隣国は魔法世界

各務みづほ

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復興編

第二十三章 スタースワットの学会-3

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 学会最終日。
 ライサはなかなか部屋から出てこなかった。
 今日ももう、既にいろいろ発表が始まっている。そして、ヴィクルー博士の発表の時間が刻々と迫ってきていた。
 ヤオスは一人で行くわけにもいかず、部屋の外で待っていたが、とうとう部屋の扉をノックし彼女を呼んだ。

「リア、リア、もうすぐヴィクルー博士の発表が始まるよ……昨日のことは、忘れてくれていいから……」

 必死に外から呼びかける。
 少しして、彼女に通じたのか、扉が開く。顔が少しむくんで、目も微かに赤い。

「ごめんなさい、ヤオスさん。支度するのに時間がかかってしまったの。昨日のこともごめんなさい。お応えはできないけれど、今までどおりでいてくれたら嬉しいです」

 挨拶の後、一気に彼女は伝えた。
 起きたときは泣きすぎて顔がものすごく浮腫み、目もこんなものではなかったのだ。急いで冷やして、何とかここまで落ち着いたのである。
 ヤオスもようやくホッとした。


 ヴィクルー博士の発表の会場はとても広かった。
 会場の中でも一番広いホールを使っている。来客数は万単位であろう。
 さすがは国が誇る宮廷博士の発表である。
 前方の大きなスクリーンに図を映し出し、マイクで見事なプレゼンを繰り出している。
 遅くなったため、隅の方で立ったままの視聴だったが、ライサは教授の発表に聞き入った。

 発表、質疑応答が終わり、会場が明るくなった。ドヤドヤと人々が流れ出す。
 教授は挨拶に来た人々に応じたりと、とても忙しそうだった。
 ライサは遠目にそれを見ながら軽くお辞儀をし、ヤオスとともに外に出る。

「やっぱりさすがね、文句なしに素晴らしかった!」

 大きく伸びをしながらライサは感嘆の声をあげた。
 朝より明るい顔になっていたので、ヤオスは安心する。
 するとナターシャが会場から出てきた。二人を見つけて手を振ってくる。

「お疲れ様でした、ナターシャさん」
「お疲れー」
「ありがと。どうだった? 教授の発表」
「とても感動しました! 拝聴できてとても光栄に思います」

 高校生らしからぬ感想と挨拶にナターシャは思わず笑う。そして、ライサの手を取りにっこり微笑んだ。

「ねぇリア、教授に挨拶していかない?」

 教授が興味を持っていることは伝えずに、ナターシャは誘った。
 だが、ライサは寂しそうに首を横に振るだけだった。

「いいえ。もったいないお誘いですが、私のような者が行ってもご迷惑になりますので」
「あらそう? 迷惑なんてないと思うけど……残念ねぇ」

 本当に残念そうにナターシャは言った。そして特に気にした様子もなくまた会場のほうへ戻っていく。
 実は後片付け、来賓の挨拶など、教授を始め研究室の皆はまだまだ大忙しなのだ。

 ヤオスはナターシャを見送った後、横にいる彼女の顔を見下ろした。
 暗い、諦めの表情。宮廷博士に挨拶できる機会など、栄誉以外にないというのに。
 ヤオスはライサの手を引いた。行こう、と彼女を促す。
 だが彼女は足を止め、強く否定した。

「なんで? 君だって会いたいんだろ。博士だって会ってくれるよ」
「駄目……駄目よ、行けないわ……」

 変装に気を使っているとはいえ、あくまで知り合い以外に対してである。ライサをよく知る者には通用しない。
 そして彼女の存在は誰にも知られてはいけないーー。

 しかし、その時突然、ライサの目がヤオスの後方に釘付けになる。
 見知った顔があったーーこの世で最も会いたくない顔が。
 そこにはヒスター新国王と、指名手配されている筈のダガー・ロウがいたのだ。

 ヒスターに挨拶をする者はちらほらいたが、共にいるダガーを咎めたり、通報しようという者はいない。
 そもそもヒスターが通報などさせないだろうし、ダガー自身、そこらの警備員や警察や兵士に捕らえることなど出来ないだろう。
 彼らは堂々と、近くの会場に入ろうとしていた。

 ライサはヤオスと近くの建物の陰に隠れる。ドクンドクンと心臓が鳴る。

(あそこは確か、ニーマ・ロイヤル氏の発表……)

 この間就任した新しい宮廷博士の顔が思い浮かぶ。
 と、その時ダガーが突然こちらを見たような気がした。

(……!!)

 ライサの顔がさっと青くなり、恐怖が体を駆け抜ける。
 一瞬だった。距離はそこそこあるし、雑踏もある。
 しかし、それでも気づかれたような気がして、ライサはヤオスの手を引き、せきをきったようにその場から逃げ出した。

「リア、おい待てよ、どこ行くんだ!?」

 ヤオスはライサに引っ張られ、同じく走る。
 大分さっきの所から遠くに離れ、息もあがってきた。何より、スーツ姿なのでそんなに走れない。
 息を切らせて足を止める。

「一体、どう、したんだ? いきなり、走り出して」
「どう……どうしよう、どうしよう私……!」

 彼女の身体がガタガタ震え、何かに怯えている。昨夜の告白の時の怯え方とはまた違った怯え方だ。
 ただ事ではない彼女の様子に、ヤオスは一生懸命落ちつかせようとする。
 しかしライサは真正面からヤオスを見ると、切羽詰まったように告げた。

「こ、ここで、別れましょう、ヤオスさん! お、おばさまと弟さんにもよろしくって……」
「はぁ!? なんで? いきなりうちを出て行くことになってるの? 昨日の告白なら忘れてって……」
「違う、そうじゃなくて、私、見つかったかもしれない……あの男が、来てるなんて……」

 ヒスターが学会に来ていても、それは大した問題ではなかった。
 あの男はとにかく目立つくせに、周囲の人になどほぼ興味がない。
 この広く人の多い学会会場で、変装もしているライサには、避けることも関わらないようにすることも容易なことだった。
 しかし、ダガー・ロウに関してはそうはいかない。
 軍人にして指名手配犯が学会に来ているなんて思いもしなかった。

「本当にごめんなさい! お願い、私から、離れて……」
「わからないよ、リア! ちゃんと説明してくれよ!」

 ライサは悲しい顔をした。
 出来れば答えたくない。これを言った瞬間、全てが壊れてしまう。
 本当に何も知らず、何も考えず、普通の少女リアでいられたら、どんなに良かっただろうと。
 しかしこれ以上ヤオスを巻き込むことなどできなかった。

「私は……リアではないから……ヴィクルー先生も、私の恩師だから……迷惑かけたくないの。お願いよ……行かせて、ください……」
「え? ヴィクルー博士が……恩師?」

 ライサはヤオスの反応に自嘲の笑みを浮かべる。
 そして一呼吸の後、意を決して言葉を紡いだ。

「リアは仮の名前。私の、本当の名はーー」
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