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捜索

15 秘密を漏らしたのは誰だ?

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 ヤヨイたちが捕虜を解放してさらに西に向かったころ。
 ハンナの里シビル族の村では、朝食を終えた族長ヤーノフが身支度をしていた。朝から奥方のグチの相手をさせられながら、である。
「もうハンナは起きた頃でしょうか」
「・・・だろうな」
「ちゃんと、朝ご飯はいただいたのでしょうか」
「まあ、・・・そうだろうな」
 もうヤーノフは毛皮を纏ってはいなかった。帝国から無償で支給された冬季軍装にマリーカが差し出した軍帯を着け、ライフルの予備弾をチェックしては軍帯のホルダーに差していった。その父と母の横で、すでに身支度を終えたマリーカの実子である長男のボリスが黙って聞いていた。ミハイルより一つ上の13歳を迎えた息子もまた、毛皮ではなく帝国陸軍の軍装姿。ご丁寧にすでにヘルメットまで被って大人しく椅子に座っていた。
 そのボリスの弟、今帝国に留学している次男ミハイルの実母エレナはすでに畑に出ていた。今年は早く雪になりそうだった。その前に麦撒きを終えてしまいたい、と言って。
 エレナも娘ハンナの初めての作戦参加に心配でないわけではなかった。
 だが、エレナはマリーカと違って幾分男っぽい気質を持っていた。ハンナの心配はもちろんだが、その一方で娘が自分からやりたいと言い出したことを尊重したいという考えも持っていた。そして割り切ることのできる女でもあった。ハンナは実母のマリーカよりもそんなサバサバした気質のエレナにより薫陶を受けて育っていた。
 ただ、お腹を痛めてハンナを産んだマリーカの気持ちもわかる。だから、敢えて繰り言を言わずに場を外したのだった。
「あの子は、ちゃんとお役に立てているのでしょうか」
「帝国の言葉を話すだけでも重宝はされるだろうな」
「他の部族に襲われて、怪我でもしていないといいのですけれど・・・」
「ミハイルの友達の母親、ヴァインライヒ少尉は帝国一の優秀な軍人だという。その人が付いているのだから、まず大事はあるまい」
「でも・・・」
 いい加減ウザくなったヤーノフは愛する第一夫人の肩をそっと抱き、頬にキスをくれた。
 妻を複数持つ風習は帝国には無いものだったが、それはそれでいろいろとある。特に片方だけを寵愛したり、無用に比べたりすると関係性にヒビが入ったりもするものだ。ヤーノフは、そこはちゃんと抑えていた。マリーカのそうした女性らしい細やかな気遣いと子に対する分け隔てのない愛情を注ぐところを彼は愛していた。
「気持ちはわかるが、もうすでに送り出したのだ。あとはハンナについている神を信じて待つことだ。わかったな? 」
「はい・・・」
 ヤーノフはそのゴツすぎる指で愛妻の栗色の髪を優しく梳いた。
「では、行ってくる。ボリス、行くぞ!」
 マリーカはすっくと立ったボリスを抱いてキスした。
「気をつけるのですよ、ボリス」
「じゃ、行ってきます、母さん!」





 もう一人、村の男イワンを伴ってヤーノフは村を出た。
 途中3騎は帝国の前進基地に寄った。基地司令であるシェンカー少佐と共に行く約束だったからである。
 だが、何かの手違いか、少佐は留守だった。
 敵対的な騎馬隊が西の方を荒らしているというウワサは聞いていたが、万が一の来襲に備えて各砦の防御態勢をチェックしに行っている、とか。
 あり得る話ではあった。
「仕方がない。後から首尾を報告すればいいだろう」
 クラスノの里までは帝国の距離の単位で4、50㎞ほどもあろうか。
 低い山々の間にある湖を二つほど過ぎ、途中の沼地を迂回して行くからさらにもう少し距離があった。南の帝国との国境に流れる母なるヴォルガの水源に近い、開けた野の中に里はある。陽が天の真上に来るまでもないほどで着いた。
 昨年単身でやって来たのに比べれば、はるかに気安かった。父の代から攻めたり攻められたりをしたことがない、比較的友邦と言える里だった。父の言葉通りにこの里を訪ねたのを今は懐かしく思い出す。
 先代族長であった父の遺言で、
「ペーチャ、もしお前が帝国と手を結ぶ決断をするなら、その前に是非クラスノの長老テレシコフを訪ね、知恵を貰うことだ」
 シビルが帝国と同盟を結ぶことができたのは、ひとえにクラスノの長老テレシコフから授かった知恵によるお陰が大きかったが、その後ヤーノフは単身帝国に赴いて皇帝の息子に会い、帝国初の同盟国となることができた。長老はシビルの同盟締結を待たずにあの世に旅立っていたが、感謝してもしきれないほどの恩義を、ヤーノフは感じていたのだ。
 
 クラスノの里の周りは広大な麦畑ですでに種まきも終わっているらしい。羊や馬に与える草を積んだ荷馬車や、これから山へ草を食ませに行くのだろう、羊の群れを連れた村人たちが見えた。
 すると、遠くに見える石垣で囲んだ村から2、3の騎馬がやって来るのを目にした。
「ペーチャ(ピョートルの愛称)! 」
 騎馬の先頭の男が彼の愛称を呼び、大きく手を振ったのが見えた。
「ヴラディーミル・ヴラディーミロヴィチ! 」
 ヤーノフもまた、大きく手を振って応えた。クラスノ族の族長は彼の父親の名をそのまま継いでいたのだった。北の国の民はミドルネームに父称を名乗る。

 ボリスとイワンは館の外でクラスノの衆の饗応を受けることになった。
 ヤーノフはひとりヴラディーミルの館の中に招じ入れられた。
 そこで改めて二人抱き合い頬にキスを交わした。
「ペーチャ! この度はとても世話になった! 」
「そう言っていただけると嬉しい、ヴラディーミル・ヴラディーミロヴィチ」
「なあ、もうヴォロージャ(Володя ヴラディーミルの愛称)と呼んでくれないか。お前とオレの仲だ! 」
 クラスノの族長はヤーノフよりも10ほど年かさになる。だから尊敬の意味で正式な呼び方をしていたのだった。
「ところで、シェンカー少佐はどうした? 」
「実は前進基地に寄ったのだが、あいにく少佐は留守でな。なんでも、北の騎馬隊の来襲に備えて砦の強化に忙しいらしい」
「そのようだな。オレも帝都から帰って村の衆から聞いたばかりだ」
「つい先日も西のドンのクンカーの街が襲われたと」
「川を渡ってか?! 騎馬隊がか?! それはまた、大胆なことだ・・・」
 
 今回の帝国行きに、ヤーノフは友邦であるクラスノの族長ヴラディーミルを伴った。
 去年ヤーノフが帝都に赴いた時はまるひと月も存分に帝都中を見て回った。それに比べればごく短時間だったが、友邦の年上の族長にかつて彼が見て感動した全て、すなわち、帝国の力の源である元老院議事堂や近衛師団の演習や様々な工場、歓楽街スブッラのダイナミックな喧噪や小学校やリセの授業などを見学させた。
 そして、今留学中のシビルの子どもたちにも会わせた。もちろん、リセに進学したばかりのヤーノフの次男ミハイルにも。
 久しぶりの我が息子との面会に浸りたいのはさておき、ヤーノフは友邦クラスノの族長のフォローに専念した。
「いや、言葉がない・・・。
 我らはこれまで、このような巨大な国に戦いを挑んでいたのだな。あまりにも無益で愚かだった。
 飛行機や兵器工場にも驚いたがお前の息子やシビルの子どもたちにもだ! あれはいい方法だ。帝国は同盟の担保を得、我らは将来の発展につながる知恵を得ることができる。
 もっと早くこの事実を知り得たならな・・・」
 クラスノの族長が昨年ヤーノフが感じた以上に衝撃を受けていたのは一目瞭然だった。
「もう、部族同士で争っている場合ではないな。我らもまた帝国と契りを結び、進んでこの『文明』を学ばねば! 」
 今回のヤーノフのクラスノ訪問は、これからの具体策を話し合うためだったのである。
 帝国視察の帰途、ヴラディーミルは本心を漏らしていたのだった。
「この際だ。いっそのこと、シビルとクラスノを一体にせぬか」と。
 それは帝国の担当者も賛同してくれていた。
 シビルもクラスノもそれぞれ5千に満たない人口で、その領地は比較的広範囲に及ぶ。
 ここでそれぞれ各個に帝国と同盟を結ぶよりも、むしろシビルとクラスノが手を握りひとつの同朋として存在してくれた方が支援する帝国にとっても有利だと。
 
 その流れを汲んで訪問したヤーノフは、是非ともクラスノの衆議の結果を聞きたかった。
 ウェルカムドリンク代わりのウォトカを一気に煽り合い、ヤーノフはさっそく本題を切り出そうとした。
 しかし・・・。
 族長ヴラディーミルの顔が、イマイチ冴えないのにヤーノフは気付いた。
 干した盃を卓に置いて、シビルの族長は尋ねた。
「ああ、ヴォロージャ。つかぬことを聞くが、なにか懸念でもおありか? クラスノの衆に俺たちの合併に不同意な者がいるのか」
「というよりも、だな・・・」
 共に帝都を巡り、意気投合した空気とは違う、どこか余所余所しい雰囲気でヴラディーミルは少し後退したアタマを掻いた。
「これはちょっと、なんというか、いささか気を遣う話でな」
 神経質そうに、彼は切り出した。
「そういうのはempfindlich(エムフィンドリッヒ)でりけーと、と帝国では呼ぶらしい」
「そうか。でりけーと・・・。帝国にはいろいろな言葉があるのだな。まあ、それはいい」
 そして革袋からもう一杯のウォトカを注いで彼は煽った。
「実はな、ペーチャ。昨夜のことなんだが、村の衆が辺りをウロウロしている不審な、得体の知れない男を捕縛したのだ」
「・・・うん」
「他の部族の襲撃はこれまでも何度かあったが、真夜中になんて初めてでな」
「・・・うん、それで? 」
「村中が飛び起きて、その男を広場に引き据えた。当然、オレも立ち会った。そして、その男に尋ねた。お前は、何者だ? どこの部族の者だ、と」
 ヤーノフは頷いた。そして、ヴラディーミルの続く言葉を待った。
「その男は、こう言った。
 裏切者め、と。
 シビルと組んでこの北の大地を帝国に売り渡す卑怯者めが! と・・・」
 ヤーノフは、口をつぐんだ。
「ひとつ聞きたいのだが、ペーチャ」
 ヴラディーミルがまだ自分を愛称で呼んでくれることに僅かに安堵を覚えた。
「我がクラスノとお前のシビルとの合併の話は、もうお前の部族の者に話をしたか?」
「いいや、まだだ」
 ヤーノフは即座に答えた。
「クラスノの族長たる貴方の同意も得ないうちに、そのようなことを村の衆に言えようか。それに昨年からもう3度もわがシビルは他の部族の襲撃を受けた。我らが帝国と結んだこと、帝国の前進基地の存在はもう北の全ての部族中に知れ渡っている。いわば、我らは目の敵にされているのだ。わが村の者が他の部族と密かに好(よしみ)を通じるなどまず、ありえん」
 長い時間、ヴラディーミルは、ヤーノフの顔を凝視していたが、やがて、ふ、と息を吐いた。
「そうか。いや、オレも貴殿に限ってそのような軽挙をするはずがないと思っていた。合併の話はあくまでも両方の部落での同意を経てからのこと。帝都でも帰る汽車の中でもそう確認をしたし固く約束をした。お前が約束を違えるはずがない。そう思っていた」
「信頼してもらって光栄だし、ありがたい! 」
 ヤーノフは応えた。
 ヴラディーミルは言った。
「だとすれば、だ。いささか、奇妙なことになる。
 なぜ我らの合併話が外に漏れたのか。
 すでに村の衆にそれを知られた今、その秘密が漏れた一件が全て陽の光の下にならねば、村の衆に説明出来ねば、この合併の話を先に進ませるわけにはいかなくなるぞ」
 ただちにそれに応える言葉が、ヤーノフには見つからなかった。









 アサシン・ヤヨイシリーズ ひとくちメモ

 35 「クラスノ」「シビル」


 昔あったのに、普通に使っていたのに、今はまったく使われななくなったりその文字や意味が忘れられてしまった言葉ってありますよね。

 今回のヤヨイの物語の舞台は北の野蛮人の地です。そこではロシア語(のような言語)が話されているという設定なのですが、やはり千年も経って様々な言葉が失われてしまったようです。村とか土地の名前の意味とか。ヤーノフの里でも村の名前の音は残っていても、その名前の意味が忘れられてしまっているようです。


 красно(クラスノ)
 ②((話・しばしば皮肉))雄弁に,(発音などが)すらすらと
 красны́м-красно́
 ((話))((強調))真っ赤だ
 コトバンク プログレッシブ ロシア語辞典(露和編)の解説
 https://kotobank.jp/rujaword/%D0%BA%D1%80%D0%B0%D1%81%D0%BD%D0%BE

 (1) [形容詞] 赤い;革命派の、極左の;美しい
 東京外国語大学 ロシア語辞書
 https://cblle.tufs.ac.jp/dic/ru/v_search_detail.php? id=812&refDispID=3&listStr=%D0%9A&goiWord=%D0%BA%D1%80%D0%B0%D1%81%D0%BD%D1%8B%D0%B9



 以下、ウィキペディアです。
「ノヴォシビルスク(ロシア語: Новосибирск, ラテン文字転写: Novosibirsk, ロシア語発音: [nəvəsʲɪˈbʲirsk],〔ナヴァスィビールスク〕)は、ロシア連邦・シベリアの中心的都市。別名「シベリアの首都」。ノヴォシビルスク州の州都でオビ川に沿う。人口は2017年には160万人を突破するなど近年は人口増加が続き、人口規模は国内第3位で、シベリアでは最大である。北緯55度01分、東経82度56分に位置する。
 建設されたのは19世紀末であり、ロシアでも新しい町である。シベリア鉄道建設中の1893年に、ノヴォニコラエフスクという名で現在のノヴォシビルスクが建設された。1925年、ソビエト連邦成立後にかつての皇帝ニコライ2世を思わせる市名は改称され、「新しいシベリアの街」を意味するノヴォシビルスクとなった。」

「シビル」という名前は元々「シベリア」から来ていたんですね。




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