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後編

第十五章 刻まれる想い-3

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「おーい、ディルク!」

 おすすめのカフェへ向かう途中、上方から声をかけられた。
 ディルクが反射的に振り向くと、スタッと土木の青年が着地する。

「聞いたぞ、嫁さん連れて戻ってきたんだって! 輪っかもまぁ様になってんじゃん!」

 ライサがそっと彼の手を握って半歩後ろに下がる。ディルクも思わず手をキュッと握り返して青年に向き直った。

「おい、ちょっと待てトール、なんだその噂は!」
「何って、もう王都平民街全員に知れ渡ってるんじゃねーの。今だって堂々とデートだろ? 俺もすぐ消えるからな!」

 王都平民街は決して小さくない。確かに二人で行動しているとはいえ、まだ半日もたっていない。更にここはディルクが入った南門から最も離れた北門だ。
 一体どれだけの速度で巡った噂なのか。

「他に……することねーのか、王都民どもは……」

 ディルクの頭を抱えた呟きに、ライサは思わず笑い出した。

「ふふ、平和って証拠じゃない。ディルクの努力の賜物でしょう? ねえ、トールさん」

 特に噂で気を害した様子もなく、トールに話しかける。

「おっ、嬢ちゃんさすが! わかってるねぇ! ちゃんと守ってやれよディルク!」
「守る?」
「嬢ちゃんはお前みたいに魔法強くないんだろ。悪くないよな、身分差の恋人」

 ディルクの額のサークレットを指しながら、お貴族様からは針の筵だろうと続ける。

「あ、あーまぁ、そうかも……そう、だな」

 歯切れの悪い返事をしてしまうが、王子に会う時は仕方なかったとはいえ、そもそもライサを貴族の前に晒す気などない。
 平民街だからこそ、まだ平和に一緒に歩いていられるのだった。


 トールが去った後、ライサがさりげなく続ける。

「あるんだね、そういう……貴族には貴族みたいな。区画が分かれてるくらいだしね」
「王都はこれでも少ない方なんだけどな。こだわる奴はこだわってるかな。伝統ある家とか貴族は特に」

 なにせ魔力は遺伝によるところが大きい。

「ラクニアなんかはガチで古い慣習が残ってて、ガルは変えたいって言ってるし」

 ライサはふと呟いた。

「そっか、貴族エリートのサヤさんがディルクに惹かれるのも当たり前なのかな」
「え?」
「あ、ううん、ディルクもいい家柄のお嬢様みつけるんだろうなって」

 なんだよそれと苦笑しながら、ディルクは彼女の額に目を向け呟く。

「俺は全く気にしない。継がないといけない家もない」

 正面から言われ、ライサの顔がみるみる赤くなって行ったのは、日の光のせいではないかもしれない。
 ディルクは思わず彼女の額に手を触れそうになり、その手を慌てて引っ込める。

「あ、わ、悪いな、その……勝手な噂が広がってて。いろいろ、ほんと嫌な思いさせてるな」

 嫌われるのはともかく、これ以上不快な思いをさせたくない。
 しかし彼女は怒る様子もなく、その引いた手を両手でとり、そのまま自分の頬へ寄せた。

「ディルクは……慕われてるね」
「えっ?」

 彼の心臓が跳ね上がる。ライサの頬は自分の触れた掌よりもずっと熱くなっていた。

「街のみんなに。思ったけど……きっと、ディルクが一声かければ、皆呼応してくれる、力を貸してくれる……」
「そ……そう? そんなに気前いいか?」
「いいよ、頼っていいんだよ」

 そう言って微笑むライサに、ディルクは思わず泣きそうになった。

 化け物と言われ恐れられてから、今までただがむしゃらに奔走した。
 もう誰も自分に近づけてはいけないと、あまり人と関わってはいけないと気を張り、誰も寄せ付けず、頼らず一人でーーここに、王都にいてもいいように。誰も怖がらせないようにと必死で。

 それが……頼っていいんだよ、とーー。

「ディルクの街に住んでみたいなぁ」

 何気ない言葉。しかしディルクの心はぎゅうっと締め付けられた。

「ははっ、何言って……」

 激しい衝動が沸き起こる。

(なら、ここにいればいい。本当に俺の嫁になればいい!)

 国に帰らず、敵にもならず、ずっとこの街で一緒に暮らせばいいーーと。

 捕まえたい、抱きしめたい、手に入れて独り占めして、ずっとずっと傍にいたいーーキスだってしたいーー!

 それは相手を想う幸せな感情だけではない、一方的な、愚かで醜い独占欲。

(嫌だ……誰にも渡したくない……帰らせたくない……こんな、こんなに、傍にいるのに……!)

 ディルクは溢れる欲求を必死に抑え、震える両手を握りしめた。



「で、どうだったよ、ディルクの様子は」

 土木仲間に聞かれ、トールはニヤッと笑った。

「どこからどう見ても恋人同士だった。手とかこう、キュッて握っちゃってさ!」
「ほー。ナリィさんの時にはなかったよな」

 本人の気も知れず、わいわいと王都の宮廷魔法使い様の恋路を肴に盛り上がっている。

「たく、最近の若いもんは。何処かほっつき歩いとると思えば。輪っかを外したなら、嫁っこ連れてきたならそう報告せんかい、けしからん!」
「ボン爺の所には来てる方だろ、ディルクは」

 孫みたいに思ってるからなぁなどと野次が飛ぶ。
 そうこうしていると、偵察第二班が帰ってきて皆に報告した。

「てかあいつ、さっきちゅーしそうだったぞ、この往来で! 周り見えてねーじゃん」
「まじかよ」
「まあまあ、いいでしょ、ちゅーくらい。サークレットも外して、あたしらもホッと安心できるってもんよ」
「痛々しかったもんなぁ。こう、微妙な距離の取られ方とかさぁ。あーもう彼女、ライサさんだっけ? 偉すぎる!!」

 そんな中、ボン爺がすっと通りに向かっていく。

「おや、爺さんどこへ?」
「シオネ様に報告じゃよ! ディルクはもう心配いらんとな!」
「あっ、俺も行く!」
「あたしも!」

 中央の遺骨が納められた礼拝堂に向かうにつれ、人々の数が膨れ上がっていく。
 そして礼拝堂から出てきた者から、テントをはり、屋台を引っ張ってきて、歌い出し踊り出し、夕方には結構なお祭り騒ぎになっていた。


 そんな報告を聞いて王子は笑わずにいられなかった。

「ははっ、逞しいねぇみんな。流石、ディルシャルクの街だよ」
「はい、マスターの持ち前の適当さもとい、おおらかさが反映されていますね」
「シオネ殿の時にはそういうノリみたいなのはなかったな。ラクニアは近いもの感じるけど、ララはゆったり、ベコも落ち着きがあるし」

 指導者一人で雰囲気が変わる、本当に面白いなぁとまた一通り笑う。

「ヴァンクレサルト、今日はもういいよ、君も休んで。ディルシャルクのところには行かないようにね」

 最後の二人の夜だからと。

「心得ております」

 ボルスが下がったのを確認すると、王子は王女からの手紙を読み返した。
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