隣国は魔法世界

各務みづほ

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冒険編

第十章 南聖の書斎-1

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 あたりはもう暗くなっていた。月が昇り始めている。
 ディルクとライサは河沿いにゆっくり北上していた。
 河はまだ先まで続いていたが、こう暗くては捜し物は無理である。それにとうに南聖の家を通り過ぎていたので戻ってきたのだ。

 かなり長い時間、五、六時間は飛び続けていたというのに、ディルクは疲れた様子もなく、腕の中のライサを慰めていた。
 少し前くらいから涙ぐみ始めて、とうとう泣き出してしまったのである。
 結局鞄は見つからなかったのだ。

 ディルクは困惑した。何を話したらいいのか、言葉も思い浮かばない。
 どうしようか、そう考えていると向こうから人の気配を感じた。

「おやおや、強烈な気が近づいてると思ったら。何お嬢さん泣かしてるんです……ディルク?」

 見ると、先程はただの草原だったそこに、一人の青年が立っていた。
 短い真っ黒な髪に、少々黒めの肌、額にはちゃらちゃらと宝石のついた、黄金の豪華なサークレットをしている。薄手のシンプルな絹の服を身に纏っているものの、首や腕を飾る黄金のアクセサリーは、月明かりの中でもよく映えていた。
 彼、南聖マナフィ・マフィは、その細目でにこにこ微笑みながら、のんびりと二人に近づいた。

「マナ!」

 ディルクは彼を見て心底ホッとした。ライサも泣きじゃくりながら、その青年を見ている。
 彼の後方、辺り一面草原の広がる中、小さく南聖の家が確認できた。
 二人は彼に連れられ屋敷へと向かった。


  ◇◆◇◆◇


「なるほど、ディルクでも捜せないんですか。それはちょっと私にも無理ですねぇ」

 南聖マナフィはライサの話をひととおり聞いたあと、そのように言った。
 ディルクは代わりのサークレットを借りに、別室に行っている。

「私、やっぱりもう一回捜してきます!」

 ライサはいてもたってもいられず、部屋をとびだそうとした。
 マナが慌てて彼女を止めようとするが、その前に扉が開く。
 そこには、ちょうど別室から戻って来たディルクが立っていた。額には今までとは違う、豪華な宝石が複数埋め込まれたサークレットをしている。
 しかし彼女はそれにも気付かないくらい焦っていた。

 ライサは彼の傍を通り抜けようとして、腕を掴まれ止められる。

「おい待てよ、どこに行く!?」

 彼女は腕を振りほどこうと、力一杯抵抗した。

「放して! 鞄、捜すんだから! 見つけないと、届けないと私っ!!」
「いいから落ち着けって!」
「落ち着いてなんていられない! ディルクに何がわかるのよ!」

 すると、ディルクがふとその力を弱めたので、ライサはその隙に腕を振りほどいて戸口に走った。

「……シャザーナ・アリサ・メルレーン」

 ディルクの呟きに、まさに外に出ようとしていた彼女の動きがピタリと止まる。
 激しい衝動が消え、頭が一気に冷えるのを感じる。ゆっくりと、ライサは振り返った。

「どうしてディルクがその名をーー?」

 科学世界メルレーン王国第一王女、シャザーナ・アリサ・メルレーン……姫様……。

「話、聞く気になったか?」

 ディルクは静かにそう言うと、先程の部屋に彼女を導いた。


  ◇◆◇◆◇


「まず、最初に確認しておきたいことがある」

 奥に南聖、テーブルをはさんで左のソファにディルク、そして右のソファにライサが座り、おもむろにディルクが口を開いた。
 マナは静かにことの成り行きを見守っている。

「お前は科学世界シャザーナ・アリサ・メルレーン第一王女の使者、で間違いないな?」

 いきなりの核心をついた言葉に、ライサはごくりと息を飲み込んだ。
 何故、どこでそんなことがわかったのか、疑問は尽きない。
 そしてこの最初の質問に答えなければ、この話は進まないし、何の解決にもならないということも想像がついた。
 ライサは、南聖マナフィの方にちらりと目をやると、意を決してひとつ頷く。
 ディルクは、特に驚いた様子もなく自分も頷くと続けた。

「そして、託された書状の内容に関しては、全く聞かされていない」

 この質問には、すぐに肯定の反応。

「で、お前はその王女と、宛先である王子の関係についても何も知らない、で、間違ってないな?」
「え? 関係……??」

 最後のライサの反応に、ディルクは大きくため息をついた。

「大当たりでしたねぇ、ディルク」

 南聖ののんびりした声に、この場の緊張が一気に抜ける。

「え、え、関係って? え、まさか……」

 いつぞやの領主の息子と娘の話が頭を過ぎる。
 マナが苦笑してディルクを見ると、彼はガリガリと頭をかきながら、面倒くさそうに口を開いた。

「あーまぁその、二人はな……ぶっちゃけ、恋仲ってやつだ」

 その瞬間、ライサの全ての思考が停止したーーーー。


 魔法世界第一王子シルヴァレン・エル・ディ・オスフォード。
 彼が科学世界に迷い込んだのは五年程前のことである。
 目的も道も見失い、途方に暮れていたところ、かの国のお姫様に出会った。そしてその後も人知れず交流を続け、恋愛に発展するのにもさほど時間はかからなかった。

「五年前って、もしかして、クアラル・シティ訪問……?」
「なんだ、心当たりあるのか」
「私も同行してたもの。最東端の、国境から一番近い町」

 その後程なくして、ライサは研究室に篭りきりになった。その間王女に会った回数は確かに少ない。
 しかし、そんなことが起きているなんて微塵も気づかなかった。

「会ってたって言っても月イチとかで、人知れずだしな。ところが三年前、二十歳を目前にした王子は国務も従者も倍になり、科学世界はおろか、気軽に外出さえ出来なくなった」

 ライサはディルクが以前していた領主の息子の話を思い出した。
 二人は離れると言っていた気がする。それからそう、文通をするのだと。

「そう、で、その文通すらも途絶えたのが一年半前の話だ」
「じゃ、じゃあ私が託された書状って……」

 ライサはなんとも言えない微妙な表情で思い浮かべる。
 信じられない。信じたく、ない。

「まぁ、ラブレターって可能性が一番高い」

 彼女は俯き苦悶したまま、顔を上げることが出来なかった。


  ◇◆◇◆◇


 ライサは風が吹く草原で、一人ぼんやり空を見上げた。
 ディルクに聞いた王女達の話が衝撃すぎて、どうしたらよいかわからず、ただ呆然と時を過ごしている。

 なにせ敵国の王女と王子、どう考えても無謀すぎる関係だ。
 このまま王女の使いを遂行して、果たしてそれでいいのだろうか。
 手紙が人知れず河に沈んだのなら、そのままの方が、波風を立たせることもなく済むのではないか。
 まぁ、単純な恋文ではなく、軍のことなど重要な内容が記されているのかも知れないが。

「サヤ達はもう二、三日動けそうにないらしい」

 ライサの横に腰を降ろし、ディルクは手短に伝えた。
 先日の大雨で、リーニャが風邪を引いてしまい、ララの街で休養中だという。
 魔法が自由になったディルクは、一旦転移してララに戻るか尋ねたが、ライサはそれにもほぼ無反応だった。
 結局そのまま南聖の屋敷に厄介になり、そろそろ三日が経とうとしている。
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