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ステンカ・ラージン Стенька Ра́зин
03 傀儡政府、ドン
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帝都の西駅からまっすぐ西に向かって伸びている単線鉄道の終点駅までは丸2日、早馬でも3、4日。歩けば10日ほどはかかる。
だが今は。
偵察機で帝都の郊外にある飛行場を飛び立ち真っすぐに西に向かえば、終点の駅上空には2時間足らずで到達する。
さらにそこから西へ広がる広大なブドウ畑を飛び超えると、すぐ目の前に早くも雪を頂いた4千メートル級の山々が連なるチンメイ山脈が立ちはだかる。ちょっと前までは無理だったが、最新鋭の双発偵察機はこれをラクに飛び越えてさらに西に向かうことが出来る。
山の麓から梨園、タカキビ(高黍、コウリャン)畑が緩やかな斜面に作られ、その終わりほどから長閑な田園が広がる。そこここにいくつかの集落も見える。そしてさらにその向こうの空を黒いもうもうたる煙が覆っていた。旧チナ、現在は「ドン」と名を改めた王国の大工業地帯がそこにある。
そしてその向こうに広がる巨大な碁盤の目のような大都市がドンの王都、ピングーであった。
帝都からこのドンの王都までは、直線距離でちょうどかつて南の海に栄えていたと言われるヤーパン列島のホッカイドーからオキナワ島ほどの隔たりである。緯度は帝都とほぼ同じ。気候は温暖で。冬でも雪が積もることはない。
王都の左京右京南京を黒い甍が整然と埋め尽くし、北には高貴な色とされる紫と金で葺かれたひときわ目を惹く壮大な王宮がある。
昨年のチナ戦役で、前の王朝からほぼ無傷で王都の新しい主となった北の一豪族だったドンは、その居城もそっくりそのまま受け継ぐことができた。豪族ドンの狡猾さは、主筋であったチナ王国の弱体化に乗じて下剋上を成し遂げたのだ。帝国の後ろ盾を得て、のことではあったが。
傀儡国家ではあったが、ドン王国は今、かつてのチナ王国配下の諸豪族たちを手懐けつつ、新しい王国経営の土台を築く最中にあった。
しかし、いつの時代も一度崩れてしまった政治や勢力バランスの復旧には困難が付きまとうものだ。
新しい王国の主となったドンも様々な揉め事のタネを山ほど抱えていた。
とりわけ、旧来からの所領である北に、早急に対処せねばならない大きな脅威を受けていた。
紫と金の甍の王宮。その最奥部の広大な書院のさらに奥には、御簾を垂らして威厳を演出できる王座がチナ王国時代のまま設えられてはいた。
だが、その王座の主は先ほどから落ち着かなげに右の黒の直衣の大臣の前から左の黒大臣へ、そしてまた右へともう何度も往復を繰り返し、飾りの多い冠はせわし気に揺れ、せっかくの漆塗りの沓(くつ)がすり減ってしまいそうになっていた。
彼の直衣は、チナの時代から最も高貴な色とされていた紫の絹地に金色の龍が刺繍されている煌びやかなものだったが、あまりにイラついていたためか、せっかくの直衣に描かれた龍の美しい刺繍柄がしわくちゃになって台無しになっていた。
本来古来よりの装束である衣冠束帯というものは、何事も鷹揚に下々に丸投げし、「よきにはからうがよい!」ができる位の高い者が着けるべき衣装で、彼のように建国成ったばかりの王国を抱えて5つも10も案件を抱え日々忙殺されているような者には不向きな衣装だった。
ならばより簡素に、威厳などかなぐり捨てて、国内の安定を見るまではひとまずは配下の将軍たちのように平易な合わせの軍服を着ていればいいものを、なまじ急ごしらえの国王などになってしまったために実利と威厳とどっちも追いかけ、なんともはや中途半端を持て余していたのである。
もともと、国王たるの器ではなかったのかもしれないが、これも覇権国である帝国にとっては痛し痒しである。なまじ鋭利果断に物事を処理していくデキる親玉よりかは、よほど御しやすい駒とも言えた。
彼が待っていたのは、北の大都市、元々豪族であった彼の本拠地であるクンカーからの使者であった。
北の野蛮人共が騎馬の大軍を送って来て乱暴狼藉略奪の限りを尽くすのは今年に入ってこれが五度目だ! もういい加減に堪忍の限界を超えていた。
その度に援軍を差し向けるのだが、騎馬隊は破壊するだけ侵しつくすとすぐに逃げてしまう。だからといって、再度の来襲に備えてある程度の軍勢を残すわけにもいかぬ。
ピングーの西の豪族たちはすべからく日和見主義なのだ。
こちらがある程度の軍勢を持っているときはいいが、首都の手勢が少なくなればすぐに策謀、周りを糾合して反乱の素振りを隠そうともしない。要は、ドンはナメられているのだった。新たな王朝を立ててからまだ日も浅く、確固とした支配を確立できていないがためだった。
それはそれで腹が立つ! だが今はまだ、いかんともしがたいのだった。
彼の王権は、帝国の傀儡であるがゆえに、帝国の「虎の威を借りる」ことで、辛うじて成立していたとも言えた。
「陛下! 急使が参りましてございます! 」
「おお! 待っておった! 構わぬ、通せ! 」
ほとんど飲まず食わずで駆け付けたのだろう、息も絶え絶えの使者を引見し、書状に目を通していたドンの顔色はさらに青くなった。
「こ、これは、まことか・・・」
「全て認めた通りにございます、と、代官様が・・・」
息を絞るように震わせた使者は、辛うじて、答えた。
ドンもまた力が抜けたように書状を手放した。
右の大臣が使者を労った。
「よい。大儀であった。下がって休むがよい」と。
左の大臣が書状に目を通し、やはり新米国王と同じく顔を青くした。
クンカーの1/3の市街が焼き討ちに遭い、代官の屋敷と多くの家屋の財産が奪われ、若い女少なくとも数百人が誘拐された、と。
書状を右の大臣に示しつつ、左は問うた。
「して、陛下。いかがなさいますか」
「いかがもなにもない! 今から軍を差し向けても、間に合わん! 」
そして、遅ればせに書状を目にした右の黒直衣も、「なんと・・・」と言ったまま絶句した。
「となると・・・。
陛下。お気は進まぬでありましょうが、ここはやはり・・・」
「さっそく処置せい! 」
「帝国に、助力を求めるのでございますな? 」
「それ以外に何がある! 西の豪族どもの懐柔と平定が済んでおらぬ今、他に手の打ちようがないわ! 」
「ごもっともでございます。では、早急に手配を・・・」
「ああ! むしゃくしゃするっ! わしは今から籠る! 緊急の用事以外は、構えて取り次ぐでない! 」
「御意にございまする」
そして、書院の端に並んで傅(かしず)いていた美妓(びき)のうち、このところお気に入りの一人の手を引いて閨に籠った。
「陛下、まだ朝にございますが・・・」
美妓は恥ずかしそうに身を捩った。
「ええい構わぬ。黙ってついてまいれ! 」
一国の君主たる当然の務め、国土と人心の安寧、民の生活の安定とそれがもたらす国力の増進には精を出さずに、国王たる外見、つまり栄耀栄華(えいようえいが)はとことん追求し愉しむ男であった。だいたい、まともな君主なら国の政(まつりごと)の場に側室など侍らせたりはしないものだ。
「陛下、そんな、お戯れを、あれ・・・」
閨の間に入るなり、艶めかしい、声が・・・。
だが。
それもつかの間。
お気に入りの美妓を悦ばすでもなく、ひとりで埒を開けるだけですぐに寝入った。
昨日からの心労がよほど溜っていたのであろう。
ありえぬことだが、もし、すでにバツイチとなったヤヨイがこの場に居たら、遠慮なくこう漏らしたに違いない。
「早(はや)! 」
と。
案の定、美しい姫は、焦れた。
「陛下、もうお休みですか。つまりませぬ。もっとお話など・・・」
「ええい、うるさい! わしは疲れたのだっ!」
「アレですか? 軍勢をお率いにはならぬのですか? 」
「そんなことができるか! 西の豪族どもが隙あらばとわしの首を狙うておるのに! 」
「では、北への応援は、いかに・・・」
「帝国にやらせればよい! もう手配をした! 帝国にとっても、わしがこの国を維持できぬでは困ろうというもの。こういうのを持ちつ持たれつ、帝国のある地方ではぎぶあんどていくと申すとか。だから安心してそちも寝よ! 」
「でも、陛下。まだ陽が高うござりまする・・・」
「ぐごー、がごー・・・」
しかし、ヘタレ国王はもうイビキをかいていた。
念のために、そのイヤらしいドジョウ髭をぴんぴんと引っ張ってみた。反応なし。
よし! 大丈夫。
豪華な寝台を降りた美妓はそそくさと身繕いをするとあてがわれた自分の部屋に引き上げた。
部屋には行李(こうり)と櫃(ひつ)がいくつかあったが、周囲を見回して人気がないのを確認するや、その櫃の一つを開けて中の衣装やら装身具やらを抱えて出せば、底に平たい木の函。
それを取り出し、文机にのせ、蓋を開いた。
さらにその中に、銀色の光沢を放つ平たい箱があった。
脇のスイッチを入れると、箱はかすかにぶーん、と鳴った。
キーを取り出し、箱につなぎ、麗しきアルカイックな美妓は信じられないほどのスピードでキーを打ち始めた。
王都ピングーの南数十キロに、ドン第二の都市、アルムがある。
王都や北のクンカー同様に碁盤の目に区画された市街地を城壁で囲んだ、古来よりのこの地方独特の街の造りである。
先のチナ戦役で、戦勝国となった帝国はこのアルムより東にある土地、ナイグン、アイホー、ゾマといった帝国までの街道沿いの土地を悉く領有したが、このアイホーだけは旧領を安堵した。ここまで帝国が併吞してしまうとドンの国内経営が傾く。そうなると、ドンの西の諸豪族を抑える力を失う。そうした深慮あっての措置だった。それほどに、ここアルムの産業は盛んであった。
南にある漁港から運ばれる魚の加工や鮮魚の商い、そして、漁港からは国内の諸豪族、あるいは帝国との交易船があまた発着した。王国の産物が一に集まることで、街はすこぶる潤っていたのだ。
ただし、ドンは帝国の傀儡。
領有こそ避けたが、帝国は城壁内の一角に最寄りの第六軍団駐屯地の派出所たる陸軍事務所を設けていた。
そこには数人の士官や下士官兵が詰めていたが、そのうちの下士官の一人にフリッツ・ローゼン伍長がいた。
一年前。
彼は近衛軍団第一落下傘連隊の一小隊に加わり、この東のナイグンに降下。小隊長たるヤヨイを援け、作戦目的であるナイグン橋の占領と確保を行い、機甲部隊が到着すると、孤立したこのアルムに降りた部隊の救出作戦に参加し、無事友軍を助け出した。
その折に、ふとした縁でこのアルムにある飲茶屋の娘に出合い、一目惚れしてしまった。
そして戦役終了後に空挺部隊からこのアルム駐在事務所への転属を願い出、それが叶えられて今、業務に当たっていたのだった。飲茶屋の娘へのプロポーズはまだだったが、何度も足繫く通ううちに飲茶やまんじゅうを食いすぎ、少し太りだしてはいた。
いつものように机に向かい、耳にレシーバーをかけ、いつあるともしれない本土からや沖を通過する商船や海軍の艦艇の通信を傍受するのが彼の任務だった。
と。
緊急用に設定された周波数の感度があることを示す卓上の無線機のランプが点いて、彼はダイヤルを回した。
「少尉! わかりませんが、緊急通報を受信しています! 書きとります! 」
「わかった。ヒンケル! 有線で通報逓伝しろ! 」
「Jawohl! (了解!)」
フリッツの横にもう一人の兵が付き、フリッツが紙に書き下す数字をそのままキーを叩いて打電していった。
この駐在事務所の今朝の当番の少尉が横に立った。机に乱数表の冊子を置いてその数字の解読を始めた。
「発 ヴィーナス 宛 クィリナリス・・・」
そこまで読むと、少尉は解読をやめた。
それは帝国でも最重要な諜報機関、皇帝直属の特務部隊の連絡にかかわるものであるのがわかったからだ。
そういう決まりになっていた。
どうも、ドンの王国内で何か動きがあるらしい。
少尉にわかるのはそれぐらいで、陸軍末端の連絡事務所としてはそれで十分だった。
フリッツが受信した無線暗号は、アルムから鉄道沿いに設置された電信線を伝わってはるか千数百キロ以上も離れた帝都の特務部隊本部に送られた。
だが今は。
偵察機で帝都の郊外にある飛行場を飛び立ち真っすぐに西に向かえば、終点の駅上空には2時間足らずで到達する。
さらにそこから西へ広がる広大なブドウ畑を飛び超えると、すぐ目の前に早くも雪を頂いた4千メートル級の山々が連なるチンメイ山脈が立ちはだかる。ちょっと前までは無理だったが、最新鋭の双発偵察機はこれをラクに飛び越えてさらに西に向かうことが出来る。
山の麓から梨園、タカキビ(高黍、コウリャン)畑が緩やかな斜面に作られ、その終わりほどから長閑な田園が広がる。そこここにいくつかの集落も見える。そしてさらにその向こうの空を黒いもうもうたる煙が覆っていた。旧チナ、現在は「ドン」と名を改めた王国の大工業地帯がそこにある。
そしてその向こうに広がる巨大な碁盤の目のような大都市がドンの王都、ピングーであった。
帝都からこのドンの王都までは、直線距離でちょうどかつて南の海に栄えていたと言われるヤーパン列島のホッカイドーからオキナワ島ほどの隔たりである。緯度は帝都とほぼ同じ。気候は温暖で。冬でも雪が積もることはない。
王都の左京右京南京を黒い甍が整然と埋め尽くし、北には高貴な色とされる紫と金で葺かれたひときわ目を惹く壮大な王宮がある。
昨年のチナ戦役で、前の王朝からほぼ無傷で王都の新しい主となった北の一豪族だったドンは、その居城もそっくりそのまま受け継ぐことができた。豪族ドンの狡猾さは、主筋であったチナ王国の弱体化に乗じて下剋上を成し遂げたのだ。帝国の後ろ盾を得て、のことではあったが。
傀儡国家ではあったが、ドン王国は今、かつてのチナ王国配下の諸豪族たちを手懐けつつ、新しい王国経営の土台を築く最中にあった。
しかし、いつの時代も一度崩れてしまった政治や勢力バランスの復旧には困難が付きまとうものだ。
新しい王国の主となったドンも様々な揉め事のタネを山ほど抱えていた。
とりわけ、旧来からの所領である北に、早急に対処せねばならない大きな脅威を受けていた。
紫と金の甍の王宮。その最奥部の広大な書院のさらに奥には、御簾を垂らして威厳を演出できる王座がチナ王国時代のまま設えられてはいた。
だが、その王座の主は先ほどから落ち着かなげに右の黒の直衣の大臣の前から左の黒大臣へ、そしてまた右へともう何度も往復を繰り返し、飾りの多い冠はせわし気に揺れ、せっかくの漆塗りの沓(くつ)がすり減ってしまいそうになっていた。
彼の直衣は、チナの時代から最も高貴な色とされていた紫の絹地に金色の龍が刺繍されている煌びやかなものだったが、あまりにイラついていたためか、せっかくの直衣に描かれた龍の美しい刺繍柄がしわくちゃになって台無しになっていた。
本来古来よりの装束である衣冠束帯というものは、何事も鷹揚に下々に丸投げし、「よきにはからうがよい!」ができる位の高い者が着けるべき衣装で、彼のように建国成ったばかりの王国を抱えて5つも10も案件を抱え日々忙殺されているような者には不向きな衣装だった。
ならばより簡素に、威厳などかなぐり捨てて、国内の安定を見るまではひとまずは配下の将軍たちのように平易な合わせの軍服を着ていればいいものを、なまじ急ごしらえの国王などになってしまったために実利と威厳とどっちも追いかけ、なんともはや中途半端を持て余していたのである。
もともと、国王たるの器ではなかったのかもしれないが、これも覇権国である帝国にとっては痛し痒しである。なまじ鋭利果断に物事を処理していくデキる親玉よりかは、よほど御しやすい駒とも言えた。
彼が待っていたのは、北の大都市、元々豪族であった彼の本拠地であるクンカーからの使者であった。
北の野蛮人共が騎馬の大軍を送って来て乱暴狼藉略奪の限りを尽くすのは今年に入ってこれが五度目だ! もういい加減に堪忍の限界を超えていた。
その度に援軍を差し向けるのだが、騎馬隊は破壊するだけ侵しつくすとすぐに逃げてしまう。だからといって、再度の来襲に備えてある程度の軍勢を残すわけにもいかぬ。
ピングーの西の豪族たちはすべからく日和見主義なのだ。
こちらがある程度の軍勢を持っているときはいいが、首都の手勢が少なくなればすぐに策謀、周りを糾合して反乱の素振りを隠そうともしない。要は、ドンはナメられているのだった。新たな王朝を立ててからまだ日も浅く、確固とした支配を確立できていないがためだった。
それはそれで腹が立つ! だが今はまだ、いかんともしがたいのだった。
彼の王権は、帝国の傀儡であるがゆえに、帝国の「虎の威を借りる」ことで、辛うじて成立していたとも言えた。
「陛下! 急使が参りましてございます! 」
「おお! 待っておった! 構わぬ、通せ! 」
ほとんど飲まず食わずで駆け付けたのだろう、息も絶え絶えの使者を引見し、書状に目を通していたドンの顔色はさらに青くなった。
「こ、これは、まことか・・・」
「全て認めた通りにございます、と、代官様が・・・」
息を絞るように震わせた使者は、辛うじて、答えた。
ドンもまた力が抜けたように書状を手放した。
右の大臣が使者を労った。
「よい。大儀であった。下がって休むがよい」と。
左の大臣が書状に目を通し、やはり新米国王と同じく顔を青くした。
クンカーの1/3の市街が焼き討ちに遭い、代官の屋敷と多くの家屋の財産が奪われ、若い女少なくとも数百人が誘拐された、と。
書状を右の大臣に示しつつ、左は問うた。
「して、陛下。いかがなさいますか」
「いかがもなにもない! 今から軍を差し向けても、間に合わん! 」
そして、遅ればせに書状を目にした右の黒直衣も、「なんと・・・」と言ったまま絶句した。
「となると・・・。
陛下。お気は進まぬでありましょうが、ここはやはり・・・」
「さっそく処置せい! 」
「帝国に、助力を求めるのでございますな? 」
「それ以外に何がある! 西の豪族どもの懐柔と平定が済んでおらぬ今、他に手の打ちようがないわ! 」
「ごもっともでございます。では、早急に手配を・・・」
「ああ! むしゃくしゃするっ! わしは今から籠る! 緊急の用事以外は、構えて取り次ぐでない! 」
「御意にございまする」
そして、書院の端に並んで傅(かしず)いていた美妓(びき)のうち、このところお気に入りの一人の手を引いて閨に籠った。
「陛下、まだ朝にございますが・・・」
美妓は恥ずかしそうに身を捩った。
「ええい構わぬ。黙ってついてまいれ! 」
一国の君主たる当然の務め、国土と人心の安寧、民の生活の安定とそれがもたらす国力の増進には精を出さずに、国王たる外見、つまり栄耀栄華(えいようえいが)はとことん追求し愉しむ男であった。だいたい、まともな君主なら国の政(まつりごと)の場に側室など侍らせたりはしないものだ。
「陛下、そんな、お戯れを、あれ・・・」
閨の間に入るなり、艶めかしい、声が・・・。
だが。
それもつかの間。
お気に入りの美妓を悦ばすでもなく、ひとりで埒を開けるだけですぐに寝入った。
昨日からの心労がよほど溜っていたのであろう。
ありえぬことだが、もし、すでにバツイチとなったヤヨイがこの場に居たら、遠慮なくこう漏らしたに違いない。
「早(はや)! 」
と。
案の定、美しい姫は、焦れた。
「陛下、もうお休みですか。つまりませぬ。もっとお話など・・・」
「ええい、うるさい! わしは疲れたのだっ!」
「アレですか? 軍勢をお率いにはならぬのですか? 」
「そんなことができるか! 西の豪族どもが隙あらばとわしの首を狙うておるのに! 」
「では、北への応援は、いかに・・・」
「帝国にやらせればよい! もう手配をした! 帝国にとっても、わしがこの国を維持できぬでは困ろうというもの。こういうのを持ちつ持たれつ、帝国のある地方ではぎぶあんどていくと申すとか。だから安心してそちも寝よ! 」
「でも、陛下。まだ陽が高うござりまする・・・」
「ぐごー、がごー・・・」
しかし、ヘタレ国王はもうイビキをかいていた。
念のために、そのイヤらしいドジョウ髭をぴんぴんと引っ張ってみた。反応なし。
よし! 大丈夫。
豪華な寝台を降りた美妓はそそくさと身繕いをするとあてがわれた自分の部屋に引き上げた。
部屋には行李(こうり)と櫃(ひつ)がいくつかあったが、周囲を見回して人気がないのを確認するや、その櫃の一つを開けて中の衣装やら装身具やらを抱えて出せば、底に平たい木の函。
それを取り出し、文机にのせ、蓋を開いた。
さらにその中に、銀色の光沢を放つ平たい箱があった。
脇のスイッチを入れると、箱はかすかにぶーん、と鳴った。
キーを取り出し、箱につなぎ、麗しきアルカイックな美妓は信じられないほどのスピードでキーを打ち始めた。
王都ピングーの南数十キロに、ドン第二の都市、アルムがある。
王都や北のクンカー同様に碁盤の目に区画された市街地を城壁で囲んだ、古来よりのこの地方独特の街の造りである。
先のチナ戦役で、戦勝国となった帝国はこのアルムより東にある土地、ナイグン、アイホー、ゾマといった帝国までの街道沿いの土地を悉く領有したが、このアイホーだけは旧領を安堵した。ここまで帝国が併吞してしまうとドンの国内経営が傾く。そうなると、ドンの西の諸豪族を抑える力を失う。そうした深慮あっての措置だった。それほどに、ここアルムの産業は盛んであった。
南にある漁港から運ばれる魚の加工や鮮魚の商い、そして、漁港からは国内の諸豪族、あるいは帝国との交易船があまた発着した。王国の産物が一に集まることで、街はすこぶる潤っていたのだ。
ただし、ドンは帝国の傀儡。
領有こそ避けたが、帝国は城壁内の一角に最寄りの第六軍団駐屯地の派出所たる陸軍事務所を設けていた。
そこには数人の士官や下士官兵が詰めていたが、そのうちの下士官の一人にフリッツ・ローゼン伍長がいた。
一年前。
彼は近衛軍団第一落下傘連隊の一小隊に加わり、この東のナイグンに降下。小隊長たるヤヨイを援け、作戦目的であるナイグン橋の占領と確保を行い、機甲部隊が到着すると、孤立したこのアルムに降りた部隊の救出作戦に参加し、無事友軍を助け出した。
その折に、ふとした縁でこのアルムにある飲茶屋の娘に出合い、一目惚れしてしまった。
そして戦役終了後に空挺部隊からこのアルム駐在事務所への転属を願い出、それが叶えられて今、業務に当たっていたのだった。飲茶屋の娘へのプロポーズはまだだったが、何度も足繫く通ううちに飲茶やまんじゅうを食いすぎ、少し太りだしてはいた。
いつものように机に向かい、耳にレシーバーをかけ、いつあるともしれない本土からや沖を通過する商船や海軍の艦艇の通信を傍受するのが彼の任務だった。
と。
緊急用に設定された周波数の感度があることを示す卓上の無線機のランプが点いて、彼はダイヤルを回した。
「少尉! わかりませんが、緊急通報を受信しています! 書きとります! 」
「わかった。ヒンケル! 有線で通報逓伝しろ! 」
「Jawohl! (了解!)」
フリッツの横にもう一人の兵が付き、フリッツが紙に書き下す数字をそのままキーを叩いて打電していった。
この駐在事務所の今朝の当番の少尉が横に立った。机に乱数表の冊子を置いてその数字の解読を始めた。
「発 ヴィーナス 宛 クィリナリス・・・」
そこまで読むと、少尉は解読をやめた。
それは帝国でも最重要な諜報機関、皇帝直属の特務部隊の連絡にかかわるものであるのがわかったからだ。
そういう決まりになっていた。
どうも、ドンの王国内で何か動きがあるらしい。
少尉にわかるのはそれぐらいで、陸軍末端の連絡事務所としてはそれで十分だった。
フリッツが受信した無線暗号は、アルムから鉄道沿いに設置された電信線を伝わってはるか千数百キロ以上も離れた帝都の特務部隊本部に送られた。
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