構えて戦わねばならないから「おんぶ」はできない。今のところ、バルツァーが一番ヒマそうだし「働かざる者食うべからず」、なのだ。
「バルツァーさん、大丈夫ですか? タイヘンじゃないですか? そのキカイ、わたしが持ちましょうか」
「いいえ、別に。大丈夫です」
 まったく・・・。
 専門分野以外には一切興味を示さない。やっぱり、「オタク」だ。まだ「戦史オタク」のほうがマシか・・・。
 ヤヨイは「ウランオタク」のほうに馬を寄せた。
「バルツァーさん、アベルと呼んでもいい? 」
「別に、いいですケド・・・」
「・・・」
 ヤヨイの一番キライな喋り方ではある。
「あのね、アベル。実は、わたしも電波工学科にいたんですよ。去年の春まで」
「ああ、そうですか」
 素っ気ないリアクション。
 は~・・・。前途多難。
「基礎課程で一通りやったけど、核物理はシロートなの。よければ教えて。あなたの研究って、核分裂なのよね。さっき、バクダンの話をしていたでしょ? 」
「ええ、まあ・・・」
「今の帝国に、そんなバクダンを作る技術があるの? あ、もし機密に関わるなら答えなくていいけど」
「ないですよ、今はね」
 バルツァー、アベルは、サイズの合わないヘルメットの庇をズリあげた。栗色の髪が濡れて額に張り付いていた。もう冷えるほどなのに大汗をかいている。まだ緊張しているのだろう。あの凄惨な地獄から奇跡的に生還したのだからムリもないと思った。
「爆発させるどころか、濃縮さえムリですからね」
「濃縮? 」
「採掘したウラン鉱石からウランを取り出して、それをさらに『濃く』して、爆発に必要な『臨界』を起こすまで集めるんですよ」
「ん、なんとなく、わかります。で、その鉱山は見つかった? 」
「いいえ。どうも見当違いだったようです。なにぶん、資料がなさ過ぎて。この辺りだろうという見当だけで探索隊に加わっっちゃったものですからね。鉱山も見つからず、おまけに殺されかけるなんて・・・。来るんじゃありませんでした」
「・・・」
 やれやれ。やはり、彼のことはまだそっとしておこう。

 そんなふうにして、ヴォルガの北岸伝いに西へ向かった一行は、次の日にはカスピに注ぐ河口に出、大きな海のような湖の北岸沿いにやや南西に向きを変え、その翌日、丸2日をかけてようやくカスピの海に面した漁村を遠望できる地点まで到達した。
 
「おお、あれがヴォルゴグラか・・・」
 念のため湖面までせり出している雑木林の陰に小休止し、物陰から様子を伺った。双眼鏡を降ろしたシェンカー大尉は、呟いた。
「さて、どうする? 」
「そうですね・・・」
 これにどうやってアプローチするか・・・。
 ヤヨイのアタマの中で、このかつて「スターリングラード」と呼ばれた「怨念」の籠る村に対する、いくつかの攻略作戦のアイディアが浮かんだ。









 アサシン・ヤヨイシリーズ ひとくちメモ

 39 スターリングラード攻防戦




 ウィキペディアの記述を基に筆者一部加筆修正




「当時人口60万ほどだったスターリングラード市は、ロシア南部でヴォルガ川がドン川に向かって最も西側に屈曲した地点にあり、ここを抑えることはコーカサスや黒海・カスピ海からロシア中心部に至る、水陸双方にわたる複数の輸送路を遮断することにつながった。」

「さらに経済および国防の観点によるならば、当時のソヴィエト・ロシア国内屈指の製鉄工場である赤い10月製鉄工場、大砲を製造していたバリカドイ(バリケード)兵器工場、さらにスターリングラード・トラクター工場 (別名ジェルジンスキー工場)など、ソ連にとって国家的に重要な大工場が存在する有数の工業都市へと発展しており、特にスターリングラード・トラクター工場は、当時の主力戦車T-34の主要生産拠点であった。」

「バルバロッサ作戦に着手したドイツ軍は、1941年12月に首都モスクワの攻略を企図するタイフーン作戦を試みたが、補給の限界や冬季ロシアという気象条件に遭遇して失敗した。一方、モスクワ前面でのドイツ軍の敗退を過大評価した赤軍の指導者スターリンも、追い討ちをかけるべく反転攻勢を命じ、北は当時のレニングラード (後に現在のサンクト・ペテルスブルグと改名)からクリミアまでの全戦線でかなり無理をして攻勢をかけたが結果ははかばかしくはなかった」
「そこでナチス枢軸側はモスクワ攻略失敗の「腹いせ」を企図し、敵の指導者の名前を冠し、かつ重要な軍需工場が集約し、さらに軍事上の要衝であるスターリングラード攻略を計画、作戦を開始した。」

「攻防戦開始時の枢軸側戦力は、B軍集団、兵員 27万、戦車500両大砲3千門、航空機600~1600機。歩兵33個師団、騎兵4個師団、砲兵2個師団 (ルーマニア王国軍混成砲兵連隊は1個師とカウント)、機甲・装甲3個師団、航空団1個。
対する赤軍側は兵員わずかに17万を数えるのみであった。」

「戦況は当初枢軸側に優位に推移したが、ナチスドイツ指導者であるアドルフ・ヒトラーの度重なる作戦への容喙によって戦略が都度変更され、それによって最前線の攻撃計画も度々変更され、混乱した。」

「南部方面を担当するB軍集団の第六軍を指揮するフリードリヒ・パウルス大将がスターリングラード攻略を担うことになったが、次第に赤軍が戦力を増派し、最盛期には170万という膨大な戦力を注ぎ込んだ。」

「枢軸側も一時100万以上に兵力を拡大したが、当初こそ有利に戦闘を進めたものの、冬将軍を迎えて戦車やトラックの動きが鈍くなり、輸送も滞りがちになって徐々に戦線を縮小、劣勢は覆い難く、第六軍は撤退に撤退を重ね、年が変わって1943年が明けると、ついにヴォルガ河西方の狭い区域に押し込められ、包囲された。」



「パウルス大将は再三にわたって撤退の許しを乞うたが、ヒトラーはこれを許可せず、逆に同大将を上級大将に、さらに元帥に昇進させた。かつてドイツ軍の元帥で降伏した者は一人もおらず、その意味するところは、『捕虜になるよりも自決せよ』ということであった。しかしながら、クリスチャンのパウルスは自決を拒み、兵力も最後には9万まで減り、1月31日、最終的に全将兵とともにソ連軍に降伏した。」

「包囲されたドイツ第6軍と枢軸国軍の将兵、捕虜となったパウルス元帥と24人の将軍を含む、生き残りの9万6千人の運命は過酷で、仮収容所まで雪道を徒歩で移動する際に落伍した将兵は、そのまま見捨てられ凍死するかソ連兵に殺害された。ソ連軍は自軍に支給される食料の半分を捕虜に回したものの全員には行き届かず、さらに仮収容所で発疹チフスが大流行し、数週間のうちに約5万人が死亡した。」

「生存者はその後、中央アジアやシベリアの収容所に送られるが、ここでも過酷な労働で多くの者が命を落とし、戦後に生きて祖国へ帰国できたのは僅か6千人であった。」

「ナチスドイツ軍および枢軸軍の死傷者は約85万人、ソ連赤軍は約120万人とされている。戦前には60万を数えたスターリングラードの住民は、攻防戦が終結した時点でわずか9796名に激減していた。少なくとも20万人程度の民間人が死亡したと見られている。」


 なお今日現在(2024年7月)オリンピック開催中のフランス、パリのメトロ、地下鉄にはこの攻防戦での赤軍の勝利を記念して命名された「スターリングラード駅」があります。
「スターリングラード駅 (スターリングラードえき、仏:Stalingrad) は、フランス・パリの10区と19区の境にあるメトロ (地下鉄) の駅。2号線、5号線及び7号線を利用することができる。」





 言うまでもなく、本文中『帝国軍統合参謀本部史料編纂室監修「実録第二次世界大戦」より抜粋。』とあるのは、ウィキペディアの記述を基にしております。
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