隣国は魔法世界

各務みづほ

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復興編

第二十六章 届いた言葉-3

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 ディルクがそっと離し、静かに目を開けた。

「センベツ」

 彼は苦笑してそう言うと、ライサから大きく一歩退いた。
 どうせこれも彼女には届かない、時間を戻せばなかったことになってしまうとわかっている。
 でもそれでよかった。彼の中では残るのだから。
 ディルクは大きく深呼吸をして目を閉じ、両手を前に突き出して、精神の集中を始めた。

 ――時空の流れ 生命の息に支配されし者

 流れるように呪文を唱えると、同時に大きな魔法の気流が生まれた。光となって彼のまわりに渦を巻き始める。
 難易度の高い魔法でも、彼はいとも簡単に操っていた。

 ――汝 今ここに 一時の支配を解き放ち

 ライサの心臓が更に早鐘を打つ。彼女のまわりにも光が生まれていた。どんどんどんどん光量を増していく。

(待って、待ってよ……)

 声にならない。止めなければーー止めないと、取り返しがつかなくなってしまうーー。

 ――失われし過去の姿を呼び戻し 再び生命のあるべき流れに従わんとす

「待って! ディルク! 待ってちょうだい!」

 ライサはなんとか声の限りに叫ぶ。
 だが、ディルクには届いていないようだった。精神を集中した魔法使いに、外界の音など聞こえない。
 ライサは彼に向かって走り出した。

 ――支配解き放つは すなわち……「んがっ!」

 ディルクの呻きとともに、魔法の気流が一瞬のうちに掻き消える。

「もががががががっ!!」

 彼はライサの手で口を強引に塞がれ、もがいていた。バタンとそのまま二人で地べたに倒れこむ。
 それでもなおも手を離そうとしないライサ。
 ディルクは息が苦しくなり、慌てて彼女の手を引き離すが、それでもしばらく荒い息を続けていた。

「ばかっ! お前俺を殺す気かっ!」

 ゼーハー言いながら、ディルクはやっとそれだけ言うと、何度か深呼吸を繰り返し改めて口を開いた。

「ったく、なんだよ、もう少しで完成するところだっ……」

 言いかけて、絶句する。
 彼女の顔はこれ以上なくくしゃくしゃに崩れて、涙が溢れていた。
 ライサはそれから倒れるようにディルクに抱きつき、そのまま胸の中で泣きじゃくる。彼はそんな彼女を咄嗟に受け止めるが、いまいち何が起きたのかわからず戸惑いを隠せなかった。

「……どうしたんだ、ライサ?」

 そっと頭を撫で、声をかけると、腕の中でライサが呟いた。

「ごめん、ごめんなさい……ディルク……」

 何度も何度も彼女が謝る。
 ディルクは一つため息をついた。謝る理由が思い当たらない。どう反応したらいいのか分からず、黙っていることしかできない。
 すると、ライサが少しずつゆっくりと話し始めた。

「私……何にもわかってなかった……ディルクの気持ちも、なにもかも……」

 自分のことだけだった、自分のことしか考えていなかったと。

(挙げ句の果てに心配させて、保身に走って……何もかも忘れてやり直そうだなんて、あんまりすぎる!)

 彼女の中で、一気にいろいろなことが見えて来た。彼の言葉の意味も分かってくる。
 全てを捨て、二人だけの記憶も感情も消去し、今という現実から逃げることを選んだーーそんな彼女をそれでも好きだという、その想いを。
 そしてその後どうなろうともそんな未来を受け入れてくれた、そのとてつもない優しさと悲しみを。

「どうして……なんで好きだなんて言ってくれるの! 私は貴方のためにならないのに! 傷つけて、殺しかけて……迷惑しかかけていないのに!」

 ライサはディルクを遠ざけようと思っていた。
 大事だからこそ、もう傷つけたりしないように、苦労して何でもないふりをして、自分という災厄から真っ先に遠ざけようと思った。
 しかし、彼は逆だった。
 もうそんな悲しみを起こさないように、離れないように、ずっと傍にいてくれた。いてくれようとした。

「あなたは馬鹿よ! 大馬鹿だわ、ディルク……」

 ライサは顔を上げ、まっすぐ彼の顔を見つめた。
 遠ざけようとした、その苦渋の選択が、一番悲しませたくなかった人を一番に悲しませてしまっていたと思い知る。
 悲しくて、苦しくて、気になって気になって仕方がないだけだったことに気づく。

「私はもっと……大馬鹿ね……」

 離れることも遠ざけることも、お互いに不安と悲しみしか生み出さない。
 ならもう、怖くても、また傷つけることになっても、ひとつしか方法がない。

「ディルクは……私が、必要……?」

 ライサが震える声で確認のために呟くと、彼は大きく目を見開いた。
 即座にライサを強く抱きしめ「うん」と唸るように声を絞り出す。

「一緒にいたい……もう嫌だ。二度と、離れたくない……殺される方がいい……」
「うん、ごめん、ごめんね……ありがとう……気づくまで、待っててくれて……」

 好きですーーそうライサが続けると、ディルクの全身が震え、想いが更に込み上げてきた。
 震える手で彼女の頬に触れると、堪らずに再びその唇にキスをする。
 感極まった二人は、お互いの存在を確かめながら、しばらくそのまま抱き合い続けた。



「うわっ!」

 ディルクは愛弟子の声に気づき、呆然と顔を上げた。
 十二歳の少年が真っ赤な顔をしてこちらを見ている。ディルクはライサを抱きしめたままだった。

「あー……キジャ……」

 ライサが顔を上げないよう頭をぎゅっとその腕に抱え込み、どうしようかと思考を巡らすが、言い訳一つ出てこない。

「お、俺、えっと、今すっごい魔力感じて気になって! すすす、すいませんっ」

(あー時間退行魔法に反応したかぁ……するなーでっかい波動だもんなー……どーすっかなー)

 もはや言い逃れもできない状況に、ディルクは片手を上げつつ降参する。

「いやいや、すまん。こっちこそすまん。あーもしかして、リーニャもいたりするか?」

 すると、傍の木の陰から、こちらも赤い顔したリーニャが顔をだした。
 ずかずかと近づくと、キジャを強引に引っ張る。

「ほら行くで! ちょうお取り込み中、邪魔したらあかんやろ! えらいすんません、ディルク兄ちゃん、ささ、続けたってやー」

 言いながらキジャを連れ、颯爽と去って行った。
 ディルクはライサを抱えたまま真っ赤な顔で頭をかく。ライサも彼の腕にうずくまり、固まったまま動けなかった。

 翌日には大学中に、二人の噂が広まっていたのは言うまでもない。
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