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前編

第十一章 王子の恋文-3

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 この日以来、王子は少しずつ回復に向かっていった。
 ディルクが時間を見つけては、隣国の王女を訪ねてくれたからだ。
 クアラル・シティから王宮の道も、複数回の転移魔法を『竜の瞳』に記憶することで、短時間の往復を可能にする。

 そして、王子の完全復帰に国民がほっと息をなでおろした頃。
 東聖シオネは静かに息を引き取った。九十歳を三カ月過ぎた頃のことだった。

 ディルシャルク・アルナ・ロードリー、十五歳にて第九十三代目東聖に就任ーーーー。

 
  ◇◆◇◆◇


「またかよ、最近多すぎだろ絶対。見合い話だってたくさん来ているくせに!」

 王子はにこにこしながら、いつものように新米宮廷魔法使いに手紙を渡した。

「姫が心配してしまうんだよ。僕が妻を娶ってしまうんじゃないかとね。嘆かわしいじゃないか」
「お前がわざわざ伝えるからだろ! この前も王女に聞かれたよ!」

 ディルクは奪うように手紙を受け取る。
 流石に最近まずい気がしていた。
 もう体調も戻り、万全の状態で成人までしたのに、来る見合い話全てを断っている。このままではこの王子、生涯結婚しないのではないかと。
 王族は血縁だというのに。引いては国家の大問題だ。

 その時、部屋の扉がノックされ、医師サヤが顔をだした。

「やあサヤさん、お勤めご苦労様です」
「……フィデス……お前も来いよ、怒っていいと思うぞ、お前は」

 王子が不調の時に散々迷惑をかけ、それを自分の不甲斐なさ故と落ち込んでいた彼女にだけは、王子は不調の原因を明かした。
 サヤはその相手が隣国の王女だということに大層驚いたが、原因自体に関しては、

「仕方ありませんね。どんな名医にも治せないと言いますし」

 納得し、自分を責めるのだけはやめたようだ。

「そうだサヤさん、私もおかげで元気になりましたし、今度はディルシャルクについてみませんか?」
「え?」
「はぁ!?」

 突然の王子の提案に、その場の二人はそれぞれに衝撃を受ける。

「おま……お前、そういうことを、何も考えず……っ!」

 ディルクの身体がわなわなと震える。怒りで全身が震えるとか何年ぶりだろうと。
 対して王子はあっけらかんと続けた。

「考えてるよ。君は責務が多すぎで、対する魔力も弱すぎ。全然思うように動けていないんだろう? 従者が必要だよ」

 王子は東聖になれば『竜の髭』を外すかと思っていたのだが、彼は相変わらずつけ続けている。
 心の傷がどうこうよりも、このままでは仕事の効率が悪すぎるのだ。

「問題ねぇよ! ちゃんとこなしてるだろ!」
「どうかな、サヤさん」

 抗う言葉を流してにっこり言う王子に危機感を感じ、ディルクは慌ててサヤの手を掴んで扉へ向かう。

「行ってくる!」

 荒々しくそれだけ言うと、王子の部屋を後にし、そのままサヤを廊下の隅へ導いた。



「すまんなフィデス。王子のいうこと、真に受けなくていいからな」

 サヤはその表情に心臓が跳ね上がった。
 一つ下のこの王子の友人にドキドキするようになったのは、いつからだったろうと。

「わ、私はその……」

 貴方の従者になっても構わない、むしろ嬉しいーーそう伝えようとしたところで彼に阻まれる。

「見合い……王子の結婚相手候補、本当はフィデスも入ってたんだろ?」

 王女の話だけでも十分失礼に当たるのに、とディルクはため息をついた。

 そう、王子の主治医として上京したのはそういう目的もあるからと、サヤは家の者から聞いている。
 しかし彼女自身に王子に思い入れがあるわけではなく、あくまで患者として親身になろうと、助けようと思って来ていた。
 それどころか、王子の友人の方にむしろ惹かれてしまっている。
 もしかしたら王子は気づいているのかもしれないとサヤは思う。

「王子様をそんなに責めないでください、ディルシャルク様。私は貴方にお仕えすることも大変名誉なことだと思っています」
「はは、優しいなぁ、フィデスは。ありがとうな!」

 でもあんまり王子を甘やかしちゃ駄目だぞーーそう言うと、従者の話は有耶無耶に、彼は国宝『竜の瞳』の起動を始めた。
 隣国へ転移する、もう見慣れた光景だ。
 彼の姿が消えた後、サヤはそっとため息をついた。

 なかなか見えてこないことだが、気づいてしまったことがある。
 愛だ恋だ以前に、彼はあまり人を寄せ付けようとしない。
 それで全部一人で背負うことになっても、とにかく人と関わらないように動くのだと。


 王子は友人のことが心配だった。
 彼が東聖になったからといって、何かが大幅に変わったわけではない。
 王都の民の為にいつもどおり働き続け、数年前の彼への恐怖は殆どなくなり信頼も厚くなっている。
 しかし東聖シオネ亡き後、更に人を関わらせなくなり、自分からどんどん孤独になっていっているようにも見えた。

「別に、全部俺がやればいいことだし」

 そう言って『竜の髭』をつけ、本来の力を抑え込んだまま、人を寄せ付けず全ての仕事を友人は請け負う。

(頭のいい君が、効率の悪さに気づいていない訳でもないだろうに)

 わざと自分を追い込んでいるのだろうか。あの女性のことを忘れないためにーー。

 でも今ならわかる。本当に愛する人ができれば、きっと全て乗り越えられると。
 遠い日の憧れではない、自分から離れたくない、一緒にいたいと思える程の相手ならば。
 人を寄せ付けない彼が、そんな存在に気づけるかはわからないが。

「『竜の髭』なんて迷わず外してしまえる程、夢中になれる人が現れればいいのに……」

 窓から空を眺め、王子はそっと呟いた。
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