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冒険編
第九章 竜の髭-3
しおりを挟むだがそれも束の間、次の瞬間ディルクは神経を張り巡らせた。何かが近づいている。
ライサはまだ本調子がでていないし、あちこち負傷している。
彼は迫り来る何かに備え、急いでライサの外傷を魔法で治した。これで、温存していた魔力はあらかた使い切ってしまった。
「……走れるか? ライサ」
低い声でディルクは確認する。ただならぬ雰囲気に、ライサも初めて見た治癒魔法の興奮も出来ずに緊張して答えた。
「大丈夫よ」
実はまだ筋肉の調子がおかしくて、あちこち痺れ、感覚が麻痺したりしているが、彼女はゆっくりと立ち上がった。
ディルクはじっと周りに気を張り巡らせ、警戒を強めている。
「どうしたの? ディルク」
そのとき、ライサも前方に何か気配を感じた。
森の暗闇に光っているのは、あれは何か生き物の目だろうか。大きさはそれほどではないが、危険な気配を感じる。
ほどなく、獣の姿が数体浮かび上がってきた。
「犬?」
ライサがそう認識したとき、突然雷が二人の前に落ちてきた。
ドドドドーーーーンと鋭い雷鳴が鳴り響く。
「きゃぁぁぁぁ――――!」
悲鳴を上げるライサを、ディルクは咄嗟に自分のマントで庇った。
「馬鹿! あれは魔獣! 魔法攻撃して来るんだよ! 狙った獲物はどこまでも追ってくる! 逃げるぞ!」
言うなり、ライサの背を押して駆け出そうとした。
だが、ライサは走ろうとして、足が動かないことに気づき、そのまま地面にペタンと座り込んでしまう。
ディルクがそれに気づいて立たせようとするが、彼女の身体は動かない。
「お前、調子まだ……」
「……先、行っていいよ、ディルク」
自分の為に彼まで犠牲になる必要はないと。
だが、ディルクは決してライサを見捨てようとはしなかった。
「馬鹿かっ! 走れないならそう言えよ! ほら、立て!」
ディルクは無理にでもライサを立たせる。
「ゆっくりなら歩けるな?」
念を押すように低い声で確認する。
ライサが小さく「うん」と答えると、彼は頷いて進行方向を指し、手短に説明した。
「南に向かってゆっくりでいいから移動しろ。途中振り向くんじゃないぞ」
「え、ディルクは……?」
それには答えず「さっさと行け!」とせかす。仕方なく、ライサはディルクの言うとおり、南に向かって歩き出した。
ディルクの魔力は尽きていた。
なんてことはない。彼のサークレットが魔力を抑えすぎているために、現在使える魔力量が少なく見えているだけのことだった。
国宝“竜の髭”。
そのサークレットは見かけは貧困だが、友から貰った唯一無二の国宝だ。
幻の生物、竜の髭でつくられており、持ち主の魔力量を極端に抑える代物で、上級魔法使いと言えども、つけただけで殆ど魔法が使えなくなってしまう。
また幻の生き物であるが為に、そのサークレットは非常に不安定で、一度外したら消滅してしまうという性質も持っていた。
それゆえに今まで魔力が少なくなっても温存を続け、外さずにきたのである。
ディルクは意を決して、サークレットに手をかけた。
これしかあの獰猛な魔獣の群れから二人で逃げのびる手段はない。
二十体、三十体と魔獣は森からどんどん現れる。
これをくれた人にすまないと思いながら、彼は一気にサークレットを取り外した。
上級魔法使いのサークレットは、目立ちすぎるオーラを抑えるためにつけている。当然それを外せば、抑えていたオーラが一気にふき出す。
ディルクのオーラは格別だった。
先程まで狩りの標的とばかりに寄って来た魔獣の群れは、一匹残らず、即座にその場から逃げ去っていく。
魔獣には見えていたのだ。
彼の、凄まじい、巨大な龍の形をしたオーラがーーーー。
ライサはディルクに言われたとおり、ゆっくりとだが南に向かっていた。
そして少しすると突然、背後から異様な空気が流れてくるのを感じた。
巨大で強大で、それでいて温かく優しげな風。思わず彼女は振り返る。
しかし、特に何も見えない。
彼の様子は森に隠れているので見えない。不思議な空気の感覚も、これといって目に見えるわけでもない。
◇◆◇◆◇
(……ったく、逃げるくらいなら最初から襲ってくるなよ)
魔法を使うまでもないーーディルクはそんなことを考えながら、これからどうするか迷っていた。
代わりのサークレットがないと、人前に出ることすらできない。
自分のオーラがどんなものかくらいは知っている。魔獣の群れが、見ただけで逃げ出すほどなのだ。
ため息をつきつつ途方にくれていると、すぐそこの木の陰に突如ライサの気配を感じた。
彼女は気になって、ゆっくりとだが戻ってきていたのである。
ディルクの心臓がドクッと跳ねた。慌てて自分の額を両手で抑えつつ叫ぶ。
「ライサ! 何故戻ってきたんだ。さっさと行けっ!」
言いながら溢れ出るオーラを抑えようとするが、うまくいかない。
彼の心の奥に眠っていた過去の記憶が蘇り始める。
顔が青ざめ、一気に体温が下がった。手足が痺れ感覚がスッと消えていく。
溢れるオーラ、怯える人々、そして憧れだったあの人ーー。
これを見られたら、またーーーー。
「わ、悪かったわよ。無事なら……いいのよ」
ライサはそう呟きつつ、背を向けた。
魔法使いのオーラなど、彼女に見える筈もない。だから、彼が焦る理由も想像がつかない。
いつの間にか雨も上がっており、先程の魔獣は辺りに一匹も見当たらなかった。危険は去った筈だ。
なのに自分を近づけようとしない、それどころか避けられているーー彼女にはそうとしか思えなかった。
(お礼くらい言わせてくれたっていいじゃない!)
ライサはあまりの寂しさに少し涙ぐんだ。
ところが、ディルクはそれを鋭く察知する。サークレットのない今の彼は、感覚もおそろしく鋭敏だった。
「殺してる」
「え?」
突然の一言に、ライサは思わずディルクの方を振り返った。
彼は右腕で額を抑えながら下を向き、左腕で右肩を掴み縮こまるようにして言葉を紡ぐ。
「俺のオーラで……人一人、殺してる。だから……」
疲れているわけでもないのに呼吸が荒い。思い出すにつれ息が詰まりそうになっていく。
苦しそうに嗚咽をもらしつつ、それでも彼は怒鳴った理由を呟いた。
そんな必要はない筈なのに、必死に言葉を探す。
ディルクはただただ、彼女を無駄に誤解させ、悲しませるのが嫌だった。
「精神的に……だけどな」
◇◆◇◆◇
その人は師の孫だった。十歳年上の、美しく優しい憧れのお姉さんだった。
魔法使いのオーラは、何かしら生き物の形をしている。
彼女はとても目がよく、その個々のオーラを鑑定して適性を判断するオーラ鑑定士であり、将軍の抜擢など、あらゆるところで活躍していた。
尊敬する祖母のところにたびたび顔を出していた彼女は、あるとき、その祖母の弟子であるディルクのオーラを見たがった。
人に見せることを師に止められてはいたが、彼もまた、憧れの彼女にどう評価されるのか興味がないわけではなかった。
要求に応じて、己の宝石のついたサークレットを安易に外してしまったのだ。
ところがそれを見た途端、彼女はもの凄くおびえだし、鋭い悲鳴を轟かせた。
ディルクがまずいと思い、咄嗟にサークレットを付け直した時には既に遅かった。
彼女は長時間の発狂の末、跡形もなく精神が崩壊してしまっていた。
極度に目が良かった人とはいえ、人格を破壊する程の威力。彼の龍のオーラはそれほどまでに巨大で禍々しく、迫力をもっていた。
化け物、と連呼しながら発狂していく彼女の姿は、今も鮮明に少年の記憶に焼き付いている。
一時期皆怖がって、彼に近づきさえしなかった。
それからは国宝のサークレットをつけ、魔力を極度に抑えながら、人とも親密にならず適当に距離を置くようにしてきた。
だからサヤの告白にも、何も応えられなかったーーーー。
(やっぱりまだ、駄目なんだ……“竜の髭”を外したら、いけなかった……)
吐きそうになるのを堪え、よろよろ立ち上がる。少しでもライサから離れようとディルクは歩き出した。
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