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前編

第十一章 王子の恋文-4

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 ディルクが手紙のストップをかけたのは、それから半年後のことだった。
 王子の再三に渡る説得を振り切り、最後の手紙を渡すと、王女は意外にも落ち着いてそれを受け入れた。

「そうですか、やむを得ませんね。今まで本当にありがとう、ディルシャルクさん」

 深々と頭を下げられ、ディルクはむしろ慌てた。
 王子より三つも年下の王女の方が余程大人に見える。

「今、お返事を書くので、お茶でも飲んでお待ちになってね」

 にこりと笑うと奥に去って行く。
 まもなく婆やがお茶を運んで来た。

「お別れかい、寂しくなるねぇ。あんたを捕らえてみたかったよ」

 うわぁとディルクは思わず、淹れられたお茶をクンクン嗅ぐ。すると「毒なんて入っちゃいないさ」と笑われた。

「王女様、諦めたって訳でもなさそうだけど……」
「もう文通始めて二年近く経つんだろ、気持ちの整理はつくものさ。どんな結論だろうとね」
「……王子は諦め悪かったけどなぁ」

 婆やは苦笑する。女の子の方が成長早いからねぇと。

「言わないけれど、姫様もたくさん見合い話が来ているんだよ。女の子な分、若いうちにと国王様は焦るわけさ」
「大変だな、王族も」

 すると婆やは面白そうな顔で目の前の少年を突いてきた。

「あんたはどうなの、東聖様。十六だっけ? モッテモテなんじゃないの?」
「まぁね。俺はいらないけど」

 自国では絶対言えないような本音も、隣国ならば気を使わずに晒せる。

「おやもったいない。何事も経験だよ。若いうちにいろいろ羽目外しておきなさいな」

 ディルクはふと苦笑した。

「あんた、亡くなったばーちゃんみたいなことを言うな。肝に命じておくよ」

 すると王女がやって来たので、婆やは「じゃあ元気でね」といいつつ、お茶セットを持って退室して行った。

「遅くなってごめんなさい。少しバタバタしていて。新しい宮廷博士のことでね」
「新しいって……三人目ってことですか」

 宮廷博士と言われ、ディルクは思わずニーマを思い出した。
 自分のけじめのため、記憶を消してしまったこの世界唯一の真実を知っていた友人を。

「そう、私の友人が目指していてね。もうすぐ取得しそうなの。戻って来たら、ディルシャルクさんにも紹介したかった……」
「それは……残念ですね」

 ニーマが王都に住む王女の友人とも思えない。完全に別人であろう。
 特にそれ以上の興味も示さないまま、ディルクは手紙を受け取り懐にしまうと席を立った。
 じゃあ、といつものように声をかける。

「私はね、ディルシャルクさん」

 王女の表情が変わる。真剣な、何かを決意した時のまっすぐな表情に。

「これが最後だなんて思わない。貴方の力は借りられなくなるけれど、絶対またいつか、王子様に会ってみせるわ」

 ディルクは目を瞠った。
 彼女を知って三年半。こうも変わるものなのかと。
 いや、根本的には変わっていない。王女は元々、一途な強いオーラを持っていた。

 ディルクはスッと王女の前に跪き、敬意を込めて伝える。

「俺は、科学とこの国と貴方が気に入っています、王女殿下」

 彼女が頷くと、彼は更に続けた。

「だから、貴方に何か大成を成し遂げる意があり動くのならば、王子と国民に危害の及ばない限り、俺は貴方の利となる方向へ動きましょう」

 命令権のない敵国の王女へ、異国の宮廷魔法使いに言える、それは最大限の言葉だった。
 王女は涙を浮かべながら、少年の言葉を幾重にも噛みしめ、謹んで御礼を述べる。

「とても……心強いわ。ありがとう、東聖……ディルシャルク様」

 ディルクは立ち上がり、いつもの表情に戻って言った。

「なんだかとんでもないことをしてくれそうですよね、王女様は。本当にいつか王子と会うことになりそうだ」

 それが例え本人の力でなく、周りの、自分のような純粋な力ある者達を動かした、その結果だとしても。
 それも彼女の人望ーー力の一つだ。

「ではお元気で。シャザーナ姫」
「貴方も。また王子様と共に、お会いできることを願っています」

 ディルクは笑うと転移魔法を発動させた。


  ◇◆◇◆◇


 最後の返事を渡すと、王子はヘナヘナと崩れ落ちた。

「これで最後だなんて。僕はこれから何を楽しみに生きていったらいいんだろう」
「あっちはこれっぽっちも、最後だなんて思っていなかったけどな」

 驚きの顔を向ける王子に、ディルクは呆れながら続ける。

「王女様、また絶対お前と会うんだって言ってたぞ」

 お前がそんなんでどーすんだ、と。
 すると、王子の泣きベソ一歩手前だった情けない顔が、次第に引き締まっていく。

「そうか、また直接会いに行けばいいんだ。なんとか、時間を作って……なんとか……」

 するとディルクが意地悪そうな笑みを浮かべる。

「ちなみに、お前が中途半端に行こうとしたら、俺は全力で阻止するからな。諦めて嫁さんもらえ」
「ええええええっ! は、薄情者……」
「この竜の瞳の魔法記憶もきっちり消去して、陛下に返しておくからな」

 そして、悔しそうな顔をする王子を振り返り、ニヤリと笑う。

「今日陛下のチェスの相手、頼まれてんだ」

 駄目だ、味方ならば最強なのだが、敵にまわると完全敗北確定だーー王子は膝をつき、泣きながら項垂れた。

 そんな王子を放置し、ディルクはそのまま宮殿の奥へ向かった。
 協力しないとは言っていない。
 ただ中途半端に軽はずみな行動をするようならば、数年前散々怒られたあの惨事のようになりかねない。

「ちょっとは薬になるといいんだけどな」

 王女の動きも気になる。そして、こんな状況でも壊れない愛とやらを見てみたいとも思った。
 さて、それとなく見合い相手の情報を陛下から聞き出しておいてやるか。
 相手の動きがわかれば、少し時間を作ってやれるかもしれないーーそんなことを考えながら陛下の元へ向かう。

「俺も甘いなぁ」

 その日のチェスは、陛下の圧勝だった。


  ◇◆◇◆◇


 それから一年と少し。二人は会うどころか、連絡すら取れていない。
 それでも王子は何とかならないかと日々充実しているし、見合いも完璧に回避している。
 頑固さは増したようだ。先日の王子の命令にディルクは逆らえなかった。

「彼女サヤ・フィデスと、彼は初めてかな、ヴァンクレサルト・グラン・ボルス。今日から君につけるから、そのようにね」
「はいぃ!?」

 これは命令、拒否は許さないよ、と王子はにっこり微笑む。

(嫁さん貰えって言ったこと、きっちり根に持っていやがったよこいつ……)

 そう、これは嫌がらせだ。
 命令権を出されれば、如何な力があろうともディルクは従うしかない。様々な恨み言とともに承諾する。
 

 二人を前にすると、ディルクは深々と頭を下げた。

「ほんっと悪い。フィデスと、それにボルスも……全然初めましてじゃなかったな」
「覚えておられましたか」
「忘れないよ先輩。わざわざ志願してくれてありがとう」

 思い返すこと五年前、魔法競技会で優勝を競った、実力もわかる彼にディルクは安堵する。あの時は本当に一緒に仕事をするとは思わなかったが。
 王子とのささやかなる争いに二人まで巻き込んだ手前、目を逸らしているわけにもいかない新米東聖は、慣れないながらも少しずつ仕事を頼み始めた。
 そして誠に遺憾なことに、その効率の良さを改めて思い知らされる。
 それもその筈、フィデスは元より、ボルスも王子があらためて募集し直々に選考したのだという。ディルクの求めるレベル、人格、相性までもしっかりチェックしている。

「ちなみに、長距離転移魔法は必須にしたんだよ。王都からなら確実にララまでは一度で転移できるように。君は王都を離れることも多いしね」

 サヤも前もって王子から命令の内容を聞き、就任するまで転移魔法の修行までしたのだとか。

「人を見る目だけは確かなんだよなぁ、あいつ」

 職務のリストを眺め、ディルクは深く嘆息した。



「少しずつでも、人を頼ることに慣れていこう、ディルシャルク」

 王子は窓から従者に四苦八苦する友人を眺めると、穏やかに笑みを浮かべた。
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