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冒険編
第十章 南聖の書斎-3
しおりを挟むマナの屋敷から大分離れた、王都へ続く街道の傍に広がる森の中。そこに基地はあった。
この世界の物ではない、最新の技術をふんだんに用いた施設。防犯設備も充実し、外装は強化プラスチック貼りの建物で、魔法使いに簡単に見つけることは出来ない。
ラクニア郊外の基地から完全に撤収したダガー・ロウ率いる死の軍は、各将軍の追っ手を振り切り、はるか南方の、温暖なこの森に拠点を移し替えていた。
「ったく、見張りの兵が増えて動きにくいぜ。しかもこの辺魔獣がうろうろしてやがる」
「調査も命がけだな」
体格のしっかりした屈強な男達が、功労をねぎらい合いながら、カードキーをかざして扉を開け、基地へ戻って来た。
「そういえば河でよ、珍しいものを見つけたぜ」
少し背が低めのサングラスの男が、同胞に声をかける。
その手には防水処理が完璧に施された、丈夫な鞄があった。そう、ライサの落とした鞄だ。
「ほう、それは本当に珍しい。ボスに報告だな」
報告を受けたダガーは、面白そうに鞄を見る。
「宮廷博士殿の弱点を、一つや二つ見つけておくのも悪くない」
部下から鞄を受け取ったダガーは、そう言ってニヤリと笑ったのだった。
◇◆◇◆◇
研究を始めて早三日。つまりライサは三日三晩徹夜で研究を続けていた。
目にはクマができ、行動もフラフラとしてラリっている。傍で見るディルクの方が、ハラハラしてきた。
「おい、大丈夫か?」
少しだけ声をかけてみる。
熱中しているときの彼女は、声をかけ難い雰囲気に包まれていた。近づくものもいない。
「だぁーいじょーぶよー。ほほほほほほ!」
材料として調達してきた薬草の何をどう配合したのか、紫色のねっとりとした液体をかき混ぜながら、ライサは少々ハイテンションに笑っていた。
研究する時は、いつも大体不眠不休で一気に片付ける、それが彼女のスタイルなのだという。
その後死んだように眠り続けるわけだが。
(研究していた三年間、姫さんと疎遠だったのって……近寄り難かったからじゃないか、もしかして)
王立研究所は王宮からそんなに遠くないし、黙って待ってるタイプじゃないよな、あの姫さんーーと、珍しく王女の顔を思い出しながら、ディルクは部屋の隅でそんなことを考えた。
「そういえばぁーディルクはどう思っているのかなぁー二人の関係についてー」
手を止めず、口調もふざけているのに、何故か真面目な質問が彼女から飛んでくる。
ディルクはどう言ったもんかな、と頭をかきながら、大雑把に答えた。
「まぁ、何でよりにもよって、とは思うな。魔法使いだって貴族とか、魅力的な女性はそこそこいる」
ディルクが科学世界へ渡るのをやめたのは、手紙を運んで一年以上たっても別れも諦めもせず、見合いひとつ受けようとしない王子に辟易したからだ。
さすがにこのままではいけないと思ったのだが、王子は今でもなお、頑として花嫁を迎えようとはしない。
「ひめさまはぁーそんじょそこらの魔法使いの貴族なんかに負けませんー」
彼の思いなどどこ吹く風とばかりに、座った目で絡んで来たので、面倒くせぇと思いながらディルクはハイハイと流す。
すると、ライサは突然笑みを消し、俯き加減に呟いた。
「ディルクはたまたま、サヤさんが身近にいたからそう思うんだよ。他の人なんて考える必要もないじゃない」
「ちょっと待て。なんでそこにサヤが出てくるんだ?」
ディルクは本当に驚いたという顔でライサを見返した。
「だって、ディルクとサヤさんは恋仲でしょ」
「はぁ!?」
ディルクはライサの傍まで行き、怒った顔でまっすぐ彼女の顔を見つめた。
「なんでそんなことになってるんだ!」
「え、だっていつも仲良さそうじゃない」
「俺とあいつは上司と部下で、それ以上でもそれ以下でもない! 変な勘ぐりすんな!」
「そ、そう……わ、わかったわよ。間違えて悪かったわ……」
あまりに怒るので、ライサは思わず引き下がる。
でも、サヤさんから言われたら付き合うでしょうにーーそう思ったが口には出さない。
「ったく、そういうお前はどうなんだよ、国に男くらいいるんだろ」
「へっ?」
何でこんな話になったんだと思いながら、研究の方に意識を向けているライサは、さして深く考えもせずに答えた。
「あはは、いるわけないじゃない。研究しかしてこなかったのに。私は姫様一筋だもの!」
ディルクは「そうかよ」と一言言うと、気が済んだのか作業台を挟んだ椅子にどかりと腰を降ろし、そのままそっぽを向く。
ライサは手を止めずに続けた。
「でも最近ちょっとだけわかる気がする。他の人じゃ駄目な訳。だから預かった書状もちゃんと見つけて、届けて差し上げたい」
「なんだ、この前とは随分違うじゃないか」
ライサがさりげなくディルクに目線を向ける。すると、ディルクも顔を上げこちらを見つめた。
目が合うとは思わず、彼女は慌てて視線を逸らせる。
「ライサ?」
「な、何でもない!」
ライサの心拍数が突如上昇を始める。顔も真っ赤だ。
「何でもなくないだろ、なに目逸らし……んぐっ!」
ライサが突然、調合したての薬品をディルクの口に押し込み、その言葉を遮った。
ディルクの口の中いっぱいに、この世のものとも思えぬ奇怪な、そして最悪の味が広がる。
泥水の方が飲めるーーそう思うと同時に彼は意識を失い、その場に崩れ落ちた。
カランと空の器が床に転がった。
「や、やだ、どうしよう……!」
先程まで赤かった顔が今度は真っ青に変わる。ライサは思わず顔を覆った。
「ディ、ディルクが悪いのよ! 何でもないって言ってるのに顔を覗き込むから!」
先日から調子がおかしいという自覚はあった。ディルクを見るとどうにも心拍数が上がりだして顔が火照ってしまう。
変に緊張する。他の人は何ともないのに。
それを悟られたくなくて、咄嗟に出来たばかりの薬品を放り込んでしまった。
だが考えてみれば、治験ひとつしていない薬物である。副作用を含め、どんな症状が現れるかわからない。
ライサは深呼吸をして心を落ち着け、倒れたディルクの状態をチェックした。
「嘘……脈、落ちてる!」
彼の身体は血の気を失い、体温がどんどん下がっていく。
このままではいけないーーライサは即座に、この薬を作るためにディルクが調達してきてくれた材料の中から、強心・昇圧効果のある薬草を選び出した。
強力な毒草だが、数日前に余分な毒素は煮沸処理によって抜いてある。その少量の根を細かく砕いてすりつぶし、適正量を慎重に取り分けた。
毒を処理しているとはいえ、まだ残るその強力な薬効は、量を間違えれば大変なことになる。
ライサは全神経を集中して適量を測りとった。
(早く、早くーー!)
何度も確認し水差しをとると、ディルクにまず水を飲ませようとする。
しかし意識を失っているディルクの口からは水があふれるばかりで、飲んでいる様子はない。
考えている余裕も、照れている暇もなかった。
ライサは急いで薬を口に入れ、水を含み、迷わずそれをゆっくりディルクの口に流し込んだ。
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